荒廃した街並みは、徐々にその景色を変えていた。車窓の奥に見えていたビル群は一時間ほど前に姿を消し、今は寂れた廃工場がどこまでも建ち並んでいる。相変わらず、人の気配はどこにもなかった。私達の乗る一台のバスだけが、唯一の生命体であるように思ってしまうくらいに。
 使われなくなってどれほどの年月が経ったのか、天井の破れた巨大なタンクは傾いて、中が空洞になっていた。錆び付いて折れ曲がった煙突は墓標のように虚空を指し、建物の壁面を這う無数のパイプは役目を終えて干からびていた。世界死、という言葉が、不意に私の脳裏に蘇った。本当に死んだ世界なんだって、今更思った。
 割れた道路は車体を大きく揺らして、その度に胃の浮くような感覚を覚えさせる。最終防衛学園を出発した直後はぽつりぽつりと交わされていた会話も、今はない。私達はじっと息を潜めて、高くなった陽が少しずつ落ちていくのを、バスの中から見守っている。白んだ光が、時折ガラスを反射して、目を焼く。無意識に強ばった肩が、鈍く痛む。
 ――戦闘もなしに今馬くんを取り戻せるとは、思っていない。
 銀崎くんはあの捕虜さんを今でも信じているし、私だって――私だってこんなことにならなければ、そうだった。だって、檻の中にいたあの人は、私達と少しも変わらない人間のように見えていたから。
 だけど、あの人は今馬くんを連れ去った。
 通路を挟んだ先の席に座る銀崎くんの横顔を盗み見る。過子ちゃんの白い首筋を。窓の外を眺める澄野くんの顎のラインを。ハンドルを握る川奈さんの、一つに結ばれた長い髪を。
 過子ちゃんが、祈るようにその手を組んでいた。
 それを視界の真ん中に据えながら、膝の上に置いた我駆力刀を無意識に握りしめていた。車内の空気は半日の移動を経て籠もり、重くなって私達の周囲を漂っていた。
 まるでこの後に起こる出来事を予見でもしていたみたいに。








「――みんな、もうすぐだよ! 発信機の反応はすぐ近くだよ!」



 川奈さんがそう叫んだとき、陽は既に山の奥に沈みかけていた。
 半日はかかると言っていたからもしかしたら到着は夜になるんじゃないかと思っていたけれど、「飛ばした」おかげでいくらかは時間を短縮できたらしい。ほとんど休憩もなしにバスに揺らされていたにもかかわらず疲労を感じていないのは、緊張のせいだろうか。心臓が嫌な跳ね方をして、つい背筋を伸ばした。



「……こ、こんなところに今馬くんがいるの……?」



 周辺は岩山だらけで、これまでの道のりを思えば異質な空気が漂っているように思える。こんな寂しいところに、今馬くんは本当にいるのだろうか? あの捕虜の女性と一緒に?
 発信機はそれほど高性能ではないらしく大まかな場所しか分からないとのことだったけれど、「このへんにいるのは間違いないよ!」と川奈さんは続けるから、つい外に視線を走らせた。消えかけた白線を夕日が照らして、視界を淡く狭めていた。バスは速度を落とし、これまでの道を思えば崩れの少ない整備された道を、慎重に進んでいく。「今馬……助けに来たよ……!」、語りかけるように呟く過子ちゃんの声が、張り詰めた車内に響いていた。
 「あの」と声をあげたのは、銀崎くんだ。



「ひとまず、捕虜さんの説得は僕に任せてくれませんか? 言葉は通じなくても……」



 甲高いブレーキ音と共に身体が宙に浮き上がって、ほとんど座席から投げ出されそうになったのは、けれど、その時だった。
 急な衝撃に、喉元から悲鳴が漏れる。膝に乗せていた我駆力刀が、前方の座席の下の方に向かって、鈍い音を立てて滑り落ちていく。「な、なんだよ……! どうしたんだ……!?」、澄野くんが川奈さんに尋ねるけれど、運転席の川奈さんは、ハンドルを握りしめたまま答えない。



「……川奈先輩? もう目的地なの? 今馬はこの近くにいるの?」



 急停車したバスは、そのままじっと動かない。アクセルを踏み込む気は、ないみたいだった。席から立ち上がって、運転席の方へ歩みを進めようとする過子ちゃんを慌てて追いかける。今馬くんの居場所を示す赤い印と現在地は、運転席から視認できるモニター上ではっきりと重なっていた。
 座っていた席からは見えなかった、フロントガラスの向こうの光景。「あれ……」、震える指を、川奈さんはその奥へと向ける。嗚咽を漏らしながら、震える声で叫ぶ。



