夢を見た。
 お父さんとお母さんと一緒に、東京団地のお祭りに行った日の夢だ。神社のある通りにずらりと並ぶ屋台は八歳の私には圧巻で、あちこちから漂うソースの香りや人々の喧噪といった、私を取り囲む全てが、きらきら輝いて見えていた。
 かき氷、焼きそば、射的、お好み焼き、フランクフルト、金魚すくい、夜に光る腕輪。全部、初めてだった。迷子にならないように繋がれた手も。慣れない浴衣は足のあたりから着崩れて、胸元をソースで汚してしまった。その時の、おかあさんの、目。
 細められたそれは、やわくて、やさしくて、少ししめっていた。ぬぐってくれた指先の、ぬるい温度。お母さんのお腹の中には妹がいて、浴衣越しに触れていたそのお腹の中が、もぞりと動いていた。たこ焼き屋さんに並んでくれていたお父さんが、封鎖された道路の、この日だけは座ることが暗黙の了解で許されている縁石にいた私達を見つけて、その目をぱっと見開かせる。ああ、いたいた、二人とも。探したよ。人混みの中から私達を見つけ出すその双眸。日に焼けた腕。溶けていってもゆるされるかき氷。夜空にぱっと開いた花火と、それを見上げる二人の横顔。お腹に響くおおきな音。「きれいだねえ、」。二人は私を見てくれた。
 私はそれを、愛だと思った。








 バスの窓に頭を預けて眠っていた私は、そこから差し込む白い光に瞼を緩く焼かれて目を覚ます。
 夢の記憶を反芻させながら、それでもいつまでもそのぬるさに残されずに済んだのは、視界に入る光景が余りにも荒んでいたからだ。ぼんやりと揺れる窓の向こうを眺める。まだ、学園らしき建物は見当たらない。
 最終防衛学園までの道は、どこもかしこもボロボロだった。
 きちんと整備されていたら、きっと一日なんて時間はかからないんだろう。昨日、爆発した第二防衛学園から何とか脱出したバスは、倒壊した建物を迂回し、多少の段差なんか無理矢理乗り越え進んでいた。何回か、明らかに侵校生を轢いていたような感触があったけれど、止まる気配はなかった。かつてはそれなりに大きな街だったのだろうことが窺い知れるビル群を通り抜け、一方で道なき道も強引に突破した。大きく揺れる車内は乗り心地が良いとは決して言えなかったものの、戦いを終え、NIGOUを失い、「家」を追われた私達は心身ともに疲れ切っていたから、完全に夜を迎える前には、私は気絶するように意識を手放していた。そうすることでしか、少なくとも私は、自分の心を守れる気がしなかった。
 眠っている間に、夜が明けていたらしい。朝陽に晒された地球は、酷い有様だった。折れ曲がった標識。割れた看板は文字が掠れてもう読めない。傾いて、二度と灯りのつかない信号機。罅の入った建物からは半分枯れた草が生え、生き物の気配はない。



「東京団地とは、大違い……」



 そう呟いたのは、誰も聞いてないって思っていたからだ。
 だけど、「え?」って声は、思ったよりもすぐ近くで響いた。ぎょっとして、座席から飛び上がりそうになる。咄嗟に声のした方を向いて、今度こそ息が止まった。だって、隣の席に面影くんが座っていたから。ばっちり目を開けて、私の方を見て。目が合った瞬間、彼は「殺あ」って笑った。



「おっ……!」



 もかげくん。
 言いかけた言葉をぐっと飲み込んだのは、ここで大きな声を出すのが憚られたからだ。時間ははっきり分からないけれど、空の感じを見るにまだ早朝だ。「あぁん、ダ、ダメでござるよぉ、聖十文字刀……みんなが、見てるぅ……」って言う狂死香ちゃんのむにゃむにゃした寝言が後ろの席の方から聞こえたし、それにくららちゃんの突っ込みが入らないところを見ると少なくとも二人が眠っていることは間違いなかった。希ちゃんと澄野くんだって、きっとまだ寝ている。
 それを彼も分かっているのか、面影くんもいつもよりやや控えめな声量で「おはよう、ちゃん」と、それはもう自然な挨拶をしてくれた。……眠る前は隣が空席だったことを思えば、そもそも彼の存在自体が自然でもなんでもなかったんだけど。



「お、おはよう……」



 だけど、彼はいつからここに座っていたっていうんだろう? 寝顔を見られてはいないだろうかと、「い、いつからそこに……」と恐る恐る尋ねれば、彼はちょっと考えたように僅かな沈黙を挟んだ後、「ついさっき……かな?」って、胡乱げな口調で笑った。
 嘘っぽかったけれど、確証がない以上は何も言えない。苦々しい笑みを貼り付ける私に面影くんは微笑んで、「目が覚めちゃってね。ちゃんなら早起きだし、そろそろ起きる頃なんじゃないかなって思ったんだ」って言った。話し相手になってほしかった、ってことなのかな。三十日に満たない共同生活の中で、私達はお互いのことを、ちょっとは分かるようになっていた。それが私はくすぐったくて、嬉しかった。
 私達が並んで座っているのは、バスの、丁度真ん中くらいの席だった。舗装されていない道を無理に突っ切るせいでバスはガタガタに揺れて、その度に身体を持って行かれてしまう。「あと、どれくらいで着くんだろうね」、照れくさくて、口走るように尋ねた。「うーん……」と考え込む面影くんは、全くいつもの彼だ。



