星屑の街を発ってからまだそう日が過ぎたわけではなかったのに、街は随分と様変わりしていた。何かが焼け焦げたような臭いが充満して、昼間でも子供たちの姿は外にない。しんと静まりかえった街並みは息をするのをやめたようで、そうしてみるとそこは本当のスラム街のように見えるのだった。
 以前は解放されていた門は厳重に封鎖されていた。門番の子は二人に増えていて、彼らはグランくんをみとめると僅かに警戒した様子をみせた。グランくんが彼らと話をして、どうにか通行を許可されはしたけれど。彼が二人に何を話していたのかは、少し離れた場所にいた私には分からなかった。
 星屑の街へはルリアちゃんとビィくんも一緒だ。ルリアちゃんは私の隣にぴったりと寄り添って歩いてくれるし、ビィくんはグランくんの頭上を飛びながらも気遣わしげにこちらに目線をくれる。気遣って貰うのが何だか申し訳なくて、「大丈夫だよ」と念を込めてみたけれど、そういうのって、表情だけじゃ伝わらないみたいだ。でも、声に出したら大丈夫じゃないのがバレそうだったから、笑顔を作るくらいしかできなかった。
 空をふわりと旋回しながら、ビィくんは街を見回す。



「にしても、すっかり雰囲気が変わっちまったなぁ……一体何があったんだ?」

「子供たちはどうしたんでしょう? 姿が見えません……」

「門番の子たちの話だと、今はあまり外に出ないようにって言われているらしい」

「カトルさんはここにいるんでしょうか?」

「それは……どうだろう」



 グランくんの目が、星屑の街全体を俯瞰するように静かに動く。それが最後に私の目を見たとき、どきりとした。何か重大なことを打ち明けるような深刻さが確かにそこにあるように思えたのだ。
 私は傷ついていた。いや、そう言うと語弊があるのかもしれない。もう取り返しのつかない後悔の念のようなものが頭上で大きく口を開けていて、私はそれに呆気なく飲み込まれてしまっていた。私の存在の全てが真っ暗な闇の中に放り込まれて、身体の芯から冷たくなっていくような感覚だった。私の根っこが、少しずつ剥離していくような恐ろしさの中にいた。だってカトルくんは私を置いて行ってしまったのだ。なんの相談もなく。
 明日になったらお話を聞かせてくれるって約束したのに。その明日を置き去りにして彼はいなくなった。そういうどうしようもない恨みのような感情が私の心を真っ二つに割ったのを、私はどうにか両手で押さえ込んで、なかったことにしようとしている。カトルくんが私の頬をぎゅうと押すように触れたときの感覚を思い出して、丁寧に、丁寧に。いくらそうしたところで、罅ができる一方なのに。



「……数日前、大規模な抗争があったらしいんだ」



 グランくんの言葉に、引き結んだままだった唇が緩む。「抗争?」それも大規模な。そう彼は言ったけれど、俄には信じがたい。私の疑問はビィくんが言葉にしてくれた。



「にしては街の中も、そこまで荒れてるようには見えねぇけど……」

「うん。場所はこの街じゃない」

「え? じゃあ、どこで……」



 不思議そうに目を瞬かせるルリアちゃんと、私も同じ表情をしていたのだろう。



「マフィアの治める地区だ。そこに何者かによる襲撃があったらしい」



 この街に近づき始めた頃からずっと纏わり付いていた臭いの正体を突きつけられたように思えて、言葉を失った。
 襲撃。その言葉を聞いた瞬間、ここにいる全員が彼の姿を思い浮かべたはずだった。
 エッセルさんの家が近づいている。そこにカトルくんも居るのだろうか。もしそうだとしたら、私は彼にどんな顔をしたら良いのだろう。それが今はどうしても、わからない。








