必要がない時は最終防衛学園の人達とは話をしないように――くららちゃんにそう言い聞かされてはいたけれど、わざわざ体育館に呼びに来られてしまえば応えないわけにもいかない。
三十三日目の朝だった。いつも通りトレーニングをしようとしていた私達のところに、蒼月くんがやって来たのだ。
「突然ごめん、みんな。……ちょっと良いかな?」
蒼月くんは眼鏡をかけた長身の、線の細い男の子だ。柔らかい顔立ちをしていて、彼の放つ雰囲気は丸くて角がない。時々苦しそうに胸を押さえているのは、元々身体が弱いせいらしい(それでも、彼は防衛戦のときは大きな鎌のような学生兵器を手に戦っている。戦う気がないなんて言っている今馬くん達とは、違う)。だから少なくとも私は、「最終防衛学園の人達の中でも良識人」という印象を、彼に抱いていた。
彼はトレーニング前の準備体操をしていた私達に「どうしても聞いてほしいことがあるんだ」って言った。だから、これから食堂に集まってもらえないかな、って。それに眉を寄せたのはくららちゃんだ。「はぁ? なんでアタシ達が――」だけど、言いかけた言葉は胸を押さえた蒼月くんによって遮られる。「うっ……」って真っ青な顔を見せられれば、強い言葉は向けられない。
「じゃ、じゃあ、ごめん、そういうことだから……」
青ざめた顔の蒼月くんはそのまま体育館を出て行ってしまって、残された私達はお互い顔を見合わせるしかなかった。
「……ねね、仲直りしてほしいとか言われたら、どうする?」
「そうね……。今後あいつらがアタシ達の下僕になるって言うなら考えてやってもいいけど」
「下僕なんて、そんなのダメだよ、くららちゃん……! わたし達は仲間なんだから……」
「はいはい、冗談よ」
「だけど一体、聞いてほしいことって何だろうね? ……私の人体改造に協力したいとか?」
「狂死香のあの音がうるさいとか?」
「はぁ!? 拙者、何もしてないよ!? 昨日だって、あれは少し刀でふざけていただけで……」
「何してたの……?」
五人で食堂へと向かっている道中そんな会話をした通り、私達は一体どうして食堂に呼ばれたのか、全然想像がついていなかった。
まさかあんなわけの分からない話をされることになるなんて思ってもなかったし、その結果、さらに私達の仲がこじれてしまうってことも、想像していなかったのだ。
私達に話があるっていうのは、厳密に言うと私達を呼び出した蒼月くんではなく、銀崎くんだったらしい。いつも通り過子ちゃんと二人でいる今馬くんの視線から逃れるように面影くんの影に隠れつつ、件の銀崎くんを視界に入れる。
銀崎晶馬くん。背丈の小さな男の子で、頭にクマの耳がくっついたような帽子を被っている。今馬くんと過子ちゃん同様戦う気はないらしく、口を開けば自虐や卑下ばかりの、気弱な人だ。いつも部屋の隅っこにいて、意見を求められても「こんなビチクソダニ虫のことは気にしないでください……。どうせ何の役にも立たない、平凡極まりない意見しか出ませんから、みなさんの貴重な時間を無駄にするだけです……」と話に加わろうとしない。「あの銀崎とかいうやつ、うじうじしてて特に気に入らないわ……」とくららちゃんが苛立ちを滲ませていたのは、記憶に新しい。
私達は昨日彼らと顔を合わせなかった。食堂を使う時間をずらして、午後はそれぞれ部屋に籠もっていたのだから、それも当たり前なんだけど。
希ちゃんは一旦最終防衛学園の面々と距離を置くと決めた後も、「侵校生の攻撃もいつ始まるかわからないんだし、内輪もめしている場合じゃないよ」とか、「人類を守るのに、みんなで協力するのだって必要でしょ?」って私達に切々と訴えていたし、私だって頭ではそれを分かっている。だけどやっぱり、嫌なのだ。顔を合わせなくて良いならそうしたい。第二防衛学園よりも優れた防衛設備のあるこの学園なら、侵校生の攻撃だって何とか乗り越えられるんじゃないか。全員は戦ってくれなくても、澄野くん達は戦うつもりはあるみたいだし。だったらもう、このままでも良いんじゃないか――そう思っていたから、昨日彼らの誰とも会わなくて済んだことにはほっとしていたのだ。
だけど銀崎くんは、昨日からずっと様子がおかしかったらしい。
