エッセルさんの作るご飯は、どれも素朴で温かい味がする。畑から採ってきた野菜で作ったサラダは瑞々しくて、夢中で咀嚼していたらビィくんに笑われた。焼きたてのパンはもちもちのふわふわで、遅れてやって来たルリアちゃんも目を輝かせて頬張る。具材がとろとろに溶けたスープも濃厚で美味しかった。舌に軽い火傷を負いながらも、あっという間に完食してしまった私とルリアちゃんに、エッセルさんは穏やかに微笑んでいる。
「口に合うなら良かった」
「はいっ! とっても美味しいです! ねっ、さん!」
「うん。私、このスープすごく好きです。永遠に飲めそう……」
「……おかわり、盛ろうか?」
「えっ良いんですか……?」
動揺する私に、エッセルさんは小さく頷いてスープのおかわりをよそってくれた。ほわほわと白い湯気をたてるスープカップを、お礼を言って受け取る。くったりと柔らかく煮込まれた野菜を口に入れると、頬が自然と緩んでしまう。「わ、私もおかわりしたいです!」と言うルリアちゃんの言葉を耳に入れながら、視界の端でカトルくんの手が食器を置くのを見た。
テーブルの反対側に座るカトルくんは、私の半分も食べていないみたいだった。元々私よりは食の細い人だけど、今朝はいつにも増して食欲がないように見える。ご飯、美味しいよ、カトルくん。折角のエッセルさんの手料理なんだから、いっぱい食べよう。そんな風に念を送っても、カトルくんが私の視線に気がつくことはなかった。どことなくその顔色が悪いように見えたけれど、斜向かいに座る私たちは遠くて、声をかけるのも何だか躊躇われてしまう。
室内にいるせいでそういう風に見えるのかな、と結論づけたのは、昨晩のカトルくんが自分の中で色濃く残っているせいだ。きらきら光っていた。いつまでも間近で見ていたかった。あの時のカトルくんは生そのものだった。
光の粒の下で、私の頬を両手で挟んだカトルくんの泣き笑いみたいな顔が、今も焼き付いている。私を支配している。
いつだって。
そういう風に思考を停止させていなければ、私は最後までカトルくんに寄り添うことができたのだろうか。
彼を一人にせずに、済んだのかな。
朝食後、カトルくんに改めて街を案内してもらうことになっていた。
エッセルさんも一緒にとルリアちゃんが誘ったけれど、それには緩く首を振られてしまった。今日は何人かの子供たちと針仕事をする約束をしているから、と。残念がるグランくんとルリアちゃん、ビィくんの隣で、カトルくんはどこか凪いだような静かな目で、俯瞰するように彼らを見つめている。
晴天に恵まれた星屑の街では、既に子供たちが各々の仕事なり、作業なりを始めていた。昨日屋根の修理をしていた男の子は、今日は何人かに指示を出しながら一軒家の壁を塗り直している。ミリアちゃんは収穫した野菜を外の市場に運ぶところらしい。何人かの女の子と連れ立って、農作業用の一輪車に野菜を積み上げているところに出くわした。どこの街でも見る光景だ。そこに大人の姿が一切ないというだけで。
道中、彼ら一人一人に声をかけるカトルくんの横顔を、私は一定の距離を取って眺めている。小さな子たちにはしゃがみこんで目を合わせ、年長の子供たちには日々の感謝を伝える彼に、少しだけ、違和感のようなものを覚える。
結局さっきの朝食も、グランサイファーでいつも私が彼に盛りつける半分くらいの量しか食べていなかったようだし、心配だ。もしかしたら体調が優れないのかもしれない。昨日の夜は、やっぱりちょっと寒かったし、いかなエルーンと言えど多少堪えることもあるだろう。
そう考えたら居ても立ってもいられず、子供たちと手を振って別れた彼の隣にそっと歩み寄って、「カトルくん」と声をかけてしまった。丁度、昨日二人でお話をしたのと同じ場所だと気がついたのは、視界の端にあの階段が見えたからだ。
彼は注視していなければ気付かない程度に、僅かにその目を見開いた。
「……どうかしましたか? さん」
「ん、や、その」
薄く微笑まれて言葉に詰まってしまったのはどうしてか。その笑顔に既視感めいた何かを感じながら、咳払いをして誤魔化す。
私たちの背後では、ルリアちゃんとグランくんが談笑していた。先ほどミリアちゃんから分けて貰った収穫直後の野菜がいかにツヤツヤで、ずっしり重たいか。これだけ品が良ければ、ローアインさんも喜ぶんじゃないかとか、そういう話を。もしもカトルくんの変化に気がつかなければ、私だってグランくんたちとの会話に混ざっていたはずだった。だって、今朝のスープに入っていた野菜は本当に美味しかったから。グランサイファーの台所で下っ端ながらもお手伝いをさせてもらっているせいか、良い食材について敏感になりつつあったのだ。
だけど私はそれ以前にカトルくんの恋人だ。
今日の彼が張った薄氷のような膜の存在を認めた私は、彼の変化の理由を探りたい。体調が優れないのだったら教えてほしいし、無理はしてほしくない。甘えてほしいのだ。相談相手として私が頼りないなら、グランくんにでも良いから。
私を見下ろすカトルくんの髪が風で微かに靡いていた。後れ毛が鼻先を掠める。その双眸に滲む色に、私はそのとき、彼が体調を崩しているわけではないことを察してしまう。カトルくん、もう一度呼びかけた声が、すかすかになって掠れる。
「……今日、何か変?」
私が口に出して尋ねることができたのは、そんな曖昧な質問だった。
カトルくんの瞳が、静かに瞬く。真っ直ぐ射貫くような力を持ったその眼球に、私は思えば、初めて会ったときから囚われ続けていた。
数拍の沈黙を置いた後、その空白を埋めるようにカトルくんはやおら首を振る。
穏やかな微笑を、そして私は彼に突きつけられてしまったのだった。
「いいえ」
ああ、ああ、そうか、良く覚えている。殴られたような衝撃を受けて、それでも私は平然と立っている。理解が追いつかなかったせいだ。乾いた空気が頬を撫でている。ひゅ、と吸い込んだ空気が喉に張り付いて、喘ぐような、不格好な音が漏れる。そうか。そうか、と、朝からの違和感が形になる。小石ほどだと思ったそれが今、初めて露わになって、私は拳大に転がる無色のそれに、初めて気がつくのだ。
あの頃の彼と同じような顔で笑う。
これは初めて私と出会ったときのカトルくんだった。
昨夜私にキスをしてくれたのと同じ場所で、彼は今、私ではない別の何かを見ている。