これは私達が東京団地から第二防衛学園に連れてこられたばかりの頃、NIGOUから聞いた話だ。
今から何百年も昔、人類は東京団地よりずっと広大な、「地球」という場所で暮らしていたらしい。人口は今よりずっと多くて、土地だって広かった。砂の上、氷みたいな大地の上、草原、森の中、山岳地帯、人はあちこちに住んでいた。
でも、現代の私達は「地球」って言葉くらいしか知らない。学校でも東京団地が作られる以前の歴史は教わらないし、図書館にかろうじて残っているような古い本にも詳しい話は載っていないから。
その地球っていうのは東京団地と違って、天井がなかった。この学園みたいに広い空の下、人々は雨とか風とか、暑いとか寒いとか、そういったものを感じながら生きていた。澄野くんは経験したことがあるらしいけれど(あの、彼が第二防衛学園の近くで倒れていたときだ)、私はこの空に慣れてきたとは言えまだ激しい雨風といったものがどんなものなのかは知らないから、いまいち昔の「地球人の暮らし」に思いを馳せることは難しい。でも、きっと大変だったんだろうなって思う。だって体育祭とか遠足とか、そういうのも空の具合に左右されていたってことでしょう? 楽しみにしていた日が雨とかだったら、すごくショックだ。妹だったら、多分泣く。
それで、地球には固有の意思があったらしい。
感情があった、って言い換えても良いだろう。嬉しいとか楽しいとか、悲しいとか辛いとか、私達が当たり前に持っているそれを地球も持っていた。だから地球は、人類の自分勝手な振る舞いが許せなかった。自分達の都合の良いように地球を作りかえようとしたり、地形を変えるくらい激しい戦争をする人類に怒って、異常気象を起こすという形で訴えたのだ。
暴風、極端な冷夏、地震や大雨。世界同時多発的な天変地異の異常気象。それでも人間はそれを無視して破壊を続けた。地球は最後の手段として、自分ごと人類を滅ぼそうとした――それが「世界死」だ。
その結果地球は生き物が住める環境ではなくなり、人類の大半は死滅することになる。生き残った僅かな人類は、地下に作った都市型のシェルターで、今も暮らしているのだ。かつて地球にあった大都市「東京」になぞらえて作られた、「東京団地」で。地球のことを覚えている人がいなくなるくらい長い間。東京団地の名前の由来も形骸化した中、外の世界があることすらも知らないで。
今から何百年も昔の話――だけど地球による「世界死」は、まだ終わっていない。
私達を地下に置いたまま、地球は今もゆっくりと、死に向かっている。
私達が東京団地から連れてこられて、四十六日目の朝。
お互いに協力し合って侵校生と戦おうと決めた私達がまずしなければいけなかったのは、私達第二防衛学園組がNIGOUから聞いていた「世界死」に関する情報をみんなに伝えることだった。本来だったら、この学園に来たときに話しておくべきだったこと。喧嘩みたいになって、「もう教えない」って言ったのは私達だ。子供みたいだったって、今では思う。あんな風に言い争いになって彼らを拒絶したのが、随分前のことみたい。
私達を代表して、希ちゃんが中心になって話した「世界死」の話は、彼らに衝撃を与えるには充分だったらしい。作戦室は、まるで私達全員が集まっているとは思えないくらいの静けさだった。わけがわからなかったんだと思う。私だって、NIGOUから聞いたときはそうだった。視界の端で、学園の周囲を警戒するモニターが切り替わるのが、ちかちかと瞬くように映っていた。
「う、嘘だろ……」
ぽつりと呟いたのは、丸子くんだった。
事務局も学校も、SIREIさんだって教えてくれなかった真実に、彼らは言葉を失っている。だって私達は生まれてからずっと、東京団地の外を知らなかった。みんなの周りの人達がどうだったかは知らないけれど、少なくとも私の周囲の人は外の世界のことを知りたがるような人達なんていなかったし、地球のことすらも大して知らなかったと思う。東京団地での日々を、当たり前のように過ごしていた。漫然と、何も考えず、ただ一日一日を繰り返して。地球がどうとか、世界死のこととか、一切知らないまま。普通の中高生として生きていた。
なのに、今私達は地球の――地上にいる。
世界死のせいで荒れ果てて、もはや人類が住むことができなくなった地上に。
世界死から人類を救うために。
――防衛室にあるって言う、「人類最後の希望」を守るために。
「防衛室の中に何があるかは、残念ながら教えて貰えなかったよ……。その時点では、作戦で禁じられていたらしくてね」
「でも、NIGOUは繰り返し言ってたよ……防衛室にあるのは、人類最後の希望だって。……それが何なのかはわからないけど、百日目に防衛室で何かが起きるのは間違いない……。きっとそれが世界死から人類を救ってくれるんだろうね」
そうなれば、人類はまた地上に住めるようになるんだよ。
希ちゃんが言った言葉に緩く首を傾げたのは、それまでこの話をさして興味なさそうに聞いていた今馬くんだ。「じゃあそれをジャマする侵校生ってなんなんすか?」ぱっと思いついたことを聞いてみただけ。そんな風にも見えたけど、その瞳は思慮深く、私は今馬くんが何を考えているのか分からなくなる。彼の言葉に肩を竦めたくららちゃんは、けれど何も気にしていなそうだった。
「NIGOUも詳しく知らないみたいだったけど、今の一連の話から推測するに、あいつらは世界死そのものなんでしょうね」