三日ぶりに全員が集まった食堂で、私達にそのことを告げたのは蒼月くんだった。「昨日からどうも様子がおかしかったのが気になって、無理に聞き出したんだ」、そう言った彼は、私達をぐるりと見回して続けた。
「晶馬クン、また思い出したんだって。夢の中で……昔の記憶を」
「きおく?」
重大な事実を打ち明けるような口ぶりだったけれど、私達にはそれが何のことか、ちっとも分からなかった。
彼らの話をまとめると、こうだ。
銀崎くんは私達第二防衛学園組が合流するより少し前、とある夢を見たらしい。東京団地の神座総合病院っていうところで、カプセル型の装置の中に入れられていた夢。自分がどうしてそんなところにいたのか、そこで何をされていたのかは判然としなかったらしいけれど、そのカプセルは校舎の一階にある部屋に並んでいるものと同じだった。それで銀崎くんは、夢と現実が地続きなのではないかと思ったらしい。
もしかしたら自分の見た夢は現実にあったことなんじゃないか。覚えていないだけで、本当に自分はあの病院にいたんじゃないか――口にした彼の疑念は妄想だと一蹴され、一度はみんなに理解してもらうのを諦めた銀崎くんだったけれど、二日前、彼は再び夢を見た。実感を伴ったそれを、もう彼は夢だとは到底思えなかった。実際にあったことなのだ。これは間違いなく現実だ。銀崎くんは、本気でそう思っている。
自分は「何らかの実験の被験者」で、そして神座総合病院と呼ばれる東京団地内の病院で、彼の体内にある「特殊な血」について研究されていたっていう夢を、本当にあったことなのだ、って。
そして、それは彼に限った話ではないらしいのだ。
一人一人の顔をちゃんと確かめたわけじゃないけれど、ここにいる私達全員が病院のカプセルの中で眠っていたと、銀崎くんは話した。
「皆さんもなんです。……皆さんも僕と同じように神座総合病院にある謎の装置に入れられて、『何らかの研究』の被験者になっていたんです。体内にある『特殊な血』に関する……何らかの」
彼は痛いくらいに真剣な眼差しで、そう言った。
「…………」
隣の面影くんが小さくため息を吐いたのが聞こえて、ちらりと彼を窺う。
だけど面影くんは顎に手を添えたまま、銀崎くんと、銀崎くんの打ち明けた夢の話に狼狽する澄野くん達をまじまじ観察しているだけだ。くららちゃんのトマト頭は険しい顔になっていて、狂死香ちゃんは「え? 今何の話してるの? わかる? 聖十文字刀」ってこそこそと声を潜めて話している。希ちゃんの表情はこの位置からでは分からなかったけれど、神座総合病院、って言葉に一度「え?」って声を出してからは、口を開く気配がない。
正直、鵜呑みにしていいものかわからなかった。荒唐無稽に思えたのもそうだけど、そうじゃなくてもそれは単純に、彼らと信頼関係が築けていない、ということが根底にあるせいなのかもしれない。もしもこれが、私達のうちの誰かが見た夢だったら、私はもしかしたら、それをまるっと信じようとしたんじゃないだろうか。具体的な根拠に乏しいそれを受け止めて、少なくとも、話し合うことくらいはしたはずだ。だけど、彼はそうじゃない。私は彼を――最終防衛学園の人達のことを、全然知らない。
「皆さんは意識がなかったみたいなので覚えていないかもしれませんけど……僕だけはなぜか薄らと意識があったので、そのお陰で、記憶に残っていたみたいなんです」
この話が真実だとするなら、私達は揃ってその病院に入院していたことになる。だけどそもそも私は、入院なんかしたことのない健康優良児だ。少なくとも、ここ十年は。神座総合病院っていう病院だって聞いた事はないし、ここにいる皆とだって、東京団地の外で初めて会った。澄野くん達もその点について話し合っているけれど、私達五人は、黙ってそれを見守っている。
――矛盾をどうにかするためのつじつま合わせなんて、意味があるのかな。議論する澄野くんや蒼月くん達最終防衛学園のみんなに、ひんやりした感情を抱く。もしかしたら東京団地の戦いの後、意識を失っていた時にその病院に連れて行かれたんじゃないか、そのときに特殊な血とやらを調べられていたんじゃないか。皆がそこにいたなら、やっぱりそれは我駆力と関わりがあるのではないか――なんて、仮定に仮定を積み重ねて、何の意味があるんだろう?
