「さっき、彼らと何を話していたんだい?」
「えっ」
二人並んで階段を下りている最中面影くんに尋ねられて、上擦った声が漏れた。
彼ら、って言うのは、もうここにはいない今馬くんと過子ちゃんのことだ。
一緒に食堂に行かないか、って(冗談でだろうけれど)誘ってくれた今馬くんは面影くんの存在を私の背後に認めると、「あ、第二のお仲間さん、いたんじゃないっすか。ボッチじゃなくてよかったっすねー、先輩。じゃ、自分らは先に行ってるんで。――ほら、行くよ。妹ちゃん」って「妹ちゃん」である過子ちゃんの手を取ってさっさと校舎へと続く階段に向かってしまったから、結局私はこうして食堂へは面影くんと向かっているのだけど、「彼らと何を話していたか」と問われると返答に困る。だって冷静に考えたら、本当に、一分にも満たないくらいの短い会話だったから。例え私にとって、その一分がどれだけ長く、息苦しい物に感じられていたとしても。
「え、えー、なんだろ……。……今馬くんに名前なんでしたっけ、って聞かれたくらいで、話ってほどの話はしてないかなあ……」
嘘はついていないけれど、なんだか後ろめたいように思えてしまうのは、面影くんが私のことをじっと見つめているのが視界の端に引っかかっているせいだろうか。
「ふうん?」
「あ、でも、一緒に食堂に行きますかーって聞かれてて、だから、面影くんが来てくれて助かったよ。わー、どうしようー、ってなってたから……」
「……ああ、成る程」
なるほど?
今の会話の返答としては適切とは思えない言葉に、思わず隣の面影くんを見た。
私の視線を受けてか面影くんもまたこちらを見返してくれるけれど、彼は私の左隣を歩いているせいか、眼帯の上に描かれたそれと先に目が合う。それでも私の視線に含蓄された疑問を彼は読み取ったのだろう。「いや」って小さく笑うと、面影くんは微かに首を傾げたまま続けた。
「――じゃあ後ろ姿が困っているように見えたのは単にちゃんの人見知りが発動していたせいか、って思ってね」
どこかからかうようなそれに、つい言葉に詰まってしまう。
「うふふ……。助けられたんなら、タイミング良くちゃんに会えて良かったなぁ」
細められた彼の目は、私の内面をどこまで見透かしているのだろう。額面通りに受け取って良いとは思えないのは、彼の表情とか言葉の端々に、はっきりと余白があるせいだ。
なんだか急に居心地が悪く思えて、手櫛で後れ毛を整えながら目線を落とした。面影くんといると、色んな意味でドキドキするし、そして、ときどき困る。だけど私は彼を怖いとか、不快には思わないのだ。面影くんは私の引いた線を無理に越えようとしないって知っているから。
「…………も、もうみんな、食堂にいるかなあ?」
無理矢理話題を変えたのだって、本当は分かっているんだろう。だけど面影くんはそういうのも全部見透かした上で、「どうだろうね? 三人とも、もう部屋にはいなそうだったけれど」って、柔らかい声で返してくれるのだ。私の言う「みんな」を、面影くんはそういう風に受け取る。
私達は、一つの線で繋がっている。
採光のための窓が少ないせいで、一階へと近づけば近づくほど足元は仄かに暗いのに、面影くんから薄らとした熱が放たれているように思えて、私にはそれが少しくすぐったかった。
「えっと……これでみんな揃ったよね?」
昨晩は広く感じていた食堂が、今は窮屈で、息苦しい。それは今、ここに大勢の人が集まっているからだ。
私を入れて十四人。それが今ここにいる、特防隊の人数だった。
「しっかし、一気に人が増えたよなあ。まだ違和感バリバリだぜ」
ぐるりと見回してそう言ったのは、厄師寺猛丸くんという男の子だ。昨日、バイクに跨がりバットを振り回しながら侵校生と戦っていた彼は、今は学生鎧ではなく、さらしの巻かれた鍛え抜かれた身体にモスグリーンのスカジャンを羽織っている。
身体が大きくて、薄い色のサングラスをかけたその人相はお世辞にも良いとは言えない。右目の下から口元にかけて、鼻の根元を真一文字に、或いは曝け出された胸元に、彼の身体の至る所には薄らとした切創痕が無数に残っていて、それだけで何だか無性に緊張してしまう。絵に描いたような「不良」、そういう印象を与えるのに、それらは充分すぎたから。
「コロシアイして間引いとこっか!」
冗談にしては笑えないようなことを満面の笑顔で口にしたのは、飴宮怠美さん。綺麗な青で染めた長い髪を二つにくくっていて、左の唇から頬にかけて剥き出しの歯がずらりと並んで見えるようなペイントメイクを施している女の子だ。昨日の戦いでは、部隊長へのトドメに「強くなりたいし、怠美でもいいよ~!」って挙手していたくらい、そういうのに抵抗はないみたい。太めの白黒ボーダーやビビッドピンクのニーハイっていう個性的な服装をしているのもあって、やっぱりちょっと軽々には近寄りがたい雰囲気を持っている(そんな中で面影くんが何の躊躇もなく「命を粗末にするような発言はダメだよ。殺るならもっと大切に殺らないと。相思相殺の相手をじっくりコトコトとね」っていつもの調子で言うものだから、向こうの女の子――川奈さんに引かれてしまった。こういう状況でもマイペースでいるのは、面影くんの良いところだとは思う)。
