「どうしたの? ちゃん」



 よっぽど酷い顔をしていたのだろうか。
 朝、部屋を出て食堂に向かうとき、丁度空き部屋を挟んで隣の部屋から出てきた面影くんに開口一番そう言われた。
 返事よりも先に反射で「おはよう」って言う。いつもより力の無いふにゃふにゃの声が出てしまって、思わず自分のことをはたきなくる。――今日は意識的にお腹に力を入れてないと駄目みたいだ。ぐって唇を噛んだら、面影くんが「見る」っていうよりは「観察する」みたいに私に視線をやったのがわかって、ちょっと恥ずかしかった。
 四十八日目の朝。過子ちゃんのことで今馬くんと険悪な雰囲気になった、翌日のことだった。



ちゃん、目の下の静脈が青黒くなってるね。……あまり眠れてない?」

「青黒……? あ、クマできてる?」

「できてるよ。ふふ、皮膚が薄いんだね。カワイイなぁ……」

「またそういうこと言う……」



 隣を歩きながら、じっと見つめられて言葉に詰まる。朝陽に照らされて滲んだ面影くんの右目は、私の言葉を待っているみたいにも見えて、どうしたらいいのかわからなくなった。
 ――面影くんに、昨日のことを相談してもいいものだろうか。
 本当はあんまり眠れていないこと。昨日作戦室であった、色々なこと。
 過子ちゃんに相談された。初めて二人っきりでいろんな話をした。「戦いたい」って言う過子ちゃんに自分を重ねてしまったこと。力になりたかったのに、今馬くんにはっきりと嫌悪の目を向けられたこと。「ウザいっすね」と私に吐き捨てた彼は、過子ちゃんの手を掴んで有無も言わさず作戦室を出て行ってしまった。過子ちゃんは私を何度も振り返って、「先輩」って弱々しい声で呼んでくれたけれど、今馬くんの手によって閉じられた作戦室の扉が開くことはなかった。
 過子ちゃん、戦いたいんだって。守られるだけは嫌なんだって。だからどうにかしてあげたいの。どうしたらいい?
 だけど自他境界のはっきりした面影くんは、彼女に肩入れする私を理解できないって言うかもしれない。
 どうしてそこまで踏み込もうとするのか聞かれれば、私は私の足を絡め取ろうとする執着や未練を打ち明けなくてはならなくなる。だけどその覚悟は、今はないのだ。……だったら最初からこのことは、私の内側に閉じ込めておくべきだ。
 目線を彷徨わせて、それから「大丈夫だよ。いっぱい寝たもん」って笑ったら、面影くんはその目をすっと細めた。



「ちゃんと寝た感じには見えないけどなぁ」



 その時少し強い、砂の混じらない風が吹いて、髪の毛が浚われた。一瞬視界が覆われて、面影くんの姿が消える。自分で払うよりも先に、彼の指が私の眉のあたりに伸びた。なんてことない仕草で髪を払われた先にある、面影くんの瞳。私の中身をすっかり晒して日の下に並べてでもいるみたいな、慎重な手つき。
 面影くんは、笑った。私の目を覗き込んで、からかいの中に少しの非難を忍ばせて。



「――嘘つき」



 何もかも知っているみたいな声で、彼は言う。
 十七年知らなかった日の光は、雲の切れ間から真っ直ぐ伸びて、ゆっくり濃淡を変えていた。離れていく面影くんの指先の温度は、いつまでも皮膚に残ったまま。
 心臓をぎゅって握られたような感覚になって、声が出なかった。堪らなくなって、唇を噛みしめて、屋上を駆けた。置いていくつもりはなかったから、五歩先くらいで立ち止まって、面影くんを待ったけど。
 面影くんは私の背に笑う。
 柔い熱が、私を包んでいる。








