もこちゃんの手掛かりは、結局一つも得られなかった。
もこちゃんがどこに連れて行かれたのかも、今どこで何をしているのかも、何一つ分からなかったのだ。――私達と部隊長では、言葉が通じなかったから。
私達の必死の猛攻を受け、戦闘体を維持できず人型に戻った部隊長は、「もこちゃんをどうしたの!? あなたが浚った、わたし達の仲間だよ!」って言う希ちゃんの必死の問いかけに、何の反応も示さなかった。狂死香ちゃんやくららちゃんの脅しにも無言を貫き、ただ、地面に横たわったまま手足を丸め、薄いお腹で喘ぐような呼吸をしていた。
「……答えてよ! もこちゃんをどこに連れて行ったの!?」
もこちゃんを浚った張本人が目の前にいるのに、私達は何も聞き出せない。
動物の頭蓋骨を模したような部隊長の頭は、角の一部が折れ、欠損していた。ひゅうひゅうという呼吸音が人間のもののようだった。言葉が通じないなら、何かその手で訴えてほしかった。だけど死にかけの部隊長は指の一本すらも動かさない。血と砂に塗れて、その影を小さくするだけ。
「お願いだから……答えてってば……!」
希ちゃん、って呼びかけたくても声が出なくて、ただ、丸まった彼女の背を撫でていた。一緒に泣くことしかできなかった。自分が今、底の見えない穴の淵に爪先をかけているような気がした。手を伸ばしていた光が、突然奪われて消えてしまったようだった。だって、掴めたと思ったのに。やっと。
なのに、すり抜けてしまった。
「……そろそろトドメを刺した方がいいんじゃねーのか?」、遠慮がちにそう口にした厄師寺くんに、希ちゃんは鼻を啜って、やがて緩く首肯する。
トドメを刺すために振り上げられた我駆力刀を、部隊長はじっと見ていた。死を前にした草食動物の瞳のように、そこに埋まった赤は寡黙だった。
私の部屋のインターフォンが鳴ったのは、夜。戦いを終えて作戦室でみんなで話をしていた中で、緊張の糸が切れて倒れてしまった銀崎くんを男の子たちが彼の部屋に運び終えた、その後のことだ。
外はすっかり暗くなっていて、もう少しで就寝時間を報せるアナウンスが流れるような時間帯だった。朝からの戦いで疲弊していた私はシャワーを浴びた後の髪を乾かしていたところで、ドライヤーに紛れて聞こえたそれに、慌てて立ち上がる。
「はーい」
こんな時間に部屋にやって来るってことは、くららちゃんか狂死香ちゃんだろうか。希ちゃん、ってことも考えられる。もこちゃんのことで何か話がしたいのかもしれない。何も情報を得られなかった私達は、また振り出しに戻ってしまったことになるから。一人でいるのが、苦しいのかも。そう思ったら、居ても立ってもいられなかった。
そんな風に気が急いたまま、外の人を確かめることなく軽々に扉を開けてしまったものだから、そこに立っていた人物を見てぎょっとしたのだ。
左目を隠す眼帯、耳朶を飾る重たいピアス。淡く光る月を背に私の足まで伸びる、見慣れた形の影。鼻先の距離で開けられた扉に、彼自身も、微かに目を見開いている。
「……面影くん」
私の吐き出した息とも声ともつかない言葉に、「殺ぁ、ちゃん。今、いいかな?」って、彼は首を傾げて笑った。
「わ~……」
夜の生物薬品室って、普段に輪を掛けて不気味だ。
ホルマリン漬けにされた何かの脳はぼんやりとしたネオンライトに浮かび上がって、人体模型は今にも動き出しそうなほど生々しい質感を放っている。ずらりと並んだ薬品はラベルに何が書いてあるのかも判然としないし、瓶に詰められた目玉はそれを隠す瞼を失ったまま、部屋のあちこちを漫然と眺めているみたい。それらに薄く膜を張るような、甘い薬のにおい。
――ちょっとこわいかも。
一人だったら長居したくない場所だな。ぼんやりと考えながら手をつきそうになった台はテーブルではなく手術台で、悲鳴をあげてしまいそうになった。以前この部屋の前で聞いてしまった「人体改造」という面影くんの言葉を思い出して、背筋が凍ったのだ。
「適当に座って?」
「ひゃいっ」
生物薬品室の扉を閉めた面影くんに背後から声をかけられて、思わず飛び上がる。
適当に座って、だって。まるで自分の部屋みたいに言うのが、面影くんらしい。この状況だとあんまり笑えないけれど。
なるべく手術台から遠いスツールを選んでおずおずと腰を下ろす。私のバレバレの警戒心を前に、薬品棚を物色する面影くんは小さく笑った。いつもの、彼がよく私に見せてくれる笑顔だった。
「……ここでそんなに警戒するくらいだったら、部屋の扉を開ける時ももっと慎重になるべきじゃない? ……私だったから良かったけどさ」
「さ、さっきはくららちゃんか狂死香ちゃんだと思ったの……!」
「へぇ? ………………不用心」
「……!」
窘めるのと独り言の中間くらいの声色で発せられたそれにドキッとしたのは私だけで、彼は不意に私の座るスツールの前に屈んだ。「みせて」って言われて、何のことかわからなくて、どぎまぎしながら、「え?」って首を傾げてしまう。
「手だよ。……ちゃん、さっきの戦いで怪我したよね」
「えっ!」