答えを知っている人なんて、ここにはいないのに。
「あーっ、もう! いい加減にして!」
その声に、びくりと肩が震える。
叫んだのは、くららちゃんだった。
くららちゃんは、はっきりと怒っていた。つい三日前と同じように。だけどその時と違うのは、その目がはっきりと、銀崎くんに向けられていたことだった。
「うぅ……っ! イライラが収まらないわ……!」
体育館までの道を大股で歩くくららちゃんの横を狂死香ちゃんと面影くんと四人で並んで歩きながら、「でも、あれは私も、ちょっとやだったよ……」って口にする。狂死香ちゃんはふぅふぅと息を荒げるくららちゃんの背中を「落ち着くでござるよ、くらら殿」って撫でていて、面影くんは私の隣で「丸子君……だっけ? 彼、大分吹っ飛んじゃってたねぇ……」って、さっきくららちゃんに殴られて宙を舞っていた彼のことを思い出すように、その口元に微笑を浮かべていた。
希ちゃんは、まだ食堂だ。きっとこの件の尻拭いをしてくれているのだろう。今回の件で、私達はこれまでよりももっと深い亀裂を作ってしまったから。
だけどそれも仕方のないことだと思う。できるべくしてできた溝だって、私は思う。
銀崎くんの話を前提とした仮定についてどうしても意味があるように思えなかったのは、みんなも一緒だったらしい。くららちゃんは彼らの議論を「くだらない妄想話じゃない」と一蹴し、面影くんは「何のための実験だったのかとか、肝心な部分を覚えてないのなら価値がないよね」と指摘した。「それに我駆力の秘密が分かったところで、侵校生との戦いに役に立つのか?」と疑問を呈したのは狂死香ちゃんで、私は「今話してもわかんないことを話し合っても、意味ないと思う……」って、言った。ちょっとだけ、ドキドキした。
「訳のわからない事ばっかりって事くらい、もうとっくにわかってんのよ……。その上で、やるしかないって言ってんの! 他にやれる事なんてないんだし! アンタらもいい加減、覚悟を決めなさいよ!」
くららちゃんのその言葉が、私達五人の総意だったのだ。
希ちゃんは私達のそういう意見を全部踏まえた上で、「NIGOUが言っていたんだけど、わたし達が何も知らされていないのは、情報が敵に漏れるのを防ぐためなんだって。だからみんなにできることは、前を向いて戦うことだけだと思う」って、いつまでも銀崎くんの見た夢の話に固執していた最終防衛学園のみんなを諭したけれど、くららちゃんの怒りは収まらなかったらしい。
くららちゃんは、黙り込んでいた銀崎くんに対してはっきりと怒りを示した。「アンタみたいな戦いもせずに逃げるだけのヤツ、ガマンならないのよ……」って、そう言った。
元々争い事を嫌うたちなのだろう。銀崎くんはくららちゃんの気迫に押されるように視線を逸らして、その小さな頭をぺこりと下げた。そして、撤回したのだ。今までの話を、全部。
「す、すみません……不快にさせて、ごめんなさい。仰る通り……すべて僕の妄想です。きっと僕の頭がどうかしているんだと思います。今後は、もう二度とご迷惑をお掛けしないように、ずっと部屋に引きこもるようにするので……僕みたいな負け犬の事はもう忘れてください」
