雑踏から遠ざかり、星屑の街へ続く並木道を抜け、出来上がったばかりだという門が視界に入ったとき、まだあどけない声がカトルくんの名前を呼んだ。
あれからずっと掴まれていた手はそれを合図に離される。じんわりとした熱と感触が消えたことに未練がましいような気持ちになったけれど、カトルくんはそのまま門の前に立っていた少年の元へ歩み寄った。
門番を務めているのだろう少年に目を合わせるように僅かに屈んだカトルくんは「ただいま、変わりはなかったかい?」と優しい声音で問いかける。私の背後でビィくんが「普段とは別人みてぇだな……」とぼやいたけれど、実際私に対しても、カトルくんがこんなに柔らかな声音で話すことは滅多にないから、ビィくんがそう感じるのも無理はない。
「この人たちは……?」
男の子の目線がカトルくんの肩越しにこちらに向けられる。隠し切れていない警戒の滲んだ色がそこにある。それでもグランくんは全く意に介さず、「こんにちは」と微笑んでみせるから、私もルリアちゃんやビィくんに続いて挨拶をした。本当は、少しだけ緊張していたけれど。
「お客さん? 珍しいね」
「ええ。ぼくの…………仲間です」
微かな咳払いの後に続けられた言葉を聞いたそのとき、グランくんの双眸が嬉しそうに細められたのを、私はこの目で見た。カトルくんはグランくんの表情に物言いたげに眉根を寄せていたけれど、本当に嫌がっているわけではないのだ。それを見ていたら胸の辺りがむず痒くなる。どうしてか私まで照れくさくなってしまったようだった。
仲間。そんな風に言われると、面映ゆい。きっとグランくんも同じような気持ちを抱いているのだろう。湧き上がる感情を抑え込もうとしてもなかなか難しく、緩む唇をぎゅうと噛んで耐えていたのに、カトルくんの視線がこちらに向けられてしまって、困った。
「……どうしてあなたまでそんな顔してるんですか」
呆れたような声音すらも嬉しく思えるのだから、私も大概だ。
感情のままに笑えば、彼は耳をぴんと立てたまま視線を逸らす。その頬がいつもよりも赤くなっていたように思えた。それに酷く満たされたような気持ちになったのだ。
私は、少し浮かれていたのだと思う。星屑の街に招待されて、カトルくんの作った境界線の内側に入れてもらえたことで、彼に益々近づけたように思えて。
生まれも育ちも違う私たちの間には、簡単には埋めようのない深い溝があることを心のどこかで自覚しながら目を閉じた。私よりもずっと幼い門番の子供が腰から下げていた、彼くらいの年の子が持つには不釣り合いな剣を、私は確かに認めていた。
「あっ! カトル! 帰ってきたの?」
「ああ、ただいま。姉さんはいるかい?」
「うん、エッセルなら今日はずっと家にいるよ!」
星屑の街に一歩足を踏み入れてからというものの、カトルくんは道行く子供たちからひっきりなしに声をかけられる。その都度一人一人ときちんと目を合わせ、時には慈しむように幼児の頭を撫で、労いの意を込めて年長者の肩を叩くカトルくんは、子供たちにとっての父であるようにも、兄であるようにも見えた。
二人でいるときとも、グランサイファーに乗っているときとも違うカトルくんを見逃さないようにとその背後から彼の様子を凝視していたのは私だけではなかったらしい。時折振り向いたカトルくんは「皆さん、面白がらないでください」と私たち全員に向かって目を細めていたから。それに対してきちんと謝っていたのはルリアちゃんだけだったけれど。
舌足らずに話す幼児から、まだ声変わりの済んでいない少年。ぼろぼろのぬいぐるみを引きずる子供、これから造花を売りに行くのだと話してくれた二人組の少女は、自分たちが帰ってくるまで街にいて、と念を押していった。大人は誰一人としていなかった。
「カトルじゃん、おかえり」
穴の空いた屋根を塞いでいる少年に声をかけられたときは、どこからの声かすぐに判別できずに息が止まった。きょろきょろと辺りを見回す私は、最終的にカトルくんの視線の先を見ることで声の主の所在を特定するに至る。まだ年端もいかない少年が、足場にするには傾斜のある屋根の上で工具を握りしめているものだったからひやりとしたけれど、カトルくんはそれにも「ただいま」と口にするだけだったから、この街では良くある光景なのかもしれない。
街中の建物はどれも古く、修繕の痕跡は随所に見られた。割れた窓は補強され、穴のあいた扉は真新しい木材で修繕されている。カトルくんに駆け寄る子供たちの衣類はきちんと洗われていたけれど、ところどころ糸が解れたり、縫い合わせたような形跡があった。それでも彼らの表情は、確かに明るかった。この門の外側にいる子供たちと変わらず。その事実に、得も言われぬ気持ちになる。
敷き詰められた石畳は凹凸があって、注意しなければ爪先を引っかけて転んでしまいかねない。それでも入り組んだ路地を迷わずにすいすいと進んでいくカトルくんの足取りは軽かった。
「最初は乗り気じゃなかったみたいなんだけどね」
抱きつく幼い子供を受け止めるカトルくんの後ろ姿に、ぼやくようにグランくんが呟いた。「え?」目線を彼に向けても、その双眸はカトルくんを見つめたままだ。
「カトルくんが?」
「は兎も角、僕たちまで連れていくことが嫌だったのかも」
グランくんの言葉の真意を確かめる前に、抱き上げられた女の子が甲高い笑い声をあげた。次は僕だよ。私もやって。明るい声の中心に立つカトルくんの横顔は柔らかい。あれに一番近いのが、ご飯を食べている私を見ているときの表情かもしれない。それでも今の方が、ずっと優しく慈愛に満ちているように思えた。きらきらしていた。遠目から見ても。あれが正しいカトルくんなのかもしれなかった。「カトルのあんな顔、初めて見たし」だけど、私だってそうだよ、グランくん。
このときの私がもしもいつかのような精神状況だったなら、例えば腿から脛までを襲った痛みに、何か不吉な前兆なのではないかと不安がっていたあの頃であったなら、もしかしたら孤独感に似た感情を抱いていたのかもしれない。カトルくんにとってこの街の皆が私よりもずっと大切な存在なんだって、馬鹿みたいなことを考えて。
だけど私は今、別の意味で泣きたくなったのだ。
それを言語化できるほど、器用な人間ではないけれど。
カトルくんが私たちを振り向いたとき、彼は先のように目を細めたりせず、ある程度気のおける人間に対するような気安さを込めて笑った。