星屑の街を案内してほしいな、と最初に口にしたのはグランさんだった。



「数日くらいだったらまとまった休暇も取れそうだし、何人かで行っても良い?」



 と彼は人好きのする笑みを浮かべながらぼくに尋ねる。その「何人か」に含まれる人物を想像しながら、眉根を寄せた。どうして今なのだろうと純粋に疑問に思ったのだ。
 子供たちが身を寄せあって暮らすあの街は、世界中を旅して回る彼らからすれば一見奇妙に見えるかもしれない。だが大人の役割を子供たちがそれぞれ補っていること以外は、何の変哲もない街だ。まあ、幼い子供が武器を持ち戦闘の訓練をしているような光景がそこかしこで見られるという点で言えば、普通とは言い難いのかもしれないけれど。
 星屑の街は周囲に未だ無法地帯と呼んで差し支えないスラム街やマフィアの収める土地もあって、治安が良いとは言えない。先日できた門と並木道のおかげで、港のある大きな街までは随分と行き来しやすくなったとは言え、それでも未だマフィアの連中は星屑の街を狙っている。思案しながら、回答を先延ばしにするために「どうしてまた?」と首を傾げてみせると、グランさんは小さく笑った。
 依頼を終えて、グランサイファーへと戻る道中だった。既に日が落ち始めている空は幾つもの色の層が混じり合わずにできていて、雲だけが濃い輪郭を持って浮かんでいる。ぼくたちの前を歩く何人かの団員が、何が面白いのか顔を寄せ合って笑っているのを視界の端で見た。不揃いな石が敷き詰められた道に落ちる幾つもの影はやけに黒々としていた。先の街灯が、点滅を数度繰り返して点灯する。



「この前は結局戦っただけだったし」

「この前……ああ」



 そんなこともありましたね、と口にする。とぼけたつもりはなく、本気でそう思った。ぼくが彼の騎空団に入るきっかけになった日のことだ。そんな風にどこか他人事のようにして振り返ることができるくらいには、遠い過去の出来事のように思えた。あれから、一年と少しが経っていた。
 ぼくがまだグランさんに敵対心を抱いていた頃だった。四天刃を手にした彼を倒すことばかりを考えていた。そうすれば名実共にぼくが最強になれるのだと信じて。
 決闘の場として星屑の街を指定したのは何故だったか。あの頃のぼくは冷静とは言い難かったのかもしれない。グランさんを倒すことばかり考えていながら、その実心のどこかでさんのことを考えていた。あの時さんはあの場にいなかった。今でも時折、苦々しさと共に思い出す。



もあの時は居なかったでしょ?」



 内心を読み取られたように思えて、はっと顔をあげる。街灯の明かりに照らされたグランさんの顔は緩く陰影ができていて、それが彼を普段よりも大人びて見せていた。



「カトルが大切にしているものなんだから、だって星屑の街に行ってみたいと思ってるんじゃないかな」



 年の割に、彼は達観している。騎空団をまとめる団長だからか、彼が背負うもののせいか、それはぼくには分からないけれど。
 人間には産まれたときからその背に乗せることのできるものの総量がそれぞれ決まっているのだろうと、ぼくは漠然と思っている。グランさんや、認めたくはないけれど頭目も、多くの荷を抱えても平然と立っていられるだけの器が産まれながらにある。ぼくはどうだろう。姉さんと二人合わせても、彼らには及ばないんじゃないだろうか。
 でも、それでもぼくは、ぼくが守ろうと決めたものだけは守りたい。姉さんや、星屑の街の子供たち、それからさん。彼女たちが笑っていられる世界をぼくは作りたい。
 それで充分なはずなのに、彼の口から語られる彼女の名前がどうにも面白くなくて、つい意地悪をしたくなるのだ。



「……あなたにさんの何が分かるんです?」



 素っ気ない言葉の割に、情の滲んだような声音になってしまった。
 一瞬目を丸くしたグランさんは、少し考えたように目線を落として、それから口角をあげて笑った。細められた目尻に微かに皺ができる。白く、整った歯列が覗く。あれがきっと、この世界で一人だった彼女を救い続けた笑顔だった。「どうだろうね」と彼は緩く首を振る。掠れた声が、やけに耳に残る。



