もこちゃんに擬態していた部隊長に私がトドメを刺してから――面影くんに慰められてから、数時間が経っていた。
 四方を壁や壁面水槽、巨大冷蔵庫で囲まれた食堂は、窓がない分、昼夜の感覚が薄い。天井のライトが照らす食堂は、いつもよりもどこか翳って見えた。
 私が食堂の扉を開けたとき、全員ではなかったけれど、そこには既に何人かの姿があった。丸子くんはぐったりとテーブルに突っ伏して、川奈さんは水槽に頭を預けながら視線を落としていて、厄師寺くんは欠伸をかみ殺して――飴宮さんだけはスナック菓子を口に放り込んでケロっとしていたけれど、それでも全体の空気が重く淀んでいるのは、肌で感じられた。広々とした食堂は、冷蔵庫の稼働音に、飴宮さんの軽い咀嚼音が耳につくくらい、静かだ。
 肉体的にも、精神的にも、その日の昼に集まるっていうのは時期尚早だったのかもしれない。私がそうだったように、たとえ浅い睡眠しかとれなかったとしても、もう少し時間を空けた方が良かったんじゃないだろうか。
 だってもこちゃんが偽物だったっていうことも、本物のもこちゃんはもうとっくに――とっくにこの世にいなかったっていう事実も、私達をすり減らすのには充分過ぎたのだ。特に、私達第二防衛学園からやって来た人間にとっては。
 食堂の中央に置かれた長机の椅子を引きながら、会話もなく俯いているくららちゃん達に、「……大丈夫?」って、慎重に声をかけた。その時、初めてみんなは、私が食堂に来たことに気がついたらしかった。くららちゃんが、希ちゃんが、狂死香ちゃんが、私を見上げる。
 「」って、名前を呼ばれるその前に、「みんな、ちゃんと休めた……?」って、言葉を重ねた。希ちゃんの丸い目が、狂死香ちゃんがテーブルの上で握った拳が、くららちゃんのマスクの表情が変わったのがわかった。



「無理……してない?」



 バカ、って、くららちゃんの声が漏れたのも。



「こっちの台詞よ、バカ



 手を伸ばされて、くららちゃんにしては弱すぎる力で背中を叩かれたとき、本当は少し、息が止まりそうだったのだ。
 心配してもらっていたんだ、って、思った。
 ちゃんと、みんなに。
 希ちゃんが、泣きそうな目で私を見ていた。「ちゃん、ちゃんと眠れた?」って声が、撫でるみたいに優しかった。狂死香ちゃんが、「慣れぬことをして疲れたでござろう! 拙者の胸で、カ……カピカピになるまで泣いていいでござるよ、殿」って、照れたように言ってくれたのに、胸を打たれた。「だからアンタそれキモいって言ってるでしょ!?」って、くららちゃんが声を張り上げて――それが、嬉しかったのだ。全部。私達の過ごした六十五日が、ちゃんとそこにあって。



「君のそれは、私達も背負うものだろう?」



 面影くんに向けられた言葉が、私の中で淡い熱を持って、染みこんでいく。喪失を、埋めていく。「――私達は仲間で、家族みたいなものなんだから」。ほんとに、そうだ。
 ずっとそうだった。
 こんな時に泣けてきて、鼻を啜った。「うん」って呟いた、たった二文字の短いそれが、泣き声みたいに響いていませんようにって、それだけを願っていた。
 四人で顔を合わせて、薄く笑う。その時食堂に入ってきた面影くんと目が合って、泣き笑いみたいに、目を細めた。








「えっと……来てないのは……今馬クンと過去ちゃんと……晶馬クンだね」



 疲れた顔をした澄野くんが食堂の扉を閉めた後、室内をぐるりと見回してそう言ったのは、蒼月くんだ。
 敢えてそう努めようとしてくれているのか、彼の声は漣を撫でるように、穏やかで優しい。