食堂の中央にある長テーブルを挟むようにして、私達は立っていた。巨大水槽を背にしているのが私達第二組で、調理マシーン側に立っているのが最終防衛学園のみんな。このテーブルは、私達の心の壁みたいだ、って思う。澄野くんだけが私達を取りなす裁判官でもするみたいに、私達を仕切るテーブルの真横に立っていたけれど、彼もこの空気感をどうすべきか考えあぐねているらしい。
私達は、はっきりとぎくしゃくしていた。不安定な台の上に、積み木を交互に重ねているようなもの。慎重に見極めながら、私達はそれぞれ次の積み木を選んでいる。
これから一緒に戦う仲間。――希ちゃんは彼らのことをそう言うし、実際昨日は澄野くん筆頭に、最終防衛学園の人たちに命を預けて戦った。だけどこうしてずらりと並んだ彼らを目の当たりにして昨日のことを思い出してしまうと、私が無意識のうちに頭の中で思い描いていた「仲間像」とそれとはどうしたってかけ離れてしまっていることを思い知らされる。
私はNIGOUに彼らの存在を仄めかされたときから、同じ境遇に立っている仲間として彼らに一方的に思いを馳せていた。きっと私達みたいに苦悩しながらも、東京団地の人達のため、未来のために戦っているんだ、って。この空の下のどこかに、私達と同じような人たちがいるんだ、って。最終防衛学園には十人も仲間がいる、って澄野くんから聞かされたときだって、驚いた反面心強く思ったのだ。こうして実際に一緒に戦うことになるなんて、あの時は想像もしていなかったけれど。
もし私達が最終防衛学園に着いて早々戦うようなことがなければ、或いは、あの空飛ぶ部隊長が相手でなければ――そうしたらまた何か違ったのだろうか。
私達からどうしようもなく滲み出てしまう悪感情を、彼らはきちんと察している。私達の抱いている失望を、大なり小なり、それぞれの形に変えて受け取っている。澱んだ空気を取りなすように希ちゃんが言った「仲間が増えて心強いよ。これから力を合わせて、一緒に頑張ろうね」の言葉にはっきりと「仲間、ねぇ……」と眉を寄せた人がいたのが、その証左なのだ。
「さっそくこっちの学園を見させてもらったけれど、第二防衛学園と大きな違いはないみたいだね。……あの巨大な炎の壁を除いて……だけど」
「あれが消えない炎でござるな。実に面妖でござる……」
私は、学園の周囲を囲う炎について口にする面影くんと狂死香ちゃんの背の奥で、「ね、ほんとにぐるっと囲んであるんだね。びっくりした」って口にしながら、みんなのことを見ていた。
私達の言葉の端々から漏れるものを敏感に汲み取って、こちらへの嫌悪をはっきりと滲ませている丸子楽くんを。何か思案するように眼鏡の奥の視線を落としている蒼月衛人くんを。複雑そうな顔でこちらの様子を窺っている川奈つばささんを。今話し合われている全ては自分には関係ないもの、と食堂の隅で気配を消している銀崎晶馬くんを。デスゲームの可能性に浮かれている飴宮怠美さんを。「あの炎って……なんなの?」って、私達を代表するように話をしてくれる希ちゃんの顔を、何かを確かめでもしているように真っ直ぐ見つめている厄師寺猛丸くんを。「消えない炎の壁」について私達に話そうとしてくれる澄野くんを。どこか浮かない顔でいる九十九過子ちゃんを。彼女に寄り添う今馬くんを。
ただ、見ていた。
「なるほど~……なんか、すごいんだねえ」
学園の周囲を囲うのは、「消えない炎」。侵校生から学園を守る為、永遠に燃え続けているのだとSIREIさんは彼らに説明していたらしい。
防衛室の前で燃えている炎も同じもので、だけどそっちの方は外のものと違って消火器でも消せなかった。防衛機能として学園の設備から作られているものなのかどうかについては、詳しい話を聞く前にSIREIさんがいなくなってしまったため不明。要するに、あれが実際のところ何なのかは彼らにも分からないようなのだ(案の定、くららちゃんはその件について罵倒していた)。
だけど、第二防衛学園にはなかったその炎がこの最終防衛学園を厳重に守っているのは間違いない。
第二防衛学園は侵校生の戦力を分散させるための囮で、ここには何もない。本当に守らなければいけないものは、最終防衛学園にある――学園を捨てて逃げろと告げた後私達にそう話してくれたNIGOUの言葉は、つまり、真実だったのだ。