 その日、食堂に来た過子ちゃんと今馬くんは、互いに視線を合わせようとしなかった。誰の会話にも混ざろうとせずに押し黙ったまま、それぞれエビチリにチョコレートをかけた料理とか、お茶漬けにオーロラソースを乗せたものを食べ続けているだけだった。
 過子ちゃんのことは気になったし、過子ちゃんの方も私のことを気にしてくれていたんだと思う。面影くんと席に座っていた私と彼女は何度か目があったし、その都度申し訳なさそうに瞬きをされたから。だけど、それ以上に今馬くんから睨まれるのだ。そうなっては流石に面影くんが気付かないはずがない。



「……ちゃん、あの二人と何かあった?」



 そう聞かれてしまって、返答に窮した。嘘の吐けない私の沈黙が肯定になるのは間違いなくて、それで少し考えてから「ちょっとだけ……」ってぼそぼそ答え、背中を丸めた。銀崎くんの学生兵器であるロボットのことで盛り上がる川奈さんの明るい声だけが、救いみたいに思えた。








 はっきりと悪い方向に進んでいるなって思ったのは、その翌日だ。
 過子ちゃんと今馬くんが、食堂に現れなかったのだ。



「あの二人……今日は来ないのかな?」

「……どうなんだろうね? ちょっと呼びに行ってこようか?」

「本来パシリは下僕の仕事ですけど、ボクが尋ねると九十九さんを不快にさせてしまいますしね……」

「あ、今馬と過子なら来ないって言ってたよ」



 希ちゃん達の会話に口を挟んだのは飴宮さんだ。「しばらく放っておいてほしいってー」間延びした彼女の声は、私の硬くなった部分に薄い布を被せるだけで、動揺が顔に出てしまう。
 だって、私達が決闘を機に結束して以降、朝食の時間に全員が揃わないことはなかった。今馬くんの頑なな態度から、まだ完全に内憂が消えたわけではなかったとは言え。
 澄野くんが「オレも……それは聞いたな。ここに来る途中で今馬に言われたよ」って、困惑の抜けきっていない声で呟く。胸がざわざわする。



「放っておいってほしいって……なんで?」

「んとねー、みんなと一緒にいると、妹にブチ悪影響だからってー」

「……ぶ、ブチ悪影響……!?」



 飴宮さんの言葉につい反応してしまった。だって、思い当たるところがありすぎる!
 このタイミングでなんて、絶対そうだ。私が「ブチ悪影響」の筆頭だ。過子ちゃんにとってはそうじゃないだろうけど、今馬くんから見た私は大事な妹ちゃんを誑かす悪でしかない。
 どうしよう、私が過子ちゃんの力になろうとしたから? 思い出すのは、昨日の過子ちゃんだ。私に何か言いたそうに、彼女はその目を瞬かせていた。今馬くんの殺気に怯えて足踏みしていないで、強く出たら良かった。協力するって言ったんだから。ちゃんと話を聞いてあげて、って、言うべきだった。私のせいで、過子ちゃんは人との交流を禁止されてしまったのかもしれない。でも、じゃあ、今更どうしろって言うんだろう。



「……大丈夫? ちゃん」



 テーブルに突っ伏しかねない勢いで俯いていた私に声をかけてくれた希ちゃんに、私は憚らずに顔を歪めた。








「お、おじゃましまーす……!」

「うふふ、どうぞ、いらっしゃい」



 希ちゃんの部屋を訪れたのは、その日の夜だ。
 着替えや洗顔道具、お菓子なんかを抱えた私は、「わ~」って、希ちゃんの部屋をきょろきょろ見回してしまう。ピンクを基調とした室内はぬいぐるみや観葉植物、刺繍絵なんかが飾られていて、砂糖菓子みたいに可愛い。埃一つ落ちていない室内はモデルルームとかホテルの一室みたいで、殺風景なはずのコンテナハウスなのに、自分の部屋とは大違いだった。



