問い詰めれば、テオは泣きながら「ヘヴン」をマフィアから貰い受けたことを話してくれたけれど、ぼくはそのときから、いや、もっと前から、湧き上がる怒りに支配されていた。子供たちの前では激情に身を委ねるような愚かな真似はしたくなかったのに、助けるのがあと一歩遅ければと思うとぞっとして、憤りで頬が強張ってしまうのだ。
グランさんはアメリアの傍にいるようにさんに言ってくれたらしい。彼女の姿はどこにもなく、ぼくはこんな自分を見られずに済んだことに、どこかで確かに安堵する。
表面張力だけでどうにか保っている昂ぶった感情を、細く長く吐いた呼吸で誤魔化した。そんなぼくを、だけど少なくともグランさんは見抜いている。
「…………よく、話してくれたね。もう大丈夫だよ」
諭すように「でも、これはきみたちが使って良いものじゃない」と言えば、テオとその友達は大きくしゃくりあげながら頷いた。罪悪感は、あったのだろう、一応。できれば嘘を吐く前に打ち明けてほしかったところだけど。
ぼくと、遅れて合流したグランさんたちを前に一度は「友達と外を探検していた」と口にしていたテオは、しかし街に戻った直後、別れたぼくたちが尾行していたとも知らずに隠し持っていたヘヴンを仲間たちに配り始めた。探検などではなく、テオはヘヴンを譲渡してもらうために街の外に出て、その帰り道で魔物に襲われたのだ。予想はしていたとは言え、まるでとっておきのお菓子でも手に入れたかのように目を輝かせていた子供たちを見て、ショックではなかったとは言えない。
放っておくという選択肢は最初からなかった。薬を取り上げて彼らを問い詰めれば、誤魔化しはきかないと判断したらしい。拍子抜けするほど素直に真実を打ち明けてくれたテオは、そういう意味での小賢しさを未だ兼ね備えてはいなかった。
初犯だろう。恐らく、先日倒れた子供たちの次のターゲットとして彼らは偶然選ばれたに過ぎない。袋の中で粉状になっている「ヘヴン」を、袋ごと握りしめる。彼と、彼の友人である子供たちを救えたことに安堵する一方で、だけど、それがどうしたと冷静なぼくが自身を詰るのだ。
ぼくが彼らを救えたのは、それが今だったからだ。偶々アメリアが街の外に出ていたテオを見ていてくれたから、ぼくが偶然星屑の街に戻ってきていたから、すぐに駆けつけることができたから。何か一つでも間違えていたら、この粉は彼らの骨身をぐずぐずに溶かしたに違いない。それに、最後の最後までぼくが気付いてあげられることもないままに。
ぼくは明日になればまたこの街を去る。それがいつか星屑の街のためになると信じているからだ。グランさんの元で力をつけ、名を馳せる。誰からも、何一つ奪われることがないように。
ぼくは今、揺らいでいるけれど。
脳裏を過ぎるさんの影を振り切るように、長い息を吐いた。すぐに答えを出せない以上、ぼくに今できることは限られている。ヘヴンをポケットに押し込みながら、街の外へ視線を向け、グランさんたちに呟く。
「…………ぼくはこれからマフィアのアジトに乗り込んで話をつけてきます」
星屑の街を狙うマフィアは一つ二つではない。だから、この薬を子供たちに流した一味を潰したところで全ての問題が解決をするわけではなかった。それでもそこにのさばっている悪の存在を認めておきながら、のうのうと空に戻れるはずがない。ひねり潰しておかなければ。もう二度と星屑の街に手出しができないように。
グランさんに、「だから、あなたたちは先に戻って……」と続けた瞬間、だけど「どうして」と口にされた。瞬間、頬を張られたような気になった。
「僕も一緒に行くよ」
そこに挟み込む疑いなど何もないとでも言わんばかりの、真っ直ぐな目だった。
