彼は、ついさっき目を覚ましたところだったらしい。
 その割には意識も足取りもはっきりしていて、NIGOUに「どうだった? 第二防衛学園は最終防衛学園の構造とあんまり変わらなかったでしょ?」と尋ねられると、彼は「ああ」って緩く頷いた。



「流石に雰囲気はちょっと違ったけど……そうだな、ほとんど一緒だった。おかげでここまでも迷わなかったよ」



 耳にすっと馴染むような声が作るその言葉は、彼が最終防衛学園から来た、っていうことをきちんと肯定していた。
 学生鎧を脱いだ彼は、一見東京団地にいる普通の男子高校生と変わりない。白いスニーカー、細身のパンツにぶかぶかのパーカー、その上に羽織った薄手の上着。友達から兄弟、って紹介されても、全然違和感がないような男の子。
 ――本当に、本当に最終防衛学園の、特防隊の人なんだ。
 疑っていたわけではなかったけれど何だか感動してしまって、つい彼の顔をじっと見ていたら、目が合いそうになった。びっくりして息を飲んで、慌てて逸らす。だけど近くに居た面影くんの影に半身を滑り込ませてしまったのは、少し感じが悪かったかもしれない。緊張と不安と好奇心、それから期待が同じ分量で混ざり合って、どんな顔をしたら良いのか分からなかったのだ。
 けれど赤い髪の男の子はさして気にした様子もなく、助けてあげたのだから土下座と切腹をして感謝を示せと無茶を言うくららちゃんに、「切腹はお礼じゃないぞ!?」ってはっきりとした物言いで言い返していた。そうしているとなんだか、彼は物凄く真っ当な人のように見えた。
 自分を盾にして遠巻きに観察する私が気になったのだろう。首だけで振り向いた面影くんが、眼帯のしてない方の目を私に向けて笑うから、私は益々居たたまれなくなってしまう。



「うふふ……。ちゃん。私に隠れなくても良いんじゃないの?……恥ずかしがり屋なんだね。カワイイなぁ……」

「……う、ご、ごめんなさい、ちょっとドキドキしちゃって……」



 恍惚とした目を細めて私に囁く面影くんが真っ当ではない、というわけではないんだけれど(変わっているか変わっていないか、っていう言葉で形容した方が良いのかもしれない。それならば最終防衛学園からやって来た彼は普通の人に見えたし、一方で面影くんはやっぱり、変わった人だった)。面影くんの口にする「カワイイ」にいちいち反応してしまう自分の胸を軽く押さえながら、赤い髪の彼をこっそり窺う。
 彼は自分が二日以上も眠っていたということを知らされて、はっきりと狼狽していた。そりゃあそうだ。一体何があったかは分からないけれど、目が覚めてみたら丸二日経っていた、なんてことがあったら、ちょっと自分を疑ってしまうだろう。そう考えると、一番不安なのはきっと彼の方だ。同じ特防隊の私達に助けられたとは言っても、私達はお互いに顔すら知らなかった。第二防衛学園に馴染みがあるわけではない上にここには気心の知れた仲間もいないのだから、この状況を飲み込むことですら難しい。
 くららちゃんが私達にするようないつもの調子で彼にまくしたてるのを宥めながら、「もー、そんなに一気にまくし立てると、彼が困っちゃうでしょー。こういう時は、自己紹介から始めないと」とNIGOUが言う。普段はそそっかしいけれど、こういうときはきちんと場を収めてくれるのだ。NIGOUが「じゃあ、まずは本官から……」って続けるのを聞きながら、改めて彼を観察した。
 面影くんとは全く違うタイプで(というかそもそも面影くんと同じようなタイプの子なんかそうそういられては困るんだけど)、クラスにも普通にいそうな、良い意味で今時の男子に見える。目鼻のパーツがしっかりしていて、意思の強さがその瞳に宿っている。表情がわかりやすく変化して、多少狼狽えている様子は見えるけれど、裏表があるタイプには見えないし、優しそうだ。多分、同じクラスにいても普通に会話できたと思う。だから、ほっとしたのだ。眠っていた彼に無意識に抱いていたイメージと、ほとんど相違なかったから。



