「はぁ?」なんて尖った声を出してはいたけれど、くららちゃんは、理解のある子だ。
もう仲間を失うのは絶対に嫌。今馬くんを助けるのに、自分も少しでも力になりたい――切々とした希ちゃんの訴えを腕を組んで聞いていた彼女は、最終的にはその気持ちを汲んでくれたのだ。深いため息を吐いた後、「体調は、本当に大丈夫なのね?」と、きちんと念を押した上で。
希ちゃんは、案外強情なところがある子だ。「絶対、大丈夫」とくららちゃんを見返す真っ直ぐな瞳は揺らぐ気配すらなく、握られた拳ははっきりと力がこめられていた。だけど、くららちゃんが折れたのは、きっとそれだけが理由だったのではない。
「……希がそこまで決めてるんだったらアタシがどうこう言っても仕方ないわね……。、アンタ、希のことしっかり守んなさいよ」
それは、私達の中にもこちゃんっていう存在がはっきりと横たわっていたから。
くららちゃんの言葉に「うん」と、小さく頷く。目頭が熱くなるのを、ぐっと耐えて。
――私達を守るために犠牲になった、もう、どこにもいない女の子。
あの時の焼け付くような後悔を二度と味わいたくなかったし、同じ類いの重荷を、誰かに背負わせたくもなかった。
「あれ!? 狂死香ちゃんだ!」
「おお、殿」
約束の時間に駐車場に集まった時、けれどバスの前には希ちゃんと私達出発メンバーの他に、元々そこには含まれていなかったはずの狂死香ちゃんの姿もあった。見送りかと思ったのにその手には我駆力刀が握られていて、つい「え」って声をあげてしまった。なんでも、くららちゃんに頼まれたらしい。まだ本調子ではない希ちゃんを任せるのに、私だけじゃ心配だからって。
信用されていないことを嘆く気持ちよりも、心強さの方が大きかった。だって狂死香ちゃんがいたら百人力だ。基地への攻撃も、希ちゃんを守るのも、狂死香ちゃんの存在があればどれだけ頼もしいか。
「学園の守りが薄くなっちゃうのはいいの? くららさんは反対してたよね?」
そう尋ねた蒼月くんに、狂死香ちゃんは「くらら殿が言うには……『ここは任せて希を守ってやりなさい』とのことでござる」と答えた。
厄師寺くんが見直したように「へっ……あのトマト娘……似合わねぇ事を言うじゃねーかよ」と笑うその隣で、希ちゃんが「くららちゃん、狂死香ちゃん……ありがとうね。……それから、ちゃんも」と、そっと私達の顔を見てその胸を押さえたから、私はつい、言葉もなく首を振った。寒々しい電球の灯りに晒された希ちゃんの顔は、それでも、やっぱりどうしたって白い。銀崎くんが「本当に大丈夫なんですか?」と心配するのも、無理はないくらいに。
「……だけど心強いよ。……仲間がこれだけ揃えば、きっとどんな困難でも乗り切れるはずだよ」
胸に手を当てて言う蒼月くんの言葉に、無意識に手を握りしめる。
あの巨大な敵の基地が、浚われた今馬くんが、私の目蓋の裏を通り過ぎらずに重なって、ともすると息が詰まりそうになる。絶対に救い出すという決意と、拭いきれない緊張が、足の裏から私を侵食していく。
――一度信じられないくらいの数の侵校生を目の当たりにした以上、蘇生マシーンの使えない中戦うのが怖くないなんて、嘘でも言えなかった。
だけど戦わずにいることよりも、今馬くんを諦めることの方が私は怖い。
「……じゃあ、行こうよ! みんなで今馬を助け出そう!」
澄野くん、蒼月くん、銀崎くんと厄師寺くん。それから希ちゃんと狂死香ちゃん。最後に私を見て言った力強い過子ちゃんの言葉に、強く頷く。澄野くんの「……そうだな」と言う低い声が、重油のにおいに紛れるように落ちていた。
「……絶対に、助けないとな」
そう言う彼の目が希ちゃんを追っていることに、気がついていないわけではなかったのだ。
バスに乗り込むと、昨日と同じ席に腰を下ろした。私と同じように、昨日と同じ前の席に座る澄野くんの、座席からはみ出した赤い髪の、その奥。駐車場のシャッターが音を立てて開いて真昼の光が差し込むのを、まだ冷たい背もたれに身を預けながら、じっと見ていた。パネルではない空は青くて、筋状に伸びた雲が、ここが東京団地でないことをはっきりと伝えていた。
「行くぞオメーら! デッパツだぁ!」
運転席に座った厄師寺くんの威勢の良い声とバスのエンジン音が、耳からだけでなく、皮膚を通して伝わって、我駆力刀を握りしめながら、そっと目を閉じた。
厄師寺くんの運転するバスが敵の基地に着いたときには、ほとんど日が沈みかけていた。
中央奥の階段の上に鎮座する、三角錐の形をした、古い、巨大な建造物。そこまで伸びる舗装された道はところどころが剥がれていて、地面がむき出しになっている。
「あれが……侵校生の基地だね……」
バスから降りた私達は、岩陰に身を隠しながら、息を潜めて眼下に広がる基地を見下ろした。
