カトルが何を考えているのか分からなくなったのは、一体いつからだっただろう。
 昔から気性の荒い子だったわけじゃない。子供たちへの接し方から見て分かるように、あの子は元来優しい性根の子だった。ちょっと臆病で、引っ込み思案で、だけどこうと決めたことはやり通す。私はそんなカトルを守っていた。だって、私たちは双子で、私はあの子の「お姉ちゃん」だったから。
 だけどいつからか、あの子は自分を形の決まった鋳型に無理に流し込むようにして生きていた。泣き虫だったカトルはいつの間にか私の前に立つようになった。私の手では抱えきれない物を無理にその背に背負おうとした。良いよ、そんなに無理をしなくても。私はあの子にそうやって声をかけるのに、カトルは聞こえないふりをしている。
 カトルは人の痛みに敏感だ。弟妹たちが傷つく度、まるで自分のことのように抱え込む。絶対に復讐してやるから、仇は必ず、ぼくが取るから、そんな風に誓う。事実カトルはその都度強くなった。短剣を手にし、その身体に命を奪い取る瞬間を刻み込んでいく。それは宛ら痛みを伴わない自傷のようだった。私は、どうだろう、一定の痛みを超えたとき、私は自分が問題となる物事からぽろりと剥がれ落ちたような感覚になる。魂が身体から離れて、ほとんど他人事のように全体を俯瞰してしまう。悲しくないわけがない。ただ、受け入れるには、そうやって一度立ち止まらないといけなかった。痛みの許容量を超えないように慎重に歩く私を、前を行くカトルは首だけで振り向いて言う。「臆病者」と。
 どちらかが道を違えたときは、もう片方がそれを止める。私たちはそうやって生きているつもりだったけれど、私は考えるのだ。私はもっと前からあの子を止めることができたんじゃないだろうかって。私たちの間に生まれたずれのようなものを、見ないふりをしていた。その背が見えているうちは大丈夫だって。だけどのように、きちんと向き合うべきだった。追いかけて肩を引いて、あの子が何を見ているのかを私は直視すべきだった。
 畢竟、カトルを化物にしてしまったのは、私であるということになる。



「…………カトル。ここにいたのね」



 星屑の街に程近い街道から、僅かに逸れた草原のただ中にカトルは居た。
 むっとした草の匂いが辺りを充満していた。目には見えない粒子が漂っているような静かな空気の中、たった一人で星空を見上げていたその背中は、幼い頃のカトルに酷く似ていたのに、その身体には隠しきれないほどの血の臭いが染みこんでいた。
 カトルがゆっくりと振り返る。手の中にある四天刃は、あらゆる負の感情を煮詰めでもしたような気配を持っていた。「確証はないけれど、今のカトルは四天刃に意識を乗っ取られている可能性があるんだ」神妙な面持ちでそう口にしたグランの言葉が脳裏を過ぎる。私を捉えたカトルのその瞳は闇の中でも分かるほど、狂気に揺らいでいた。








 星屑の街を拡げる。
 外との境目である門や柵を取り壊して、それこそちょうどぼくたちの家の、一階の壁のように、そうしてどんどん外のスラム街を吸収していく。食べるに事欠く子供たち、親や兄弟に死なれた子供たちに、もう大丈夫だよ、と手を差しのべる。姉さんと一緒に、彼らを利用し搾取するマフィアたちを懲らしめて、全てに等しく死を与える。
 それが終われば、ぼくは愛しい人の居る家に帰る。けれどさんに血を見せるのは良くないから、家に帰る前には必ず身体を洗って、汚れた服を処分して、そうして家で待っていてくれるさんを抱きしめて、ただいま、って笑う。
 家は、姉さんとぼくが住んでいたあの建物の裏が良い。そっちの方がいざってときに動きやすいから。さんの好きな花を庭に咲かせよう。壁は白く塗って、子供たちが遊びに来ることもあるかもしれないけれど、あんまり広すぎるよりも二人で過ごすのに充分なくらいが、きっとぼくたちには丁度良い。さんはローアインさんたちに時折教わっているとかで、料理もそれなりにできるから、キッチンは彼女が使いやすいように案をもらう。日当たりの良い大きな窓がほしい。二人がけのソファを置いて、二人でのんびり午睡できるように。本棚に花を飾ろう。細々とした雑貨の好きな人だから、専用のスペースを作ろう。ベッドは大きい物を一つ。あまり喧嘩らしい喧嘩をした記憶はないけれど、もしそういうことがあっても簡単に仲直りができるように。
 時折グランさんたちが星屑の街に遊びに来る。さんは懐かしい顔ぶれにはしゃいで、いつにも増しておしゃべりになる。ぼくはそれを見てちょっと面白くないように思うけれど、さんの喜ぶ顔を見ているうちにそんな醜い嫉妬はなくなってしまう。ぼくの力が必要だと言われれば、ぼくはまた姉さんに街を任せ、さんを連れて再びグランサイファーに乗る。ぼくたちを脅かすものはもうそこにはいないから、子供たちは「いってらっしゃい! お土産よろしくね」と笑ってぼくたちに手を振ってくれる。色んな場所でぼくたちはあれでもないこれでもないと、皆へのお土産を二人で首を捻りながら考えている。
 多くは望まない、必要以上の富がほしいわけじゃない、分不相応な地位もいらない。細やかなものだろう。大切な人たちと屋根のある家で過ごして、食べるに困らず、気の置ける友人がいて、そうして幸せな日々を送りたい、それだけだ。
 姉さんと、子供たちと、さんと、平穏に暮らすこと。
 これが叶わぬ夢であるものか。
 そのために強くならなければいけなくて、だからこそぼくには四天刃が必要だった。無意味に仲間を傷つけた? 無意味であるものか。あの人たちを倒したという事実が、ぼくが強さを得たことの証左だ。どうして姉さんは分かってくれないんだ。
 口は一人でに動いて言葉を紡いでいく。あとは頭目を倒せばぼくが、ぼくたちこそが最強だ。星屑の街は安全になって、ぼくたちを脅かすものは全てこの世から消えてなくなる。自分の意思であるはずなのに、ぼくは自分が、自分の意思から離れていくような感覚を確かに覚えている。そうして宙に浮いたぼくはぼく自身をまじまじと見つめている。いつだって自分の中に横たわらせていたぼくの本心は、もう骨身に染みこむようにして存在していたけれど、壊れた絡繰り人形のように繰り返されるその言葉たちの、なんと空虚で薄っぺらいことか。笑いたいのに、もう自由には笑えない。四天刃に心を奪われたのかという姉さんの問いかけに自分の意思で返答することすらも。
 だけどこれがぼくの望んだものの末路だ。それに後悔なんてするものか。