NIGOUにも事情はあったはずだ。上の命令には逆らえない、って、NIGOUは時々漏らしていたから。だけど「今まで拙者達が守っていた学園が、ただの囮でござったとはな……」って狂死香ちゃんがショックを受けるのも、「高貴なアタシが囮だなんて、ふざけんじゃないわよ……!」ってくららちゃんが憤るのも、分かるのだ。私達は、だって、本気だった。第二防衛学園に人類を守るための大切なものがあるって信じて、命がけで戦った。毎朝集まって、みんなでトレーニングをした。私に場数を踏ませようと、もこちゃんはわざわざ学園の外に出向いて侵校生を倒すことを提案して、付き合ってくれた。十日目の、あの、悪夢みたいな戦いだって、もこちゃんを失ってまで乗り越えた。
なるほど、って、もう一回口の中で呟く。すごいんだねぇ、って、自分の感情と切り離した先で思おうとする。動揺でも、怒りでもない、拭いきれない喪失感を塗り潰すみたいに。
もしも私達が囮なんかじゃなかったら――第二防衛学園にも消えない炎の壁があったなら、もこちゃんは今もここにいたのかな。そういう、どうしたって浮かんでしまう「もしも」から、私は必死で目を逸らす。考えたって詮無いことだって言い聞かせる。
だってそうでもしなければ、恨んでしまいそうになるから。今私達の目の前に並んでいる、ありとあらゆる、いろんなものを。なんで、って思いたくなかった。こんな感情を抱いたって誰も幸せになんかならないって、分かりきっていたから。
「でも」って、不意に口を開いた希ちゃんの声に、無意識に閉じていた目を開ける。
私にとって、彼女はひなた。
「……でもその囮のおかげで敵の戦力を分断できて、本当に守らなくちゃいけない物を守れてたなら、今までやってきたことだって無駄じゃなくて、ちゃんと必要なことだったんだよ」
滔々と口にする希ちゃんの周りは、いつも微かな光が散っていた。
希ちゃんの目は、いつも真っ直ぐだった。もこちゃんを目の前で行かせてしまったことを悔やんで、いなくなってしまった彼女を捜し続けている希ちゃんは、本当だったらこの事実に誰よりも怒って良いはずだったのに。なのに、希ちゃんはその声を震わせることもしないのだ。
「…………希ちゃん」
思わず漏らした声は、私の足元にだけ音も立てずに落ちて行く。
――覚悟だ、って思った。たったそれだけ。希ちゃんの根っこには、きっと私達よりも頑強な覚悟がある。傍に立っていると足の裏からそれが伝染して、だから、私達は引っ張られる。あの日、人類のために戦うと私達が揃って決断できたように。
テーブルを挟んでこちら側でなされていた会話に、堪らないと言った声で「つーかさ」と口を挟んだのは、丸子くんだった。
「囮役がなくなったって事は、侵校生の攻撃って今までより激しくなんのか?」
継ぎ接ぎの短い学ランに、制帽を被った男の子。まだ出会って二日目だけど、彼が自身の感情に素直な人だというのは、それでも察するところがある。彼は「まぁ……連中からしたら二つあった攻撃対象が一つになる訳だしな……」と自身の懸念を肯定する厄師寺くんの言葉を聞いて、憚らずに頭を抱えた。「ツイてねぇ! あと七十日もあんのに!」って。
それに、胸の辺りがズキズキしてしまうのだ。言語化できない感情がお腹の底に沈殿して、胸までせり上がってくるような感覚に、喉のあたりになにかが詰まったような気になる。昨日から、ずっとそう。濁っていく。空気だけじゃなくて、私の中まで。希ちゃんがきれいにしてくれたものが、全部。
「私、そんなに持つ自信ないな……」って泣き言を言う川奈さんにも、「ま、ダメでも死ぬだけなんだし、どうせ死ぬなら今のうちから死んどく?」って冗談なのか本気なのか分からない様子で飴宮さんが続けるのも、全部、全部、ちゃんとは受け止められない。
息が、しづらい。
「心配しなくても大丈夫だよ。仲間も増えたし、みんなで力を合わせて戦えば……」
「別に、無理して戦わなくても逃げればいいじゃないっすか」
みんなを鼓舞する希ちゃんの言葉を遮るように響いたその声に、顔を上げた。
ずっと黙っていたからこそ、その声は良く響いたのだろうか。いっとう綺麗な面立ちをした男の子だった。彼は妹の――過子ちゃんを守るように、彼女の半歩前に立っていた。
「ほら、皆さんが乗ってきたバスを使えばもっと遠くにまで行けますし……」
ぐるりと周囲を見回した彼に、最後に視線を向けられたのは、ただの偶然に過ぎないのだろう。
それでも、あ、って思った。さっき見た靴の先を思い出した。九十九今馬くん。私が今まで出会った誰よりも美しい顔をしていた。細められた目、緩やかに上がった口角。纏う空気が違う人。
「――あれに乗って、東京団地を探しに行くのはどうっすか?」
その時私は、悲しい、って思ったのだ。
怒りとか、嫌悪とか、そういう類のものではなくて。ただ、悲しいって。