「話に聞いていた通り、実に立派な佇まいでござるな……!」
「おっきいよね……」
狂死香ちゃんの言葉に、小さく頷きながら言葉を返す。
基地の壁面に刻まれた上部の切り取られた円のような赤い光が、周囲を警戒するように怪しく浮かび上がっていた。対称になるよう並んだ巨大な石柱のてっぺんにはそれと同じ色を放つ細長い灯りのようなものがはめ込まれていて、その足下を、夥しい数の侵校生が彷徨いている。――昨日も全く同じものを目の当たりにしていたはずなのに、どうしても怖気が走ってしまって、唇の震えをおさめようと、そっと噛みしめた。
「侵校生どももウヨウヨしてやがる……。マジで、ここが敵の本拠地なんじゃねーか?」
「ほ、ほんきょち?」
思いがけない厄師寺くんの言葉に、つい聞き返してしまった。そうか、敵の基地の一つと思い込んでいたけれど、その可能性だってあるのか――。けれど、澄野くんは「どう……だろうな。それはまだわからないけど……」と首を傾げると、息を一つつく。
「……ここに今馬がいるのは間違いない」
たとえここが本拠地だろうと、中継基地の一つに過ぎなくとも、今馬くんは確かにいるはずなのだ。過子ちゃんが、胸を押さえていた手に力を込めたのが視界の端に映った。その目は、強い覚悟に染まっていた。
ここからでは今馬くんの姿は目視できない。きっと、建物の中にいるのだろう。幽閉されているのか、あるいは――考えたくはないけれど、拷問されているのか。いずれにせよ、早く助けに行かなくてはならなかった。汗で滑る我駆力刀を、そっと握り直す。
「捕虜さんの発信機は大まかな位置しかわかりませんが、反応がこの中からあるのは確かです。今もまだ……彼女はこの中にいるはずです」
「今馬と一緒に……だよね」
「どっちにしても、この基地を叩いておけば、今後の防衛戦も有利に進められそうだね……」
銀崎くん、過子ちゃん、希ちゃんの言葉を聞きながら、そっと呼吸を整える。
思いの強さも、種類も、私達は全員が全く同じものを持っているわけではない。だけど、それがなんだって言うんだろう? 私達がすべきことは、あの基地を襲撃することだ。死んだら終わり。そのせいで、信じられないくらい、どきどきしているけれど。
細く長い息を吐いた時だ。「殿も、あまり無理はなされるな」と、私の隣に一歩歩み寄った狂死香ちゃんが囁くような声色で言ったのは。
顔を上げる。狂死香ちゃんの濃い影が、私の手に落ちている。
「くらら殿からは希殿を守るように言われたが……実は拙者、殿のことも頼まれているでござる」
「え? くららちゃんに?」
聞き返した言葉に、狂死香ちゃんは「いや」と首を振った。
「――面影殿でござるよ」
胸の内側を握りつぶされたような衝撃を、私はその時、なんと表現すればよかったのだろう。
「面影くんが?」、ぽつりと零した。狂死香ちゃんはだけど、私の動揺には気付かない。「出発前に、声をかけられたでござる」。記憶を探り当てるように視線を落として、それから、私の目をもう一度だけ見た。
「殿が無理をしないよう、見ていてほしいと」
やることがあって行けない自分の代わりに。――あの子は時々、どうしようもなく無謀なことをしでかすからと。
そう続けた狂死香ちゃんの前で、一体私がどれだけ胸を震わせていたか。喉の奥から喘ぐような息が漏れそうになって、舌を上顎に押しつけた。戦いの前だっていうのに、眼球の奥が熱かった。面影くんの、目を伏せただけの笑みを思い出す。東京団地からここに来て、ずっと傍にいてくれた。守って、気にかけてくれた。今ですら。
指先まで、仄かな熱が私を満たしていく。深く息を吸う。湿った風が頬を撫でていた。土の深い香りに混じるのは、さっきまでバスから排気されていたガスの臭いだ。色の変わり始めた空には、無数の星が薄く散らばっていた。太陽は山の稜線にその身を沈め始めていた。
自分のいるこの場所が、現実と地続きであることを思い出した。緊張と恐怖で、知らないうちに薄皮と内側の肉とがばらばらになって、一本の糸だけで辛うじて繋がっている状態になっていたのだ。それがようやく、正常に戻った気がした。
面影くん。口の中で、彼の名前を呼ぶ。
どうせ死ぬんだったら、ちゃんを守らせて死なせてよ。
第二防衛学園での戦いで言われたことを思い出していた。あの時細められた目と同じ種類のものを、幼い私は東京団地で見ていた。ずっと。
我駆力刀に掘られた名前を、確かめるように指で撫でる。「おーし、やってやろうぜ!」、耳に届いた厄師寺くんの声に、ただ立っていただけの両足に力を込める。
「いつもは攻め込まれてばっかだが……今度はこっちから攻め込んでやんぜ!」
お腹に突き立てるために振りかざしたその刃は、沈みかけた陽の照り返しを受けて鈍い光を放っていた。
私の覚悟を後押しするのに、それはあまりにも美しい光だった。