「総員、起床時間だよー!」



 意識から遠く離れた向こう側で聞こえる、もう慣れてしまったその声に、じわじわと脳が起こされてゆくのを感じる。
 最終防衛学園五十三日目の朝になりました。今日も偉大な人類の為、艱難辛苦なんのその――。
 いつものSIREIさんのアナウンスに薄く目を開けて、ロールカーテンの隙間から差し込む細い光の筋が走るシーツをぼんやり眺めた。アナウンスが聞こえるのにベッドの中にいるなんて、寝坊だ。厳密に言えば寝坊ってわけでもないんだろうけれど、この時間にはとっくに色々片付けて、起床のアナウンスと同時に部屋を出ているいつもの自分を考えたら、限りなく寝坊に近い。
 いろんなことがあって、疲れたんだと思う。
 もこちゃんはまだ目覚めなくて、厄師寺くんが今馬くんに刺されてしまって、過子ちゃんの願いは叶う気配がなくて。昨日まではなんとかなるって思っていた行く先が急に細くなって、視界の端っこでただの黒い染みみたいになっている。こんな状態で、侵校生との戦いに備えろなんて言われたって難しい。もし戦いになっても、きっと集中なんかできないに決まっている。
 のそりと起き上がる。ベッドに座りながらロールカーテンを開けて、日差しを浴びる。灼かれると言うよりは、肌を柔らかく包まれているようだった。そうしながら、身支度を調えて、もこちゃんの様子を見てから、食堂に行こう、って思う。
 こわいときは一人でいるより、誰かといたほうが良いんだよ、って頭からかぶった毛布ごと私を抱きしめてくれたお母さんの言葉を、こんな時に思い出している。








「あ、!」



 澄野くんに声をかけられたのは、もこちゃんの部屋を出てから(やっぱりもこちゃんはまだ目を覚まさないらしい。体調が悪いわけではないように見えるけれど、心配だ)、校舎に続く階段に向かうため屋上を歩いていたときだった。彼もちょうど部屋から出てきたところだったらしい。「おはよう、澄野くん」って言う私に、彼は「あ、ああ、おはよう」って返してくれた。
 食堂にはいつも最後の方にやって来ることが多い澄野くんだけど、今日は特に遅いんじゃないだろうか。もたもた準備をしていたせいで部屋を出るのに時間がかかってしまった私と同じタイミングなんて、ひょっとしたら彼も寝坊したのかもしれない。
 昨日は大変だったね、私、寝坊しちゃったよ、澄野くんも? って言おうとしたまさにその時だった。なんなら「きの」まで口にしていたくらい。だけど、澄野くんの声の方が大きくて、私は自分の言葉をそのまま飲み込んでしまう。



「なあ、



 少し切迫めいた声だ。なんてことない(勿論昨日あったあれこれを思えばなんてことないなんてことはありえないんだけど)朝に聞くには、随分真に迫ったような。私よりも少し高い位置にある澄野くんの瞳を見る。光を吸った、青い目。――息継ぎのできていない宝石みたい。



「過子について、何か知ってることはないか?」



 澄野くんの眼差しは、痛いくらいに真剣だった。








 知らないか、と言われても、私は第二防衛学園からやって来た人間だ。ここに来てから、まだ十日あまり。それもつい最近まで、最終防衛学園のみんなとは仲良くなるどころの話じゃなかった。
 過子ちゃんが、本当は戦いたいって思っているってことは聞いていた。でも、昨日ああいう形で過子ちゃん本人がみんなに打ち明けた以上のことは、私は知らない。私よりも長い付き合いであるはずの澄野くんに教えられることなんか一個もないだろう。特にここ数日は、過子ちゃんもずっと今馬くんの監視下に置かれていて接する機会もなかったわけだし。
 「ごめんね、過子ちゃんのことは、あまりわかんないや」って言った私に、澄野くんは失望の色を浮かべたりはしなかった。むしろ「あー……。そうだよな。ごめん」って逆に謝ってくれて、それから、「俺、行くところがあるから先に行ってるよ」って、小走りで階段を下りて行ってしまった。多分、澄野くんは今朝はもう食堂には行かないんだろうなって思った。
 寝坊した上にそんなやりとりをしていて出遅れてしまったせいか食堂にはもう誰もいなくて、簡単に食べられるものをちょこっと摘まんでから工作技術室に顔を出した。くららちゃんと狂死香ちゃんの姿を見つけて、それでようやく、人心地ついたような気になる。「おはよ~二人とも」って手を振ったら、「おお! 殿が寝坊だなんて珍しいでござるな!」って、狂死香ちゃんに笑みを向けられた。



「ね~、なんか起きれなかった。澄野くんにも呼び止められてさ、おしゃべりしてたら遅くなっちゃって」

「ああ、澄野ね。さっきここにも来たわよ」

「え? そうなの?」



 ええ、って、くららちゃんはどうでもいいことのように緩慢に頷く。彼がここに来ることは、普段そう多くない。じゃあ、もしかして、と思ったら、本当に思った通りだった。澄野くんは二人にも過子ちゃんのことを尋ねに来たらしい。



