安全地帯なんか、どこにもないみたいだった。
 両手両足に鎌を持つ部隊長は戦場を縦横無尽に転がって、私達を翻弄した。移動範囲が広大なせいで、その動きを予測するのも一苦労だったのだ。
 部隊長が新たに率いてきた大量の侵校生達を同時に相手にするのは困難を極めて、知らずのうち、後手の戦いになり始めていた。戦況を見た澄野くんが早々に「部隊長はこっちで足止めする! 霧藤は援護、大鈴木とは防衛バリアを頼んだ!」と指示を出してくれなかったら、私達はまともに連携を取ることもできなかったかもしれない。
 どれだけトレーニングを詰んでも、こと侵校生との戦いにおいては戦況を見る目を養わなければ意味はない。私達はそれを無自覚に、もこちゃんに背負ってもらっていたのだ。彼女が欠けて、こうして部隊長が私達の前に立ち塞がって初めてそれに気がつくなんて、なんて皮肉なんだろう。それでも、それを悔やむのは、この戦いを無事に終えてからでなくてはならなかった。



「みんな! 負けないで、頑張って……!」



 祈るようなNIGOUの声援を受けながら、目の前の侵校生を切り伏せていく。それでも手が足りず倒しきれなかった侵校生達が、私達の間をすり抜けて、防衛バリアに特攻していく。自身の身体を盾にして、侵校生の進路を塞いでも足りない。NIGOUが準備しておいてくれていた防壁装置がなければバリアはとっくに破壊されていただろうことを思うと、ゾッとする。校舎に穴が空き、保健室が剥き出しになったあの光景は、まだ私の瞼の裏に焼き付いていた。
 心は擦り切れて、疲弊して、耐久率を下げていくバリア装置に焦りを覚えた。それでも膝をつくわけにはいかなかった。私達に学園を託してくれた澄野くんと面影くん、狂死香ちゃんのためにも、私達は次々と押し寄せる侵校生達を倒していく他なかったのだ。
 斬って、斬って、斬って、斬り続けて――段々とナイフを握る手の感覚がなくなってくる。侵校生からの攻撃で額は切れ、肩は腫れ、あちこちから血が出ていた。終わらない増援は、十日目の戦いに似ていた。こんな戦いが、私と面影くんからは見えないところで繰り広げられていたのだ。あの日はもこちゃんが助けてくれた。でも、もうもこちゃんはここにいない。もこちゃんのいたはずの場所には空洞があって、その闇は時折、私を飲み込もうと口を開ける。私はその穴に、足を引きずりこまれそうになる。呼吸が浅くなって、苦しい。



ちゃん! 大丈夫!?」



 不意に希ちゃんの声がして、顔を上げた。私に向かって打ってくれた弾丸が負った傷に膜を張るのを見ながら、「あ、ありがとう、希ちゃん!」って、慌てて声を張り上げた。こんなときなのに、「どういたしまして!」って笑ってくれる希ちゃんに、救われたような気持ちになりながら。
 口の中は砂と血で塗れていて、本当は気持ち悪くて仕方なかった。治療されたはずの怪我はもう痛くなんかないはずなのに、脳がバグを起こしたみたいに引き攣るような疼きを主張していたし、疲労で足は震えていた。ナイフだって、いっそ取り落とさないように手の平に紐で縛り付けておきたいくらいだった。色んな体液でべとべとになった身体は重く、視野は少しずつ狭くなっていった。だけど、武器を下ろすわけにはいかなかったのだ。もこちゃんが助けてくれた命を、人類の命運を、こんなところで諦めるわけにいかなかったから。
 酸素の足りない頭は霞んで、自分がどれだけ戦い続けているのかわからなくなる。こんな状態で、あの時のように別方向から挟撃されるようなことがなかったのは、救いだった。部隊長によって、きっと戦い方が違うんだろう。戦法に個性が出る、って言うのかな。でも、侵校生に個性も何もない。



