もこちゃんを連れ去った部隊長は、校舎北にある寂れたサッカーコート付近を浮遊していた。
その周囲に他の侵校生がいないのは、澄野くん達が引きつけてくれているおかげだろう。息を殺して相手の様子を窺いながら、彼らに感謝する。私達の盾になってくれた澄野くんにも、我儘を許してくれたみんなにも、ありがとう、って思う。おかげで今、私達はこんなにももこちゃんを奪った敵に近い場所にいる。
孤立した部隊長は何かを探しているようにも見えたし、私達には分からない信号か何かを発して侵校生達に指揮をしているようにも見えた。どちらにしても、無防備だ。――今しかなかった。
直前に立てた作戦を頭の中で反芻させながら、みんなと視線を合わせる。希ちゃんの、くららちゃんの、狂死香ちゃんの、面影くんの瞳の中には、お互いがいる。ここにもこちゃんがいないなんて何かの間違いだって思った。だって、一緒にいたのだ、私達は。だから決着をつけたかった。もこちゃんを取り戻せる可能性が万に一つでもあるなら、それに全てを懸けたかった。
そしたら、今度は私達がもこちゃんを守るから。
「――行こう、みんな!」
希ちゃんの言葉を合図に、私達は一斉に校舎裏の木陰から駆け出した。
瓦礫に躓かないよう荒れた芝生のサッカーコートを今度は全力で駆け抜けながら、部隊長を一点に見つめる。落ち着いて。逸らないで。さっきくららちゃんと面影くんに言われた言葉を頭の中で繰り返し、退路を断つように部隊長の背後に回った。少し遅れて校舎を背にした狂死香ちゃんが、部隊長を私と挟み込む形で刀に手を添える。学生兵器でありながら空も飛べるスコップに横座りをして空から部隊長に近づいたくららちゃんは悠然と地に足をつけ、面影くんは伸縮する腕のリーチ分距離を取る形で、部隊長を取り囲む。希ちゃんは、回復と身を守るのに専念してもらうため、少し離れたところで銃を構えた。
「――もこちゃんはどこ!?」
希ちゃんに千切れそうな声に、くるくると宙を回転する部隊長は、そこに幾つも並ぶ眼球のようなものを、赤く光らせていた。
狂死香ちゃんの刀が部隊長を切り裂く。
反動でふわりと浮いたその身体に、くららちゃんのスコップが真上から叩きつけられる。地面を蹴って落下地点に向かい、ナイフを構えて懐に潜り込み切りつけるけど、浅い。「面影くん!」と叫んだ私に応えるように、彼の伸縮した腕が持つ武器がその勢いで以て部隊長に空いた穴の一つに突き立てられる。
私達四人の攻撃のタイミングがズレたり一瞬でも隙が出来てしまったときは、離れた位置にいつ希ちゃんが銃弾を放つことで私達は連携を取っていた。相手の出方が分からない以上、攻撃を畳みかけることが身を守る方法にも繋がると思ったのだ。今のところ、作戦は上手くいっている、と思う。部隊長は反撃もできないまま、私達の攻撃を受けているだけだったから。――なんだか、大きさとか形も含めて、趣味の悪い壺みたいだ。戦いのさなか、そんなことを考える余裕さえあったのだ。
「でも、結構頑丈ね……! 腹立つわ……!」
「うーん……だいぶ削ってはいるとは思うけど……。いっそ物理的にも削っちゃいたいなぁ……削ぎ落とす場所、ないかなぁ……」
「だが、動きは大分鈍くなっていると聖十文字刀も申しておる!」
「うん、私も、もうちょっとだと思う……!」
ナイフを持ち替えて、握りしめすぎて熱を帯びてきた手の平を開いたり閉じたりする。
攻撃を始めてどれくらい経ったかは判然としないけれど、狂死香ちゃんの言う通り、部隊長の動きが緩慢になっているのは確かだ。着実に追い詰めている。疑いようのないその事実に、身体の芯が熱くなる。私達は、もこちゃんを連れ去った宿敵とも言える部隊長相手に渡り合えるくらい強くなったんだ、って。もうちょっとで、決着がつく、って。
だけど私達がこうして有利に事を運べているということは、その分澄野くん達に皺寄せが行っているってことだ。第二防衛学園がなくなった今、侵校生達の攻撃はこの最終防衛学園に集中している。私達の方に侵校生の大群が流れこんでこないところを見ると、彼らがその全てを引き受けてくれているのだろう。