まだ青年にはなりきれていない面立ちの人だ。彼の言葉に、ルリアさんやビィさんが頷く。思考が停止したのち、じわじわと染みこんでいくその言葉に、は、と息が漏れる。何と答えるべきか分からなかった。だってこれは、星屑の街の、ぼくたちの問題だ。彼らがぼくに手を貸す理由なんかない。
そんなぼくの思いを読み取ったのだろうか、グランさんは小さく笑った。さも当たり前のことを口にしていると彼は思っているのだろう。その言葉はなんの淀みもなかった。
「僕らは仲間でしょ?」
言葉を失ったままのぼくに背を向け、テオたちの手を取って「でもその前に、この子たちをのところに連れていこう。さっきの女の子も一緒に、皆でエッセルのところにいてもらったほうがカトルも安心だろうし」と続けるグランさんは、いつだって周囲をよく見ている。さんのことも、子供たちのことも、ぼくのことすらも考えて、最善を取る。彼は正しいのだ。
ともすれば、嫌になってしまうくらいに。
小さく笑えば、それは酷く皮肉な音になって、口の端から漏れた。
詳しいことは何も話してくれなかったけれど、何か大変なことがこの星屑の街に起きているんだということはさすがの私にも分かってしまった。
泣きじゃくる数人の少年を連れてきたカトルくんは、私とアメリアちゃんに、彼らと一緒にエッセルさんのところに戻るように口にした。その表情はいつものカトルくんと比べても数段険しく、私は事情を聞くこともできないまま頷くしかなかった。
カトルくんたちは魔物に襲われていた男の子を助けに行っただけだ。そしてその男の子が、この肩に浅いながらも裂傷を負った彼であるはずで、ならばもうカトルくんたちはもう目的を果たしているに違いないのに、それでも彼らは慌ただしく今来た道を戻っていく。
「ごめんね、子供たちを頼んだよ」
最後に振り向いてそう言ったグランくんに、私は目を合わせることしかできなかった。
正直、エッセルさんの家までどこをどう歩いたのかを私は覚えていない。地面は空気を含んだビニールプールみたいな柔らかさであるように思えたし、テオくんたちを慰めるような、適切な言葉も浮かばなかった。「エッセルさんに、すぐ治療してもらおうね」紛らわすように言った言葉が、まるで空回りしていた。
私には一体何が起きているのかも分からないのだ。脈打つ鼓動が、カトルくんの声を一つ一つ塗り潰していくようで、恐ろしかった。
打ちのめされたような思いになるのは、他人行儀なあの笑顔が、今でもこの腹深くに突き刺さって抜けないせいだ。
何だかもやもやする。歯車が欠けちゃったみたいに、色んなものがずれていっている気がして、それが私は途轍もなく恐ろしい。
星屑の街を出た先にあるスラム街の最奥に、マフィアの根城はあった。
入り組んだ路地の奥へ進めば進むほど、すえたような、生臭い臭いが鼻をつく。薄汚れた街だ。ごろつきがのさばり、地面には吐瀉物や乾いた血だまりがへばりついている。子供も老人も、男も女も、目に生気がない。ルリアさんが怯えたように身を竦めるのを見て、さっさと事を済ませてしまおうと考える。
アジトまで案内してもらうために声をかけたマフィアの下っ端は、少し恫喝すればすぐに言う事をきいてくれた。十天衆のカトル。ぼくの背負ったその名前は、こういう場でこそ効果を発揮する。こういう場で「しか」の間違いなのかもしれないけれど。
だって、そうでなければ、ぼくたちの力に恐れを成す連中ばかりなら、こんなことは最初から起きないはずなんだよ。
さんがここに居なくて良かったと思う。心の底から。彼女にぼくのこんな姿を見られたら、きっと幻滅されていたに違いないから。
「……あなたですか? ぼくの大事な家族に『ヘヴン』を流したのは」
案内された薄暗いその部屋で、ソファに深々腰掛けた男にそう尋ねた瞬間、ぼくはもう、この男を殺そうと決めていた。