「誘導しなさい、! アタシの防衛装置の射程に敵が近づくまでよ!」

「うん……! わかった!」



 わらわらと湧き出るだるま型の敵が、くららちゃんの作った防衛装置の砲台から出る弾をまともに受けて、その体液を飛び散らせていく。弾を受けてもなお残った侵校生を倒すのが私の役目だ。青い熊型の侵校生を背後から切りつけてトドメを刺して、次の敵を確かめるために振り向いた先、私は澄野くんが部隊長に向かって高く飛ぶその背を見た。
 部隊長は既に、幾つもの傷を負っていた。あちこちの皮膚が焼け爛れ、左手の鎌はもうほとんど、かろうじてぶらさがっているだけに見えた。私達が侵校生を片付けている間に、澄野くんや面影くん、狂死香ちゃんの三人は部隊長を確実に追い詰めていたのだ。
 風を受けた澄野くんのマントは青い空に舞うように、大きく翻っていた。黒いはずのそれは、私の目に、どうして白んで映るのだろう。
 まるで光そのものみたいに。
 頭上に抱えた刀剣を、彼は自身体重を乗せながら部隊長へと叩きつける。



「これで…………決める!」



 澄野くんは部隊長に向かって振り下ろした刀を、地面に足をつけると同時に切り返した。くの字になるように、彼の刀は部隊長の肩口から胸、腹を切る。瞬きのうちの、一閃のような斬撃だった。私はそれを、ただ見ていた。
 ――綺麗だった。
 陽の光は彼の赤い髪を柔く透かしていた。砂の混じった風にマントがたなびいて、その輪郭は光に淡く輝いていた。彼はまあるい空に包まれているように見えた。あまりにも綺麗だったせいか泣けてしまって、どこにも引っかからない涙が頬を流れていって、それで私、思い出しちゃったんだよ、澄野くん。あなたの背は、あまりにもにごりがなかったから。
 閉じられたカーテン。大理石のテーブル。蓋の開かない飾り物みたいだったピアノ。私達を取り巻くすべては作り物みたいに美しかった。美しいだけだった。ずっと傍にいてくれた人。あの小さな手。――澄野くん。呼ぼうとしたそれは、声にならない。
 だけど、私の裏側にへばりついたそれは剥がれ落ちず、そこに留まったままだった。直後、部隊長の身体から、黒い靄と血が混ざり合ったようなものが吹き出したのを見たせいで、現実に引き戻されたのだ。
 部隊長の巨大な身体は体液を吐き出しながら大きくのけぞる。断末魔の、苦悶の音を周囲に大きく響かせ、そのまま地面へと倒れていく。地面に倒れる音は地鳴りのようで、巻き上がった砂煙に思わずぎゅっと目を閉じた。距離があっても、その風圧と地響きは、私の身体を揺さぶるように響いていた。
 どれくらい、そうしていただろう。



「………………やったの?」



 やがて発せられたくららちゃんの細い声に、恐る恐る瞼を開く。
 音が、他に何もしなかった。私達は侵校生の無数の屍の中、立ち尽くしていた。まだ残っていたはずの侵校生は、どういうことか姿を消していた。部隊長の敗北を知り逃げたのか、或いは消滅したのか。つい周囲を見回して確かめてしまったときだ。私達のところに駆け寄ってきた希ちゃんが、私とは違う方を見ながら、「何? あれ……」って、呆然と口にしたのは。
 彼女の細い指が指したのは、地面に倒れた部隊長の身体だ。
 伏せたそれは、頭のてっぺん、空に近い部分から、徐々に滲んでいく。赤い光の粒子になって立ち上っていく。ゆらめいて、消えて行く。手足から伸びていた鎌ごと、その巨体を構成していた全てが輪郭を失って分解されていく。静かに、粛々と、正しく空に還っていくように。



「綺麗…………」



 思わず零れたといった様子の希ちゃんの言葉に、私も、くららちゃんも、何も言わなかった。ただ黙って、その光景を見ていた。だって、あれが部隊長の死だと言うなら、なんて美しい消滅なのだろう。
 私達は何も知らなかった。「世界死」のことや地球のこと、侵校生のことをいくらNIGOUから聞かされていたと言っても、その侵校生を率いる部隊長のことについては、無知も同然だったのだ。
 光が全て空気に溶け、部隊長の巨体が完全に消滅したその先に、「それ」はいた。
 澄野くん達の背の向こうに、私達はそれを見る。面影くんや狂死香ちゃんが目を見開いているのがわかるのに、澄野くんが動じている様子はなかった。彼はただ、そこに横たわるものを、見下ろしていた。
 部隊長を構成していたものが消滅した、その先に残されていたもの。
 私にはそれが、私達と変わらない、人間の身体そのものに見えたのだ。


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