手を放すのだ。
 けたたましく鳴り響く警報音を聞きながら、一度だけ目を閉じた。








「――奴隷ども、揃ってるわね!?」



 作戦室に揃ったみんなをぐるりと見回して、くららちゃんは指揮官さながら口にした。
 時間は、二十三時を少し過ぎたあたり。時計を見なくてもそうとわかるのは、侵校生の襲撃を報せる警報音が鳴り響いたのが就寝のアナウンスの直後だったせいだ。



「あぁ! 奴隷じゃねーけどな!」



 くららちゃんにそう答える丸子くんの声を聞きながら、ドキドキする心臓をそっと押さえる。――戦いの前は、やっぱりまだどうしたって緊張してしまう。
 夜に侵校生が攻め込んでくるのは、初めてだった。防衛戦は朝一番がほとんどで、時々昼、っていう認識でいたから。もしかしたらこの間のもこちゃんのときみたいに何かの間違いとか警報装置の誤反応じゃないかと思ったけれど、作戦室に並んだディスプレイには大群の侵校生が押し寄せる様子が映し出されていて、ああ、覚悟を決めなきゃなんだなって、細く長い息を吐く。



「……あの兄妹が来てないのは仕方ないとして、厄師寺君もいないんだね」



 顎のあたりに指先を添えながらそう口にしたのは隣にいた面影くんだ。
 つい「今馬くん達も戦ってくれるんじゃないかな、今回は……」って口を出してしまったのは、でも、よくなかったかもしれない。面影くんは一瞬だけ目を瞠ると、「ふぅん? どうしてだい?」って私に尋ね返す。それでその場にいた全員の視線を浴びてしまって、困った。二日前の個人的なやりとりをどこまで開示していいものか、分からなかったのだ。……単純に、この場で端的に二人のことを説明できる自信がなかったっていうのもあるけれど。



「あ、えーっとね、それは、その……」

「……まあ、あの二人のことは一旦置いといていいんじゃないか? ……それより厄師寺が心配だよな。あいつ、無理して動くから傷口開いてたみたいだし」

「あ! ね、心配だよね、厄師寺くん……!」



 澄野くんが出してくれた助け船に全力で乗っからせてもらうことにして、心の中でありったけの感謝をしながら、うんうんって頷く。面影くんはそれでも、私の方にいつもの、内臓まで見透かすような視線を注いでいたけれど。
 「厄師寺、まだ動けないの?」と川奈さんは心配そうに口にする。ガタイの良さもあってか、厄師寺くんは私達の中では特に頑丈そうに見えるけれど、刺されてしまった以上そう簡単には復帰できないだろう。しかも戦いなんて、お医者さんじゃなくてもストップをかけたくなる。
 ――あの日のことを思い出すと、やっぱり呼吸が浅くなる。いくら致命傷は避けていたらしいとはいえ、今馬くんが起こしたあれは、今後の特防隊に影響を与えてしまうはずだ。
 うぅ、と私がこっそり唸ったのと、「まだちょっと厳しいんじゃ……」と蒼月くんがそう口にしたそのときだった。作戦室の扉が、勢いよく開かれたのは。



「……悪ぃ。遅くなった」



 ――今馬くんに刺された傷口を片手で押さえた厄師寺くんが、額に脂汗を浮かべながらもそこにいた。








 手を放そう。
 正しく終わりにするために。








 其処此処に広がる消えない炎の紫は、闇の中浮かぶ花みたいだった。――見惚れている余裕なんか、ちっともなかったけれど。
 侵校生は校舎の北と東から攻め込んできていて、私達は半分ずつ、二手に別れてこれを迎え撃つことになった。北側が澄野くん、蒼月くん、飴宮さん、銀崎くん。面影くんと、それから私。一方で東側が厄師寺くん、丸子くん、川奈さん、そしてくららちゃん、狂死香ちゃん、希ちゃんっていう構成だ。
 今馬くんと過子ちゃんは結局作戦室には来なかったし、眠ったままのもこちゃんも勿論戦えないから、ちょうど六人ずつ、って形だった。敵影の数は前回の戦いからさらに増えていて、「第二防衛学園がなくなったのもそうだけど、タイムリミットが近付いているからでしょうね」って校舎の東側にいるくららちゃんが言うのを、私は神妙な面持ちで聞いていた。
 ――五十五日。約束の百日目まで、あと半分もない。
 そうしたら、私達は東京団地に帰れる。地球はどうにか持ちこたえ、いつかまたこの場所で暮らせるようになる。お父さんも、お母さんも妹も、友達も、この空の下に連れ出せる。そう思うと、恐怖が立ち消える気がするのだ。
 私はもう、地球に慣れていた。色を変える空の美しさも、指で千切った雲が時々動物の形に見えるのも、頬を撫でる風の心地よさも宝石みたいに瞬く星も大好きだったから、みんなに知ってほしかった。今も東京団地で暮らす、大切な人達に。



