カトルくんが手をつけなかった食事を食堂に戻した後、団員の集まる談話室にでも行くのかと思えば、グランくんは自室の方角へと向かって歩いていた。私に話したいことがあるってグランくんは言ったけれど、それって誰かに聞かれたら困る話なのだろうか。落ち着かない気持ちになりながら、彼の隣ではなく、数歩後ろを遅れて歩く。
私はやっぱり緊張していた。グランサイファーに戻ってきてから、彼ともほとんど顔を合わせていなかったから。話がある、なんて言われても、ちょっと困ってしまう。カトルくんをあんな風にして止めた彼に、どんな顔をして向き合えば良いんだろう。
だけど、道中すれ違う団員さんに声をかけられる度に屈託無い笑顔で応えるグランくんの背中を見ていたら、強張っていた頬の力が徐々に抜けていくように思えた。そこにいるのは、私の良く知るグランくんだったから。優しくて、温かくて、頼りになって。その横顔は、いつものように穏やかで。
つい先ほどまで確かにあった痼りのようなものがゆるゆると溶けていくのを感じることに、私はほっとしている。だってあれは、グランくんに対して抱いて良い感情ではなかった。カトルくんを止めるためだったと分かっていても、それでも私自身がやりきれない気持ちを、彼をねじ伏せて圧倒してみせたグランくんに抱いているのは間違いなかった。グランくんの背中に、「ごめんなさい」と強く念じる。せめて、私だけでも普段通りの私でいなくてはと、扉の開かない部屋を思い出す。
緩く手を振って団員さんと別れるグランくんは、私に視線を向けると「ごめんね、行こうか」と薄く微笑んだ。それがあの森の中で初めて出会ったときと何ら変わらないものであることに、私は確かに安堵している。
グランくんの部屋に入るのって、久しぶりだ。普通の団員さんの部屋と変わらない大きさの一人部屋。グランくんは団長だからって特別広い部屋を使うわけではない。きちんと整えられたベッドと小さな棚が一つ。窓際のデスクはノートを広げればそれでいっぱいになってしまうくらいの大きさで、彼は書き物をするときはソファが備え付けてあるテーブルではなくこっちを使うらしい。ソファだと身体が沈んで安定しないからって、以前教えてくれたのを、こんなときに思い出す。
ソファに向かい合って座りながら、膝をぎゅうと揃えれば、緊張していることが伝わってしまったらしかった。「楽にしてよ」と苦笑いされてしまい、「う、うん」と慌てて背筋を伸ばす。
「言ってることとやってることがちぐはぐだね」
向かいに座ったグランくんに笑われて、何だか恥ずかしくなって揃えた足をそろそろと崩す。足首の辺りで交差させて、これで良いかと言わんばかりの目を向けても、グランくんはただにこにこと微笑んでいるだけだから、つい唇を尖らせてしまった。
グランくんの部屋はいつ来ても清潔で、整っている。気を抜くとすぐに自分のスペースをぐちゃぐちゃにしてしまう私とは全然違う。そう言うと、彼は「僕は部屋には寝に帰ってるだけみたいなものだし」と苦笑するけれど、例えそうだったとしても塵は溜まるわけだし、生来彼が綺麗好きであるというのは間違いない事実だった。ちらちらと部屋に視線を向けても、だけどグランくんは口を開こうとしない。
それで、話って?
そういう風に切り出して良いものか迷う。彼が私に声をかけたのは、カトルくんの件で話があったからだと薄々察している。それで、柄にもなく緊張しているのだ。カトルくんのことだろうとは思っても、グランくんがカトルくんについてどういう考えを持っているか、今後どうするつもりでいるのかは私には分からなかったから。
だけど、そんな私の不安すらも彼は汲み取ってしまう。
「だから、そんな身構えないでって」
「う、で、でも」
「そうだ。お茶でも飲む? この前エッセルから分けて貰ったんだ。、星屑の街で飲んだお茶、美味しいって言ってたよね」
「い、言った。好き……」
「良かった。ちょっと待ってて」
立ち上がったグランくんは棚の引き出しを開けると、茶葉の入っていると思われる袋を持って「すぐ戻るから」と部屋を出て行った。食堂に向かったのだろう。この部屋にはお茶を淹れるためのティーポットはないから。
閉められた扉の向こうで遠ざかる足音に、無意識に息を吐く。いつも通りに明るく気遣ってくれるグランくんに普段通り振る舞えていないことが申し訳なくて、自分の頬をぐい、と引っ張ったり、押しつぶしたりする。
グランくんが戻って来たときは、きちんと笑って出迎えよう。そう思うのに、この頬の変形する感覚で、私は思い出している。
「あなたはこれからもそういう顔をしていてください、さん」
星空の下でそう言われた。息がかかるくらいの距離で、彼は私の頬を挟み込んだ。そうしてカトルくんと一緒に居るとき、踵で感じた石畳の凸凹も、喉に張り付きそうだった冷たい空気も、暗闇の中で影になっていた木の葉っぱ一枚一枚も、全てが輝いていて、美しかった。
何もかもが美しかった。
「…………過去形で言うな」
グランくんの部屋は、天井までも染み一つなく、きれいだ。
呟いた私の言葉で、どうか汚れてしまわないでと思うのに、私の声はすかすかで、ちっとも綺麗じゃない。