グランさんが出迎えるつもりだったのは、ぼくではなくさんの方だったのだと思う。
 彼がタラップ付近にいるということは珍しく、恐らく時間を見てここにやって来たらしいということは想像に易かった。そして、その「時間」を読みやすかったのは独断で艇を降りたぼくではなく、さんだ。ぼくがいつ戻るかを彼らは把握していなかっただろう。
 艇を降りる直前、ぼくはグランサイファーの飛行予定表に記されていた今日の日付とこの港の名前を記憶していた。どんなに遅くなってもこの日までにはグランサイファーに戻ると決めていたけれど、それを誰かに伝えることをぼくはしなかったから、彼女の用事の帰りと重なった偶然に、ぼくの方こそ驚いていたのだ。顔に出しこそしなかったけれど。
 彼はグランサイファーに戻ったぼくたち二人を見て、一瞬言葉を失ったようだった。だけど、すぐさま取り繕ったような微笑を浮かべる。「二人とも一緒だったんだね」それがやけに含みのある言い方に思えるのはぼくの思い込みか。



「おかえり、カトル、

「た、ただいま、グランくん」



 さんの隣、会釈だけで済ませたぼくに、グランさんは思うところもあっただろう。思案するようにその瞳が動いて、最終的にそれはさんへと向けられる。人通りの多い出入り口であることを考慮してか、グランさんは人目を気にするように周囲に目線を投げながら、さりげなく声量を落とした。



、後で話を聞かせて貰っても良い?」

「……うん、私は……いつでも平気」

「良かった。じゃあまた後で」



 二人がぼくの存在を意識しているのは分かる。さんは、えらく歯切れが悪かったし、グランさんは言葉を選んでいた。
 さんが街に出ていたのもただのお使いが理由ではないらしいということは、グランサイファーに戻る前には察していた。そもそも手作りのジャムをこれだけたくさんもらうようなお使いなんて、ちょっと思いつかない。それが他の団員と違って親類を持たない彼女である以上、余計に。
 港に戻るまでの間、ぼくたちは会話という会話を何もしなかった。おしゃべりのさんにしては珍しく、彼女がぼくを気遣って何も言わずにいてくれたのだろうことは窺えたけれど、自分から説明するのもおかしな話だと考えたら、何も言葉が出てこなかった。
 そもそも、説明って、何をどう。
 そう思うならばぼくは彼女に、「今日は一体どこで何をしていたんですか?」と尋ねるべきだった。買い出しに行っていたのかと聞いたのと同じように。だけど、一度飲み込んでしまった言葉は二度と出てこない。騎空艇に戻って、それからでも良いだろうと思い直した。そのときには、ぼくも自分の抱いている言いようのない恐怖を、彼女に打ち明けることができるのではないかと。
 そう錯覚したのだ。



「……じゃあカトル」



 グランさんに呼びかけられて、目線をそちらに向ける。



「このまま部屋に来て貰って良い?」



 まだ年若いこの騎空団の団長さんは、真摯な瞳でぼくを真っ直ぐ見つめていた。
 ジャムの瓶が数え切れないほどに入れられた紙袋は、手提げの部分の紐がやけに細くて、指の付け根に食い込んで妙に重く感じる。








 紙袋を片手に、私は食堂までの道を行く。手渡してもらうとき、カトルくんは「重くないですか?」と心配そうにしてくれたけれど、馬車に乗っている時間が長かったとは言えそもそも村からあの紙袋を持ち帰ったのは私だ。「平気ですよ。重たいものを持つのは慣れてるって、いつも言ってるのに」そう笑えば、カトルくんは星屑の街以来初めて、私に小さく微笑んでくれたのだった。それでもいつもより、随分と力がなかったけれど。
 グランくんとお話をするって言うカトルくんは、最後まで私の荷物を持つのを手伝ってからで良いかと彼に聞いていたけれど、私が断った。食堂なんて目と鼻の先だし、持てないわけでもないのだからと。



「……でもその代わり、グランくんとのお話が終わったら、私ともお話をしてくれる?」



 本当はその言葉を言うべきか、最後まで迷った。
 言いながら、何が「でも」で「その代わり」なんだろうと思ったけれど、真っ直ぐ彼の顔を見つめた私を、カトルくんはややあって、応えるように見つめ返してくれたから、そんな瑣末な問題、今更どうだって良いように思えたのだった。
 グランサイファーの匂いや温度、足の裏に伝わる感触は、たった一日ぶりなのに懐かしい。歩きながら息を吐いたら、どうしようもなく震えていた。自分自身をも誤魔化せないくらいに。
 紙袋の中で、ごろんごろんと瓶がぶつかる音がする。カトルくんが戻って来てくれて、彼とお話ができて嬉しいのに、その感触の度に不安が増幅していくみたいだった。








「別に、今回の行動について咎めようとか、そういう気はないんだ」



 グランさんは部屋に着いて早々、そんなことを口にした。
 団長であるという立場から考えれば狭い彼の部屋は、いつ訪れてもきちんと整っている。ソファを勧められ、素直に腰を下ろした。ぼくとしては彼に話すことがあるわけではなかったが、グランさんの方はそういうわけにもいかないのだろう。ぼくは叱責されても文句は言えない立場だった。そう思っていたのに「そういう気はない」とはどういうことか。



「はぁ……?」



 困惑を顔に出せば、グランさんは眉尻を僅かに下げた。
 そもそも、ぼくは彼とこうして二人きりになることにも抵抗があったのだ。星屑の街で彼に容赦なく叩きのめされた。あれが時効だなんてぼくにはまだ言えない。ぼくは言いようのない蟠りを彼に対して抱えているのに、グランさんの方はあのことそのものを忘れているのではないだろうか。そう勘繰ってしまうほど、彼の表情に濁り気はない。



「本来君は休暇中だったわけだし。休暇中まで団員の行動を制限なんてしないよ。まあ、行き先くらいは書き残してほしかったけど……今回はローアインたちが魔物の手配書を持って行くカトルの姿を見ていたわけだから、そういう意味でも心配はしてなかった」

「……そうですか。でも、書き置きも言伝も頼まなかったことに関しては謝ります」

「ただ、せめてにくらいは伝えておくべきだったんじゃないかな」



 不意にさんの名前を出されて、意識せずに目を細める。
 ぼくの行動を咎めるつもりはないと口にしたことを考えれば、彼がこれから話そうと考えている大きな事柄については容易に想像がついた。だけどぼくは、その仔細についてまでは考えが及んでいなかったのだ。
 ぼくの隣で口を噤み、視線を落として歩いていた彼女の姿が目に焼き付いている。一人で見上げるには惜しいほど美しい色をした夕焼け空だと思ったけれど、「空が綺麗ですよ」とはついぞ口にできなかった。ぼくたちの目線は、互い違いになったままだ。もしかしたら今も。



「星屑の街のことが心配なのは分かるけど、のことも気にかけてあげてほしいんだ」



 それがぼくに対して最大の失言に他ならないことを、きっと才ある彼は想像もできないのだろうな。
 彼の眼球には、目を見開いたぼくが映っていた。他意も悪意もないらしいグランさんを呪い殺しでもしかねないほどに歪んだ顔をしていた自身から、いっそ、目を背けられれば楽だった。