そう言い並べてその場を立ち去ろうとしたのだけど、くららちゃんはそれを許さなかった。逃げるように食堂を出て行こうとする銀崎くんの前に回り込んで、「……そうやって自己卑下で誤魔化して逃げるつもり? アタシにそんな姑息な手は通用しないわよ」って立ち塞がった。
様子は、だから、おかしかったのだ。くららちゃんは確かに怒りっぽいし、私も何度も怒らせてしまったことはあるけれど、くららちゃんの怒りがこういう形で持続することってあまりなかったから。
くららちゃんの背は、怒りに戦慄いていた。私は、いつかのことを思い出していた。「本当のアタシは気弱で泣き虫で人見知り。嫌なことから逃げてばっかりで、言い訳を並べたてて……そういうどうしようもない性格だった。どうにかして自分を変えたかったの」、って、くららちゃんがそう私達に打ち明けてくれた日のことを。
「――いつも、何かと戦う事を放棄して、言い訳まみれで逃げ回っているだけのヤツ……存在しているだけで、イライラして仕方がないのよっ!」
くららちゃんは、銀崎くんが許せないのだ。多分、彼に自分を重ねているからこそ。私に譲れないものがあるように、くららちゃんも、それを守る為に怒っているのだ。
アタシの世界からいなくなって、出て行け、そういうことを銀崎くんに告げた彼女は、だけど向こうの人達からしたら目に余ったのだろう。堪えかねたらしい丸子くんが二人の間に割って入ってくららちゃんの肩を掴もうとしたものだから、くららちゃんは「汚い手で高貴なアタシに触らないで!」と、彼を殴り飛ばしてしまった。丸子くんは悲鳴と共に宙を舞い、派手な音を立てて長テーブルの上へと落下した。
――決定的な決裂だった。私達はそれで、四人で食堂を出てきたのだ。扉を閉める前、困ったような顔でこちらを見ていた澄野くんと目があった。第二防衛学園で一緒に戦ってくれたときに見えたあの人と同じ光は、今の彼には、なかった。
「あんなヤツらと協力なんか絶対に無理よ……! 例え下僕になるって言われても、もう無理……!」
本当は、こんな風に揉めている場合ではないのだろう。
でも、私はやっぱり、くららちゃんの気持ちの方がよくわかる。希ちゃんも狂死香ちゃんも面影くんも、きっとそう。くららちゃんの思いを知っている私達は、くららちゃんが銀崎くんを許せなかった理由を知っている。
大丈夫だよ、って言いたくて、くららちゃんの手を握った。「――」、くららちゃんのトマト頭が、私を見る。くららちゃんの反対側の手を狂死香ちゃんが取ったのはその直後だったし、何故か私の空いてる方の手を面影くんが繋いだのも、同じタイミングだった。
「えっ!?」
「うふふ、どうかした? ちゃん」
「…………」
何を言っても無駄だろうって分かっているから、私は彼に大人しく手を握られたままでいることにする。抵抗せずにいる私に、面影くんは楽しそうに、小さな声で笑った。
遠く後ろの方で、食堂の扉が開閉音が響いている。きっと希ちゃんも追いかけてくるだろう。そうしたら、狂死香ちゃんか面影くんが空いている方の手を差し出すのだ。私達はそうして並んで歩くけれど、ここから先彼らと手を取り合って戦う未来には、少なくとも今の私には、全然見えなかった。