いつもよりざわざわした歪んだ音だと、その人はぼくに向かって口にした。
ニオさんと相対するのをここまで避けてきたのは、ぼく自身、他人の感情を旋律として認識することのできる特異な能力を持った彼女を無意識のうちに遠ざけていたせいだったのかもしれない。何もかもを見透かしていると言わんばかりの瞳が気にくわなかった。今に始まったことじゃない、昔からだ。四天刃がぼくの感情に呼応するように鈍く光る。
だが、今日の彼女はどうしてそんなことを言うのだろう。ぼくは狂おしいほどの喜びに満ちていた。ぼくが最強となるまであと少し。ようやくここまで来たのだ、もう誰にも邪魔はさせない。しかしニオさんはその小さな唇をほとんど動かすことなくこう続けた。それが酷く、ぼくの癇に障った。
「孤独な音色」
分かったような口をきくな。
苛立ちに任せて武器を向けたそのとき、ニオさんは真っ直ぐにぼくを見つめていた。その双眸はぼくを非難するような色をしていた。だから、ぼくは余計に腹が立つのだ。お前に何が分かる、と。ぼくが孤独であるものか。姉さんがいて、子供たちがいて、さんがいる。彼女たちのために戦うぼくが孤独なんだとしたら、一体ぼくは何のために仲間を倒してここに来たっていうんだよ。
ぼくの望む安寧まで、あと僅か。
口の端が自ずと上がるのに、もう上手く笑えない。鈍い黄金色を放つ四天刃のレリーフを無意識に指先で撫でて、姿勢を低くし、大きく一歩を踏み込んだ。今更後戻りなんかできなかったし、そうする気もなかった。
四天刃の声は、いつからか聞こえなくなっている。
あの子は今、どこで何をしているんだろう。
ベッドの中のの寝顔を眺めながら、姿を消したカトルのことを考えている。
もう陽はとうに落ちていた。古い木枠にはめこまれた窓ガラスの向こうでは星が瞬いていて、それを漫然と眺めていると、何か懐かしい匂いを感じてしまう。昔のことを思い出そうとすると、いつもそうだ。匂いと思い出は私の中で密接に繋がっていて、そうして私の記憶を呼び覚ます。カトルはそんなことないって言うから、人によるのかな。私たちは双子だけど、こうして、色んなところがちょっとずつずれている。
グランたちは街の外れの、今は空き家になっている家を使ってもらうように伝えてあった。そっちの方が、彼らにお願いした見張りの仕事がやりやすいだろうと思ったから。だから今日はこの家で、と私は二人きりだ。
は私のベッドの丁度半分を、行儀良く使って眠っている。「今日、一緒に寝ても良いですか?」と尋ねてきたのはの方で、私はそれを二つ返事で了承した。元々幼い子と添い寝できるよう大きめのベッドを使っていたから、小柄なと同じベッドで眠ることに関しては問題なかった。
それにしても、は表情の良く変わる、人懐っこい子だ。カトルが放っておけないと言ったのも分かる気がする。この子は年の割に、どうも子供っぽい。勿論、悪い意味ではなく。
警戒心を抱かないままに弱みを見せるところ、あどけない笑顔、自分の感情を吐き出すことへの躊躇いの無さ、きっとカトルはそういうところが許せなくて、そして、そういうところが好きなんだろう。
「……んん」
身動ぎをされて初めて、自分が無意識に彼女の頬に触れていることに気がついて、指先を引いた。少し息を潜めていたけれど、はそれからまた、寝息を立て始めたからほっとする。
疲れていたんだろう。今から数十分前、はベッドに潜り込むと、二つ三つ、内緒話のような声量で私と取るに足らない会話をして、そのままゆっくり目を閉じて眠ってしまった。多分、ここ数日は気を張って、上手く眠れていなかったんじゃないかな。星明かりに照らされたの顔は白く、以前見た時よりもよほど生気がない。カトルのことで思い悩んでいたんだろう。それでも私に心情を吐露した結果か、ひとしきり泣いた後は、すっかり憑きものが落ちたみたいだった。
この子がカトルを否定してくれて、良かったと思う。それは本当だ。
二人で一緒にだめになってしまうことほど恐ろしいものはない。だから私たちはどちらかが道を間違えたときはもう片方がそれを止めるよう、昔から互いに言い聞かせている。そして、それが今なのだ。カトルから見た私も「道を間違えている」のだろうけれど。
カトルは十天衆を標的にして打ち倒すことで、自分の強さを証明しようとしている。今のところ命まで奪い取っていないらしいことは不幸中の幸いだけど、グランたちの話によると、それでもシスは危険なところだったらしいし、その後他の皆がどうなっているかについては不透明なままだ。ニオやサラーサ、オクトー、フュンフは無事だろうか。考えれば考えるほど不安になる。
四天刃に意識を奪われているのかもしれない。そんな風にグランは聞かせてくれたけれど、どうかな。それが真実だったとしても、そうでなかったとしても、結局私のすることは変わらない。私はあの子の姉として、あの子を止める。この、カトルに死んでほしくないのだと泣いた、優しい女の子のためにも。
そう自分自身に言い聞かせるように決意した、まさしくその時だった。
ガラス窓の奥、星屑の街の子供たちが眠る家々の屋根の向こう。街の門のその先に、私ははっきりとした気配を感じたのだった。それはびりびりとした電気信号のようなものを伴って、私の皮膚から細胞へと伝わっていく。ああ、近くにいる。あの子が今、この街のすぐ傍に。
この世に生まれ落ちる前から一緒にいた、私の唯一の、大切な。
「………………カトル」
呟いた言葉は、と私だけがいる室内で、宙に浮かんでしまいそうなほどに所在なく響いた。