「荷物は適当なところに置いてね。お茶淹れるから、座ってて?」

「わ、ありがとう、ごめんね……!」

「ううん。泊まりに来てもらえて嬉しいよ。いっぱいおしゃべりしようね」



 二人でお泊まり会をしようって話になったのは、今朝の食堂でのことだ。
 過子ちゃん達のことですっかり参ってしまった私に、事情を知らない希ちゃんは優しかった。「最近ゆっくりおしゃべりできてなかったし、良かったらお泊まり会しない?」って誘ってくれたのだ。
 断る理由なんかなくて、私はそれに大きく頷いた。気遣ってもらえたのが、嬉しかった。
 テーブルの下、カーペットの敷かれた部分に荷物を置いて、ソファに腰を下ろす。希ちゃんが淹れてくれた紅茶はベリーの香りがして、一口飲むと胸のあたりがじんわり熱を持った。「おいし~……!」って漏らした私に、希ちゃんは「おいしいよね」って、柔らかく言ってくれる。私の心の硬くなった部分を、優しく撫でるみたいに。
 私達はそれから、たくさんの話をした。くららちゃんがこの間工作技術室で侵校生を吹っ飛ばす爆弾を完成させたこと。狂死香ちゃんが火遁の術を編み出そうと特訓していること。面影くんが冷蔵庫に自作の薬を冷やしていて、それが厄師寺くんのプリンにかかってしまったこと。機械に強い川奈さんがバスの整備をしてくれていたこと。銀崎くんが校舎内の男子トイレを掃除してくれているらしいこと。飴宮さんが食べているお菓子が美味しくて、少し分けて貰ったこと。蒼月くんが洗濯物を屋上から落としていたこと。澄野くんが、私達のこと、仲間思いだって言ってくれたこと。
 最近希ちゃん、澄野くんとよく話してるよね、って言ったら、希ちゃんは「そうかなあ」って、ちょっととぼけるように首を傾げてみせた。だけど澄野くんが無理矢理希ちゃんの手をとって、全然違う人の名前を呼んだときと比べたら、二人の関係は今、充分真っ当なものに見えた。私はそれが、ちょっと嬉しかった。
 ロールカーテンの向こうは珍しく、濃い雲が間断なく敷き詰められていた。今夜は雨が降るかもしれないんだって。乾燥しきっていた第二防衛学園では雨が降ることはなかったから、何だかドキドキする。この前みんなに話したばかりの「世界死」のことが頭を過ぎるせいだろう。――数々の天変地異を起こして、地球は人類もろとも死のうとした。これから降るかもしれない「雨」とそれの明確な差が分からない私は、今日こうして希ちゃんと一緒にいられてよかったな、って考えている。



「…………なんだかここ最近は、怒濤の日々だったよね」



 軽く伸びをしながら、希ちゃんが言った。
 倒れていた澄野くんをNIGOUが見つけて、彼を保護した。目が覚めたその日に第二防衛学園が襲われて、尋常じゃない強さの部隊長から逃げるため、私達はNIGOUと学園を捨てて逃げてきた。
 私達の本当の役目は、最終防衛学園の防衛室にある「大切なもの」を守ること。
 だけど最終防衛学園のみんなとはそりが合わなくて、物凄くギスギスしていた。なるべく喋らないように、なんてことまで話し合っていたのだ。子供みたいに。それが決闘にまで発展して、もうどうしようもないところまで私達の仲は悪化していたのに、奇跡的に分かり合えた。――みんな、私達が思っていたほど悪い人じゃなかったから。



「みんなが仲良くしてくれてよかった。和気藹々と話してるのを見ると、ほっとするよ」

「うん。……そうだね」



 希ちゃんは、敢えて今馬くん達の話を私に振らないようにしているように思えた。
 本当は、話がしたかった。今馬くんが実力行使に出た以上、もう、昨日面影くんと話をしたときとは状況が違ったから。
 紅茶のカップをテーブルに置いて、「あのね」って言う。希ちゃんはたっぷり間をあけてから頷いてくれる。「過子ちゃん達のことなんだけどね」、そう続ける私に、希ちゃんの双眸は優しい。



