澄野くんは「銀崎にしてやれることは全部やったから、あとは信じて待つしかない」って話してくれたけれど、彼や他のみんなが実際銀崎くんに対してどう動いたのかを、私は知らない。
 だけど「僕には無理です」って、戦うことをずっと拒否し続けてきた男の子だ。およそ四十日もの間そうして頑なに現状から逃げて背を向け続けていた人の殻を破るって、よっぽどのことがなければ難しいんじゃないだろうか。例え、「負けた方が勝った方の言うことを聞くこと」なんていう条件があったとしても。そしてそれが私達の代表として戦う彼ら二人以外の全員にも関係があるものだったとしても。
 そう思っていたから、約束の四十三日目の朝、厄師寺くんが屋上にいた私達五人に向かって、自信に満ちた様子で「おら、テメーら! ダッシュで体育館に来いやぁ!」って声を張り上げたときはびっくりした。



「た、体育館?」

「あ? ……まさか忘れたわけじゃねーよなぁ? 今日は決闘の日だろーが」

「それはわかってるけど……随分威勢が良いなと思ってね?」



 面影くんが私の言葉を受けて質問してくれたのに、厄師寺くんの耳には届かなかったらしい。彼は他の人達にも声をかけるためか「良いか! 遅れんじゃねえぞ!」って言い残した後慌ただしく立ち去ってしまったけれど、あんな風に強気に振る舞えるってことは、彼には銀崎くんがくららちゃんに勝つっていう確信があるのかもしれない。くららちゃんを銀崎くんが倒すって、本気で思っているのかも。――でも、どうやって?
 遠ざかる厄師寺くんの背中を見つめながら、くららちゃんは「何なのよあいつ……」って、微かな困惑を滲ませて呟く。朝のまだ白んだ光を吸い込む私の瞼の裏には、おどおどした銀崎くんの、困ったように伏せられていた双眸だけが、ありありと浮かんでいる。








 厄師寺くんに言われた通り体育館へと向かえば、既に最終防衛学園の人達が並んでいた。……いつも私達以外人の気配がない体育館にこれだけの人数が揃っているのって、なんだか変な感じだ。板張りの床は、いつもの倍以上の人数の呼吸音や足音を反響させている。無遠慮に向けられる視線にいたたまれない気持ちになりながら、こっそり彼らの様子を窺う。



「あらあら……人生負け組のお可哀想な貧乏人共が揃ってるわね……」



 そうくららちゃんは言うけれど、揃ってる、かな? 視線を走らせて、いない、って思った。澄野くん、厄師寺くん、川奈さん、丸子くん、飴宮さんに蒼月くん……今馬くんや過子ちゃんまでいるのに、けれど肝心の銀崎くんの姿がないのだ。
 彼らの表情はバラバラだった。どこか怯えた様子でいるのが丸子くんや川奈さん。姿を見せない銀崎くんのことが気に掛かるのだろう、心配そうに扉のあたりに視線を送っているのが蒼月くんで、今馬くんに至っては、ほとんど興味がなさそうですらある。そんな中で一人、余裕綽々といった様子でいるのが厄師寺くんだった。「……で、肝心の決闘相手はどこでござるか?」と尋ねる狂死香ちゃんに、彼はちっとも臆する様子なく、「あいつは最後の仕上げにパンプアップ中だ。もうじき来るはずだぜ」と笑った。
 ――パンプアップ。
 パンプアップってなに?
 「パンツアップ……?」って真剣な顔で口走る狂死香ちゃんは私と同じでわかってなさそうだ。だけど、隣にいた面影くんに教えてもらおうと彼に視線をやったときだ。体育館の扉が開いた音がして、そこに人の気配というより、もっと尋常ではない何かを感じたのは。
 巨大な熱の塊みたいだった。



「あの……大変お待たせしました」



 そちらに意識を向けた私は息とも悲鳴ともつかない音を口から漏らしてしまったし、面影くんはほとんど反射で、守るように私の前に腕を出してくれた。希ちゃんは両手で口元を覆って、狂死香ちゃんが聖十文字刀に手を添えて警戒する。それくらい「彼」の存在はこの体育館から――いや、最終防衛学園から浮いていたのだ。
 変質者とか、そういう人かと思ってしまうくらいには。