「……やっぱ、おちおち死んでらんねーなぁ」



 通信機を通じて厄師寺くんのぼやくような声が耳に届いて、それでつい、「頑張らなきゃね」って呟いた。彼の場合、それはこの侵校生の大群を前に出た武者震いのようなものだったと思うけれど。それでも、勝たなきゃって思いは一緒だったと思うから。



「厄師寺くんは傷開いちゃうと悪いから、あんまり無理しないでね」



 言ってから、馴れ馴れしかったかもってドキドキしたけれど、杞憂だった。僅かな沈黙の後、息を吸う音がして、厄師寺くんが小さく笑った気配があったから。



「――俺の傷は心配いらねーって言ったろーが、



 作戦室で、こんなのはかすり傷だ、って言った彼の形相を覚えている。
 以前よりも気安く答えてもらえたのが、こんな時なのに嬉しかったなんて言ったら、厄師寺くんはぶっきらぼうに「なんでだよ」って言うんだろう。








 やわい日差し、染みが取れないタオルケット、半分こにしたお菓子、お前と一緒に一生とじこめていたかったありとあらゆるものたちも。
 手放すと決めたのにそれでも見ていられなくて、刀を腹に突き立てようとするお前の覚悟を何度も止めてしまうから、お前は「いい加減にして」って頬を膨らませたね。
 昔に戻ったみたいだった。
 だから小さく、「さよなら」って言ったのだ。








 暗闇の中でも、戦えないことはなかった。
 校舎の灯りで近付く敵はよく見えたし、突出しないように気をつけていればさほど苦戦することはない。侵校生の数はやっぱり多かったけれど、二方向からの攻撃である程度まとまって動いてくれている分、広範囲をまとめて攻撃できる面影くんが上手く敵を退けてくれた。
 巨大ロボに乗った銀崎くんが引きつけ、澄野くんや蒼月くんが打ちもらした侵校生を、私と飴宮さんが迎え撃つ。東側がどうなっているかは分からないけれど、応援を要請するような通信も入ってこないということは向こうは向こうで上手くやっているのだろう。
 いける、と思った。慣れない夜の戦いでも、侵校生の数が多くても、これまでの経験が全て糧になっている、って。



「ん? あれれー?」



 だから、第一波を退けたその直後、私達の守る北の方角から奇妙な空飛ぶ機械に乗った侵校生がやって来たのを「なんか、あっちに見えるよー?」って飴宮さんが見つけたとき。その両翼から噴出された白い煙のようなものが一気に学園周辺を満たして視界が遮られたとき、それはもう、物凄くびっくりしたのだ。
 真っ白なもやもやは、校舎も、侵校生も、紫色の炎も、遠景の廃墟も、みんなのことすらも、じわじわと飲み込んでしまった。視界は少しずつ遮られていく。一メートル先も見えないような中で、「な、なにこれ!?」って狼狽して、つい近くにいた誰かの腕を掴んでしまった。「やば! 陽キャの距離感ウケるんだが!」――飴宮さんだった。それでもくっついたまま怯えてしまう。化学兵器だったらどうしようって、最悪の事態が頭を掠めてしまって。



「殺れ殺れ……もう援軍が来ちゃったか。息つく暇もないとはこの事だね……」

「それよりこの煙はなんでござるかっ!?」

「あ、あの、ど、毒的なやつだったりする……!?」

「毒的なやつ……」



 口を押さえながら尋ねた私に、面影くんがちょっと困惑したように繰り返したけれど、この白い煙のおかげで近くにいるはずの彼の表情は分からない。



「これは……霧じゃないかな。微細な水滴が大気中に浮遊する自然現象で……」

「んな御託はどうでもいい! これじゃあロクに見えねーぞ!」

「もー、ただでさえ暗くて視界が悪いのに、運転できなくなっちゃうよ!」

「でも、この霧自体に害があるわけじゃないから、慌てずに対応すれば問題ないよ」

「そ、そうなんだ……!?」

「てか、いつまで怠美にくっついてるんー? 百合営業~?」

「わ、ご、ごめん飴宮さん……」



 ――空気の中の小さい水滴が浮いて、周りが白くなる現象。飴宮さんから離れてから、深く呼吸をした。正体が毒じゃなくて水って分かったら、ひんやりして気持ちいいような気もしてくるんだから、私って単純だ。
 希ちゃんが言う。



