「もこちゃん、大丈夫かなぁ……」

「希がついてるんだから大丈夫でしょ。とりあえず、アンタはさっさと食べちゃいなさいよ、それ」

「……食べる……」



 くららちゃんに言われて、パスタをフォークに巻き付けるけれど、それでもやっぱり手が止まる。もこちゃんのことが、どうしても気になってしまって。
 時刻は昼過ぎ。朝の騒動で朝食を食べそびれた私達はようやく食事にありつけていた。でも、どうも食欲が湧かないみたいだ。固まりかけたクリームの重さを手に感じながら、閉じられたまま開く気配のない食堂の扉に目をやる。
 こんなに落ち着かないくらいだったら、もうちょっともこちゃんの部屋にいたら良かったかな。でもあんまり大勢でいても、もこちゃんが休めないだろう。くららちゃんが「全員で居座っても仕方ないし、一旦出るわよ」って私達に言ったのは、状況を考えたら間違いじゃない。
 それでも落ち着かない心地のまま視線を彷徨わせる。「マジで疲れた……。もー担架は勘弁してくれ!」って喚く丸子くんが、テーブルに突っ伏している。希ちゃんと澄野くんは、まだ屋上から戻ってこない。








 校庭に倒れていたもこちゃんをみんなで屋上の空き部屋に運び終えたのは、今から三十分ほど前。もこちゃんの発見から、実に数時間が経ってからのことだった。
 もこちゃんは瓦礫の中、たった一人で倒れていた。目立った外傷はなく、庇っていたように見えた左腕も折れているような形跡はなかった。面影くんが診たところ、「どうも意識を失っているだけみたいだね」らしい。きっと侵校生に捕まっていたところをどうにか逃げてきたのだろう。それで侵校生が学園に侵入しようと炎の壁に穴を開けていたところに偶然居合わせ、それを撃退して、そこから一人ここに来た。そう推測するのが自然だった。
 だってもこちゃんは世紀末破壊天女。誰よりも強い彼女なら、一人で侵校生を蹴散らすことくらい、平気でできる。私達を守ってくれたあの日みたいに。
 担架でもこちゃんを運んでもらっている間、私と川奈さんで、もこちゃんを受け入れるための部屋の準備をした。私と面影くんの部屋の間にある空き部屋だ。五十日もの間使われていなかった部屋は埃っぽくて、カーテンを開けて空気を入れ換えながら、いつかの第二防衛学園のことを思い出していた。澄野くんを助けたときも、差し込む光が照らす塵を見ていた。



「あの人が、さん達の仲間の子なんだね」



 喪白もこさん、って言うの?
 そう気遣うように言ってくれた川奈さんに何か返事をしたら、一緒に涙まで出そうな気がした。声が出せなくて頷いたら、川奈さんは「良かったね、また会えて。すごく仲の良かった子なんでしょ?」って笑ってくれるから、なんだか色んな物が込み上げてきてしまった。
 そう、川奈さん。私達、みんなもこちゃんが大好きだったんだよ。
 どれだけ探しても手掛かりは見つからなかった。もこちゃんを浚った部隊長からも情報は一つも得られなかった。諦めずにいたのは、信じていられたのは、希ちゃんがいたから。希ちゃんが絶対に諦めなかったから、今日まで頑張れた。
 窓から差し込む朝陽が、使われたことのないベッドに細長い平行四辺形を描いていた。開け放してある扉のずっと奥、校庭の方で、「重てえ!」って悲鳴ともつかない丸子くんの声が響いていて、それがやけに私の胸に柔らかい熱を与えた。








「だけど、もこちゃんはどうやって侵校生達の元から逃げてきたんだろうね?」



 隣に座っていた面影くんが、小さく首を傾げながら口にする。「侵校生に捕まっていたなら、恐らく捕虜として厳重に閉じ込められていたと思うけど。……拷問の痕もなさそうだったし、大事にされてたのかな?」って。
 拷問の痕、ってさらりと言われてぎょっとしたけれど、でも、もこちゃんに外傷がないのは間違いない。だったら面影くんの言う通り、捕虜として丁重に扱われていたのかもしれない。そう思うと、ちょっとだけ安心する。勿論、よくはないんだけど。



「恐らく、敵の不意をついたのでござろう! もこ殿の実力ならば難しいことではないでござる」

「うん、だよね! もこちゃんだったら、それくらいできそう」

「そうね。まあ、起きたら本人に直接聞いてみたら良いわよ。外傷もないんだったら、きっとすぐ目覚めるでしょうし」



 くららちゃんの言葉に、強く頷く。
 だって私達には、これからいくらでも時間がある。四十日分の空白を埋めるのに充分な時間が。私達はまた、もこちゃんと一緒に戦えるのだ。おしゃべりもできるし、希ちゃんとしたみたいにお泊まり会だってできる。そう思ったらさっきまで不安はどこかに飛んでいってしまったみたいで、もう完全にクリームが固まりきったパスタも、簡単に口に放り込めた。
 最後までもこちゃんに付き添っていた希ちゃんと澄野くんが食堂に戻ってきたのは、それから数分後。あの後目を覚ましたもこちゃんとほんの少しだけ会話ができた、って言う希ちゃんに、私達はそれはもうほっとした。わたし達の良く知る、いつものもこちゃんだったよって希ちゃんの言葉に、それだけで全てが報われた気がしたのだ。