「……遅くなってすみません」



 筋肉に包まれた長身の身体。短パンから出た太股はパンパンに張っていて、鍛え上げられた胸筋で黄色のTシャツが破れそうなくらいに伸びている。……いや、Tシャツじゃなくて、元はトレーナーだったんじゃないだろうか。肥大化した筋肉に引っ張られすぎて、ピチピチに見えているだけで。それに気がついたのは、その身体に乗っていた顔に見覚えがあったからだ。
 くりくりした瞳に、丸くて低い鼻。血色の良い桃色の頬。茶色の、きれいにまとまったつるんとした髪の毛。



「……僕みたいな羽虫が皆さんをお待たせするなんて、万死に値しちゃいますよね」



 この自己肯定感の低さは、間違いない。



「ぎ、銀崎くん……?」



 澄野くんが「誰だ!?」と叫んでいたところを見るに、銀崎くんがここまでの成長を遂げたことを、彼らもまた知らなかったのだろう。「そんな羽虫がいてたまるか!」とか「それどーなってんの!?」とか、そういう銀崎くんへのツッコミや、体育会系に怯える飴宮さんの叫び声で溢れかえる体育館で、くららちゃんが「な、なんなのよそれ……!」って、彼女にしては弱々しい声を出したのだけ、私の耳にも届いていた。
 ほんとに、なんなの、それ。








 得意満面の厄師寺くんが言うには、彼はこの数日間、銀崎くんに「地獄の特訓」を施したらしい。
 合い言葉は「気合いと根性」。リラックスルームに並べられたトレーニング機器で身体をめいっぱいいじめあげ、食事は卵や鶏胸肉といった筋トレに適しているらしい食材を中心に取り入れた。プールで泳いで体力をつけ、自己卑下に飲まれそうになったら共に歌い、またトレーニングに没頭する――そうして彼らはこの数日を過ごしたのだと言う。
 そうしたら、こうなった、って(「そうなるの?」って思ったら、同じタイミングで川奈さんが同じ事を口走ってた。こんな時だけど、ちょっと親近感を覚えてしまった)。



「生まれて初めての筋トレだっただけあって伸びしろだらけだったなぁ!」



 そう言いながら銀崎くんの背中をバシバシ叩く厄師寺くんに、銀崎くんも頷く。「ゴミはゴミなりに自分の弱さと向き合って、覚悟を決めて頑張りました。初めて必死の努力をしました……!」、って。でも、違和感がすごい。だって銀崎くんは、私達の中でも一番小さくて、子供みたいな体型で――普段の彼より少し大人びた彼の声を聞きながら、面影くんが「どういう人体構造だろう? 一度解剖してみたいな……」とぽつりと呟いたのを、「だめだよ……!」って慌てて制した。
 本当に、物凄い巨体だ。
 一体どれだけ鍛えたならこうなるんだろう? 私だってトレーニングを頑張っているけれど、彼ほどに鍛えろって言われても無理だ。元々私達の中でもいっとう背が低く、小動物みたいだった銀崎くんが、愛らしい顔はそのままに、今やもこちゃんもびっくりの筋肉とオーラに包まれている。平均的な女子高生くらいの身長の上、元々骨が細いのか華奢な体躯をしたくららちゃんと比べると、いっそ暴力的なくらいの体格差だ。ボディビルダーと小学生くらいちがう。
 なんだか、とんでもないことになってしまった。
 いくらくららちゃんが我駆力を使っての戦いには慣れていると言っても、そもそも銀崎くんの学生兵器を、私達は知らない。それでもあの状態の銀崎くんからの攻撃をまともに受ければいくらくららちゃんとは言え一溜まりもないはずだ――その認識は向こうの、丸子くんを調子づかせることに成功していた。「スゲーぞ! これなら勝てんじゃねーか!?」って、さっきまで絶望に染まっていた顔をきらきら輝かせている。



「おーし、さっそく我駆力刀で変身だ! 模擬戦であいつをケチョンケチョンにしてやれ!」



 くららちゃんは、強い。学生兵器であるスコップで侵校生をぼこぼこにすることもできるし、この間みたいに防衛装置を突貫で作ってしまうことだってお手の物だ。だけどここまで圧倒的なフィジカルの差があるとなると、苦戦を強いられてしまうのは間違いないだろう。
 棄権する? って提案なんか、できるわけない。私はくららちゃんがそんな提案を飲み込む女の子じゃないってことを知っている。そんなことを言う人間を軽蔑するって知っている。じゃあ、私にできることはなんなんだろう。希ちゃんは、ぎゅっと口を噛みしめている。狂死香ちゃんは、おろおろと銀崎くんのことを見つめている――。
 だけど銀崎くんは丸子くんの言葉に「え? 我駆力刀……ですか?」と小さく首を傾げた後、耳を疑うようなことを言ったのだ。



