侵校生の侵入を報せる警報音が響いたのは、くららちゃんと銀崎くんの決闘があった翌朝の、起床時刻に流れるアナウンスが終わりきらない頃だった。
 侵校生の襲来に赤く点滅する室内から飛び出すように転がり出た私は、ほとんど同じタイミングで部屋の扉から出たくららちゃんに「!」と名前を呼ばれる。昨日銀崎くんの手で外されたときに壊れてしまったみたいだったから心配していたけれど、彼女のトマトマスクは既に修繕済みらしい。いつもの緑色がそこにあって、私はこんな時なのにほっとする。けたたましい警報音に紛れるように、「くららちゃん」って口にした。



「マスク直ったんだ!」

「ふん、あれくらいの罅なんて、ものの数分で直せるわよ。それより、急ぐわよ。侵校生をぶち殺して、根絶やしにやろうじゃない……!」



 こちとらフラストレーションが溜まってるのよ。
 昨日のこともあるせいだろう。拳を握りしめて闘志を燃えたぎらせていたくららちゃんも、それに頷いた私も、この時はまだ知らなかった。
 私達がこの日戦うことになる敵が、一体何であるかを。








 続々とみんなが集まり始める作戦室に、銀崎くんや今馬くん、過子ちゃんの姿はなかった(今馬くん達は兎も角、けれど銀崎くんは仕方ないだろう。昨日あれだけくららちゃんの手でボコボコにされたのだ。彼が我駆力刀を使えようと使えなかろうと、今は兎に角安静にしていてもらわないと困る)。
 まだ半分寝ぼけた様子の狂死香ちゃんに寄り掛かられながら、侵校生との戦いを前に緊迫した、物々しくも騒々しい作戦室を見回す。「あー、朝っぱらからなんなんだよ、ツイてねぇな!」と、思ったままを吐露する丸子くんに、「ようやく退屈な日常パートの終わりだー!」ってはしゃいでいる飴宮さん。川奈さんは気分が悪いのか、「いきなりは心臓に悪いから……心の準備くらい……させて欲しいんらけど……」と青ざめた顔で口元を手で押さえている(彼女は緊張しいなのかもしれない。思い返してみれば、普段から良く嘔吐いているから)。



「常在戦場が……武士の心得……日々……戦場にいる心得でおらねばなら……ぬ……」

「半分寝てんじゃねーか!」

「狂死香ちゃん、朝だよ、侵校生だよ。聖十文字刀も起きてって言ってるよ~……!」



 丸子くんのツッコミと同時に狂死香ちゃんの頬をぺちぺち叩いてもまだむにゃむにゃ言っていたから、彼女の腰の聖十文字刀を拝借して「狂死香、起きろよ……」って声色を変えて囁いてみた。聖十文字刀がどんな男の人(刀)なのかは良く分からないから、東京団地で読んでいた少女漫画の男の子をイメージしてみたけど、掠っていたのかなんなのか、狂死香ちゃんは「えっ!? 起きないと接吻でござるか!?」って目を覚ましたので、とりあえず安心した。面影くんに「ふふ……カワイイね、ちゃん」って笑われて、いけないことをしていたのを見られたようで、急に物凄く恥ずかしくなってしまったけれど。
 気を取り直して、狂死香ちゃんを起こしていた間も続いていたみんなの会話に意識を向けようとしたときだ。私の隣で聖十文字刀の柄の部分にキスをしようとしていた狂死香ちゃんから、息を飲むような音がしたのは。
 狂死香ちゃんが、ほとんど反射的に希ちゃんの名前を呼ぶ。「希殿!」って。さっきまでむにゃむにゃしていたとは思えない糸を張ったような声に、狂死香ちゃんの目線の先を見る。薄暗い作戦室の奥の壁には、学園周辺の様子を映し出すモニターがいくつも並んでいた。その中央にある一番大きな液晶に目を奪われたのは、そこに見覚えのあるものがいたからだ。
 「それ」は、消えない炎の内側にいた。
 ふわふわと宙に浮かぶ、異形のもの。私達が澄野くんと一緒に第二防衛学園で倒した、手足から刃の生えた部隊長や、この間この学園を襲った空飛ぶ鯨みたいな部隊長と比べたらずっと小さいそれは、これまでの部隊長同様頭上に輪っかを携えて、ほとんど宙を漂う生首みたいにそこにいた。



「――あ」



 それを見た瞬間、頭を殴られたように思ったのだ。



「はにゃ? あのちっこいの何?」

「炎の壁の前に一匹だけポツンといるけど……」

「新種の侵校生……? でも、あんまり強そうには見えないね」



 蒼月くん達の会話に呼吸を止めたまま、希ちゃんを見る。あの時校舎の南にいた私や面影くんは、「あれ」をモニターでしか見ていない。狂死香ちゃんやくららちゃんも――戦いのさなかに死んでしまったせいで、希ちゃんほどには記憶に残っていないはずだった。モニターを凝視している希ちゃんは、何も言わない。だけど、見開かれたその瞳が、やがて噛みしめられた唇が、握りしめた拳が、希ちゃんの心情を如実に表していた。
 ――あれはもこちゃんを連れ去った部隊長だ。
 耳の奥でめいっぱい雑音が鳴っていた。
 私達がずっと探していたもこちゃんの手掛かりになるものが、そこにいた。








