
四天刃の覚醒が果たされたとき、彼は約束通りぼくの住まう星屑の街までやってきた。
形式上ぼくと姉がリーダーとなっている星屑の街には、子どもしか住まうことがない。何らかの一方的な理由があって(それを事情とはぼくは言わない。何であれ、親が子供を捨てるのにその言葉を使うのは、親の方を慮ったものだと思うから)一人になった子どもの集まり、そういう場を世間的にはスラムと言うのだろうし、ぼくたち自身もある意味の揶揄として「スラム」と称することもある。
イメージとして共有されるスラムは、しかし星屑の街とは対極に位置するはずだ。美しく秩序のある街並み、搾取され利用されることのない子どもたち、それは、ぼくが最強であってこそ成立する。ぼくが強くあればあるほど、街の外に住む大人たちはぼくを恐れ、この街に手を出さない。
誰にも馬鹿にされないように、何一つ奪われないように、ぼくは今までどれだけの他人を踏みつけてきただろう。殴って切って蹴とばしてこの手を汚して拭われて、そうすることでしか生きていけなかった。十天衆に入ったのも、この名を広く知らしめるためだ。大人たちからこの街を守るためだ。
強くあらねばならなかった。誰に頼ることもせず、見様見真似で背伸びして、つま先がぐらついても骨を折って固定した。カトル、とぼくのことを慕う子供たちの笑顔を守りたかった。ぼくは本当の家族を姉しか知らないけれど、それでも、この子たちはぼくの妹で、弟だ。この手が届く範囲じゃ足りない。伸ばせないなら、骨を接いで剥いで、ぼくは彼らを守る。
ぼくたちは家族だ。例え親からの愛を知らずとも。
「遠路はるばる、よくぞこの星屑の街まで来てくれましたね」
恐らく、この街の外に騎空艇を停めて最少人数で来たのだろう。団長さんの隣には、あの空飛ぶトカゲと青い髪をした少女しかいなかった。「ぼくのわがままに付き合ってくれてありがとうございます」と礼を言うと、ビィと呼ばれていたトカゲが「行かねえと何されるかわかんねぇからよ」と呟くので、息だけで笑う。
彼女がいなかったのは意外だ。いくらぼくの真意を知って傷ついただろうとは言え、あの夜から数か月は経っている。自力で、いや、周囲の支えで立ち直り、改めてぼくの前に立つような少女だと思っていたが、それはぼくの思い違いだったらしい。そう思うと、何故か、落胆と怒りがぼくの腹の底で芽吹いた。
やっぱり、あの子はとても、甘く、弱いのだ。
一度の挫折で逃げ出して、ぼくの前に現れない。それとも、ぼくの本性に触れて慄いたのだろうか。あの子はしあわせな人生を送ってきたらしいから、きっと、男に怒鳴られたことなんてないのだろう。だから、大切なものを他人に奪われても一歩も動けない。ぼくに裏切られても。
芽吹いた怒りは、ぼくのはらわたを静かに突いている。星屑の街、そこに住まうぼくたちの事情、そういったものを説明している間も、彼女の顔がちらついた。屈託ない笑顔、それでも時折見せる翳りのある横顔に、ぼくは、腹が立って仕方なかったのだ。何が不満なんだよと、声を荒げて、首を絞めてやりたかった。夢の中で、何度あの女を殺しただろう。屍は夜を超える度に積み重なり、山になってぼくに影を落とす。
「ぼくは……この世界の誰よりも強いって証明しなければいけないんです」
初めてあのよろず屋の前で見かけたときよりも深く輝く黄金の武器を手にした団長さんは、そういえば、先ほどから何も言葉を発しようとしない。感情の凪いだような瞳で、ぼくのことを見つめている。それが憐れまれているように思えた。何もかもが気に食わなかった。
「ぼくたちが大人と戦うためには、絶対的な力が必要なんです。だから、ほら、早く構えてくださいよ」
構えて、ぼくと戦って、そして証明させてくれ。ぼくが何よりも正しいと。
ぼくは何も間違ってなんかいないと。
ぼくを止めようとした爬虫類に、反射的に叫ぶ、何と言ったかは、自分でも定かではない。ただ、許せなかった。何が。分からないのだ。ぼくは気に食わなかった。この世の中が、ぼくたちを捨てた親が、尚も奪い尽くそうとする大人が、己の誕生日すら知ることのできない己が、一丁前に傷ついた面をする、幸福なあの女が。
短剣を抜く。目の前のグランは何も言葉を発しようとしない。その双眸はどこを見ていたのだろう。「ルリア、ビィ、下がっていて」抑揚の乏しいその声は、あの夜のものよりも少し大人びたと思うのは気のせいか。
抜かれた四天刃の切っ先は美しかった。ぞくぞくとした興奮にも似た何かが背筋を通り抜けていく。だけど、思ったように顔が作れなかった。口角は上がらなかった。殺す、自身に言い聞かせる様に呟いた、短剣を振りかざしたその先のグランは、何かを一つ間違えたら、泣き出す寸前であったようにも思えた。
なのに、彼は一つ一つ、正確に、ぼくの刃を弾いてみせる。何の焦りもなく、呼吸をするだけのように。その全てに苛ついた。攻撃を受けるばかりで、自らは一つも切りかかってみせることのない彼は、ともすれば一切の戦意がないようにすら見えたのだ。
何もかもが癪に障った。腹に生まれた芽がぼくの内臓を全て食いつぶす、そういう感覚で、ぼくは、我を失う。許せないと声が漏れる。気に食わない。何もかもが煩わしい。嫌いだ。憎いのだ。ぼくを憐れむお前が。幸福に生きたあの女が。だから。
「何を、そんなに怒ることがあるんだ?」
不意に尋ねられたその言葉は、ぼくの怒りに火を注いだ。ああ、「何もかもがだ」吐きだした声が震える。
奪われるばかりだ。いつも、いつも。周りはぼくたちを当然の顔で傷つける。利用して、搾取して、ぼくたちは使い捨てのなにかだ。生き物ですらない。ひととして当たり前に享受できるはずのものがないのだ。欠落して当然だ。羨望と憎悪は常に隣り合わせで、だからぼくは、この皮の内側にいつも怒りを隠している。それはそんなに不思議なことだろうか?