「過子ちゃん、本当は戦いたいんだって。私達と一緒に。……でも、今馬くんはああいう人でしょう? こう、なんていうか、お互いの希望がぶつかって、だめで」



 上手く言葉にして説明できなくて、身振り手振りで話すけれど、それでもちゃんと伝わっているかは怪しい。
 どうしたらいい? どうしたら過子ちゃんの気持ちを救えると思う? 守りたいって強く思う今馬くんと、戦いたいって思う過子ちゃんの感情は、どうしたら二つとも報われるの? どうしたら誰も悲しまず、後悔せずに生きていけるの。
 ――どうしたら生きていけたの。
 胸の内側で漣のように湧き上がる疑問を言葉にした。希ちゃんは私のことをテーブルの向こう側から見つめていた。ぐちゃぐちゃの私の言葉を、希ちゃんは受け止めてくれる。静かな相槌。それだけで、もつれあった糸が解されていくような気になって、呼吸がしやすくなる。



「…………どうしたら」



 言いかけたとき、不意に、ロールカーテンの向こうが強く白んだ。
 びくりと身体が竦む。意識をそちらに向ければ、何かが窓を叩く音がしていることに気がついた。――雨? そう思った直後だ、どがん、って、何かが爆発するような音がしたのは。
 立ち上がった希ちゃんが、ロールカーテンを開けて外を確かめる。窓を殴りつける小さな水の粒の向こうで、真っ黒な空を割く光がある。明滅する。地鳴りのような音と光は間隔が近くなったり、遠ざかったりした。雨は一瞬で、バケツの水をひっくり返したみたいに強くなった。呆気にとられてしまった。「雨」って、こんななの? って。外にいるときにこんなのが空から降ってきたら、そりゃあ遭難もしちゃうかもしれない。
 びか、って空が光る。息を飲んだ私に「すごいかみなり」って、希ちゃんは呟いた。かみなり。口の中で転がしたそれは、不思議な響きを伴っている。
 暴力的な光と音に本能に近い部分で恐怖を感じて、窓の傍にいた希ちゃんに身体を寄せた。「これも世界死の影響?」って尋ねた私に、希ちゃんは緩く首を振る。「自然現象だよ」って。私は希ちゃんの知識に感服しながら、息を潜めて明滅する空を見上げる。こんな夜に一人じゃなくてよかった。そう思ったときどかんって一際強い音がして、二人でおっきい悲鳴をあげた。希ちゃんも怖かったんだ、って思ったら何だかおかしくて、雨の音を聞きながら笑う。こんなとき、もこちゃんがいたら心強いのにね。でも案外もこちゃんも怖がるかもしれないよ。そんなことを話しているうちに、不意に、希ちゃんが言った。



「救われてほしいなあ」



 今馬くんも、過子ちゃんも。なんの案もないのにこんなこと言うなんて、無責任かもしれないけれど。って。
 歌うように言う、希ちゃんのまわりをさらさら流れる空気が好きだった。
 私の拙い、とりとめのない話を真剣に聞いてくれる目が好きだった。
 希ちゃんは私の過去を知らない。私が過去に失い、置いてきたものを知らない。踏み込もうとしなかった。私がそれをさらけ出せないことを知っていたのかもしれない。どうしても手の平に乗せられない過去があることを認めていた。救われてほしい、って、祈るように、希ちゃんはもう一度言う。



「――ちゃんも」



 すべての人が後悔せずに生きられる道があったら良いのにね。
 私はそれが、希ちゃんの心から出た言葉のように思えていた。
 窓の向こうで空が割れる。希ちゃんの肌を白く照らす「かみなり」に、私は希ちゃんの目の下の静脈がうっすらと青黒くなっているのを知る。
 すべての人が後悔せずに生きられる道があったら良い。
 本当はきっと誰よりも、希ちゃん自身がそれを望んでいたんだって知るのは、ずっとあとのこと。


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