「ちょ、殿、速すぎるでござる!」

「アンタ一人で行っても死ぬだけでしょ! ちょっとは落ち着きなさい、!」

「あ、ご、ごめん……! つい……!」



 階段を駆け下りた後、正面の玄関ホールではなくバスの停めてある駐車場に続く廊下を全力で走ったら、狂死香ちゃんとくららちゃんに止められた。いつの間にかみんなを先導する以上に距離が開いてしまっていたみたいだったけれど、どうしても気が急いて仕方なかったのだ。減速してみんなにペースを合わせながら、手の中の我駆力刀を握り直す。もこちゃんを浚った部隊長は、今、校舎の北側にいる。あの時と同じように。



ちゃん、今から逸ってちゃだめだよ?」

「う、うん、気を付ける……」

「うん、良い子」



 その言い方に心臓が鳴ったけれど、気がつかないふりをして頷く。力を抜いて走りながら、深く呼吸を吸う。
 落ち着いて。逸らないで。――そうは言っても、絶対に逃がすわけにはいかなかった。
 ずっと探していた。もこちゃんを。もこちゃんが残したかもしれない痕跡を。もこちゃんを連れ去った、あの部隊長を。第二防衛学園にいたときはどれだけ探し回ってもその片鱗すら見つけられなかったのに、ここに来てやっとその手掛かりを掴めることができるかもしれないなんて、一体どういう巡り合わせだっていうのだろう。
 もこちゃん、って、強く思う。私達のために、戦ってくれた。私達のせいで捕まった。「大丈ブイよ、ちゃん!」ってウインクしてくれたのが、今はもう遠い昔の事みたいで、私はそんな風に感じてしまう自分自身にも腹が立つのだ。
 だから、絶対に逃がせない。捕まえて、もこちゃんのことを聞く。もこちゃんは今どこにいるのか。一体もこちゃんを、どうしたのか。



「絶対に……絶対に捕まえよう……! みんなで!」



 希ちゃんの言葉に、私達は強く頷いていた。








 非難されてしまうのは仕方ない。
 だって丸子くんの言う通り、私達のやろうとしていることはただの我儘だ。もこちゃんを連れ去った部隊長を逃がさないため私達五人をあの部隊長の元に向かわせてほしいなんて、手前勝手にも程がある。彼らにとってそれがどれだけ負担になるのかも、分かっていたつもりだった。
 だけどあの部隊長が有象無象の侵校生達と離れたところにいるということは、もしかしたらただ偵察に来ているだけなのかもしれない。私達が侵校生達と戦っている間に人知れず退いてしまう可能性がないとも限らない以上、見逃すわけにはいかなかった。だから、最終防衛学園のみんなに、行かせてほしいって頼んだのだ。



「つーか、連れ去られた仲間ってのはまだ無事なのか?」



 普通に考えりゃ、今頃はもう――それを最後まで言わなかったのは、もしかしたら彼なりの気遣いだったのかもしれない。薄く色づいたサングラスの奥の厄師寺くんの目が、私達をじっと見ていた。私はそれを、残酷だと思った。
 もこちゃんが連れ去られて、三十日余りが経とうとしている。それは曲げられない、直視しなければならない事実だ。敵の手中に落ちた彼女の無事を信じるには、三十日は長すぎる。
 ――認めなくてはいけない。
 希ちゃん同様、私はもこちゃんの無事を祈っていた。手掛かりを探そうと躍起になっていたし、もこちゃんがいつ帰ってきてもいいように強くなろうと思っていた。
 だけど第二防衛学園はなくなった。NIGOUも失った私達は、随分遠くまで来てしまった。
 私に現実をつきつけるのに、それは充分過ぎたのだ。
 だから、白状する。願掛けのようにもこちゃんのための部屋を隣に置きながら、もこちゃんとはもう会えないのかもしれないって、そう思っていたってことを。
 希ちゃんは、どうだか分からない。まだ諦めていなかったのかもしれない。だけどくららちゃん達は、多分、私よりも早く、現実を見ようとしていた。第二防衛学園にいたときから。それを薄情だとは思わない。私はただ、臆病だっただけだから。私が曖昧に目を逸らしていれば、それはいつまでもぼやけたままでいたはずだったから。受け止めようとしていたくららちゃん達とは、違う。
 だけどくららちゃんは、澄野くん達に「もこを取り返さないと」って言った。「あの部隊長ならば、もこ殿の居場所を知っているはず!」って、狂死香ちゃんも叫んだ。面影くんだって、きっと同じ気持ちだったと思う。私の隣で、彼はあんまり彼が見せないような顔をしていたから。もし彼らが私達の申し出を断れば、何をしでかすか分からないような雰囲気を醸し出していた。だから、よかった。澄野くんが、「行かせてやろう」って言ってくれて。私達は、後悔をしたくなかった。あの日みたいに、自分達の無力さに絶望して泣きたくなかった。もう一度だって。
 駐車場の片隅で、私達は我駆力刀を振り上げる。いつも躊躇うその動作を、私はその日、初めて何の逡巡もなくできた。のたうち回るような痛みに堪えながら、もこちゃん、って思う。
 もこちゃん。向日葵みたいに笑う人。


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