「……あれを見て……っ!」



 岩肌の開けたその先にあったのは、何かの宗教的な遺跡を彷彿とさせるような、三角の形をした、石造りの巨大な建造物だ。
 都市群や工業団地の景色を思い返してみれば、それは随分異質なものに映ったけれど――私達を怯ませたのは、それだけではない。
 数え切れないほどの――夥しい数の侵校生が、その周辺を歩きまわっていたのだ。
 息を飲む私の隣で、銀崎くんが、迷子の子供のような声をあげる。



「な、なんですか……? あれ……」



 防衛戦以外で、あんな風に侵校生が一カ所に留まっているのは、見たことがない。この間のガソリン探しの時に見かけた侵校生も、第二防衛学園にいた頃にもこちゃんと希ちゃんと外で戦った侵校生も、規律だった動きを一切見せることはなかったから。だけど、前方の、切り開かれた崖下にいる侵校生らはどうだろう。決まったところを行き来し、周囲を見回す彼らは、まるであの建物を守っているみたいだった。
 席から立ち上がった澄野くんが、身を乗り出す。



「まさか……侵校生の基地か!?」

「基地……? 侵校生の?」



 澄野くんの口にした言葉が、時間差で脳に染みこんでいく。「捕虜さんは……あの中にいるんですか?」という銀崎くんの声も、「じゃあ、今馬も!? 今馬もあの中なの!?」という過子ちゃんの切迫した声も、だけど、遠い。
 今馬くんは、間違いなくあそこにいる。
 けれど、一体それでどうしろって言うんだろう? 蘇生マシーンも使えない中、たった五人で、敵の基地を落とすなんて、どう考えたって無謀だ。侵校生の数だって、今見えているあれらだけのわけがないし、もしかしたら部隊長だっているかもしれない。今の私達には情報も、戦力も、圧倒的に足りていない。



「で、でも……侵校生の基地なんて、うっぷ……全然想定してなかったよ……。見つかったら大変だし……いったんここから離れた方が……」

「なんで!? 今馬はここにいるんでしょ!?」



 ハンドルに手を添え直す川奈さんを引き留めるように、過子ちゃんが運転席に身を乗り出した。「過子ちゃん……!」、慌ててその肩に手を添えるけれど、びくともしない。
 過子ちゃんの大きな目の縁に、涙がみるみるたまっていた。するりと流れるそれは、過子ちゃんの頬を何の抵抗もなく滑り落ちていく。西日を吸った涙が、あとからあとから流れ出ていた。胸が引き攣ったような痛みを覚える。何か言わなくちゃ、と思うのに、声が出ない。



「……過子。さすがにこの五人だけで、あれだけの侵校生を相手にするのは無理だ」



 澄野くんがそう口にしたのは、その時だった。
 めいっぱいの涙をためた過子ちゃんが振り向く。私の身体の奥にいる澄野くんを、信じられないものを見るかのような目で見つめる。
 澄野くんは、苦渋に満ちた顔をしていた。歯を食いしばって、それでも言い聞かせるように、過子ちゃんの双眸をまっすぐ見つめていた。



「……忍び込むにしても危険すぎる。いったん帰って、対策を練った方がいい」

「で、でも……近くに今馬がいるんだよ? 今馬はきっと助けを待ってるよ? それなのに……なんで引き返さなきゃいけないの!?」

「過子ちゃん……落ち着いて……!」

先輩もだよ! なんで行こうって言ってくれないの!? 今馬のこと助けに行きたいって、言ってくれたじゃん!」



 射貫かれるような視線に、胸が締め付けられた。
 ――助けたい。
 そう、助けたいのだ、私だって。
 自分勝手で、意地悪で、味覚が変で――だけど過子ちゃんを誰よりも愛しているあの子のことを。今馬くんを。だって、私は二人に、幸せでいてほしいから。たとえそれが私のエゴだったとしても。
 知らず知らずに、胸の前に置いた手に力がこもる。「助けたいよ」、張り付いた淀んだ空気は、喉に苦い。



「今馬くんのことも、過子ちゃんのことも、大事……。大事だから……助けたいから、だから、引き返すんだよ……!」



 限界まで見開かれた過子ちゃんの瞳の中に、泣き出す寸前のような、酷い顔をした私が映っていた。
 私は過子ちゃんのように、きれいには泣けない。
 今馬くんを助けるには、この戦力では難しい。だから一度学園に戻って、基地の存在をみんなに報告して、それから改めて作戦を考えよう――切々と訴える澄野くんに、過子ちゃんは長い沈黙の後、目を伏せて、「わかった……よ……」と、弱々しく頷いた。
 過子ちゃんを慰めるのに一歩彼女に歩み寄ったとき、爪先に何かが触れて、目線を落とした。さっきのブレーキで私の手から離れた、我駆力刀だった。
 泣きじゃくる過子ちゃんの背中に腕を回す。私を守るあの刀を、そういえば私は最初、私の命を奪うものだと思っていた。
 あの日の私は、それでもいいと思っていた。


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