「――それで、最後はさん。彼女はとっても頑張り屋さんで、優しい女の子なんだよ」



 狂死香ちゃん。面影くん。それからくららちゃんを紹介したNIGOUは、最後に私に水を向けたから、「よ、よろしく……! です……!」と慌てて頭を下げた。
 だけど赤い髪の彼はきょとんとしたように私を見て、それから、「ああ、ええと……それだけか?」と口にする。まだ何か続きがあるんじゃないかって、不思議そうな顔で私とNIGOUとを見比べている。



「それだけ……!?」



 ちょっとショックを受けてしまったけれど、でもこの子だってこの流れでいきなり「頑張り屋さんで優しい女の子」なんて最後に私を紹介されたら、「それだけか?」ってなっても仕方ないのかもしれない。
 刀を腰に差し、語尾に「ござる」をつけて話す狂死香ちゃんは、くららちゃんに教えられた「肉離れ」をすっかり信じこんで彼に「残念ながら、もうお主は手遅れだ」と伝えてしまう程度には浮世離れしていたし(勿論、彼に肉離れはそもそも病気じゃないと指摘されていた。顔を真っ赤にして「くらら殿、また拙者を騙したでござるなっ!?」と叫ぶ狂死香ちゃんに、彼も微かな困惑の色を浮かべていた)、面影くんなんか殺し屋であることも、自身が人体改造がなされていることも初対面の彼にさらっと話してのけた。くららちゃんは大鈴木家の御令嬢だし、そうじゃなくたってヴィジュアルの癖も普段の語調も強すぎる。一般家庭に生まれ育ち、風貌も実に平凡な私では、この三人の中では必然的に浮くのだ。



「た、確かに特徴らしき特徴はないかも……。東京団地の平凡な一般家庭の生まれで、修行もしてなければ特技があるわけでもなく……。足がちょっと速いのと、怪我の治りがややはやいくらいが取り柄……?」



 指を折りながらなけなしの特徴を懸命にあげていく私にキシシシ、って声をあげて笑ったのはくららちゃんだ。



「ホラ、地味すぎて困惑されてるわよ、。アンタの特技を見せてやんなさいよ。裸でブレイクダンスしながら最後に決めポーズで牛乳を一気飲みして鼻から出すアレを……」

「ねぇくららちゃん私そんなのやったことないよね!?」

「え、ああ……そうなんだ……」

「や、やったことないよ!? ほんとだよ……!?」

「そうだよな、大丈夫。うん……わかってる……」

「ほんとかなあ……!? ふ、普通なんだよ、私……!」



 半泣きで歩み寄ったら、だけど彼は「いや、オレこそごめん、流石にそれだけか、は失礼だったな――えっと、よろしく。」と素直に謝ってくれたから、逆に申し訳なくなってしまった。
 第二防衛学園の中でも奇抜な風貌ではない枠の希ちゃんがここにいたら、彼の反応も違ったはずなのに。そう考えた丁度その時、NIGOUが希ちゃんのことを口にした。



