空を切り裂く赤い光は、あたり一帯に霧をまき散らしていた侵校生の乗った機体に吸い込まれるように放たれた。爆音と共に空飛ぶ機体が爆ぜ散ったのは、その直後。私はそれに――というか、その攻撃が放たれた方向に意識を奪われていたせいで、一歩も動けなかった。その隙をつくように侵校生の群れに飛び込んだ蒼月くんの鎌がもう一体の侵校生の機体を破壊したのだって、すぐには気がつけなかったくらいに。
 二体の侵校生を撃墜したおかげで徐々に霧が晴れていく中、私はそこにいた女の子の姿に息を飲む。自身の背丈かそれ以上の大きさがあるようにも見えるサイズの、華奢な彼女に不釣り合いにも思える銃を、膝をついて構えたままいる女の子。学生兵器と思しきその銃は銃口が大きく裂けた、獰猛なワニを連想させるような形をしていた。充填されているのは、きっと我駆力そのものだろう。いずれにせよ、彼女があれを破壊したのは間違いなかった。それが、信じられなかった。



「…………過子ちゃん」



 ――やっぱり来てくれたのだ。
 吐き出した声は、微かに震えていた。彼女の学生鎧姿に感極まって、少しだけ、泣いてしまいそうだった。
 けれど目標を狙撃したことで気が抜けたのか、身体の力を抜いた過子ちゃんのその背に襲いかかる侵校生がいた。霧に紛れて、防衛戦をすり抜けられていたに違いない。血の気が引いて、喉元から悲鳴が出かかる。後衛に構えていたあの機体を破壊するために前線を少しずつあげようとしていた私達は、誰一人彼女を助けられる位置にいない――。
 だけど青いクマの形をした侵校生がその腕を振り上げたその時、空から急降下して彼女の背後の侵校生を切り刻む、何かの姿があったのだ。
 黒いタール状の液体に混じる虹色の体液が飛び散る。その人はそれすらも躱して、霧の晴れ始めた空を、過子ちゃんの周囲を守るようにふわりと舞う。それでようやく、目で捉えられた。――過子ちゃんに慈しむような微笑みを向けた、彼の姿を。
 肩甲骨のあたりから伸びる黒い骨は、羽のようにその背に広がっていた。その骨を大きく覆う翼状のそれは我駆力によるものなのか全体的に赤黒く、天使と言うには、あまりにも禍々しかった。だけど、きれいだったのだ。
 私の皮膚を風が吹き付けていた。空を飛ぶ彼の起こした小さな風だった。身体の中まで通り抜けられたような気がした。目の奥が熱い。内側に入れた内臓が、ひとつひとつ、打ち震える。



「今馬くん」



 声が届いたのか、目が合った。彼はそっとそれを細めると、薄く笑った。全部、許したみたいに。
 「洗脳でもされてるんじゃないっすか?」って、かつて私達にそう言った人。過子ちゃんの「戦いたい」って気持ちを、今馬くんはずっと頑なに受け入れようとしなかった。けれど、それでも二人は確かにそこにいる。それが今、泣きそうなくらいに嬉しい。



「過子! それに、今馬も……!」

「お、遅くなってごめんなさい……。我駆力刀を使うの初めてだから……ちょっと手間取っちゃって……」

「いやー……妹ちゃんが自分を刺すのを見てらんなくて、つい何度も止めちゃったっす」

「大丈夫だって……言ってるのに……」

「でも、万が一の事があるだろ? あんなに鋭利な刃物なんだよ?」

「か、過子ちゃん、今馬くん……!」



 霧はすっかり晴れていた。しっとりと濡れた地面は滑って、ひやりとした。それでもなんとか、澄野くんに続く形で二人の傍に駆け寄った私を、過子ちゃんは「先輩!」って笑って出迎えてくれる。



先輩、自分、やったよ! 見ててくれた……っ?」

「見た! 過子ちゃん、すごい、すごかった! かっこよかったよー……!」

「本当? 自分、役に立てたかな……?」

「勿論! 助かったよ! 今馬くんも過子ちゃんのこと守ってて、すごかった……!」

「いや、当たり前なんで、それ」



 今馬くんはそう言うと笑って、一歩私に踏み込んだ。
 今馬くんの背中から生えていたのは近くで見ても大きな羽根そのもののようだった。だけど、骨にあたる部分は生き物のそれというよりもはっきりと人工的で、やっぱり学生兵器なんだ、って、こんな時なのに頭の端で考える。長い睫毛で縁取られた目の、丸い瞳の部分に私がいる。
 「つか、妹ちゃんがいなきゃジリ貧で危なかったすよね、先輩方。戦うの、向いてないんじゃないすか?」、軽口のように吐き出されたそれは、みんなに言っているようだった(実際通信機の向こうで「な、何だと!? んなこたねーよっ!」って叫ぶ丸子くんの声がしたし)。だけど意地悪な口調でそう言いながらも、彼の目は真っ直ぐ私だけを映していた。細めた目で、中性的な声に笑みを滲ませて、今馬くんは言う。



「…………戦いには出ますけど、先輩がどんだけトチっても守ったりしないんで、せいぜい気をつけてくださいね」



 ほんとは、それが伝えたかったんじゃないだろうか。
 それでもそこに、微かな温度があった気がしたなんて言ったら、今馬くんはきっと「はぁ?」って不機嫌そうに言うんだろう。「うん、気をつける」って言いながら、思わず柔らかい眼差しを彼に向けてしまっただけで、似たような顔をされたくらいだし。
 その時不意に、怒りに満ちた声が鼓膜を揺らした。



