エッセルから貰った茶葉の入った袋を眺めながら、食堂までの道を歩く。
 今のは不自然ではなかっただろうか。の前で、僕は彼女の「兄」のような存在として振る舞えていただろうか。考えても答えは出ず、ただ、の困ったような笑顔だけが網膜にこびりついている。あんな顔をさせたかったわけじゃなかったのにな、そういう思いが、どうしても拭えない。
 は多分、どうしたら良いか分からないんだと思う。カトルはあれから部屋に閉じこもって、食事も摂らない。僕も何度か部屋の前に行ったけれど、気配はあるのに部屋から灯りが漏れているのを見た試しがなかった。呼びかけようにも、ノックしかけた手はいつも胸の辺りで行き場をなくしてしまうのだ。僕にこの扉を叩く権利はないように思えて。
 星屑の街は今重大な局面にあると言っても過言ではない。「ヘヴン」は子供たちを蝕み、カトルの襲撃を受けて、マフィアは報復に出ている。それがあの惨劇を生んだ。
 あのとき傷ついた子供を前にして、頭に血が上ったカトルを止めたのは僕だ。エッセルが家を出る前にカトルのことを僕に頼んでいったからというのもあったし、実際に僕自身もカトルの行動を無謀だと思ったから。それを口にすることはしなかったけれど。
 その前日にカトルがほとんど一人であのアジトにいたマフィアの連中を倒すことができたのは、それが襲撃に近いものだったからだ。そもそもカトルが街に戻ってきていることも彼らは知らなかったのだろう。アジトに居た人数も少なかったし、向こうに戦う準備がなかったことが功を奏した。だけど、今回はもう違う。報復のために子供たちを襲ったマフィアは、むしろ怒りに身を任せたカトルがそうして再度アジトに向かってくるのを予想して、待ち構えていたはずだった。そこには罠もあっただろう。例え僕が加勢したところで、どうにもならなかった。冷静になればそれくらいカトルだって分かっただろうに。



「…………またあなたですか」



 あのときの嫌悪を剥き出しにした双眸を、僕は初めて見たとは言わないけれど。
 カトルは目の前に立ち塞がった僕の首を本気で獲りに来ていたから、手加減なんかできなかった。十天衆の短剣使いとして名を馳せている彼に、気を抜けば武器を持った手首ごと持って行かれそうだった。
 彼にとって星屑の街もそこに住まう子供たちもかけがえのないものだ。彼らはカトルの家族そのもので、だから僕を倒してでも彼らの安寧を脅かすマフィアを根絶やしにしたかったのだろう。それを軽々しく「分かる」とは、所詮余所者の僕には言えない。
 それでも、死にに行くと分かっていながらカトルを放っておくことはできなかった。力尽くでも止めなくてはいけなかった。のためにも。
 その結果がこうだ。
 今、星屑の街はエッセルと、偶然近くに立ち寄っていたらしい十天衆の人が守っている。子供たちを街の中心部に集め、なるべく人的被害が及ばないようにした上で、外のマフィアと睨み合っている状況だと聞く。そこに近くシエテも合流するらしい。十天衆の頭目である彼がいるならば、きっと安全だ。



「ごめん、団長さん。カトルのこと、このままお願いしても良いかな」



 今カトルが暴走したら私じゃ抑えきれないからと、エッセルは低く続けた。要するに、カトルが何と言おうと彼を連れてグランサイファーに戻れと彼女は言っているのだ。だけど結局カトルは自らの意思で、僕たちと一緒に星屑の街を出ている。頭を冷やしたい。たった一言それだけを口にして、彼は港で僕たちを待っていたグランサイファーにさっさと乗り込むと、そのまま部屋に籠もってしまった。そして今に至る。
 だけど、カトルのことは正直それほど心配していない。彼ならばそのうち吹っ切れるだろうし、しれっと部屋から出てくるだろう。「迷惑をかけてすみません」なんて、何食わぬ顔で言ってのけて。
 それがいつになるか分からないことが、今は少し問題なのだけど。



「ローアイン、お茶を淹れて欲しいんだけど」



 厨房のローアインに声をかければ「りょ!」と彼らしい返事が返ってきて、僕は彼に茶葉を渡しながら、にどんな風に話を切り出すべきかについて考えている。








 シェロカルテから連絡が来たのは、丁度僕たちが星屑の街に発つ直前のことだった。
 には悪いけれど、僕はの事情について彼女にだけは話していた。全空中にネットワークがあるといっても過言ではない彼女だったら、きっと何か異世界や、そこからやって来た人物について有益な情報を持っているだろうと踏んでいたのだ。
 事実、僕の予感は当たった。シェロカルテはのように別の世界からやって来たという人に心当たりがあるらしい。それも、元の世界に戻ることなく未だこの地に留まり続けている人だ。僕の周りにいた「そういう人たち」は、総じて時が来ればその姿を消していた。彼女の望む永続的な滞在方法を知る人間を僕は知らなかったのだ。だからシェロカルテから連絡が来たとき、これでの気がかりもなくなるかもしれないと安堵したのだった。
 今向かっている島の近くに、その女性は住んでいるらしい。話をつけておいたから是非会いに行ってくださいと、いつもの間延びした声で僕に告げたシェロカルテの話をは一体どんな心持ちで聞いてくれるだろうか。
 できれば、カトルと二人でいるときに話したかったけれど。
 カトルの部屋から戻ってくるときも手にしていたトレイと同じものに、ローアインはティーポットとカップを二つ準備してくれた。お礼を言ってから慎重にそれを持ちあげれば、カチャカチャとカップ同士がぶつかる音がする。食堂の出入り口の近くにあるホワイトボードに目をやるのは僕の癖で、僕はそこにカトルの文字を見つけた。予定欄の空白は、良く見ずとも以前の文字が消えずにこびりついて、薄汚れている。