
「ったくよお! 信じらんねぇぜ! こっちはずっと待ってたってのによぉ!」
「ご、ごめん、ごめんビィくん……!」
「オイラだけじゃねぇって! グランだって待ってたんだからな!」
「うっグランくんもごめん、ごめんね、待ち合わせしてたの忘れてほんとごめんなさい……!」
カトルくんと別れたその夜、私はグランくんとビィくんに平謝りを続けていた。騎空艇に戻るときは一緒に、と言っていたのに、すっかり約束を忘れてしまっていたのだ。
怒りを直接的に言葉に乗せるビィくんと違って、グランくんの方は押し黙ったままテーブルに片肘をついて私を見ている。その表情が、最初から厳しいものでなかったことには、救われた。ビィくんが一度怒りを吐き出しきるのを見守っていたらしい。やがてグランくんは苦笑を浮かべ、困ったような、小さなため息を吐く。
「約束をしたのは、がグランサイファーまで一人で帰れるか心配だったからだから、迷子にならなかったなら何も問題ないよ」
「グランくん……」
「いや、めちゃくちゃ心配してたじゃねぇか!」
「また迷ってるのかなって思ったからね。それに僕たちも、待ち合わせの時間に遅れちゃったし」
「ほんの五分だろぉ!?」
「まあまあ」
グランくんはビィくんの怒りを鎮めるためか、「でもほら、遅刻は遅刻だし」と敢えて話を逸らすような口ぶりで続ける。
「遊んでて遅れたわけじゃねぇだろ!」
「まあ、そうなんだけどね」
「え? 何かあったの?」
「う~ん」
「それがよぉ!」
構わず説明を始めるビィくんに、一度言葉を濁したグランくんは苦笑を深めた。あまり私に聞かせたくないような話だったのかもしれないけれど、当初の目的通りビィくんの怒りは沈静化したらしい。興奮だけをそのままに、ふわふわと宙を漂いながら腕を組む。
「今日は依頼があるって言っただろ? オイラたちは街に現れるタチのわりぃひったくりを捕まえる予定だったんだ」
「え?」
ビィくんが話していることに心当たりがないわけがない。「よろず屋と反対方向の通りにな、細い路地があるんだよ」間違いなく、あの路地のことだ。蘇る生々しい感触はまだ消えない。そういえば、あの後あのひったくり犯はどうなったんだろう、グランくんの手によって捕まったのだろうか。それとも。あの時の悲鳴が、こびりついたまま離れない。
「メインストリートと飲食店街を繋ぐ近道になっててさ、街のやつらは通らないんだけど、観光客とかが路地の手前にいるひったくりのグループのやつに騙されて入っちまうんだってよ! 『食事をするならこっちの道を行くとすぐに着きますよ~』ってな!」
「何それ、酷いわね」
「ヒッ」
ビィくんの話を口を半開きにさせたまま聞いていたら、突然背後から両肩に手を置かれた。この声はコルワさんのものだ。「そう、コウミョウなワナって奴だな!」聞き手が増えたことに気を良くしたらしいビィくんが、私の肩の後ろにいるらしいコルワさんに向かって大真面目な顔付きで頷く。
「そんで、騙された観光客はまんまとひったくり犯の巣窟に足を踏み入れちまうって訳だな!」
コルワさんの柔らかな手の感触に、私は自分の心臓が、どくどくと嫌な音をたてていたことに気が付く。誰にも気づかれないように、小さく息を吐いた。そのため息に被せる様に、コルワさんが私の前に見慣れたショルダーバッグを差し出す。
「そうだちゃん。はいこれ直しといたわよ」
「あっ……ありがとうコルワさん! うわ~、きれいに直ってる! よかったあ……! あれ、なんかボンボン増えてる?」
「おい! オイラの話聞いてるかぁ!?」
「暇だったからおまけで増やしておいたの」
「僕は聞いてるよ」
「グランはその場にいたんだからもう知ってんだろお!? ひったくり犯の手口なんか!」
「まあ、そうだけどさ」
「でも、どういうひっかけ方したらあんな壊れ方するのよ? ショルダー部分がばっさりじゃない」
「持ち手のあたりを上手くナイフで切られて鞄だけを盗まれるんだよね」
「そう、まるでナイフで切られたみたいな」
その場に居た私以外の三人が、一度息を止めた。
別々の話をしていたのに、気がつけばその二つが紐で結ばれてしまう、そして、その先に居るのが私だ。三人の視線から逃れようと目を逸らしたけれど、逃がしてくれるほど皆冷たくはない。ありがたいことに。