「あぁ、そう言や……まだ来てねーな。寝坊かよ。時間を守るのは礼儀だろーが」

「……礼儀とか言い出しちゃったよ。ヤンキーキャラがそれでいいのかよ」



 厄師寺くんと丸子くんの言葉を聞きながら、開く気配のない食堂の扉に目をやる。不在の三人――今馬くんと過子ちゃん、それから銀崎くんの気配は、その奥にない。
 寝坊かな。今馬くんなんかはそういうところありそうだけど……銀崎くんが来ないなんて珍しい。
 いつもだったら、誰が来ていないとか、寝坊かもとか、いちいち誰も気にしない。朝はなるべく全員が一緒になるようにはしているけれど、生活習慣の乱れとか体調不良で誰かが欠けていることはままあったし、無理に呼びつけることもしてこなかった。だけど今日は違う。私達は今日、全員で顔をつきあわせて話をしなくてはならなかった。
 中庭の檻に捕えているあの「捕虜さん」をどうするか、話し合う必要があったから。
 面影くんから聞いた話によると、夜半の戦いの後の作戦室で、みんなはその件で少し揉めたらしい。
 彼女を殺すか。それとも、侵校生の情報を得るため、捕虜としてこれからも生かしておくか。
 考えると、お腹のあたりが重たくなって、つい一人一人の表情を確かめたくなる。扉の傍に立っている澄野くんを、斜め前の席にいる希ちゃんを、カウンターに背を預けている面影くんを、傍にいるくららちゃんや狂死香ちゃんを――順番に見てしまう。
 みんなが部隊長である彼女に対して怒りを覚えるのは、わかるのだ。くららちゃんや狂死香ちゃんは、きっと殺すべきだって訴えたんだろうな、っていうのも。敵と名前のつくものが許せない、って考えて。私だってそうだ。許せなかったから、そうしないと自分を保っていられそうになかったから、もこちゃんを殺したあの部隊長を手にかけた。
 生ぬるい血の温度と、肉の感触が蘇って、思わず目を閉じる。
 ――殺してしまった。
 後悔をしていないとは嘘でもいえないけれど、もしもこれから先敵の正体が分かったとしたって、そこに何か事情があったとしたって――きっともう、私は歩み寄ることはできない。もこちゃんのことが痼りになってしまったから。新たな部隊長がこの学園を襲うなら、みんなを守るために戦うし、必要だったらきっと、殺すことも厭わないだろう。
 でも、と思う。その瞬間、ふっと肩の力が抜ける。遠い日だまりを思い出すみたいに。
 ――でも、あの捕虜の女性は。あの人だけは、殺したくないって、思ってしまうのだ。
 感情が削ぎ落とされたような、けれど思慮深い、深い紫色の瞳。ガラス張りの天井からの光を吸い込んで、淡い輝きを放っていた。檻の中にいた彼女は、美しかった。言葉が通じなくても、彼女はちゃんと、人だった。
 彼女のことを思い出して、呼吸が緩んだその時だ。廊下の方から、荒々しい誰かの足音が聞こえてきたのは。



「た、大変ですっ!」



 銀崎くんの声が、勢いよく開けられた扉のあたりから強く響いて、思わず息を飲む。
 よっぽど急いで来たのだろう。いつも血色のいい柔らかな頬は、すっかり血の気を失っていた。「大変なことが起きましたっ……!」、そう叫ぶ銀崎くんの声は、普段よりも、はっきりと強ばっている。



「はあ……なんなのよ? 今度は銀崎?」

「ど、どうしたんだろうね……?」



 つい椅子から立ち上がりそうになったけれど、彼の傍に駆け寄るのは、扉の傍にいた澄野くんの方が早い。「お、おい、どうしたんだよ銀崎。大丈夫か? 一体何が……」そう言って、澄野くんが膝に手をついて呼吸を整える銀崎くんに手を伸ばした、その時。



「い、いなく……なっちゃったんです…………」



 銀崎くんは、小さな声で、そう言った。「……え?」と困惑した声をあげる澄野くんの差し出した手を握ることもしないまま、それでも、訴えるようにその身を彼に乗り出して。
 銀崎くんが、声を張り上げる。真っ直ぐ、痛いくらいの声量で。



「――捕虜さんがいなくなったんですよ! いつの間にか、姿を消してしまったんです!」



 届いていたはずのその言葉は、数秒かかってようやく、ことりと音を立てて私の中に落ちていった。


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