「世界死……そのもの?」
「あいつらは世界死を進めるために地球の意思によって生み出された存在なのよ。――だからこそ、世界死を止める手段があるこの学園を攻めてくるんじゃないの?」
納得したのかしていないのか、今馬くんは口元に指先を押し当てながら目を伏せる。
今馬くんがどう受け止めたのかは兎も角、私個人の考えとして、NIGOUの話を聞いた私達が以前結論づけたそれは、今こうしてみんなの前で改めて話しても矛盾がないように思えた。――SIREIさんもNIGOUもいなくなってしまった以上何が正しくて何が間違っているのかを知る術はもうどこにもないけれど、でもやっぱり今ある情報を整理すると、そういう答えに行き着くのだ。
「だとすると彼らは……地球の意思を遂行する為の存在……?」
「じゃあ侵校生の親玉は地球ってことか!? ラスボスは地球ってことかよ!」
「と、とんでもない話になってきたね……うっぷ……聞いてるだけで緊張しちゃうんらけど……」
「だ、大丈夫? 川奈さん……」
嘔吐いた思わず隣にいた川奈さんの背中を撫でる。「あ、ありがとうさん、うっぷ……」川奈さんは、緊張すると吐き気を催す体質らしい(昨日みんなで円陣を組んだ後、こっそり教えてもらったのだ。だから侵校生との戦いも、学生兵器であるあの車の中はものすごいことになってるんだって。……ほんとに、大変そうだ)。
蒼月くんや丸子くん、川奈さんの言葉を受けて、希ちゃんは作戦室をぐるりと見回してから、良く通る声で言う。モニターからの光を受けて、色素の薄い希ちゃんの髪はぼんやりと青白い。
「とにかく、わたし達は世界死から人類を救うために、防衛室の中の物を守らないといけないんだよ。……わたし達は全人類の希望を背負っている。だから、負ける訳にも逃げる訳にもいかないんだよ」
私達と彼らの間にあった決定的な違い。
それを埋めることは、できたのだろうか。世界死のこと、地球のこと、東京団地のこと、人類のこと。全てを守る為に私達が戦わなくてはいけないこと。その覚悟を背負っていたからこそ、みんなと対立したこと。
わかってもらえるか心配だった。それでも洗脳だって言われたらどうしよう、って思った。緊張で汗がじんわりと滲んだけれど、でも、全部杞憂だったのだ。
「……これでようやくボク達にもわかってきたね。この戦いの意味や意義がさ」
蒼月くんの静かな声が、正しく私の耳を震わせたから。
澄野くんが彼に頷く。「あぁ、本当に……ようやくだけど」、実感を伴った言葉だった。胸を揺さぶられた気がした。
目を丸くしたまま、思わずみんなの顔を見る。
「へっ、いいじゃねーか。オレは俄然やる気になってきたぜ。人助けどころか人類助けだもんなぁ!」って、厄師寺くんが笑う。丸子くんは半ば自暴自棄みたいな言い方で「帰ったら……ヒーローになれるんだよな? 莫大な報奨金とか貰えんだよな? 人類を救う任務なんだから、それくらいしてもらわねーと割に合わねーぞ!」って叫んで、「ホント、思った以上におおごとだけど……まぁ、今までの何もわからない状況よりはマシかな」って、隣の川奈さんが肩を竦める。銀崎くんもこれまでの彼なんかどこにもいないみたいに拳を握りしめて「僕みたいな人間の形したゴミには責任重大過ぎですけど、やるしかありませんね」って決意を固めて、蒼月くんは「うん……みんなと一緒なら怖くないよ。みんなで一緒に人類を『世界死』から救おう」って、自身の胸に手を当てている。飴宮さんは壮大な話についていけなかったのか、目をぐるぐるさせていたけれど。
それでも分かってもらえたのだ。
その事実に感極まって、胸の奥が熱を持つ。緊張していた部分が弛緩して、涙腺ごと溶けていきそうになる。
息を吸ったら、変な音がした。面影くんと目が合って、薄く笑われた。泣いてなんかいないとは思うけれど、怖くて確かめられなかった。視界が滲む前に、目をぎゅうって閉じる。
どうしてこんな任務をただの学生である私達が任されたのかとか、私達全員が東京団地のとある病院にいて何かの実験を受けていたらしいってこととか、分からないことはまだたくさんある。だけど、バラバラだった私達がこうして団結できたのなら、今はもう、それでいい気がするのだ。
みんなの気持ちが一つになれたなら、それで。
多分、みんなもそうだったんだと思う。川奈さんに「ね、さん」って親しげに微笑んでもらえた。一歩も二歩も前に進んだ気がした。よかった、って思った。少なくとも、彼女にこんな風に接してもらえるだけでも、良かったって。
「――で、テメーら兄妹はどうすんだ? 今の話を聞いてもまだ戦わねーつもりか?」
だから、厄師寺くんの硬い声に緩んでいた意識ごと引っぱたかれた気がしたのだ。
なにもかも丸く収まってめでたしめでたし、なんてことは、ない。忘れていたわけではなかった。私の意識の端に、いつも二人は綺麗に引っかかっていたから。でも、ここまで来てどうしたらこの二人が「みんな」と同じ枠の中に入れるのか、私にはちっともわからなかった。
今馬くんと過子ちゃんが。
「――え? 自分らっすか?」
私達と彼らの間に、彼は線を引く。
今馬くんは過子ちゃんを守るみたいに、いつも彼女の半歩前にいる。
モニターの灯りに照らされた部屋は水槽のように青かった。その色に、無意識に目を閉じる。カーテンの引かれた美しい部屋は、どれだけ私から切り離そうとしても、ずっとそこにある。眠れば朝がくるみたいに、当たり前に。
私はそれが、恐ろしい。