 だけどもこちゃんは、翌朝になっても目を覚まさなかった。昏々と眠り続けているらしいのだ。一人侵校生の根城から逃げ出してきたんだし、疲れているんだろう。心配だったけれど、狭い部屋に大勢で押しかけるのも良くない。「目を覚ますまで、わたしがもこちゃんの傍についてるよ」と言ってくれた希ちゃんに任せて、私達はもこちゃんが目覚めるのを待つことにした。
 過子ちゃんと今馬くんの二人は、相変わらず食堂に現れない。蒼月くんが言うには、二人で今馬くんの部屋に閉じこもっているらしい。――過子ちゃんに関して言えば、「出して貰えない」って考えるのが妥当なんだろうけれど。
 警報から始まった昨日の騒動に気付いていないなんてことはないはずだ。もこちゃんを部屋に運び入れるときだってそう。どうしたって騒がしくなってしまったのだから。



「あいつらのことは放っておけ。心配するだけ無駄だ」



 そう厄師寺くんは言う。だけどそれで二人のことを――厳密に言えば過子ちゃんのことを――放っておくなんて、私にはできなかった。あの子の「戦いたい」って気持ちを無碍にはできなかった。昔の自分と重ねているからこそ。
 どうにかならないのかな、って考える。
 今馬くんの部屋に行ってみても、追い返されるに決まっている。一度話を聞いて貰った希ちゃんに相談しようにも、もこちゃんの看病を引き受けてくれている彼女に余計な心労はかけられなかった。行き詰まって、「うう」って声を漏らす。自分の問題が根っこにあるせいで、偏りのない立場で見られていない、エゴだって気がする、っていうのがそもそも問題で、袋小路に迷い込んでしまったような気になった。








 みんなが食事を終えた後、私は希ちゃんの分のご飯と、(面影くんに相談して)もこちゃんが眠ったままでも摂れそうな飲み物とか、柔らかいゼリーを持っていくことにした。「手伝おうか?」って言ってくれた面影くんに「ありがとう、でも大丈夫だよ」ってやんわり断って、一人、奇妙な人型の調理マシーンがご飯を作ってくれるのを眺めていた。
 調理マシーンってだけあって、料理ができる時間はあっという間だ。二人分の食事をトレイに乗せて食堂を出る。今頭の中の大きい部分を占めているものを意識的に端っこに追いやって、もこちゃんのことを考える。大丈夫かな。早く目が覚めてくれると良いな。また一緒にトレーニングがしたい。そしたら、あれから場数を踏んだ私のこと、強くなったねって褒めてくれるかな。一段一段踏みしめるように階段を上る。上から誰かが下りてくるのは、その足音でなんとなく分かっていた。でもそれが誰かとか考える空白部分は残って無くて、だから私は、踊り場部分でその人と出くわしたとき、息が止まるかと思ったのだ。
 ――それが今馬くんだったから。
 丸くなった今馬くんの目に、同じくらい目を丸くした私が映っている。ほとんどぶつかる一歩手前だったのもあって、トレイを落としかけてしまって二重に心臓が止まりそうだった。特に危なかったのが、もこちゃんの分のドリンクだ。バランスを崩したそれを倒れる寸前でどうにか留めて、思わず「わあ~……」と安堵の声を漏らしてしまう。



「ご、ごめんね今馬くん、汚れなかった?」



 そう謝罪するも、今馬くんは何も答えない。私の手の中にあった物を一瞥するとそのまま私を躱して、階下へと向かって行った。多分食堂に行こうとしているのだ。もしかしたら、自分と過子ちゃんの分の食事を、彼はこんな風に時間をずらして取りに来ていたのかもしれない。誰も会っていないって言っていたけれど、ご飯を食べないわけにはいかないんだから。



「あのっ!」



 その後ろ姿に声をかけたのは、ほとんど反射みたいなものだった。だけど彼は足を止めない。深い色の髪を揺らして、階段を下りていく。
 「妹ちゃん」に「ブチ悪影響」を与える私とは、彼自身も話をしたくないのだろう。
 分かっていたけれど、ここで引いたら、彼に何も伝えられなかったら、本当に私が今馬くんに屈することになりそうだった。そうしたら、もう二度と過子ちゃんの力になれない気がしたのだ。
 トレイを持つ手に力を加える。綺麗な人は、つむじの形まできれいだ。「ねえ」ってもう一回呼んだ。だけど今馬くんは完全に無視を決め込んで、階段を下りていく。



「今馬くん!」



 彼の姿が私の視界から消える数歩手前。
 不意に足を止めた今馬くんは、この距離でも聞こえるくらいのため息を吐いて、それから私を見た。
 長い睫毛はその目をより印象深く、強いものに見せていた。相手を怯ませるほどに整った、端正な面立ち。使い方一つでそれがある種の暴力性を伴うことを、彼自身が一番良く分かっているのだろう。今馬くんは冷めた目で私を見据える。一瞬取り込まれそうになって、自分が彼に何を訴えようとしていたのかが、消えた。その隙をつくみたいに彼は「先輩と話すこと、自分にはないんで」って、はっきりとした声で言ったのだ。「てか」って、その温度を数度低くして。



「――てか、コレ、全部エゴっすよね? あんたの」



 吐き捨てられたそれはつららみたいに、私の皮膚に突き刺さった。それは、にべもないほどの完全な拒絶だった。
 どういう言葉が、目線が、声色が人を傷つけるのかを、今馬くんは熟知している。軽蔑したように目を細められて言葉に詰まった私に、彼は今度こそ背を向けて歩き出した。今馬くんの足音が遠ざかっていくのに比例して、視線が落ちる。希ちゃんの卵サンドが、いつの間にか倒れている。もこちゃんのためのドリンク。いつか目を覚まして、一緒に戦ってくれる。
 もこちゃんが戻って来てくれて、嬉しい。
 だけどそれと同じくらい、心の端っこが痺れていた。
 泣きそうだ、って思った。


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