「本当は後もう一人メンバーがいるんだけど……」



 だけど希ちゃんが戻ってくる様子はまだない。NIGOUも体育館の入り口をちらりと確かめてから「今はちょっとお出かけしちゃってるみたいだね」と言い添えるに留めていた。
 その後面影くんが、希ちゃんが探索に出かけていることを説明したのは良かったんだけど、「一生懸命でカワイイなぁ……。きっと中身もカワイイんだろうなぁ……」って意味深な発言をしたせいで、赤い髪の彼の方が「中身……!?」ってちょっと警戒してしまったみたいだった。先の自己紹介で面影くんから、「大好きな人を殺りたい」だの、「相思相殺こそが究極の殺し」だの「一人一人の殺しを大事にしたいタイプ」だの聞かされていたんだから、無理もない。
 ちらりと体育館の入り口を見る。「すぐ近くを見て回ってくるだけだから」って、今朝私が洗濯物を干しているときに部屋から出てきた希ちゃんは言った。私も行くよ、って言ったけれど、「洗濯の途中でしょ? 一人で大丈夫だよ」って断られてしまったのだった。
 希ちゃんは、もこちゃんがいなくなってから二十日近くが経っても尚、もこちゃんの、或いはもこちゃんを連れ去った部隊長に関する手がかりを探そうとしていた。部隊長と相見えることができれば、きっと何か分かるはずだって信じている。だけど、私も何度か探索に出ているものの、もこちゃんの痕跡を示すものはなかなか見つからないのだ。まるで、もこちゃんの存在そのものが飲み込まれて消えてしまったみたいに、残滓すら残されていない。
 皆がもこちゃんの生存を希ちゃんや私ほどには信じていない、っていうのは、薄々分かっていた。それでも探索に行くのを止めようとしないのは、無駄だからもうやめろと直接吐き捨てないのは、皆が優しいからだ。諦めきれずにいる希ちゃんを、私を、皆はただ見守っていてくれている。希ちゃんの切実なひたむきさに、皆の無償の優しさに、私は救われている。



「――じゃあ、次はキミの自己紹介だね。キミの名前を教えてくれる?」



 NIGOUの朗らかな言葉に我に返った。
 第二防衛学園の体育館の真ん中。窓のないそこは日中でも薄暗くて、隅っこにあるバスケゴールのあたりはいつも薄い闇が佇んでいた。だけど、どうしてだろう。今は何だか、彼の輪郭が仄かに光ってすら見えたのだ。
 私達と同じ特防隊で、東京団地を守る為に日夜「最終防衛学園」で侵校生と戦っていた男の子。私達と同じくらい――もしかしたら、私達以上に大変な目に遭っていたかもしれなかった。だってこんなところにまでやって来るくらいだもん。一体何があったのかは、だけどこれから直接聞けるはずだ。そう思うと、心臓の鼓動が強まった。
 その薄い唇が動くのを見ていた。彼が自分の名前を、なんてことのないように口にするのを、息を潜めて聞いていた。



「――オレの名前は澄野拓海だよ」



 澄野拓海。
 淀みなく発されたそれは、私の中にすっと染みこんでいく。
 私は、澄野くんのことを良い人そうだって思っていたのだ。きっと信頼できる人だ、って。何も知らないくせに、少し喋っただけで、ほとんど一方的に。
 まさかその後、「みんな、ただいまー」っていう伸びやかな声と共に体育館に戻ってきた希ちゃんの手を澄野くんが強引に掴むなんて、想像していなかったから。
 澄野くんは希ちゃんのことを、「カルア」って呼んだ。真に迫った声だった。彼の目は真っ直ぐに希ちゃんを捉えて離さなかった。何か大きな箱があって、そこから抜け落ちてしまったとびきりきらきらした彼にとっての宝物が今不意に目の前に現れて、それを咄嗟に掴んだ――そういう切迫めいたものが、その時の澄野くんにはあった。
 もしかしたら、二人は知り合いだったのだろうか、と思った。ここに来る前、東京団地で二人は会っていたんじゃないか。「カルア」っていうのは希ちゃんのあだ名か何かで、そう呼ぶくらいに二人は親密な関係で。だけど、だったらどうして希ちゃんは、彼を救助したときに何の反応も見せなかったのだろう?
 その疑問に答えをくれるみたいに、希ちゃんは、怯えたように澄野くんの手を振り払って、困惑した表情で「いきなり、何するんですか……?」って言った。
 私はそれがどういうことなのか、全然わからなかった。


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