――異形の化物。
 もこちゃんを連れて行った部隊長のことも含めて、私は侵校生を率いる彼らをそういう風に捉えていた。だって、映像で見せてもらったあの時の部隊長も、今日の部隊長も、悪夢に出てきそうなくらいにおぞましい見た目をしていたから。
 部隊長は人類を脅かす侵校生を率いる化物だ。だけど、その皮が剥がされて消滅した先に現れた「これ」は、何だって言うのだろう。



「……あの……これって、どういうことなの……?」



 ぽつりと漏らした私の言葉に、ややあってから「どうもこうもないわよ……。部隊長なんでしょ、これが」と、くららちゃんが口にする。いつもの彼女と違って、どこかそれが自信のないような響きを伴って聞こえた気がして、ついその横顔を見た。変幻自在に表情を変えるトマトマスクは、言葉とは裏腹に、やっぱり困惑の色をしている。
 私達の足元には、「化物だったもの」が意識を失った状態で倒れていた。
 その頭には、禍々しい、奇妙な形をした角が対になるように生えていた。本来人間の目がある場所からも、牙のような角が鋭く伸びている。口と思しき箇所は大きく開かれていて、剥き出しの歯がずらりと並んでいた。
 一方、「それ」の首から下は私達人間のものと大差がない。仰々しい肩当てや胸当てといった装備はしていたけれど、きちんと手足があって、指だって五本ずつあった。その胸は微かに上下していて、そこに呼吸のための器官が備わっていることがわかる。



「なんだか……人間……みたいだね……」



 希ちゃんの言葉に頷く私達に、どこか言いにくそうに尋ねたのは澄野くんだ。「こっちの学園では部隊長を倒したことはなかったのか?」、そう言いながら、彼は私達を見回す。



「うむ……。戦ったことならあるでござるが……」

「逃げられちゃったんだよね。……実際にこうして殺ってみるのは初めてだよ」

「ちょっと! 倒したことがないってだけで自分の方が上だと思わないでよね? アンタがクソダサい童貞ってことにかわりはないんだから!」

「あのなぁ……」

「あ、あの、でも澄野くん、これって…………その…………」



 人間じゃないの?
 言いかけた言葉は、作戦室にいるNIGOUからの通信によってかき消された。「それは部隊長だよ、さん」って。いつもの愛らしい声が、私の名前を呼ぶ。どこか、窘めるような響きを含んでいた。迷いを断ち切らせるような、真っ直ぐな声だった。



「……確かに人の形はしているけれど、間違いなくそいつは侵校生――人類の敵なんだ。同情も躊躇も、いらないんだよ」



 NIGOUは静かに言葉を重ねていく。私達はそれに、言葉を挟むことなくいた。全員が押し黙って、部隊長を見下ろし、佇んでいた。



「だからそいつが目を覚ます前に、早くトドメを刺して……!」



 NIGOUにそう言われて、思わず息を飲む。
 いくら人類の敵で人間ではないって言ったって、私達を脅かす侵校生だって言ったって――人の形をしたものに、どうやって武器を突き立てられるだろう。
 私にはできない。そう言いたくても、声が出なかった。間違いなく、今この場においては私の感情が間違っているってわかったから。誰一人疑問の声をあげないことが、無理だと言わないことが、その証左だ。侵校生は私達人類を脅かす存在で、殲滅しなくてはならない相手だ。人型だろうとなんだろうと、特防隊員として、割り切らなければいけないことだった。知らず知らずのうちに握った拳が、手袋越し皮膚に爪を立てていた。それでも、どうしたって心が揺らいでいた。
 澄野くんは気絶する部隊長を取り囲むように立っている私達をぐるりと見回して、部隊長にトドメを刺すということがどういうことなのかを、話して聞かせてくれる。どういう原理かは分からないけれど、我駆力で以て部隊長にトドメを刺せば、その力を吸収できるんだ、って、彼は言う。



「それって要するに、強くなれるってこと?」



 そう静かな声で尋ねたのは、くららちゃんだ。「ああ、だから我駆力を上手く扱えないっていう……霧藤、には、無理かもしれない」っていう澄野くんの言葉を、希ちゃんは神妙な面持ちで聞いている。その横顔には哀しみの結晶のようなものが、今も滲んでいる。
 澄野くんは一呼吸空けてから、私達を見た。