「……それで、何か答えた?」

「ええ。戦うことを放棄して引きこもってるばかりの奴らのことなんてどうでもいいって言ったわ」

「え、でも、過子ちゃんには戦う意思はあるんだから、放棄してっていうのは違うんじゃない?」

「だから、五十日間過保護に守られてただけの子がいきなり戦場に出てきて足手まといにならないわけないでしょうが! この話さっきもしたわよ!」

「澄野殿にでござるな!」

「ご、ごめん……」



 謝ることはないのに、剣幕に押されてつい謝ってしまう。火薬の匂いの充満する工作技術室は、腰を下ろすような椅子もない。くららちゃんが何やら作業をしているのを狂死香ちゃんと二人で眺めながら、それでも頭は澄野くんのことを考えていた。
 澄野くんは、どうしていきなり過子ちゃんのことをみんなに聞いて回っているんだろう?
 澄野くんなりに、どうにかして過子ちゃんと今馬くんのことを解決しようとしているんだろうか。もしかしたら、今馬くんを説得しようと思っているのかもしれない。でも、そうだとしたらどうして過子ちゃんの情報を得る必要があるんだろう? 澄野くんは一体何をしようとしているんだろう?
 なんだか気になる。
 二人に声をかけてから、私は工作技術室を後にすることにした。だけど、半分開きかけたその扉は、光の速さで再び閉じられることになる。声をあげてしまいそうだったのをすんでの所で堪えたのは、我ながらよくやった。
 だって、本当にびっくりしたのだ。
 扉を開けたその先で、今馬くんが一人、食堂の方に向かっていったのを見たから。
 そのままたっぷり十数えてから、もう一度そっと扉を開ける。そこから顔だけを出して今馬くんが向かっていった右の方に視線をやるけれど、その姿は、もう角の向こうに消えた後だった。
 食堂の扉が開閉したことだけは、なんとなくわかった。








 今馬くんが一人でいるっていうことは、過子ちゃんも一人ってことだ。
 工作技術室を出た私は、今馬くんが行った方とは逆の廊下を走って、そのまま屋上へと続く階段を駆け上った。途中蒼月くんとぶつかりそうになって、「わー! ご、ごめんなさい!」って謝って(蒼月くんには、割と大きめの悲鳴をあげられてしまった。出会い頭だったからよっぽどびっくりさせてしまったんだと思う。申し訳ない)、最後は一段飛ばしで屋上に飛び出す。過子ちゃんの部屋は北側の端っこから二番目で、私は表札代わりのモニターをきちんと確認してから、インターフォンを押した。でも、いくら待っても中から人が動くような気配はない。ちょっと、というか、大分迷ってから、隣の今馬くんの部屋のインターフォンも押してみた。何せ、ちょっと前まで過子ちゃんは今馬くんの部屋に閉じ込められていたみたいだったから。――でも、こっちも無人らしい。しんと静まった暗い室内は、誰かが息を潜めているような気配もなかった。








 図書室に向かったのは、その後校内でばったり出会った面影くんが教えてくれたからだ。過子ちゃんだったらさっき図書室で見かけたよ、あの様子ならまだいるんじゃないかな? って。教室を虱潰しに探さないといけないかもしれない、って思っていたから、助かった。
 「ありがとう」って言ったとき、面影くんは私のことをいつもみたいにじっと見つめた。皮膚を透かして、内臓や骨、もっと内側の心の中まで丸裸にされているような視線に晒されることはまだちっとも慣れない。居心地が悪くて、つい面影くんの右目を手のひらで覆う。驚かれなかったから、もしかしたら、そういうのも全部読まれていたのかもしれない。筋肉とか目線の動きなんかで。手を下ろして面影くんの顔をじっと見て、もう一度「ありがと!」って言ってから、図書室に走った。面影くんは、でも、ちょっとだけ目を瞠らせていたような気もした。
 図書室のある二階からは、誰かの話しているような声がうっすら聞こえる。それを塗りつぶすように、私の足音は廊下に響いていた。
 ――別に、過子ちゃんに授けられるような、今馬くんを説得するためのとっておきの案とか策があるわけじゃない。
 ただ、今だったら過子ちゃんと二人になれるかも、って思っただけ。澄野くんが過子ちゃんのことを聞いてまわっていることとか、今馬くんがどうしてあんなことがあった直後で過子ちゃんを自由にさせているのかとか気になることはあったけれど、それを思考の端っこに寄せておいても、今しかないって思っただけ。
 エゴでもなんでも、私が勝手に重ねているだけだったとしても、過子ちゃんと話がしたかった。
 図書室の扉を開けた先に、果たして過子ちゃんはいた。
 奥のテーブルに座って、読んでいた本から目線をあげた過子ちゃんは、私を見て、その大きな瞳を少しだけ丸くしていた。


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