大丈夫だろうか。
私と同じことを思ったらしい希ちゃんが、澄野くん達に通信を繋げた。「……みんな、そっちは大丈夫!?」希ちゃんの問いかけに応じたのは、丸子くんだ。わーっと通信機越しに叫ばれて、つい首を傾ける。
「テメーらのせいで大忙しだっつーの! 心配なら、さっさと戻って来いよ!」
「わー、ご、ごめんね……。みんなのおかげで助かってます、ありがとう……!」
「いいわよ、礼なんて言わなくて。そもそもこっちはアンタ達の心配じゃなくて、学園の心配をしてんのよ……。ところで、アンタって誰? 喋るボロ雑巾?」
「誰か、そいつのマスクを剥いでくれぇ!」
丸子くんがくららちゃんにそう叫んだときだ。部隊長の漫然とした回転が不意に止まったのは。
それに気を取られて攻撃の手を止めてしまったのは、だけど私だけだったらしい。「今のところ、こっちは大丈夫だ。そっちはどうだ?」澄野くんの音声に混じるように、狂死香ちゃんの鋭い一閃が部隊長を切り裂く。瞬きのうちの、一瞬だった。私の攻撃の何倍もの力が加わっているだろうその刀傷は、深い。
その斬撃に身を委ねでもしたかのように、部隊長は地面に転がり落ちた。糸が切れたみたいに。顔面がいくつも並んでいるように見える、その目と思しき部分が、赤く、緩く点滅を繰り返している。
「……や、やった?」
窺うように覗き込めば、「う、う」って、やわらかい女性のそれに似た、声とも音ともつかないものが響いていて、つい身構えてしまう。――まだ、死んではいないのだ。希ちゃんを除いた四人で、部隊長を取り囲む。こうして見ると、やっぱり今までの部隊長と比べても物凄く小さい。
「……ようやくあいつを追い詰めたところ」
こちらの様子を慎重に窺いながら、希ちゃんは、澄野くんにそう言った。
これまで部隊長にトドメを刺すところを見たのは、二回。その二回とも人型の状態でだったから、異形を保ったままのこの部隊長はまだ辛うじて戦うだけの力が残っているってことなのだろう。――ここで、四人で滅多刺しにでもすればこの部隊長は人型になるのだろうか? 緊張から来る動悸と微かな吐き気の中で、学生兵器に触れる。「もうすぐ決着をつけられると思うから」、希ちゃんの声が、耳を撫でるように響いている。「もう少しだけ待って」、やっと終わる。
でも、あのもこちゃんを浚った部隊長なのに、こんなに簡単に終わるのかな?
脳裏を過ぎったその瞬間、部隊長の赤い目が私を捉えていた。
「え」
首の辺りを引っ張られた気がしたのと、自分に噴射された赤い矢のようなものを見たのは、ほとんど同時だった。
もしもあの日に戻れたら。
祈りとも呪いともつかない思いを抱えて生きていた。私にとってあなたは光。薄暗い部屋の中で毛布を被って息を殺していても、あなたがいれば平気だった。
「オレがを守るよ」とあなたは言う。私達を脅かす怪獣から、あなたはいつも私を守る盾になる。世界中の美しい物を集めて並べた部屋と、宝石やチョコレートや、真っ赤な薔薇みたいな、ただしくて寂しい人。いつもあまいにおいがしていた。毛布を被っている間だけでも透明になれたらよかった。そうしたら、私、全部しらないふりをして、こっそりナイフをもったはずだった。あなたがいなくなったりしないように。たちきられないように。
だから、私は、もしもあの日に戻れたら、ううん、たとえあの日じゃなくっても、ナイフをとりにはしるよ。それであなたに、もういいよ、って言うんだ。もういいよ、私のことなんか守らなくて、って。もういいから。蓋の開かないピアノ。金切り声と破片。カーテンは開けちゃだめだった。青い部屋だった。二人で逃げよう、こんどこそ。
こんどこそ、こんどこそ、こんどこそ。
それでいっしょにいよう。
私、ほんとは花火が見たかったの。
そういったら、今も隣にいてくれた?