「許せないんだよ、何もかも、全てを与えられた人間が! へらへら笑って、何も、何もできねえようなクソ共が!!」
本来ならば。
本来ならばぼくは、その怒りを、すべて押し殺して、隠して生きていられた。
世の中に一定数いるぼくたちのような人間はけれどほんの一握り、街を歩けば秒単位で目にする家族連れのすべてを、この手で引き裂いてバラバラにしてやりたいと思うわけではない。そんなことをしていたら、星屑の街はリーダーの片割れを失いとっくに瓦解していただろう。
だけど、あの日彼女は言ったのだ。
「あの女が、ぼくに何て言ったか、わかるか」
重ねた刃に自然と力が入る。それでも、グランが押し負けることはなかった。ぼくの短剣を受け止めたまま、彼は、口を開こうとしない。
ベンチに並んで座ったあの日のことは、今でも鮮明だ。スラムに住まう、平均的な子どもが稼げる日当ほどの値段がするお茶を飲みながら、家族のことを話してみせたあの横顔。自然に浮かぶその微笑が、この網膜に焼き付いて離れない、痛いくらいに。
「人並みって、言ったんだよ」
人並みに幸せな家庭だったと。そのとき、初めて笑みが漏れた。まるで嘲笑的な、侮蔑の笑みだった。
その言葉が持つ暴力性を彼女は知っているだろうか。買い物、旅行、砂糖の入ったお茶を日常的に飲むこと、いや、それだけじゃない、屋根の下で、空腹や寒さを知らず、庇護されながら生きること、それが人並みの幸せであるならば、その何もかもを持ち得なかったぼくたちは一体何だと言うのだろう。
噛みしめた奥歯から、血の味がする。ほとんど年の変わらない彼女と姉が重なる。もしも、もしもぼくたちがその「人並みの家庭」に生まれていたら、姉はあんな風に、必要のない化粧をすることない少女になっただろうか。彼女のように、汚れも知らず、苦労も知らず、ぼんやりと笑って、川を眺めて泣く、そんな少女に。
何度その首を絞めたいと思っただろう。その人並みを壊したいと思っただろう。そう、だから、殺すと言ったのだ。あの夜、彼女が甲板に立って、こちらを見ていることを知っていた。わざと素の自分を晒してみせた。傷つけたかったのだ、彼女が二度と立ち上がれないくらいに。
警戒心のないままにぼくを受け入れた愚かな女、知らしめたかった。力でしか解決できない世界があることを、そこに生まれ落ちたぼくのことを。武器を持ったことのない細い身体、守られ続けただろう白い頬、己を強く見せる必要もなかった人生、まっとうな、まっとうなその姿、痛かったのだ、ぼくは彼女の隣に立っていると、酷く惨めだった。
「反吐が出る。何が人並みだ。何もかも持ってるくせに、今も彼女はお前らに守られて、のうのうと生きてやがる」
バッグなんか取り返してやらなければよかった。星屑の街に住む子どものような声を、あのときの彼女が漏らさなければ、ぼくはきっと走り出しはしなかった。あれは最早才能だ。無条件で庇護されるその姿。大切なものなんか一つくらい、奪われれば良かったのだ、かすり傷一つつけたことがないようなツラをして立つあいつの膝の骨くらい、砕いたってよかっただろう?
なあ。
「はもういないよ」
だから、ぼくは、目の前のグランが不意に呟いたその言葉に、息を呑んだ。
「……は?」
。
ぼくの顔に書いてあったのだろうか。グランは、初めて笑った。ほとんど厭世的であったと言ってすら良かった。
「きみが目的のために利用した女の子だよ。あの子はと、言ったんだ」
それくらい、推測できる、馬鹿にするな、言いたいのに声が出ない。
「いなくなったよ。きみが、騎空艇に乗り込んだ次の朝に。部屋はもぬけの空だった。自分の世界に帰ったのか、それとも、どこかでひっそり暮らしているのか……どちらが彼女にとっての幸せなのか、僕にはわからないけれど」
「……自分の世界?」
「彼女は、この世界の生まれではないから」
交差した短剣は、もはやほとんど、互いの力が込められていない状態だった。だけど、腕が動かない。
彼女は、元の世界で事故に遭ったらしくて。家族を全員失っていて。本当は声も出ず、歩けない状況で。何も残ってはいなくて。奪われ続けるだけだった。そんなときにこの世界にやってきたのだと。
その短い言葉の羅列の最後に、吐きだされた声。
「だからわたしカトルくんになりたかった。って」
は最後にそう言ったんだ。その言葉を口にした瞬間、彼は、ぼくの握っていた短剣を四天刃で弾いて、叩き落とした。がらん、と音をたてて地面に落ちた短剣を視界の端で見とめながら、ぼくは、ただ、両目を見開いている。
「人並みに、幸せな家庭でした」
あのときの声は嫌になるくらい耳に残っていて、ぼくは、だから思い知る。
ああ、そうだ、彼女は「でした」と言った。
人並みの幸せを抱える彼女の両腕は、とうに切り落とされていたらしい。