「いくら治りがはやいって言っても、治療した方がいいよ。痕になるのも嫌でしょ?」
「え、えー……!?」
なんでわかるの、とか、よく気付いたね、とか。喉元あたりまで出かかった言葉は、だけどちゃんと形にはならなかった。面影くんが、皮膚がずる剥けになった私の手の平を何の逡巡もなく取ったから。ちょっと強引な仕草に、心臓が鳴る。面影くんは、このためにわざわざ私のことを呼び出したのだ。戦いの後で、疲れているのに。その気遣いをありがたく感じながらも、薬品の入った瓶の口を開けながら患部に視線を落とす面影くんのつむじとか伏せられた睫毛の鮮明さに、近いな、って思う。距離を取ろうにも、彼に手を掴まれていて動けない。
「ちょっと痛いよ?」って言われた後、手の平にひやりとした感覚と鋭い痛みが走る。「い」って声が漏れて、膝が反射でぴょんって浮いた。面影くんの着ていた着物の、重力でたわんだ部分に腿が触れる。それにどきっとしたのは、だけど私だけみたいだった。面影くんは「あはぁ……ちゃんの擦過傷、イイなぁ……カワイイ色で、興奮しちゃうよぉ……!」って、全然別の部分に気を取られていたから。
カワイイとか、興奮するとか、私の怪我じゃなくても面影くんは同じ事を言う。分かっているから、いちいち反応したりしない。ただ、皮膚から伝わる彼の熱に、緊張するだけ。混じり合った鼓動の音に、勘違いしてしまいそうになるだけ。
「…………」
借りてきた猫のように、じっと息を潜めていた。薬品の匂いの充満する室内は私と面影くんの二人分の呼吸音が微かに響いていて、手の平の感触だけが鮮明だった。どれくらい時間が経ったのか、消毒を終えたらしい面影くんが、「だけど、やっぱり不思議だね」って、掠れる声で言う。こぽこぽ、こぽこぽ、どこからか聞こえる水音が、私達の隙間に落ちていく。
「ちゃんの怪我、やっぱりもうだいぶ良くなってる。常人の五倍くらいの回復速度だ。個々人の我駆力の差なのかな? 銀崎君も興味深い体質だったけど、ちゃんも同じくらい特異な体質だよね」
「そ、そうかな。私より銀崎くんの方が特殊じゃない……?」
「私からしたら二人とも惹かれるよ? どう? 一度私に身体を預けてみない? 解剖には自信があるんだけど……」
「やだ……!」
「ふふ、残念だなぁ……」
でも、実際銀崎くんは本当に不思議な体質だ。「地獄の」という形容詞がつくとは言え、短時間のトレーニングであそこまで身体が肥大化するなんて(しかも、戦いが終わった後は元のサイズに戻っていた。「急激にパンプアップしたせいか、休んだらみるみる萎んでしまったみたいです」だそうだ。そんなこと、普通に考えたら絶対ないのに)。打たれ強くて、一方で人を攻撃することができない。暴力を振るってしまったその瞬間、泡を吹いて倒れてしまう。
私達を洗脳から救ってくれたのは、銀崎くんだったらしい。
戦いが終わって、澄野くんから聞いた。部隊長の、私達を操る矢を彼はあの学生兵器に乗って無力化してくれたんだって。隙をついて反撃して、部隊長を気絶させたおかげで私達は我に返ることができて、防衛バリアも破壊される寸前のところで踏みとどまった。
――危ないところだったのだ。
戦いの後作戦室で、お礼と、これまでのことを謝罪するために頭を下げた私達に、けれど銀崎くんは優しかった。緩く首を振って、「むしろ、弱虫の僕に誰かの役に立てるきっかけを与えてくれて、ありがとうございます」って言って、私達のことを許してくれた。私達の間にこびりつく蟠りを、全て洗い流すように。
面影くんの指が、器用に私の手に包帯を巻いていくのを見ている。きちんと形を整えられた少し長めの爪は、私の肌を傷つけないような慎重さを持っていた。そうしていると、今日の戦いやこれまでの日々の中でささくれだってしまった部分まで一緒に包まれていくような気になる。
「……ありがとう」
「ふふ、まだ終わってないけど」
「うん、でも、ありがとう」
こんな風に大事にしてもらえて、嬉しい。そう呟いた私に、面影くんは、少し間を開けてから、「うん」って言う。うん。たった一言が私達の間をぬるい温度を伴って滑り落ちていく。頬を撫でてもらえたみたいで、泣きたくなる。
面影くんに話したいいろんなことが、浮かんでは消えて行った。どこにもいないもこちゃんのこと。私達を助けてくれた銀崎くんのこと。全部を背負った希ちゃんのこと。洪水みたいに溢れかえるそれは全て私の感情を濃く伴っていて、口にしたら、それを全部面影くんにも背負わせてしまうような気がして、できなかった。そんな中で、形を成さないぐちゃぐちゃの何かが落ちている。
ねえ、面影くん、部隊長に洗脳されたとき、お腹の底に手を突っ込まれてぐちゃぐちゃに掻き回されたみたいじゃなかった?
瞼の裏に張り付いた光景を遠くに押し込みたくて、目を閉じた。言えるわけなかった。抗えない圧倒的なものの前に息をひそめていた私達。あの日何か一つでも間違えていたら、って、私は今も思っている。
包帯を結び終えた面影くんが何かを考え込む様に私の顔を見ていたことなんて、知らない。