「目を覚ましなさい、カトル!」



 姉さんは、だけど、やっぱり優しすぎるのだ。
 ぼくに向けられた銃口は、そうとわかるくらいに震えていた。








「あなたが幸せであること。正しいと思える道を歩くこと。たくさんの縁を結ぶこと。あなたを連れてきた神様に、ここにいることがあなたの幸せだと証明することが、正解なんじゃないかと思うわ」



 夢にカヤノさんが出てきた。夢だってすぐに分かったのは、私はあのカヤノさんの、あったかい、日だまりの匂いのするおうちに、たくさんの人を連れて来ていたからだ。
 グランくん、ビィくん、ルリアちゃんに、コルワさん。グランサイファーで出会った大切な仲間たち。シエテさんやエッセルさんもそこに居た。私は皆に囲まれて、どうですか、カヤノさん、と言うのだ。どうですか、私、こんなに素敵な縁を結んだんです。これだったら許してもらえますか。
 カヤノさんは私の背後にいるたくさんの人たちの顔を一人一人見つめて、静かに微笑んでいる。



「ええ、ええ、皆あなたが結んだ素敵な縁ね」



 カヤノさんにそう声をかけられただけで、肩甲骨の辺りから羽根が生えたような心地になった。そうなんです。皆私の大切な人たちです。魂を根付かせるイメージというのは、まだ難しいけれど、きっとこのまま皆と一緒に居たら、神様も分かってくれますよね。「そうね、でも」カヤノさんがそう言ったとき、私は私と一緒にいる人たちの中に、カトルくんがいないことに気がつく。隣にいることが当たり前すぎて、私は気がつかなかったのだ。私の傍にあった人の影は、カトルくんを形作っただけの土塊だ。



「あなたが一番大切にしたい人は、どこに行っちゃったの?」



 瞬間、ぐん、と両手の手首を掴み上げられて一気に身体を引き上げられるような感覚に、私は目を覚ます。
 耳につく呼吸音は間違いなく私のものだった。部屋はまだ薄暗く、カーテンの閉められていない窓から夜の気配が染みこんでくる。騎空艇の中にいるときとは違う静けさに、まだどこかぼんやりとした頭で、自分が星屑の街にいることを思い出す。
 ああ、そうか、夢、夢だったんだ。
 悪夢と言い切るには、少し違う。だけど何とも言えない後味の悪さだけがいつまでも残っていた。丁度、シャオさんに煎じてもらった苦みのある薬草を飲んだ後みたいに。口の中がからからに乾いたような不快感に、のそりと身体を起こす。お水を飲ませてもらおう。でも、そんなことでエッセルさんを起こしてしまうのは忍びないから、私の背中の方で眠っているだろうエッセルさんを起こさないように、そうっとベッドから出なくては。
 だけど、何だか妙な寒々しさがあった。人の体温、とりわけエルーンの人が放つ温かさが、私の傍にないように思えたのだ。目線だけで振り向く。エッセルさんが寝ているだろうと思っていたベッドの半分には、彼女の姿どころか、温もりすらも残されていなかった。