街外れで男の子が魔物に襲われている。
息を切らせて走ってきた女の子の言葉に、ぼくは逡巡する間もなく駆け出した。背後からグランさんたちが追いかけてくるのが気配で分かる。本当だったら、せめてさんとルリアさんは姉さんのいる家に戻っているように伝えておくべきだったのかもしれない。二人は危険からはなるべく遠ざけさせるべきだった。そんなことにすら気が回らなかったのは、やはりぼくがいつもより冷静ではなかったせいだ。
一体どうして街外れになんて向かったのだろう。ぼくを案内してくれる女の子、アメリアの言葉を信じるなら、魔物に襲われているらしいという男の子は星屑の街の外に出ている。西側の、ぼくや姉さんの力が未だ及んでいない区画の先、整備されていない道の向こうに男の子はいたそうだから。
「き、昨日から、姿を見てなくて」
彼は、元々アメリアと同じ家に暮らしていた。それがいつの間にか家に寄りつかなくなり、彼は別のグループに混ざるようになったらしい。ああ、あの子のことだな、とエルーンの少年を思い浮かべる。テオという、涼しげな目鼻立ちをした子だ。
星屑の街では良くある話だ。年長者と年少者で出来たグループが各々住みやすい家で生活するというのは、大多数がそうであるというだけで、絶対的なルールとしての強制力を持っているわけではない。一人を好む子供はそうするし、グループの解消だって稀にではあるけれど起こりうる。余程の問題があればぼくや姉さんが介入することはあるけれど、基本的には子供たちの自主性に依存している。
家族の真似事をしているだけのぼくたちは歪だ。だけど、一体誰がその歪みを否定できるだろう。
「私たちの家を出てから、テオはちょっと離れた別の家で男の子たちと暮らしてたの、でも、私、心配で。テオのこと、お兄ちゃんみたいに思ってたから。昨日も一昨日も全然見かけなかったら、変だと思って朝から捜してたの、そしたら、街の外で、魔物が」
「ああ、分かった、あとはぼくに任せて」
途切れ途切れの言葉を繋ぎ合わせて頷いた。不安と恐怖からか、まだ幼いアメリアの瞳に大粒の涙が浮かぶ。恐れを拭ってやるように頭を撫でる。小さな頭蓋はぼくのものよりずっと温度が低い。当たり前だ、ぼくはエルーンで、彼女はヒューマンなのだから。だけどぼくにとって彼女は家族の一員だ。約束を破って、街を出たというテオだって。
視界を流れていく星屑の街並みはスラム街とは到底思えないほど整然としているのに、いくら取り繕っても、腐敗した臭いは取り除けない。そんなことに、何も今気がつかなくても良かった。
彼女が言っている場所にあたりをつけることはできていた。息の切れ始めたアメリアにもう大丈夫だと肩を叩いて、ぼくは一人、身を低くして駆け出す。さんかルリアさんにアメリアと一緒にいてもらえれば安心だ。早く向かわなければテオが危ない。そういう心配も勿論あったけれど、それ以上に酷く嫌な予感がしたのだ。西側の区画。そう言われた時点で胸がざわついていた。
この不安が杞憂であれば良いけれど、そういうわけにもいかないだろう。
予感というよりも、これはほとんど確信に近かったから。
あれからカトルくんの様子がおかしいことはずっと気にかかっていたけれど、もう一度声をかける勇気は私にはなかった。ちょっと距離を取って、皆からおかしいと思われない程度につかず離れずでいて。それでももしもカトルくんから声をかけてもらえるんだったら、私は笑って、何にも気にしてない、馬鹿なふりをしようって決めた。
だけど訓練棟に続いて工房棟を案内されたその時、事件は起こった。男の子が街外れで魔物に襲われていると、小さな女の子がカトルくんを呼んだのだ。
「僕たちはこのままカトルを追いかけるから、はその子をお願い!」
「は、はい!」
