さんに手を振り払われたあの感触だけが、今も残っている。
四天刃はぼくを嘲るように笑った。ああ、ああ、フラれちまったな。可哀想に。慰めてやろうか? ぼくはそれに首を振る。うるさいとは言わない。そういう風に反論してしまったら、その事実を認めざるを得なくなるような気がした。
あれから三日が経っていた。その間で、サラーサさんもぼくに屈した。腹が減っていて本調子とは言い難かったらしいが、ぼくが勝ったという事実が残ればそれで構わなかった。その後出くわしたフュンフはぼくを探していて、お馴染みの正義感でぼくを懲らしめようとしたらしいけれど、それも返り討ちにしてやった。ぐすぐす泣いて煩わしかった。
大方の予想通りだったが、一番厄介だったのがオクトーさんだ。あの人の太刀さばきは見事の一言に尽きる。きっと、四天刃の力がなければぼくなんか足元にも及ばなかっただろう。長い死闘の末に何とかその膝をつかせたとは言え、しかしぼくもだいぶ深い傷を負ってしまった。刀傷はぼくの身体のあちこちに残っていた。四天刃の力をもってしても、なかなか塞がらないほどには。
いや、だけどそれだけではない。戦いを終えた後、足元が覚束ず、酷い頭痛に苛まれた。夥しい量の出血があったせいだったのかもしれない。オクトーさんはそんなぼくを見て「無理な戦闘を続けた代償だ」と、戒めるような口調で言った。「その刃を振り続ければ、いずれ魂を飲まれようぞ」とも。
ああ、だけどそんなのぼくが一番分かっているんだよ。ぼくのやり方を否定するその言葉の何もかもが、ぼくは気にくわない。
「この程度……問題ない! あと少しだ……あと少しでぼくは最強になれる……」
自分に言い聞かせるように言葉にした途端、不意にぼくを襲う激痛に、口から漏れかけた悲鳴を懸命に堪える。重く、言う事をきかない手足を引きずって先を行く。意識は既に朦朧としていて、熱にうかされているようだ。なのに次の目的地に関することだけは鮮明で、ぼくは脳の中で自分の意思と記憶とが丁度半分ずつに分断されていくような感覚を覚えている。
オクトーさんで、六人目。ぼくの目的まで、あと一歩だ。ぼくは全ての十天衆を倒し、名実ともに最強になる。そう考えるだけで、身体中の血が沸き立つような興奮に包まれる。
さんはぼくのやり方を間違っていると言った。いくら目的のためとは言え、仲間を傷つける選択肢など選ぶべきではないと。ぼくは充分強いのだから、とほとんど泣き出す寸前のような顔で。思い出すだけで、笑ってしまいそうになる。ぼくが真に強ければ、ぼくはもうとうにこの空にいるマフィアを全て根絶やしにしていたし、星屑の街の子供たちだって、あんな風に傷つけられることはなかった。あの人のおめでたさが、ぼくは時折、どうしても許せない。
でも、それでも、そのどうしようもない許せなさと同じくらいに、ぼくは彼女の純粋さを美しいと思っているのだ。
ぼくには到底手に入れられないもの。雲の切れ間から漏れる光芒のような人。花を両手いっぱいに抱えて、いつまでも子供のように笑っているような。ぼくはその花を頭上から放られる。ぼくは満たされていた。嫌いになんてなれるわけがなかった。ぼくは腑抜けになるべきではなかったが、あなたを愛したことは否定しない。いや、愛しているのだ、こんな風にぼくという存在が汚染されている、今も。
ぼくがこの手で安寧を手に入れたら、彼女はまたぼくに笑ってくれる。ぼくが正しかったことを認めてくれる。
――それもそうかもしれねぇなぁ。
ぼくはもう、これが自分の声なのか、四天刃のものなのか、判別することができない。
短期間で何度もお邪魔させてもらっているというのに、星屑の街の子供たちはいつも、私たちの来訪を喜んでくれる。
グランくんたちはエッセルさんにこれまでの経緯を話して聞かせた後、すぐにマフィアたちの根城に隣接する街の西方面へと移動した。シエテさんの言っていた通り、今星屑の街はこれまでにないほどの緊張状態にあるらしい。何でも、ウーノさんが怪我を負っていることが今になってマフィア側に漏れてしまったのだとか。
ウーノさんは今、まだ本調子ではない身でありながらもマフィアを監視する役目を担うために門付近の見張りを行っているという。グランくんたちはいざというときのために彼の援護ができるようにと街の外れへと向かったのだ。エッセルさんも、これにはとても安心したみたいだった。星屑の街にも戦える子供は大勢いるけれど、それでもやっぱり場慣れしていない彼らを危険な目に遭わせたくなかったから、と。
エッセルさんは、少し痩せたように見えた。以前別れたときからそう日が経っていないのに。そう思ったけれど、エッセルさんの方から「、ちょっと痩せた?」と神妙な顔で首を傾げられてしまって、困ってしまう。でも、カトルくんにはこれ以上太らない方が良いんじゃないですか、なんて言われてたから、むしろ丁度良いのかも。笑って貰おうと思ってそう言った。エッセルさんの笑顔は、どこか寂しげだった。
グランくんたちが出ていって、広い居間に二人きりになって、私たちはダイニングテーブルではなく、ソファに向かい合って座っている。窓の外は曇り空で、どんよりとした陰鬱な空気がガラスの向こうから染みこんでくるみたいだった。街は今も、眠っているように静かだ。
シエテさんと別れてから一晩が経っていた。今のところカトルくんに関する情報は、それから何も入っていない。だけど私の知らないところで、確実に何かは起きていて、四天刃はもしかしたらカトルくんの心とか、魂とか、そういうものを蝕んでいるのかもしれなかった。そう考えただけで、私は酷く恐ろしくなる。
私はカトルくんを傷つけた。そういう後悔がぬめりになって、私の皮膚の、足の先から頭のてっぺんまでを浸していく。カトルをよろしく、って、私はこれまでたくさんの人に言われてきた。まるでカトルくんを託されるみたいに。だけど、私はその期待も全部裏切ってしまったのだ。苦しくて、呼吸もままならない。膜の中で、酸素を求めて喘いでいる。
あの瞬間、彼が私の名前を呼んで手を差し伸べたときこそ、カトルくんを引き止める最後のチャンスだったのかもしれなかったのだ。
「……あ、お茶、淹れてくるね。この前と同じものしかないけど……」
「エッセルさん」
そう言って立ち上がろうとしたエッセルさんを引き留めた。
私は懺悔がしたかった。他でもない、彼と血の繋がった唯一の人に。
エッセルさんはその涼しげな、カトルくんとそっくりの瞳を私に向けている。