 ウーノはカトルやグラン、たちが星屑の街を発ったのとほとんど入れ違いでやって来てくれた。シエテが街と子供たちを守るよう、彼に頼んでくれたのだ。



「偶々近くの空域に居たところだったからね。気にしないでくれ」



 穏やかな声音で私を気遣ったウーノはやっぱり私たちよりもずっと大人で、彼の来訪に私は少なからず安堵していた。ずっと張り詰めていた肩の力が、ようやく少しは抜けたように思えた。
 以降、街とマフィアとの間では相変わらず緊張状態が続いている。もしもウーノが街にいるという情報がマフィア側にもたらされなければ、事態はもっと悪化していたかもしれない。十天衆の力は抑止になる、と言うシエテの言葉が、こんなときにも実感されるのだ。私たち二人では侮られても、ウーノやシエテの存在はまさしく抑止たりえると思うと、少し情けないけれど。
 ウーノは街の端の方に住む子供たちの避難を手伝ってくれた。街の中心部に集めて、なるべく外を出歩かないように子供たちに話して聞かせた。窮屈な思いをさせて申し訳ないと謝る私に、子供たちは「大丈夫だよ」と笑ってくれた。私はそういう、弟妹たちの笑顔に救われている。
 カトルのやり方が間違っているとは思わない。最終的に、私たちがこの街で平和に暮らすためにはマフィアを根絶やしにしなくてはいけないということも分かっている。だけど、それは痛がって蹲る子供たちを放っておいてまですることなのだろうか。
 傷つきながらも一人でどんどん前に進んでいくカトルの背を追いながらも、私は子供たちに、エッセル、と名前を呼ばれて手首を引かれる度に、一歩も動けなくなってしまう。どちらに進むべきなのか分からなくなる。だからカトルは私を臆病者と蔑んでいるのだ。
 ウーノが重傷を負ったのも、だから、私が臆病だったせいだ。








 マフィアの根城が燃えたのは、底冷えのする夜だった。炎の勢いは凄まじく、離れた星屑の街に居てもその激しさは伝わってくるほどだった。時折何かが大きく爆ぜたような音がするのに、幼い子供たちが怯えて私にしがみついた。「怖い、怖いよお、エッセル」すすり泣く子供たちを置いて、どうしてその場を離れ様子を見に行くという選択を取れたか。



「私が行くよ。君は子供たちと一緒にいると良い」

「ウーノ、でも」

「子供たちを安心させることができるのは、私よりもエッセルだろう?」



 ウーノは労うように私の肩を叩いて、一人部屋を出た。恐らく彼も何かを察していたのだろう。マフィアに襲撃があったとするなら、それを実行する人なんて限られるのだから。
 彼が触れたところはいつまでも熱を帯びているようだった。ひりひりした。喉の奥とか、眼球とか、直接触れられはしなかった部分までが。ウーノの穏やかな瞳が私を撫でていくようで。
 どうか。どうか白状させてほしい。
 私はほっとしていたのだ。これが恐らくカトルの所業であることを察していながら、ウーノに任せて、この目でそれを確かめることから逃げた。ウーノを盾に、カトルと向き合わなかった。苛烈なあの子を前に、恐れをなす自分を曝け出さずに済んだことに安堵していたのだ。
 だから臆病者だと詰られる。
 けれどそれから、ウーノはいつまで経っても戻って来なかった。心の端のあたりがざわざわと落ち着かなかった。何か大変なことが起きているんじゃないだろうか。子供たちの髪を撫でながら、壁の一点を見つめる。
 火の勢いがなくなって、悲鳴や血の臭いも薄くなり始めた頃、ようやく幼い子供たちが疲れて眠ってくれたのを、年長の子たちに任せて家を出た。その時にはもう東の空が白み始めていた。群れを成して飛ぶ鳥の姿があった。夜明けとは思えない冷たく暗い影が、私の心に落ちていた。
 あのときの、皮膚を刺すほどの空気の冷たさを覚えている。暁の空の美しさも。風に運ばれた死のにおいも。私の五感で感じた何もかも。
 街を出た先、アジトのある方角へ向かう。どれだけ駆けても、終わりが見えない。私は恐ろしかった。
 まだ真新しい血溜まり、一晩でそのほとんどが瓦礫と化した建物はまだ焦げ臭く、あちこちで燻ったような煙が立ち上っていた。マフィアの連中は逃げ出したのか、或いは原形を留めてすらいないのか、遺体らしきものもほとんど残されていない。惨状というには充分だった。



「………………ウーノ?」



 建物の陰に転がっていた人を見たとき、心臓が痛いほどに音を立てた。意識を失い倒れていたウーノの身体には、見覚えのある裂傷痕が幾つも残されていた。
 これは、間違いなく、短剣によるものだ。
 ああ、ああ、カトル。あなたは一体何をしているの。
 縋るように強く思っても、答えてくれる弟はもういない。