「――誰がやる?」



 歪みの一つもない、正しく、真っ当な目。
 瞬間、心臓がどくりと音を立てた。選択を迫られて、心臓そのものを、ぎゅって鷲づかみにされたみたいだと思った。だけどそれ以上に、私はその目に、お腹を探られるような気になってしまうのだ。
 彼の視線から逃れるように、倒れた部隊長の姿を見る。人の形を模した侵校生だと釘を刺されたけれど、やっぱりそれは本当の人間の、男の人の身体に見えた。殺さなくてはいけないんだと思ったら、逃げ場なんか一個もない気がした。
 この場には澄野くん含め、私とくららちゃん、狂死香ちゃん、面影くん、それから希ちゃんの六人がいた。我駆力を上手く使えない希ちゃんを除かなければならないなら、あれを殺すことになるのは私達五人の中の誰かだ。
 我駆力を使ってトドメを刺せば部隊長の力を吸収し、強くなれる――澄野くんの言葉は頭の中をぐるぐると回っている。本当だったら、この中で一番弱い私が、お願いしてでもその役を買わなくちゃいけないんだと思う。だけど、手が挙げられない。自分があの、人の形をしたものに刃を突き立てる想像をしただけで背筋が粟立って、恐怖と緊張で心臓がばくばくと音を立てる。あれだけ侵校生を殺しておきながら、人型になったら嫌だなんて、なんて自分勝手なんだろう。
 足元の、黒いブーツの先を見る。「……そうね」って、くららちゃんが言う。



「――澄野は明日にはいなくなるんだし、これから先のことを考えたら、アタシ達のうちの誰かがやるべきよね」

「ごめんね、みんな……。本当だったらわたしも参加しなくちゃいけないのに……」

「何言ってんのよ。これで強くなれるんだから願ったり叶ったりだわ」

「東京団地の皆のためにも、諸悪の根源は絶ちきらねばならぬでござるしな」



 ぐにゃぐにゃのゴムの上に立っているような、緩やかな吐き気を覚えている。乾燥してひび割れた地面からかろうじて生える草の、茶色く変色したその一点を、ただ見つめている。私は、やっぱりできない。……怖い。でも、それを口にすることもできない。
 一度ぎゅって目を閉じた。そうして俯いていたから、目を開けたとき、それに気がついたのだろうか。
 視界の隅で、気を失っていたはずの部隊長の指先が微かに動いたことに。
 見間違いかと思った。だけどその指は私の瞬きの間に、はっきりとした意思を持って、自身の腰へと伸びる。あ、と思った。体温が一気に下がった気がした。部隊長は、意識を取り戻していたのだ。そして今、私達に一矢報いようとしていた。誰か一人にでも致命傷を負わせることができれば、その隙に逃げる算段でもあったのか。その動きに最初に気がついたのは、間違いなく私だったのだ。
 だから、もしも私に覚悟があったなら。
 私はこの時、即座に部隊長の首を刎ねたはずだった。自分の手を汚すことを嫌ったりしなかった。一つの判断の遅れで、状況が一転してこちらに不利になる可能性があるのだったら、間違いなくそうすべきだった。逡巡なんかすべきではなかったのだ。頭では分かっているのに、身体が動かなかった。
 限界まで無駄の削ぎ落とされた動作を、私は瞬きもせずに見ていた。恐らく、私が「それ」に気がついてから、一秒程度。世界が急激に彩度を失っていく。ほんの一瞬であるはずの動きが漫然とした、酷く緩慢なものに見えるのは、脳がここにいる誰かの危険を察していたせいか。半身を捻り一瞬で起き上がった部隊長の手が、短剣を握り直した。確実に命を奪える相手を、その鼻は瞬時に嗅ぎ分けていた。



「みんな、部隊長が――!」



 やっとの思いで絞り出した声に部隊長の意識と視線が完全に私を捉えたから、息が止まった。お腹の底がすうっと冷えて、血の気が引く。だけど足は動かない。私の脳と身体を繋ぐ糸が全部切れて、完全に分離している。
 さっきは皆が助けてくれた。面影くんが名前を呼んでくれて、くららちゃんが手を引っ張ってくれて、それで、澄野くんが地面に転がっていた私を助け起こしてくれた。だけど、これはだめだ。私以外は部隊長の動きに今気付いて、唯一その挙動を一瞬早く察していた私の足は、地面に根を張ったように動かない。危険を分かっていながらも、肉食獣を前に動けなくなってしまった草食動物みたいに、身体が言うことを聞かない。死を悟って、脳が認識する全てがスローモーションになっていく。部隊長の短剣の切っ先を見ている。こんな時なのに、私は思い出している。走馬灯みたいに。
 ハンバーガーショップで、いつものグループでおしゃべりしていたこと、もらった飴玉、空に透かしたら、キラキラしててきれいだった。高校の制服は可愛くて好きだった。私には難しすぎる化学の授業、カーテンが風にそよいでいたこと、お父さんがいたこと、丸いマンホール、妹の好きな男の子、いつも聞くサイレンとは違う音、美しい後ろ姿と血溜まり、私の光。
 いつも見ているだけだった。