ナイフを振り下ろしていた。何度も、何度も。何度も何度も何度も。自分がどこにいるかもわからずに。
頭の中がぐるぐるして、気持ち悪かった。早く殺さなきゃ、って思った。早く、早く、って。そうしないとあの人が死んじゃうって。本当にはできなかったことを叶えるみたいに。
耳の奥で酷い音がしていた。誰の声も届かなかった。ずっと深い海の底に無理矢理押し込められているみたいで、息もまともにできなかった。
だけど、乱暴にスイッチが入れられでもしたみたいに、私に五感が戻ったのだ。
「え? あれ……?」
希ちゃんの声だ。
意識を引き摺り戻される。身体がふらふらして、頭が痛い。一瞬自分が何をしていたのか、どこにいるのか分からなくなる。青い部屋。だと思った。甘い匂い。鳴らないピアノ。私を取り巻くつめたくてうつくしいものたち。だけど、私は今外に居た。家の外でもない、東京団地の、ずっと外。
あれ?
「な、何っ!? 何が起きたのっ!?」
混乱するくららちゃんの声に、周囲を見回す。
私達が立っているのは、最終防衛学園の校舎の外だった。消えない炎と、廃墟。本物の太陽が私達に影を作っていた。それで、ああ、侵校生が攻めてきたんだって、ぼんやり思い出す。もこちゃんを浚った部隊長の姿を見つけて、澄野くん達にお願いして、五人であの部隊長の元に行ったのだ。でも、今私達がいるのはところどころ剥げかけた人工芝じゃない。
乾いた地面、消えない炎は遠く、私の目の前にはボロボロになったバリア生成装置があった。それから、玄関ホールへと続く頑丈な扉も。
「……良かった、正気に戻ったか……!」
澄野くんの声に彼を見た。――助けに来てくれたのだろうか。そう思ったけれど、違う、校舎の北側にいた私達が、反対側のこっちに、いつの間にかいたのだ。じんじんと痛む手の平を見たら、手袋がすりむけて、肌が露出していた。べろりと剥けた皮に息を飲む。どれだけ強く学生兵器を握って、どれだけ硬いものを切りつけたら、こんな風に皮膚がずるむけになるんだろう。
その答えを教えてくれたのは、丸子くんだった。
「ったくよお! なーに洗脳されてんだオメーらは! オメーらのせいでバリアがぶっ壊れるとこだったんだぞ!?」
「え、せ、洗脳……?」
「わ、わたし達……もしかして操られてたの?」
「そう言ってんだろーが!」
その言葉に青ざめた狂死香ちゃんが懐から我駆力刀を取り出して切腹しようとしたのを、「ちょっ! なにやってんの!?」って川奈さんが身体を張って止めるのが視界の隅っこで見えた。一緒に止めたかったけれど、私の身体は、そんなに上手くは動かない。鉛みたいだった。悪夢に魘されて目を覚ましたときの気怠さに、良く似ていた。
あやつられていた。せんのう。口の中で繰り返そうとするけれど、舌が絡まる。そういえば、地面に落下した部隊長をみんなで取り囲んだ直後、物凄い量の矢のようなものを浴びせられた気がする。面影くんが庇ってくれたけれど、だめだった。何せその矢は、雨みたいな量だったものだから。その後のことは、記憶が滲んで、溶けている。
それでもどうにか記憶を探るように目を細めた時だ。「ぬなな~!?」って言う、飴宮さんの驚いたような声が響いたのは。
私達を操っていたっていうあの部隊長は、まだ生きていた。恐らく、一度は澄野くん達の手によって気絶させられていたのだろう。意識を取り戻したそれは、今、姿を変えようとしている。
浮遊する身体から伸びた幾本もの触手のようなものが地面に突き立てられた。薔薇の蔓を束ねたようなそれは、きっとあいつにとっての足代わりなのだろう。グラウンドの乾いた土を抉りながら進むそれは、私達がさっきまで戦っていた部隊長とはまるっきり別の、悍ましい生き物に見えたのだ。
「うおおおっ!? な、なんだよ! 第二形態まであんのかよぉ!」
「しかも、援軍まで来やがった。呑気に話してるヒマはねーみてーだぞ」
厄師寺くんの言葉に、ナイフを構える。彼の言う通り、もこちゃんがいなくなったあの日を上回るだけの数の侵校生が、こちらに向かってきている。
