「今馬―っ! どこにいるのー!?」



 光の届かない高い天井に、過子ちゃんの声が反響していた。
 基地の中はひっそりとしていて、空気がやけに冷たい。壁に埋め込まれた赤みを帯びた石が仄かに足下を照らしていたけれど、それだけでは自由に動くには足りなかった。何せ内部は妙に入り組んでいる上、先の戦いの衝撃で崩れたらしい外壁の残骸があちこちに散らばっていたのだ。
 暗さに目が慣れない中、私達は手分けをして、懸命に今馬くんを探し続けていた。通信室と思しき部屋も、紙の散らばる資料室も、階段下の小部屋も――半地下にあったこぢんまりとした牢も、くまなく捜索した。なのに今馬くんはおろか、彼の存在を示す手掛かりは一つも落ちていなかった。



「だーっ! クソが! どこにいやがんだ! 今馬ァ!」



 苛立ったような厄師寺くんの声が壁を何枚か挟んだ先から聞こえて、急に、足が重くなる。戦いを重ねたことで蓄積した疲労と焦りが、私にはっきりとのしかかる。
 諦めたわけじゃない。だけど、ここに今馬くんがいるに違いないっていう希望に満ちた思いは目の粗いやすりで削られて、私の感情をざらつかせている。いてくれるはず、という願いが、いつの間にか、お願いだからここにいて、に、色を変えている。
 面影くんが作ってくれた発信機の信号は、今も尚この基地から動いていなかった。
 彼を連れ去ったあの捕虜の女性がこの基地のどこかにいるのは間違いなかったけれど、範囲が広大すぎるのだ。せめて基地のどのあたりにいるか、中なのか、外なのか、あるいは別棟か――それだけでも分かるなら、こんな風に焦りや苛立ちに襲われることもなかったのかもしれないのに。
 焦燥はざわざわとした耳鳴りになって私を襲った。過子ちゃんの今馬くんを呼ぶ声が徐々に引き攣れて、痛々しく響いていた。早く、早く捜さなきゃ。見つけてあげなくちゃ。もう大丈夫だよって、言ってあげたい。
 これだけ基地の中を捜しても見つからないということは、やっぱり外にいるのかもしれない。暗がりの中、何度行き来したか分からない狭い通路で、奥の部屋から出て来た澄野くんと出くわした。「澄野くん。私、ちょっともう一回外見てくるよ」と彼に伝えた、丁度その時だ。



「わたし、やっぱり外の方も探してみる」



 半開きになった扉の向こうから現れた希ちゃんが、そう言った。
 淡い光を放つ石に照らされた希ちゃんの頬は、戦いの前より、生気に満ちているように見えた。








 基地の外壁に埋め込まれた赤い光源と、石柱からの灯りだけが、湿った地面をぼんやりと浮かび上がらせていた。
 先の部隊長との戦いの痕跡は、そこかしこに落ちていた。クレーター状に抉れた石畳の周辺には爆発したエネルギータンクの残骸が散らばって、柱はひしゃげて折れていた。侵校生の死骸は、乱暴に放り投げられたぬいぐるみ。焦げた金属の匂いは湿った空気にまだ薄らと混じっていて、私と希ちゃんの髪の毛に絡みつくように漂っていた。
 基地に足を踏み入れる前は確かにあった夕方と夜の境目は完全に消え去っていて、私達の乗ってきたバスが、暗闇の中にその輪郭を溶かしている。
 木々のざわめきが、却ってその場の静けさを際立たせていた。数時間前までここで激しい戦闘があったのは間違いないのに、それがもう随分昔のことのように感じられる。
 崩れかけた階段を慎重に下りるその先に、闇だまりがあった。根元から折れた石柱のせいで、そこだけ光が届かず、ぽっかりと穴が開いたように見えていた。そこから不自然に伸びた、もう動かない二本の長い影。
 それが黒いミイラになった部隊長の死体だと知っている。



「……今馬くん、どこにいるんだろう」



 先に口を開いたのは希ちゃんだった。
 どきりと心臓が鳴って、「えっ」と上擦った声をあげてしまう。



「こんなに見つからないなんて……心配だよね。別棟の方に行ってみる? 向こうの方は、まだ誰も行ってなかったはずだよね」



 あそこに部隊長のミイラがあることを、希ちゃんが覚えていないはずがない。
 だってあの人にトドメを刺したのは、希ちゃんだったのだから。
 希ちゃんは、だけどそちらを見なかった。少し不自然なくらいに。返事に詰まった私に「行こう、ちゃん」と言って、それとは反対の――建物の裏手へと足を踏み出していた。その足取りは軽く、つい数刻前まで体調不良に青ざめ、その身を縮こまらせていたのが、嘘みたいだった。