「大丈夫……わたし達ならなんとかできるよ」



 ――霧。月とか星、雷に引き続き、また知らない言葉が増えた。東京団地にはない「自然現象」のことを理解しているなんて、蒼月くんや希ちゃんはなんて博識なんだろう。尊敬の念を抱く。
 周囲は真っ白で、侵校生はおろか、みんながどこにいるのかも判然としない。敵の攻撃はきっと、思いもよらないところから飛んでくるだろう。
 それでもやるしかなかった。



「――なんとかしよう!」



 澄野くんの声にあわせて武器を構えた。濃い霧の中耳をそばだてて、神経を研ぎ澄ませて、そうしたらこんな状況でもなんとかできるって思ったのだ。本当に。








 だからもう、手を放して、おしまいにしなくては。
 お前の選んだ道を祝福しなくては。
 深く腹に突き刺した我駆力刀が、お前の血を吸うのを見ていた。終わりにしなくては、と思った。「お兄ちゃん」としてお前を守るのだと決めたこと。腕の中で丸くなっていた小さな女の子。自分らが全てを失った地獄の香りのする夜に、絶対に幸せにすると誓った。誰にも傷つけさせないと決めた。でももうおしまいだ。
 どうかお前が――過子が、光のさす方に行けますように。








 呼吸を整えながら、頭からかぶった侵校生の体液を拭う。
 致命傷になるような傷はいまのところ負ってはいなかったけれど、摩滅した神経ではいつミスをするか分からない。一瞬の判断ミスで落下するような綱の上、私達全員が、そこにいる。
 この霧が発生する直前に現れた二体の侵校生が乗っていた空飛ぶ乗り物、あれが霧の発生源なのは間違いなかった。
 霧がないうちは、まとめて一網打尽にすることはさほど難しくなかった。二方向からの攻撃だったのが功を奏したのだ。侵校生の数が多いって言っても、これなら戦える――さっきまでそう思っていたのが全部伏線とか前振りだったみたいに、この霧の中ではその全てが悪い方に作用していて、目眩がする。
 敵の数が読めない。どこにいるのかも分からない。あの二体の侵校生のおおよその位置は覚えていたけれど、溢れかえるほどの侵校生で大きく動くのもままならない。



「お互いあまり離れるな! 囲まれるぞ!」

「クソッ! 見えねー所から攻撃してきやがる! これじゃあやられる一方だぞ!」

「侵校生め……! 闇討ちとは卑怯でござるっ!」

「霧か飛び道具か……どっちでもいいから、誰かなんとかしなさいよっ!」



 どこから攻撃が来るか直前まで分からず、避けるのすら難しかった。特にくららちゃん達のいる東の方の攻撃が激しく苦戦を強いられているようで、時折聞こえる悲鳴や怒号に、こちらまで焦りを覚える。
 ――どうしよう。
 このままじゃ、身動きが取れない中少しずつ体力を削られていく一方だ。霧の発生源である北側にいる私達がなんとかしなくちゃいけないのに。だけど無理にでも動いたら囲まれる。澄野くんの言うとおり、お互い離れずに見える範囲、手の届く範囲の敵を倒すしかないんだろうか。だけどこちらに向かってくる侵校生を一体ずつ相手にしていたら、長くはもたない。
 無理をしてでも、突破するしかなかった。
 みんなの中でも身軽な私だったら、多分それができるはずだ。――たとえ最終的に侵校生に囲まれて、死んでしまうことになったとしても、少なくとも二体のうち一体は破壊できると思う。……いや、こんな戦況だ。どれだけボロボロになっても、二体とも倒すのだ。それだけでも、この死地に活路は見いだせる。
 覚悟を決めて、息を吸ってから顔をあげた。私が行くよ、って、通信機でもってみんなに伝えるために。だけど、全部飲み込んだのだ。その時、こんなところで聞くはずのない声がしたから。
 自分に任せて、って。
 視界の端で、霧を貫く赤い閃光を見た気がした。


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