「――!」



 澄野くんの、私を呼ぶ声。
 振りかざされた部隊長の腕は、だけど次の瞬間、血飛沫をあげながら地面へと落下した。
 ゴトン、って、大凡人体が発するとは思えない音と、耳を劈くような悲鳴に、「…………え」って、空気しか含まれていないような、すかすかの声が喉から漏れる。
 何が起きたのか、ちっとも分からなかった。だけど、部隊長の手から放たれるはずだった短剣は、地面に転がったそれに握られたまま。片膝をつき長い悲鳴をあげている部隊長の目の前で、千切れた腕を踏みつける足。筋状の雲が薄く広がる青い空と、私を守るように立ち塞がった人の、眼前にたなびくマント。



「――ちょっとオイタがすぎるんじゃない?」



 聞き覚えのある、その声が。
 彼が武器を握り直したのは、一瞬だった。彼は落ちた腕に躊躇無く体重をかけながら姿勢を落として踏み込むと、一息に部隊長の首を掻き切ってしまう。濁った悲鳴と共に噴き出した大量の血を浴びる彼の――面影くんの背。
 それが泣けるほど綺麗だと思った私は、もう、普通の生活に戻るにはこの場所に馴染みすぎていたのかもしれない。
 部隊長から噴き出た血は、粘度のある赤黒い霧のようなものになって面影くんの身体に纏わり付く。それは根こそぎ引き摺り出されて、面影くんへと飲み込まれていく。力の吸収。澄野くんが言っていた通り、本当にそうとしか表現できなかった。部隊長の悲鳴はか細くなり、腕はだらりと下がる。力どころか生気そのものを奪われでもしたように、その肌は弾力を失い、皮膚は黒ずんで、眼窩はただの空虚な穴になる。
 地面に落ちたその身体だったものは、もう、人間にすら見えなかった。



「あぁ……っ!」



 自身を抱きしめながら、恍惚を滲ませた声をあげながら振り向いた面影くんは、「すっごいねぇ……これ……!」って、うっとりと笑った。部隊長の力を得たおかげなのか、その目はいつもよりも爛々と輝いているように見える。「ちょっと面影! アンタ、何強くなれるチャンスをかっ攫ってんの!?」と面影くんに怒るくららちゃんに、「いや、今のは仕方なかっただろ……!」と庇う澄野くんの姿を見ながら、今更腰が抜けて、ぺたりとその場に座り込んでしまう。



「そもそも澄野がダラダラ喋ってるせいでこうなったんでしょうが! 危うくうちのが死ぬところだったのよ? アタシとに謝りなさいよ! ホラ早く! 全裸で地面に頭を擦りつけなさい!」

は兎も角なんでお前に!?」

ちゃん、大丈夫だった!?」

「だ、大丈夫……びっくりしただけ……」



 駆け寄ってくれる希ちゃんに、小さく頷く。
 彼女の身体の奥で、黒く、骨と皮だけになった部隊長の手の中に握られていた短剣だけが、淡く光り輝いていた。それを握る指だけが、かろうじてそれを人の形に見せていた。
 死んだ。本当に、死んだのだ。全てを奪い尽くされて。
 同情したわけでも、怖かったわけでもない、ただ驚いただけ。――殺させてしまったと、思っただけ。
 希ちゃんに背中を撫でられながら、「おろろ……! 完全にミイラでござる……」と目を丸くしている狂死香ちゃんと二人、部隊長の身体を興味深そうに観察する面影くんの横顔を見る。身体に上手く力が入らなくて、すぐには立ち上がれそうもない。お礼を言いたくても喉が震えて、声もまともに出せなかった。



「みんな、やったねー!」



 さすがだよー! と喜ぶNIGOUの声を聞く。「見事に学園を守り抜いてくれて……うるうる……本官は感動だよ……」って感極まったように続けるから、それですっかり面影くんにお礼を言うタイミングを逸してしまった。
 そうか、と、染みこむように思った。そうか、終わったんだ、って。
 あの時は取り逃がしてしまった部隊長を、私達は、今度は倒せたんだ。私は今回も足を引っ張ってしまったけれど、今だって危ないところだったけれど、それでも倒せたんだ。面影くんが、トドメを刺してくれた。座り込んだままいた私に、面影くんがその時振り向いた。彼の視線は雄弁だった。大丈夫? って、そう言っていた。だから私は小さく、何度も頷く。だけど、「あの、面影くん」と口にしかけた言葉は、くららちゃんの「、怪我しなかった?」にかき消された。
 NIGOUが「じゃあみんな! そろそろ戻って、マリトッツォパーティでもしようか!」って言う頃には、身体の震えも落ち着いていた。希ちゃんに手を差し出される。「行こう、ちゃん!」って笑う彼女に、私も頷いて、微笑みを返す。面影くんにお礼を言うのは、パーティのときでいいか、って、そう考えて。
 希ちゃんの手は温かかった。私達はちゃんと、生きていた。
 第二防衛学園での優しい思い出は、それでおしまい。


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