「トドメは私にやらせて貰えない?」



 希ちゃんがそう口にしたのは、激しい戦闘の末、異形の姿から人型へと戻り、ぐったりと動かない部隊長を前にした時だった。
 酷い戦いだった。巨大な白い獣となった部隊長は、口元から伸ばした筒状の大砲から稲妻のようなエネルギー弾を放ち、私達を翻弄した。――誰も大きな怪我を負わずに済んだのが、奇跡だった。



「希殿がトドメを? しかし、お主は我駆力を使いこなせぬのだろう?」

「ちょっと……試してみたいんだ。もしダメだったらその時は……お願い」



 不思議そうに尋ねる狂死香ちゃんに、希ちゃんは、すみれ色の瞳をゆっくりと細めていた。何かを確かめるように。
 その真剣な顔が、私の中に落ちていたたゆんだ糸をぴんと張り詰めさせていた。ばらばらに落ちていた欠片がひとかたまりになって、完全な球体になろうとしていた。無意識に息が止まったのだ。
 体調も万全でない中、希ちゃんが突然基地への同行を申し出たこと。部隊長をさがしている様子だったこと。「これはわたしの問題でもあるからね」という、あの、決意を秘めたような声。目配せをしあっていた希ちゃんと澄野くん。
 彼女の元に駆け寄った澄野くんが、何かを確かめるように希ちゃんと小声でやりとりをしていた。何を話しているのかは、はっきりとは聞き取れなかった。けれど、部隊長の首を掻っ切った希ちゃんが、自分の両手を長く、長く見つめた後、深い息を吐いて、「成功……したみたい」と澄野くんに向けて笑ったのだけは、この目に焼き付いていた。
 返り血を浴びた希ちゃんの頬は薄く色づいて、綺麗だった。








 標高が高いせいか、夜空を覆う雲がいつもよりずっと近い。
 今馬くんの名前を呼び続ける希ちゃんは、先の戦いのことを――部隊長を殺した事情を、何も話そうとはしなかった。私から尋ねないのだから、当たり前だ。だけど、もし聞いてみたとして、答えてくれたのだろうか。扉を開けて、澄野くんのいる部屋の内側に招き入れてくれたのだろうか。わからないから、聞けなかった。
 星の光が厚い雲の隙間からちらちらと瞬いていて、私はこんな時に、いつかのお泊まり会のことを思い出していた。
 「すべての人が後悔せずに生きられる道があったら良いのにね」と、希ちゃんはあの日、私にそう言った。私の閉じた手のひらをそのまま包んでくれたあの両手。私は――ううん、私達は表皮だけを撫で合って、互いのお腹の傷を見せずにいることを選んでいる。
 選んだのだ。
 たまらなくなって、息を吸った。夜の空気が喉を引き攣らせて、私の声を、裏返した。



「今馬くーん! いたら返事してー!」



 線だ。
 これ以上ないほど、はっきりとした線。
 だけどさみしいわけじゃない。あなたがあの日私を見守ることを選んでくれたから、私もそうしただけ。



「どこにいるの、今馬くーん!!」



 私と希ちゃんの声は、木々に吸い込まれるように消えていく。
 踏み込まないことを選んだのは私自身だったはずなのに、隣にいる希ちゃんは、前よりずっと遠かった。








 空の端が、滲むように白くなり始めていた。今馬くんの捜索をしているうちに、すっかり夜が明けてしまったらしい。
 誰が声をかけるでもなく、私達は基地の外に集まっていた。「何か見つかったか?」と澄野くんに尋ねられ、希ちゃんと二人首を振ったけれど、それは狂死香ちゃんや厄師寺くん、銀崎くんも同様だった。疲労と焦燥の滲んだその表情と、同じものを自分も浮かべているのだろうと思った。
 泣きはらした目をした過子ちゃんに、寄り添う。無責任かもしれなかったけれど、「大丈夫だよ、きっと見つかるよ」と背中を撫でた。信じるしかなかったから。過子ちゃんは「先輩」と弱々しい声で私を呼び、身体を預けてくれた。どうしようもなく細くて、頼りない肩に、胸が詰まった。
 なんの混じりけもない清かな朝陽が木々の間をすり抜けて、真っ直ぐに私達に差し込んでいた。それでも階下を見下ろせば夥しいほどの死がそこに広がっていた。
 それとは真逆の方向から声が聞こえたのは、その時だ。



「おーい、みんなー! こっちだよ! こっちに来てー!」



 動揺に上擦ったそれは、ここにはいない、蒼月くんのものだった。


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