――正直、まだ本調子じゃない。
眩暈がするし、視界は緩く点滅している。鈍く痛む頭は少し動かしただけで吐きそうになるし、こんな手じゃ、ナイフを握るのも一苦労だ。もしまた部隊長のあの矢を浴びてしまったら、と思うと、身が竦む。これ以上、みんなに迷惑はかけられない。
「大丈夫です、皆さん!」
だけど不意に頭上から振ってきた聞き覚えのある声に、顔を上げた。それで、息を飲んだのだ。
「――僕が皆さんをお守りします! 汚ねぇ花火にでも、なんにでもなります!」
戦隊もののアニメに出てくるような巨大なロボットが、そこにいたから。
どうして今まで気がつかなかったのか不思議なくらいの存在感だった。青い空に浮かび上がるみたいに立つその巨体。もしもその声が聞き覚えのあるものでなかったら、私はあれを敵か味方か判別できなかっただろう。だけど、違う。あれは、学生兵器だ。私はあの声の主を知っている。半開きになった唇で、彼を呼ぶ。
「――銀崎くん?」
私達が洗脳されている間に、一体何があったんだろう。
気が弱くて、自分には無理だって戦いから逃げ続けていた銀崎くんが、戦場にいる。しかもあんなロボットに乗って、戦っているのだ。くららちゃんが、「なによ」って呟いた。「なによ、銀崎。……戦えるんじゃない」、って。
それに泣きたくなったなんて、おかしいかな。
敵に操られていた私達は、澄野くん達にものすごく迷惑をかけただろう。私達の手で破壊されかけた防衛バリアはギリギリの状態で持ちこたえていて、私達自身もボロボロ。部隊長を倒すどころか罠にはまってしまうなんて、丸子くんが怒るのも無理はない。
でも、助けてくれた。
私達は、仲間なんだ、って思った。
「……殺れ殺れ、だね」
吐息混じりの笑みを漏らした面影くんも、多分同じことを思っている。
「……ここが正念場だ。今度こそ、みんなで力を合わせるぞ」
澄野くんの言葉に頷いた。強く。あの日の私が持てなかったナイフを片手に。
「いくぞ……! みんなでこの学園を守るんだ……!」
私達は五人だけの特防隊じゃない。
だったら、もう、何者にも負けない気がしたのだ。
「――寒」
澄野先輩の言葉に嘲るように、半分笑いながら口にしたそれは、作戦室の空気ににじんで消えて行く。
勿論、先輩方には負けられちゃ困る。だから、第二の人達が洗脳されたときはどうしたもんかと思ったけれど、それまでこの部屋の隅っこで我駆力刀を構えては下ろし、構えては下ろしで幾つもの躊躇い傷を腹に作ってた銀崎先輩が覚悟を決めてくれたから、助かった。あの人の学生兵器(あんなロボ、めちゃくちゃっすね)があったから、どうにか持ちこたえられたようなものだった。
部隊長が第二形態になったとは言え、でもまあ、第二の人らも正気になったっぽいし、負けることはもうないだろう。だったらこんなところでいつまでも戦いの行く末を見ている必要はない。さっさと部屋に戻って、妹ちゃんに膝枕でもしてもらうに限る。
「妹ちゃん。もうどうせ勝つし、そろそろ部屋に戻ろ……」
でも、妹ちゃんの目は、自分じゃなくてモニターに釘付けだった。
睫毛の多い、大きな瞳。見開かれたそれはきらきら輝いていて、自分の声なんか届いていないらしい。「わぁ、すごい、すごい……っ!」愛らしい妹ちゃんの声が、ぽんぽん弾けて、あちこちに漂い続けている。「銀崎先輩、すごいなぁっ……! 凶鳥先輩も、かっこいい……!」薄暗い作戦室。小さな箱に閉じ込められたみたいに、自分達は二人きり。
水槽だ。
「――妹ちゃん」
意図してそうしたつもりはなかったけれど、出した声は低く掠れていた。
妹ちゃんは、はっと目を見開いて自分を見る。微かに怯えを孕んだ目だった。――怖がられたいわけじゃ、ないんだけど。だけど妹ちゃんを守る為だったら、いつまでも妹ちゃんが水槽の中の金魚でいてくれるんなら、自分はそれでも構わない。
「おいで」
差し出した手を、妹ちゃんは取ってくれる。数秒の逡巡ののちに。
そのとき妹ちゃんの目にあのきらきらが一片もないのを、自分は見ないふりをしている。もう、ずっと。