私が一人グランサイファーを降りたのは、あれからさらに三日後のことだった。
港のある大きな街から歩いて半日かかる山間の小さな村。そこに向かうまで護衛をつけてくれるとグランくんは言ったけれど、村までは馬車も出ていると言うし、断った。そもそもこの島には温厚な魔物しかいないと聞く。だったらそんなに危険なものでもないだろう。私用で団員さんの時間をもらうというのも、何だか申し訳なかったのだ。
それに、一人旅って案外悪くない。皆のいるグランサイファーもあったかくて居心地が良いけれど、誰も私を知る人がいないところでぼんやりするのも、私は結構好きなのだった。馬車での往復でと考えれば、旅と言っても一泊旅行程度にしかならないのだけど。
出発してすぐは背筋を伸ばして気を張っていたけれど、街から離れて長閑な風景が広がるのを見ていると、段々と色んなものが緩んできてしまう。そう大きくはない馬車にはほとんど人は乗っていなくて、私は鞄を膝に乗せてゆっくりと流れる外の景色を眺めていた。畑、木、鳥、猫、畑、畑、雲、果樹園、それから淡い色の空。年中温かいというこの島は、果物が美味しいらしい。お土産に買って帰ろうかな、とぼんやり考える。
あふ、と浮かぶ欠伸をかみ殺した。騎空艇とは違う、身体にダイレクトに伝わる馬車の揺れに慣れてきたら、どうしても眠気を誘われてしまったのだ。耐えていたのに、ふと気がつくとうとうとと船を漕ぎかけている自分がいる。昨晩興奮と緊張で上手く寝付けなかったせいもあるのだとは思う。でも、こんなところで眠るのは良くない。いくら、馬車の中にいる人たちが、皆人が良さそうだからって。だけど頭に膜が張られるようなこの感覚に、抵抗ができない。
「鞄、ちゃんと閉めてますか?」
意識が遠のきかけたそのとき、不意にそんな声が聞こえた気がして、はっと我に返った。「ひゃいっ」と声を出した私に、近くに座っていた親子連れが驚いたように息を飲む。
「あ、ご、ごめんなさ……!」
びっくりした。すっごくすっごくびっくりした。カトルくんに声をかけられたのかと思ったから。胸がまだどきどきしている。変な夢を見ていたみたいだ。
カトルくんが居るはずがないんだから。
がたごとと揺れる馬車に、改めて背を預ける。細く長い息を吐けば、車輪の音に埋もれて消えた。コルワさんが鞄につけてくれた三つのボンボンを撫でながら、山の稜線を眺めている。自分の脈拍が段々と平生のそれと変わらなくなるのを、ぼんやりと感じている。
星屑の街から戻って来て以来、塞ぎ込んでいたカトルくんが部屋を出た。私がグランくんの部屋に行った、翌日のことだった。だけど、部屋を、というと少し語弊があるのかもしれない。だってカトルくんの名前の書かれたホワイトボードには、依頼のため外出という文章が、彼の字で殴り書きされていたのだから。
それを見た私は「へっ?」と高い声を出してしまった。昨夜まで何も書かれていなかったはずなのにと呆然とする私の背後から、ローアインさんたちが「あーそれな?」と声をかけてくれる。
「早朝にちょのカレピが鬼の形相で食堂に入ってきたんだわ。ずっとシーメー食べてなかったし、これはいよいよハラペコリーヌかと思って何食べるか聞いたんすけどぉ」
「フツーにシカトされたよな」
「ガンギレでマジパねぇオーラ放ってたっつーか……やっぱ十天衆、只者じゃねーわ……」
「え、え、じゃあもうカトルくん、行っちゃったんですか?」
「ってもだいぶ前だべ? 依頼書もごっそり持ってったし、もしアレ全部やるってなら一日二日じゃ帰って来れないっしょ」
「依頼書?」
グランサイファーにはグランくんが引き受けた依頼が多数あって、大抵はグランくんによって各団員に仕事が振り分けられるのだけど、中にはそうじゃないものもある。期限の決まっていないもの、例えば賞金のかかった魔物の討伐とかがこれに当たるのだけど、カトルくんはそういった依頼書を数枚持って艇を降りたと言うのだ。
話を聞いたグランくんは苦々しい顔をしていた。でも私はもっと酷い顔をしていた自信がある。私は分かりやすく動揺していた。だってカトルくんは、ずっとご飯も食べてすらいなかったのだ。いきなり騎空艇を降りるなんて、思ってもみなかった。
「カトルのことだし、戻ってこないってことはないと思うけど……」
「だ、大丈夫かな……? 無茶、してないかな……?」
「カトルが持って行ったのは全部討伐依頼のものばかりだし、大丈夫だと思うよ」
カトルは強いから。と。
「だから、信じて待っていようか」
そんな風に吐き出すグランくんの横顔を、私は縋るように見つめている。
今、カトルくんはどこにいるんだろう。グランくんはエッセルさんにも連絡を取ってくれるって言っていた。まさか星屑の街に戻ってマフィアを襲撃したりすることはないだろうけれど。ホワイトボードに「依頼」とわざわざ書いて出て行った彼のことを信用したい気持ち半分、それでもどうしても不安な気持ちがもう半分あって、そういうのに向き合おうとすると、心がぐちゃぐちゃになってしまう。
自分本位な本音を吐露するならば、私はあわよくば、彼と話をしたかった。私と同じで、別の世界からやって来た女性に話を聞きに行けること。もしかしたら私たちを取り巻く事態は好転するかもしれないと。だけど、今のカトルくんにはそんなの、重荷になるかなあ。やっぱり今回は、一人で行って、話を聞いて、それで判明した事実だけを伝えるのがスマートな気がする。というか、もう今回はそれ以外にない。
だから、今の私にできることって言ったら、彼に頼らずに一人でどうにかすること、だ。
「……このおうち、かな?」
シェロカルテちゃんが手渡してくれたメモを頼りに辿り着いた村の最奥に、その藁葺き屋根の家はあった。