「ひょっとして、今日あそこを通りかかったの!?」
この中だったら、直接口にしてそれを尋ねるのはビィくんだと思っていた。
だけど実際私の手を掴んでそう問いかけたのは、今までずっとビィくんを宥めていたグランくんの方だ。いや、問いかけるなんていうほど優しい声音でも、表情でもない。グランくんの、私を掴むその指に、酷く力が込められている。「え」と言う短い、返事のような、気の抜けた音だけが漏れた。目を見開いたまま固まる私とグランくんの間に、やがてコルワさんが割って入る。彼女の獣の耳は、今日も気高く、美しい。
「落ち着きなさいよ。それじゃあちゃんも碌に話せないわ。ねえ?」
「え、あ、ごめん」
「ううん、ごめん、びっくりしちゃって」
グランくんが離した手を自分の胸に引き寄せる。確認したくもないはずの鼓動が耳障りなほどで、私は目を逸らしたまま、彼らが欲しがっている返事をどうにか、せめて、冷静に口にしたいと、そう考える。
コルワさんが直してくれたバッグの、一つ増えた飾りに、確かめる様に指を乗せる。カトルくんが、私の代わりに走り出したあの後ろ姿が、今も網膜に焼き付いたままだ。
「……たぶん、二人が言っている場所を通った、と思う、し、被害に遭った」
「おい、グラン……」
「……でも、鞄はここにあるよね? 戻ってきたってこと?」
「うん、そう、だから、何も盗られてない。……その、助けてもらって」
「このグランサイファーの誰かに? は今日、一人で街を散歩する予定じゃなかった?」
「……う、その、だから」
「…………」
カトルくんのことを、だけど、どう説明したらいいのだろう。
二か月前にこの街に立ち寄った際に少し話をしたことがあるだけの人だ。今日一人で散歩をしたいと思ったのも、彼に会えたらだなんていう打算があったから。そして幸運なことに、偶然彼とまた会うことができた。それだけでなくて一緒にお茶をしようと誘ってもらえて、ついていった先があの路地だった。なんて、我ながら危機感がなさすぎていくらなんでも正直に話すのは気が引ける。
カトルくん本人から何か手酷いことをされたわけではないけれど、それでも彼に関わらなければ回避できたはずの被害だ。彼の存在を馬鹿正直に話せば、非難は私だけでなくカトルくんにまで向かうかもしれない。カトルくんとグランくんたちの間に直接の関係はなかったとしても、それでもそれは避けたいことだと考えてしまう私は、彼の存在を隠す。
「とおり、すがりの人に、取り返してもらって……」
「へぇ~! マジかよ! いい奴もいるもんだなぁ!」
「あら、素敵じゃない! 男の人? そこにロマンスは生まれなかった?」
「う、生まれてない、生まれてないから」
「なんだ残念」
「――」
ビィくんや、茶化すようなコルワさんの声の中に、一際芯の強いグランくんの声は酷く鋭かった。思わず姿勢を正して彼を見つめる。揃えた膝が、震えてしまいそうになるのを堪える。
その双眸は、つい先ほど私に声を荒げて見せた時より、随分と丸みを帯びていた。見透かすような瞳だった。グランくんは分かっているのかもしれないと、ふと思う。私が誰かの存在を隠していることも、なにもかも。
向き合った彼は、酷く大人びて見えた。私よりも少しだけ年下の、けれど誰よりも頼れるこの騎空艇の団長さんは、いつだってやさしい。言葉を選ぶように、躊躇いがちに、グランくんはその薄い唇を開いた。言いたいことはいくつかあるけれど、と前置いて。
「……君が無事で、良かった」
彼は、それ以上私を問い詰めるようなことはしなかった。「ほんとだよな! でも、ってことはその後にああなったってことだろ?」と話を続けようとするビィくんを諌めて、グランくんは立ちあがる。そろそろ夕飯の時間だね、なんて微笑むから、私たちはそれ以上、彼がこの件について話をする気がないことを知る。
だから、私は知らないままだった。
グランくんたちが今日の依頼を遂行することはなかったこと。彼らがあの路地に向かった時、主犯の青年は既に息絶えていたこと。短剣の類で頸動脈を掻っ切られていたこと。相当な腕の持ち主にやられたらしい。残された仲間が漏らした言葉。仲間を殺したのは、エルーンの少年だったと。
淡い、藤色の髪をしていたと。