「つーかテメー……! どの面下げて出て来やがった……!」

「ちょっ……怖いっすよ、厄師寺先輩」



 東側にいる厄師寺くんからの音声に、今馬くんは肩を竦める。「凶暴な顔は、侵校生に向けてほしいっす」って。悪びれた様子のない物言いに、通信機越しの厄師寺くんが「あぁ!?」って声を荒げたけれど、それを止めたのは蒼月くんだった。



「猛丸クン、今は仲間同士で揉めてる場合じゃないよ。霧が晴れただけで、まだ敵は残ってるんだ」

「……そうだね。あそこ見て。いつの間にかいるよ」



 あれって、部隊長だよね。
 部隊長。希ちゃんのその言葉に、全身が総毛立つような気持ちになる。
 校舎の東側、厄師寺くんや希ちゃん達のいる方に、その姿はあったらしい。私達のいる場所からは確認することはできないけれど、きっとその部隊長が投げる飛び道具のせいで、東側のみんなは苦戦を強いられていたんだろう。



「今はバカ同士で揉めてる場合じゃなくて、あいつらをブチ殺す方が先よ……!」

「…………」

「厄師寺、気持ちはわかるけど、今は侵校生との戦いに集中すべきだ」



 澄野くんに窘められて、厄師寺くんは舌打ちを一つした。やがて彼が口にした「仕方ねえな」って言葉に、今馬くんでなく私が安心するなんておかしな話なのかもしれない。



「ま、やると決めた以上は自分はとことんやるっすよ。――ぶっちゃけ、暴力は嫌いじゃないんすよね。特に、一方的なヤツなら大歓迎っす」

「…………」

「なんか言ったっすか? 先輩」

「な、なにも言ってないよねえ……!?」



 確かに心の中では彼の言葉に「だろうなあ」って思ったけれど、口にはしていない。「顔に出てんすよねぇ、先輩って」って吐き捨てるように言う今馬くんの顔は、だけど再び薄く紗がかかっていって、びっくりした。――霧だ。足下から立ち上る白い靄は、その濃度を徐々に濃くしていく。「えっ」って漏らした声も、全部吸い込まれていく。
 どうやら、霧を噴出させる機体は予備があったらしい。空飛ぶ機体が二体、再び近付いてくるのを霞んでいく遠景に見た。クリアだった視界が再び遮られる中で、侵校生側の物量ってどうなってるんだろう、って疑問が不意に頭をもたげる。……そもそも侵校生達は、どうしてあんな、人間の頭がこしらえたようなものを準備できるんだろう。侵校生が世界死そのものであるなら、むしろああいう機械的なものからは離れた存在なんじゃないだろうか。彼らが世界死そのもので、私達の敵が「地球」だって言うなら、あんなものを利用することなく自然現象を武器として使えるんじゃないか――。



「無理はするなよ! みんな!」



 澄野くんの号令で我に返る。
 今は、余計なことを考えている暇はない。東側には部隊長もいるのだ。厄師寺くん達のためにも、私達はあの機体を破壊しなくては。たとえキリがなかったとしても。あの機体の残基がなくなるそのときまで。
 武器を構えたとき、霧の中で「いけるよね? 妹ちゃん」って、低く、穏やかな声がして、思わず呼吸を止めた。
 今馬くんが過子ちゃんに向けたものだった。だけどその響きは、今までの彼のものとはやっぱりどこか違う気がしたのだ。



「――じゃなくて、過子」



 それを耳にしたとき、私は、自分まで沼の底から引きずり上げてもらえた気がしたんだよ、今馬くん。
 私に向けられたものでは、勿論なかった。微かに歪んでいた二人の関係に、その足下に、やわい光が伸びていた。私の目の前の永遠に閉ざされた扉の隙間から、それは同時に差し込んでいるように思えた。
 私がほしかった未来だ!
 手を繋ぎ、生きてゆくこと。認めること。私ができなかったことを過子ちゃんに、二人に全部叶えてほしかった。あなたたちに重ねていた。全部私のエゴだった。エゴだったから、ほしかった。
 突然名前を呼ばれた過子ちゃんは、「えっ?」って、戸惑いの孕んだ声を漏らした。だけどすぐに、「うん」って言ったのだ。「うん、いけるよ! 自分もみんなと一緒に戦う!」って。
 彼らのいた場所はもう霧に覆われてすっかり見えなくなってしまったけれど、それでも影を探すように、そこを見ていた。「最近ちゃんは、あの二人と仲がいいんだね? ……なんだか妬けちゃうなぁ」って面影くんにからかうように言われてしまって、つい、笑った。
 全部、全部うまくいく。この戦いが終わった後だって。きっともう、二人の行く先に障害なんかないはずだから。
 ほとんど祈るように、私の後悔ごと全部捧げるみたいに、強く思った。








 だけど、予想外のことっていうのは簡単に起きてしまうらしい。
 まさかこの後、東のみんなが戦っていた部隊長がトドメを刺されるその寸前にマスクを外し、よく分からない言語でもって泣きながら命乞いをするなんて、私は想像していなかった。
 ――「世界死そのものである」侵校生を指揮する部隊長の素顔が私達人間の造形とあまりにもそっくりだった、っていうのも。
 ううん、そっくりって言葉で形容するのは、きっと間違っている。
 そっくりなんじゃない。部隊長である「彼女」は間違いなく、私達と同じ人間だった。


PREV BACK NEXT