「あの……使った事ないんですけど」



 って。
 「へ?」って丸子くんが目と口とを丸くする。「じゃあ、あの体質は……?」川奈さんの発した言葉に、覆わず彼女を見た。――体質?
 だけど明らかに動揺する彼らを前に、銀崎くんは顔色一つ変える気配はない。



「僕は生まれて初めて必死に努力しました。そして、極限まで自分の肉体を鍛え上げました。でも、体質が変わった訳ではないので、誰かを殴ったり蹴ったりはできませんね」

「え、た、戦えないの?」



 体質っていうのは? つい口にしたそれは、ざわめきに飲み込まれて、多分、隣の面影くんにしか聞こえていなかったんだと思う。
 面影くんは彼の発言を受けて推測したのだろう。「多分だけど」って、手を添えて、私にこっそり耳打ちしてくれた。



「彼が今まで戦うのは無理だって逃げていたのは、人に暴力を振るった瞬間にアレルギー反応が出てしまう体質だったからとかなんじゃない?」

「え、そんなことあるの?」

「精神的なものだから、なくはない……かな?」

「えー、そっかあ……アレルギーって、嘔吐とか下痢とかじんましんとか……?」

「そんな感じじゃないかな。実際に見てみないことにはわからないけどね」



 想像してみて、つい押し黙る。自分だったら、どうだろう、って考える。戦う度に体調不良になったとしたら。それがどうにもならないものだとしたら。物凄く苦しくて、生きてられないくらいしんどいものだったら。



「わ~…………」



 目線を落としてしまった。
 私だって暴力は嫌だ。特に、ちいさい子とか、絶対的に弱い人にふるう暴力。そういうことをする人を私は嫌いだし、心底軽蔑する。でも、じゃあ今私達がしていることは暴力なんだろうか、っていうと、私は「違う」って答える。私は暴力と今私達がしている戦いとを結びつけていない。東京団地を守る為に必要な戦いだって、そう思っている。
 だけど銀崎くんはそうじゃない。きっと、どんな状況であっても自分が拳を振り上げることは「暴力」で、彼にとって「無理」なことなんだろう。たとえ相手が侵校生でも、それはかけがえのない命だって思っている。その思いが彼を苦しめて、「体質」として表れてしまう。
 だとしたら、私は彼に、銀崎くんに、酷いことを思っていた。戦う気がなくて、逃げてばかり、だなんて。こんな風に努力をできる人に、なんてことを思ったんだろう。胸の中をざらざらした砂が覆っていく。飛び込んで、なかったことにしたいくらい、恥ずかしい。
 ――だって私、自分のことばかりだった!
 彼らが私達の背景を知らないように、私達もそうだった。私達だって、彼らのことなんか何も知らなかった。彼らにだって抱えている問題とか、それこそ体質とか、いっぱいあるはずなのに。そう思ったら申し訳なくて、どうしたらいいのかわからなくなる。ずっと私の中に横たわっていた彼らへの不信感が、端っこからぼろぼろ崩れていく。
 体育館の中央にあるラインを挟んで向こう側では、丸子くんが「じゃあ戦えねーのかよ!」って声を張り上げている。喜んだり怒ったり動揺したり、相変わらず素直な人だ。一方で「はは、終わったっす」て笑う今馬くんは、やっぱりどこか他人事だった。川奈さんが「ああ、もう……!」って頭を抱えている。蒼月くんが、具合が悪そうに胸を押さえている。飴宮さんはまだ体育会系がきついって泣いている。過子ちゃんは困ったような顔でおろおろしていて、澄野くんも苦虫を噛み潰したような顔でいる。
 こんな時なのに、話がしてみたいなって思った。怒りを押し付け合うだけじゃなくて、お互いのことを話したかった。私達に必要だったのはそういうことだったのかもしれないって、そう思った。



「……何よ」



 くららちゃんの戦慄く手を見た瞬間、祈るように目を閉じた。
 だから、どうなっても大丈夫だって思ったのだ。決闘も、これから先のことも、きっと。
 本当だよ。


PREV BACK NEXT