「どれくらいかは分からないけど、昨日向こうを出たのが夕方近くだったことを思えば……もう半分は来ているんじゃない?」

「そっかあ、そんなかぁ……。最終防衛学園の人達、たくさんいるって言ってたけど、どんな人達なんだろ? 仲良くできるかな。緊張する~……!」

「うふふ……。ちゃんって人見知りしないタチなんじゃないの? 私達とのときは普通に喋れてたじゃない」

「あの時はなんか、こう、突然だったから……。元々そんなに得意じゃないよ、澄野くんともまだ上手く喋れる気しないし……」

「ああ……。そういえば確かに昨日、体育館で彼と話したときは私の後ろに隠れてたもんね?」

「そう、なんかね、ドキドキしちゃうんだよね。この後大勢の人と会うって思うだけで心臓が口から出ちゃいそうになる」



 本当は、面影くんと話している今もドキドキしているけれど。でも「ああ、いいねぇそれ……。もしも本当にちゃんの心臓が出ちゃったら、私がもらってもいい? 大切にするからさ」って冗談とも本気ともつかない口調で言われて、「だめっ……戻しておいて……!」と念を押せるっていう意味では、澄野くんへのドキドキとは種類が違う気がした。
 声を潜めながら、私達は二人並んで話をする。どうだっていいこととか、どうだってよくないこと。なるべく「これから」の話を。第二防衛学園と最終防衛学園って、構造はほとんど一緒だって澄野くんが話していたよね。とか。最終防衛学園を取り囲んでいるって言う「消えない炎の壁」って、一体どんな感じなんだろうね。とか。澄野くんが起きたら聞いてみようか。とか。
 面影くんがどうだったかは分からないけれど、私は慎重に言葉を選んでいた。第二防衛学園とNIGOUを失ってしまったことを、私達が囮だったことを、どう飲み下せばいいのかまだ分からなかったから。踏まないように、線で囲った。未だに行方知れずのもこちゃんと一緒に。ふたりは燦然と私の中で輝いているまま。
 そんな中で、一個だけ、「昨日は」って切り出したのだ。
 面影くんは、黙って私の顔を見ている。彼の花貌。その瞳が私を捉える度、緊張してしまって仕方がなかった。それでも瞼の裏に、昨日の出来事は今も焼き付いている。私達にせめて一矢でも報いようと短剣を握った部隊長の腕を切り落とした、彼の背を。一切の逡巡もなくその首を掻き切った姿を。
 お礼を言おうと思っていたのだ。本当は、パーティのときにでも。
 だけどそれは、もうないから。



「昨日はありがとう、面影くん」

「……うん?」

「昨日、助けてくれたでしょ? それのお礼、言えてなかったから……」



 あと、これはちょっと違うかもなんだけど。歯切れ悪く言いながら、「ごめんね」って続けた。
 微かに瞠られた面影くんの右の瞳に、私の姿が映っている。



「…………殺させちゃって、ごめん」



 愛のない殺しはしたくないんだけど、って、私達が第二防衛学園に来たばかりの頃、面影くんは言っていた。
 その時はその言葉の意味がわからなかったけれど、彼の「殺し屋」としての背景を教えてもらった今なら、少なくとも昨日のあれが、彼の望む愛のある殺しではないってことはわかる。相手は侵校生と言えど、人型だった。私は、無理だと思った。殺せないって。だけど、私は面影くんに殺させてしまった。そういう選択を、取らせてしまった。
 それでも面影くんは目を丸くしているだけで何も言わないから、慌ててしまう。あれ、ちがったかな、って。私、間違ってるのかな、って。混乱しかけた頭から言葉を探した。今の私には、少し難しい作業だった。



「えっと、あのね。その……面影くん、愛のある殺ししかしたくない、って言ってたでしょ? だけど昨日のあれは、面影くんのしたくない、愛のない殺しだったんじゃないかって思って、それでね、それで……」



 ごめんね、って、思ったの。
 言葉を選びながらそう口にした私に、面影くんは少しの沈黙を置いてから、笑った。
 ――笑ったのだ。
 眉尻を下げて、困ったような顔で。声をあげずに。それを見た瞬間、私は夢の中のお母さんが見せた顔を思い出した。やわくて、やさしくて、少ししめった目。私を包み込む両手。お母さんと同じ目を、面影くんはしていた。光がぱちぱち弾けた気がした。「……君は」。面影くんが、少し掠れた声で言う。



「君は殺っぱり、変な子だねぇ、ちゃん」



 その時、段差を無理矢理下りたのか、バスがガタンって大きく揺れた。前の方の席で、澄野くんが頭を大きく揺らして、窓にぶつけたのが視界に入った。「いでっ」って声も。
 面影くんの身体の奥を流れる景色は昨日からさほど変わっていないように思えたけれど、砂の纏わり付くような、黄色っぽさが抜けていて、空が青く澄んで見えた。面影くんを縁取る輪郭は白んで、薄く発光しているようだった。顔が熱くなっていくのが分かって、彼からぱっと目を逸らす。面影くんが、息だけで笑う。
 彼の口にした「変な子だね」が、いつまでも、私の耳にくっついて離れない。どういう意味か聞きたかったけど、もう、それ以上言葉が出てきそうになかった。


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