別の世界からやって来た女性に話を聞ける。
グランくんから聞かされたその話に、私は直前まで抱いていた蟠りを吹き飛ばすほどの勢いで立ち上がった。身を乗り出してテーブル越しのグランくんの手を掴む。ローアインさんが淹れてくれたお茶が衝撃で溢れなかったのは奇跡だ。
だけど、どうしても、どうしても感謝を伝えたかったのだ。私は語彙力も、見合うだけのお礼を準備出来る気概もないから、せめて表情と身振り手振りだけでも。
「あ、ありがとう、グランくん!」
感情のまま彼にそう告げた私の声は、自分でもびっくりするくらい震えていた。
勿論、「話を聞ける」だけだ。それだけじゃきっと何の解決にもならない。でも、どうやらその人は何十年も前にこの空の世界にやって来たらしい。全身の血が脈打ったみたいにどきどきしている。そういう人がいるのだという事実が、私に希望を与えるのだ。
私に両手を掴まれたグランくんは目をまん丸くさせて、それから、いつもみたいに優しく微笑んでくれた。私のものよりも厚い、大きな手が、私の手の中で緩く握られる。
「シェロカルテが紹介してくれたんだ。お礼は彼女に言って」
「勿論! でも、シェロちゃんにそういう人を紹介してもらえるだけの信頼関係を築いたグランくんにもお礼を言わなくちゃ……本当にありがとう」
「いや、僕は本当に何も。それでごめん、シェロカルテにの身の上話をしてしまったんだ。先に了承を取るべきだったよね」
「え、いいよいいよ、そんなの全然」
律儀に謝ってくれるグランくんに慌てる。私が別の世界からやって来たって話は、確かに積極的には周囲の人に打ち明けていないし、グランサイファーにおいてもカトルくんとグランくんしか知らない。最初は意図的に隠していたけれど、今は単純に話すきっかけを失ってしまっただけで、彼がシェロちゃんに話したところで何の問題もなかった。
「……そっかあ、でも、シェロちゃんかあ。シェロちゃんに聞いてみれば良かったんだね、灯台もと暗しだね」
「良い話が聞けると良いね。近くまで騎空艇で送るよ」
「えっ良いの?」
「勿論」
グランくんが「そろそろ手、良い?」と小首を傾げてくれなければ、私はそのままずっとその手を握りしめてしまっていたかもしれない。「わ、ごめんね」とぱっと手を離すと、グランくんはそのままソファから立ち上がって、デスクの引き出しを引いた。彼が手に取ったのは、見覚えのある傷んだノートだ。
「一応ノートにも仔細を書いておいた。はい」
「わあ、ありがとう! あとでゆっくり見てみるね」
「うん。分かんないこととか心配なこととかあったら、また聞いてくれて構わないから」
「はい!」
受け取ったノートを宝物にするみたいに抱きしめる私を、グランくんはじっと見つめている。何か他にも言いたいことがあるのかなと目を合わせたとき、グランくんは、彼にしては珍しく、歯切れの悪い様子で「その、」と切り出した。
とぼけたように首を傾げてしまったけれど、私は本当は、グランくんが何を言おうとしているのかを分かっていたのだ。
「……カトルがこんなときなのに、ごめん」
浮かべたままの笑顔をどんな形で消せば良いのか、一瞬で計算することが私にはできなかった。彼の言葉にやや間をあけてから、目線をどこにやったら良いのか分からず、結局グランくんと私との間にある二つのカップに落とす。
ローアインさんが準備してくれたカップは、形も色も、目を閉じたって思い描けるくらいに馴染み深いものだ。色違いのものがいくつかあって、だけど、お茶以外の飲み物でローアインさんがこのカップを使うことはない。そういうことを把握できているくらい、私はこのグランサイファーに長くお世話になっていた。
しんと静まった部屋に、グランくんの呟いた「ごめん」という言葉が深く染みこんでいくような錯覚を覚える。グランくんが謝る必要なんてどこにもないのに、どうして彼はそんなに申し訳なさそうな顔をしているのだろう。カトルくんを塞ぎ込ませた原因は、グランくんにだけあるわけではない。
「……うん……」
口から漏れたのは、肯定とか、同意とかそういう意味のものではなかった。だけど、他にどんな風に返事をしたら良いのか分からなかった。
ゆらゆらと揺らめく琥珀よりも濃い色のお茶は、エッセルさんが淹れてくれたものよりもどことなく濃くて、いつまでも舌に残るようだった。深く焙じた独特の香ばしさがあって、昔お母さんが淹れてくれたものに良く似ていて、懐かしい。
本音を言うなら、グランくんの言葉通り、一緒に方法を探そうって言ってくれたカトルくんが隣にいるときにこの話を聞きたかった。だって、芳しくない、ってずっと思ってたから。少しでも手がかりを得られたことを一緒に喜びたかった。
星屑の街があんなことになる前だったら、カトルくんはこの話を一緒に聞いてくれたかな。それで、二人でその女性のところへ向かう段取りをしてくれたかな。それは、きっと楽しかっただろうな。今の気持ちの十倍はわくわくしたんだろうな。私はカトルくんと一緒だったら、なんでもできるような気すらしてしまうから。叶わなかったことへの未練を断ち切るように、緩く首を振る。
今星屑の街のことで頭がいっぱいになっているカトルくんにこんな話をしたって、きっと困らせてしまう。この空の世界に残るための確実な方法が分かったとか、そういう話じゃなくて、単に「そういう女性がいるらしい」っていうだけのものだから。だったらやっぱり、この話は私とグランくんの間だけのものにしておくべきだ。
緩く唇を噛む。私は今カトルくんがどんな気持ちでいるのかを、きちんと理解できてはいない。それがたまらなく、歯痒い。