希ちゃんの部屋でお泊まり会をした翌朝のSIREIさんのアナウンスは、今までとちょっと違った。
今日が五十日目で、約束の百日まで折り返し地点だからって言うのもあるのだろう。私達が最終防衛学園にやって来たばかりの頃にも一度見せていたスーツ姿で画面に現れたSIREIさんは、「お祝いに中庭を開放したよ」って言った。あと、「素敵なプレゼントを直接渡したいから、食堂に集合してね」って。SIREIさんはもういないから、私達がその「素敵なプレゼント」をもらえることはないんだろう。そう思うと、ちょっと残念だ。
「プレゼントって、なんだったんだろうね」
ベッドの中で微睡みながら向かい合っていた希ちゃんが、いつもよりどこか舌足らずの甘やかな声で薄く笑う。
「ね~。気になる~……」
昨日の雨はもう遠ざかったらしい。
昨晩寄り添い合うようにベッドに潜り込んで、「かみなり」を怖がりながらもいつまでもおしゃべりをしていたのを思い出す。いろんな話をした。私達が地上に来てからの話ばかり。この学園の施設のこと。トレーニングの方法。みんなのこと。思い出したらくすぐられるような感覚になって、それで、「たのしかった、お泊まり会」って口にしたら、希ちゃんも、「わたしも。ちゃんといっぱいお話できて、うれしかったなぁ」って言ってくれて、どうしてかぱちぱち光が爆ぜたようだった。
ヘッドボード側にあるロールカーテンの隙間から細い朝陽が差し込んでいる。それに希ちゃんの髪が淡く輝いて、綺麗だ。
この日解放された中庭は丁度体育館の真上に作られる形になっていて、図書室の隣にある扉や、反対側の訓練室の横から出入りができた。
巨大な吹き抜け構造だ。三階の渡り廊下から見下ろすことができていたからその構造は何となく知っていたけれど、実際に足を踏み入れてみるとその広大さにびっくりする。荒廃した学園の外では見られないような植物と、咲き誇る花。ガラス張りの天井からは燦々と朝陽が差し込んで、緑を生き生きと輝かせている。濃い土や草いきれの香りは東京団地を出てから初めて感じるものだった。
薔薇のアーチの向こうには立派な噴水があって、そこからの水が中庭の端まで水路を伝って伸びている。「わぁ」と目を輝かせる希ちゃんは、花とか緑とか、そういうのが好きなんだろう。ガゼボにガーデンオーナメント、水の音は私のささくれ立った部分を優しく撫でてくれるのに、だけど水路を挟んで並べられた二対の檻の存在がどうしても気になる。――あんまりにも、この場に不釣り合いだったのだ。
「なんだろうこれ。飼育用の檻……かな?」
希ちゃんの言葉に、「多分……」って緩く首肯する。
黒く巨大な、鳥籠のような檻だった。猛獣が入っても余裕がありそうな大きさで、吊るされたランプには学園の周囲を囲う消えない炎が灯されている。
食堂に向かう前に、通りしな件の中庭を覗いて行こうと思ったのは私達だけじゃなかったみたいで、みんなの姿がちらほら見えた。その中で檻に興味津々だったのは、銀崎くんだ。「これくらい立派な檻なら、侵校生も飼えるかもしれませんね!」って言われて、紫色のクマがここに入っている姿を想像して、ちょっとぞっとした。「飼ってどうするの……?」って聞いたら、「お世話をしているうちに心を開いてくれるかもしれるじゃないですか!」だって。心を開いてくれたとて、じゃないだろうか。そう思ったけれど口にはしなかった。銀崎くんは生き物のお世話をするのが好きらしい。東京団地で飼っていたレオっていう名前の犬の話をする銀崎くんは、生き生きして楽しそうだった。
ある程度中庭の見学を終えた私達は、食堂へと向かった。既に食堂にいた川奈さんや厄師寺くんも、もう中庭を見に行った後だったらしい。「結構良い感じだったよね」とか、「広々してて居心地は良さそうだったなあ」って声をかけてくれる二人に、「ね! 葉っぱの匂い、めちゃくちゃ懐かしかった~」って相槌を打つ。飴宮さんはもらえる気配のないプレゼントに「くれるって言ったよね!? 嘘ついたの!? いつも嘘ばっかじゃん!」って情緒を乱され、それを蒼月くんに宥められていた。そこに狂死香ちゃんや面影くん、丸子くんも加わって、一体どんなプレゼントだったのかの予想で盛り上がる。賑やかな食堂は、本当に、学校みたいに明るい。
でもその輪の中に、過子ちゃんと今馬くんの姿はなかった。
「……今日も来てないみたいだね」
希ちゃんがこっそり私に耳打ちする。「でも、きっと大丈夫だよ。少ししたらまた来てくれると思う」元気づけるように言ってくれるその優しさが、今の私には嬉しかった。
しばらく放っておいてほしいと言っていただけあって、まだ戻ってくる気はないのだろう。希ちゃんの言う通り、残りの五十日そそうして過ごす……なんてことは流石にないだろうけれど。それでも「ブチ悪影響」を与えうる私達と過子ちゃんが、顔を合わせなくて済むように距離は取られるはずだ。私達に感化されて戦いに前向きになる過子ちゃんを、これ以上「こちら側」に行かせないために。