「カトルほどには分からないよ」



 その答えに無性にむず痒くなって、目を逸らすように、星屑の街を歩く彼女の姿を思い浮かべた。子供たちは、きっとあの人を歓迎するだろう。姉さんだってそうだ。さんは子供たちの作った物や取引した商品を見て目を見張らせるだろう。子供たちを前に感心する姿なんてすぐに目に浮かぶくらいだ。
 胸の奥にある核のようなものが、変に疼いたような感覚になる。いつか案内できたら良いとは思っていたけれど、それを遠い未来に設定する必要はないのかもしれない。グランさんの提案でそれに気がつけたことについては、感謝しても良いだろう。
 港に停泊するグランサイファーの真上に、やけに明るい星が一つ瞬いていた。








「えっ?」



 食堂の掃除をしていたときにカトルくんに声をかけられて、私は思わず聞き返してしまった。ビックリしたのだ。彼がいきなり「近く、星屑の街を案内させてほしいのですが」と、重大なことを告げるにしてはあまりにも何てこと無い温度の声音で口にしたから。
 箒を手にしながら、カトルくんの顔をまじまじと見つめる。空を飛ぶ騎空艇の振動が足の裏から伝わっていた。駆動音も耳障りではない程度に低く響いていたけれど、会話の邪魔になるほどではない。だから聞き間違えということもないのだと思う。なのに、「星屑の街?」と尋ね返してしまったのは、その単語に馴染みがなかったからとか、そういうわけではない。繰り返しになるが、単純に驚いたためだ。
 カトルくんに呆れられてしまわないように「星屑の街って、カトルくんとエッセルさんがリーダーをしている街だよね?」と言い訳のように並べてしまうけれど、カトルくんはそんな私を前にしても緩く頷くだけだった。



「あ、案内って、でも、良いんですか?」

「むしろこちらが一緒に来てほしいとお願いしているんですけど」

「い、行きたいです。行きたい……!」

「そんなに面白いものでもないと思いますが」

「そんなことないです。嬉しい」



 頬に熱が籠もるような感覚がしたけど、それすらもどうだって良いと思えるくらいに嬉しかった。カトルくんとエッセルさんがリーダーをしている星屑の街。他でもないカトルくんから招待された事実に、胸の内側がくすぐったくなる。



「ただ案内されるというだけなのに、おかしな人ですね」



 感極まって箒をぎゅうと抱きしめる私に、カトルくんは眉尻を僅かに下げる。
 おかしくなんかない。だって、少なくともそれはカトルくんの線の内側に入れてもらえていることの証左だ。例え現状が、私たちの前に横たわる問題に関して何の進展も見せていなくても、それでもカトルくんの隣にいられる今を幸せだと思う。カトルくんが大切にしているものを教えてもらえることは、目に見えない紐で私が彼と結ばれていくみたいだった。それに安心しているのだ。
 もしここが食堂じゃなければ、もっと感情を露わにして抱きつくくらいはしたけれど。
 それでも表情から私がうずうずとしていることを察したのかもしれない。カトルくんはちょっと困ったような笑顔を浮かべて、それから私の頭にぽんと手を置いた。私のものよりもずっと温かいその手の重さに息が止まる。



「じゃあ、次の休暇に。……グランさんたちも一緒ですけど」



 胸がぎゅうと締め付けられたような感覚に陥って、それでも何とか顔をあげれば、カトルくんの細められた眦が視界の真ん中にある。その手はすぐ離されてしまったけれど、その間、貧血の時に感じるものよりは遥かに穏やかな明滅があった。何とか頷いたのに、「ひゃい」って、不明瞭な発音の返事になってしまった。ふ、とその唇から漏れた息にすら苦しくなる。笑われたって、気にならないのだ。なんにも。
 どれだけ一緒に居ても慣れることはない。重ねた日々の分だけ、私はカトルくんのことを好きになっているし、カトルくんもそうだったら良いのにって、そう思っている。