二人を追いかけて区画を二つ分抜けた頃、前方を駆けていたカトルくんが急にそのスピードを上げたのと同時に、彼と一緒に歩いていた女の子が立ち止まり、道端にしゃがみこんだ。それまでカトルくんは道案内をしてくれていた女の子に合わせて走っていたから私でもどうにか追いつけたけれど、あの速さではもうついていくどころか見失わずにいることすらもできない。
グランくんは指示に頷いた私に「よろしくね」と伝えた後、そのままカトルくんを追いかけてしまう。ビィくんとルリアちゃんが続くその背中を見送って、私は細く長い息を吐いた。緊張で膝が震える。どうか男の子が無事でありますようにと祈ることしか、今の私にはできない。
濃い土の地面に座り込む女の子は、膝を抱えていた。疲れてそうしているのかと思ったけれど、隣にしゃがみ込んでみたとき、彼女が泣いているのだと気がついてしまった。ぐずぐずと鼻を啜って、大粒の涙を零す女の子に、心臓が止まったような心地になる。
この様子から察するに、この子にとって、魔物に襲われた男の子というのはとても大切な存在だったんだろう。そう思うと、胸がずきずきと痛んだ。つられて私まで泣きそうになって、ぐっと唇を噛みしめる。
「だ、大丈夫だよ! ……カトルくんと、グランくんが一緒に行ったんだから、絶対に大丈夫。待ってたらね、絶対連れてきてくれるから」
「う、うん、うん……」
「とりあえず、ここだとお洋服も汚れちゃうから、こっちの階段に座ろっか」
「…………うん……」
背中を撫でながら、彼女の手を取って立ち上がらせる。小さな女の子だ。まだ、小学校低学年くらいの。素直に腰を下ろしてくれた彼女のスカートの裾から覗いた足は、ほっそりとして頼りない。
「お名前は? 私は」
「……アメリア……」
「アメリアちゃん! 可愛いお名前だね!」
「…………エッセルとカトルがつけてくれたの……」
「えっ」
返された言葉に、一瞬返答に詰まる。だけど、私の隣に座ったアメリアちゃんは私が思考を鈍らせたことに気がつかない様子だった。
親の居ない子供が集まる街だ。愛情以前に、名前すらも与えられない子だっていてもおかしくない。そういうことに思い至らなかった自分が恥ずかしい。
ぐず、と鼻を啜る彼女に、ざわざわする心を押し殺しながらもハンカチを差し出す。花の形をした刺繍を指先で確かめるようになぞりながら、アメリアちゃんはほとんど独り言のように呟く。
「どうしよう」
走ったせいで乱れた髪が数本、額にぺたりと張り付いているのを、私は言葉もなく眺めていた。もう走るのをやめてから随分経っているにもかかわらず、鼓動がしていた。鳴り止まなかった。
「カトルに、最後まで言えなかった、気がついてくれるかな? カトルは、テオが変だって分かってくれるかな?」
アメリアちゃんが目元をハンカチで押さえる。そこに次々と染みができあがっていく。
私は彼女に、何も声をかけてあげることができない。
家並みの途切れた街外れ、空気に混ざった血の匂いを感じる。この先はぼくたちの力の及ばないスラム街で、マフィアも睨みをきかせている。時に魔物が現れることもあるから、立ち入らないようにと言い聞かせているのに、それでもその子はそれを破った。
そこに事情があったとするならば、恐らく答えは一つしかない。
「う、うわぁあッ!」
街の外からの叫び声に、目線を動かす。エルーンの子供を襲う魔物をみとめた瞬間、ぼくは地面を蹴っていた。腰の短剣を取る。殺気に気を取られた魔物がこちらに標的を変えたそのときには、ぼくは既にその魔物の首をかっ切っている。
ばたばたと音を立てて血が落ちる。崩れ落ちたその死骸を前に、肩口に浅い裂傷を負った少年の瞳がぼくを捉えた。その双眸に安堵よりも動揺の色を見たぼくは、はっきりと確信してしまう。
「……カトル」
途方に暮れたような声で名前を呼ばれた。
星屑の街の外へ出ていた彼は、恐らく「ヘヴン」を隠し持っている。