そう思ったら、胸がじくじくと痛んだ。
過子ちゃんを危ない目に遭わせたくない今馬くんの気持ちも分かる。だけどやっぱり、どうしたって私は過子ちゃん寄りの考えになってしまうのだ。自分がどうにもならない後悔を背負っているからこそ。
どうしたら今馬くんは過子ちゃんが戦うのを許してくれるんだろう? そんな風に考えるのも私のエゴだ。過子ちゃんの願いと今馬くんの願いは、ずっと平行線上にあって、絶対に交わることがない。
すべての人が後悔せずに生きられる道があったら良い。そんなのあるわけないって分かっていて、それでも願ってしまう。分かり合えたら、って。過子ちゃんも今馬くんも納得できる中庸があったらいいのに、って。でも、難しいよなあ。だからこの地球だって、戦争が起きて、争いあった過去があるんだから。元を正せば、だから世界死が起きて、今私達はこうして侵校生と戦っているんだし――うっかり壮大な思考の沼に沈みかけていたときだ。「みんな、ちょっといいか!?」って、澄野くんが私達の話を中断させたのは。
澄野くんの顔は、どこか切迫めいていた。聞いてほしいことがあって、って、澄野くんはそう続けたんだと思う。
「思う」、なんて曖昧な表現になったのは、それよりも大きな衝撃が私達の間に広がったから。
身体の内側を震わせる警報音が、澄野くんの言葉をかき消した。
緊急事態を報せる赤い光の明滅に、それまでの緩んだ空気が一変する。私の空想も、弾けて消える。嫌な汗がぶわっと出て、息が止まる。
「け、警報……!?」
「もう侵校生が来やがったのか!?」
空で言えるくらいに聞き慣れてしまったアナウンスは、確かに侵校生の侵入を告げていた。「マ、マジかよ……前よりだいぶスパンが短くねーか?」という丸子くんの言葉は、間違いではない。前回の戦いは六日前の、四十四日目。その前の襲撃が、私達がこの学園にやって来た二十九日目だったということを考えると、どう考えたって早すぎる。
みんなの動揺は隠しきれなかった。川奈さんは緊張で吐きかけているし、希ちゃんは突然の警報にその顔を青ざめさせている。だけど――。
「…………怯んでられないよ」
希ちゃんは眉根を寄せながらも、そう言った。真っ直ぐな声だった。
「行こう。みんなで侵校生を迎え撃とう。この学園を……守らないと」
彼女の言葉に鼓舞されるように、みんなは食堂を飛び出して行く。後を追いかけながら、過子ちゃんのことを思っていた。「戦いたい」って言った彼女の顔が、いつまでも瞼の裏に張り付いているみたいだった。
だけど、この日私達が我駆力刀を胸に突き立てることはなかった。
作戦室のモニターに、部隊長は愚か侵校生の姿も映っていなかったから。
防衛システムの誤作動でも、警報の故障でも、目に見えない(飴宮さんの言葉を借りるなら「インビジブルな」)侵校生でもない。消えない炎を越えて校舎に近付く何者かは確かに存在していて、そしてそれはきちんとカメラに収められていた。
足元をふらつかせながらこちらに近付いてくる、たった一つの人影。
川奈さんがカメラをズームさせてくれたおかげで、その姿は徐々に鮮明になる。廃墟の中を、その人影は歩いていた。瓦礫を避けて、左腕を庇うように背中を丸めて。
その人を「そう」と知ったときの衝撃を、なんて表現したら良いんだろう。
鍛え上げられた、筋肉質の身体だった。少し跳ねた三つ編みと、お腹に巻かれたチャンピオンベルト。いつも快活に笑っていたその表情は、今は俯いていてよく見えない。
だけど私は、私達は、彼女を知っていた。面影くんが息を飲む。くららちゃんが小さく、「……嘘でしょ?」って呟く。狂死香ちゃんが「え」って、空気の抜けたような声を出す。私達は知っていた。たった十日間に満たない日々だったけれど、確かに彼女と共にいたのだから。
何度も助けてもらった。一緒にトレーニングをした。くららちゃんと手合わせをしていた姿が、どんなときでもお肉を食べていたのが、昨日のことみたいに蘇る。「大丈ブイよ!」ってウインクしてくれたことも、怪我をした私を背負って帰ってくれたことも、一緒にカレーを食べたのも。希ちゃんと三人で階段を駆け下りたこと。
守ってもらったことだって。
忘れた日なんかなかった。
「……もこちゃんだ」
希ちゃんが、水分の詰まった声で呟いたのを聞いていた。
逃げてきたのだ。部隊長のところから。
そしてここまで来てくれた。
「もこちゃんが帰ってきた!」
希ちゃんが叫んだ直後、もこちゃんは足をもつれさせて倒れ込む。カメラが指していた校庭に、私達は飛び出すように向かった。真っ先に駆け出した希ちゃんの背中を追いながら、私は、自分の目の奥が熱を持っているのを自覚する。もこちゃん、って、祈るように思っている。
私達がこの戦いに身を投じてから、五十日目のことだった。あの戦いから四十日を経て、もこちゃんは、この学園に帰ってきてくれた。