目を覚ましたとき、一瞬自分がどこにいるのかが分からなかった。
何だか長い夢を見ていた気がするけれど、思い出せない。全身が妙に重くて、身動ぎの一つもできなければ声もまともに出せなかった。
ぼんやりとした頭でそれでも「東京団地じゃない」って気がついたのは、生まれ育った部屋の天井と今目の前にあるそれが違ったからだ。ああ、そうか、と思った。ここは第二防衛学園。私はもう、普通の女の子じゃない。退屈で平和で静かな日常を漫然と送っていた女子高生では、もうない。
ゆっくりと瞬きをしながら、思い出す。ここで出会った皆のこと。我駆力とか、侵校生とか世界死とか、十七年を生きてきた自分と一切の関係を持たなかったものたちのこと。侵校生との戦い。我駆力刀を突き刺したときの手の感触。日課になっていた朝のトレーニング。私をおんぶして歩いてくれた、向日葵みたいに笑う女の子。
ヒーローみたいな。
その時不意に、「――ちゃん?」と名前を呼ばれて、びくりと心臓が跳ねた。
「ちゃん、気がついたの……!? 大丈夫? 痛いところはない?」
そこには希ちゃんがいた。
驚きと、喜び。それらが丁度半分ずつ混ざり合ったような顔で、彼女は私を見ていた。どうして私の部屋に希ちゃんがいるんだろう。額に手を伸ばされて、その冷たさに思わず目を閉じる。「……まだちょっと熱があるね」って言う彼女の瞳は、いつもどこか、凝縮された哀しみのようなものが詰まっている。
「……ちゃん、あれからずっと眠ってたんだよ。……今日が十三日目だから、丁度丸三日。……覚えてる?」
「……まるみっか?」
吐き出した声はかすかすのがらがらで物凄くみっともなかったのに、希ちゃんはちっとも笑わなかった。希ちゃんの、そういうところが好きだった。
あれからずっと眠っていた。丁度丸三日。
希ちゃんの言葉を反芻させて、それからようやく小さく息を飲んだ。三日前、私達がこの学園にやってきて十日目のこと。突如として鳴り響いた警報。希ちゃんがその音に怯えていたこと。もこちゃんが彼女をおぶってあげて、三人で階段を駆け下りた。差し込む光。あの時、私の目にはなにもかもが美しく映っていた。戦いの前だったのに、まるで全てをこの脳に留めて、染みこませるみたいに。
眼科にある視力測定器の虹色の気球みたいに、それまでぼんやりとしていた像に不意に焦点があって、鮮烈にあの日の光景が浮かび上がる。
私はようやく思い出していた。あの戦いのことを。永遠の地獄のような一日を。
「……くららちゃんと、狂死香ちゃんは? 面影くんは?……もこちゃんは? NIGOUも……」
みんなは、無事?
掠れた声で尋ねたとき、希ちゃんは初めて言葉に詰まった。
彼女は、泣いていた。
「、アンタ熱があるんですって? 大丈夫なの?」
「殿! 拙者があーんしてあげるでござるからな!」
もしもこの身体がもう少し自由に動いていたら、希ちゃんが部屋を出て行ってから少ししてやってきたくららちゃんと狂死香ちゃんに抱きついていたかもわからない。
狂死香ちゃんはベッドサイドの丸椅子に座ると(元々この部屋になかったものだから、きっと私の看病をするのに、希ちゃんが持ち込んだのだろう)お粥が入っているらしい器にスプーンを差し込んだ。甲斐甲斐しく息を吹きかけて冷ましてから、彼女は宣言通り、「はいっ! 口を開けるでござる!」と私に微笑みかける。その笑顔に感極まって、私の視界は一瞬で潤んでしまう。
「くららちゃん、狂死香ちゃん……!」
「な、なによ。なんで泣いてんのよアンタ……」
「殿、やっぱりまだどこか痛むでござるか……!?」
「狂死香のフーフーがキモかったんじゃないの……?」
「ええっ!? 拙者のフーフーがキモくて泣いたの!?」
狂死香ちゃんとくららちゃんの言葉に首を振る。
三日前の戦いで、彼女達は二人とも侵校生に殺されてしまった。この目で直接見たわけではないけれど、あの時どれだけ二人に呼びかけても返答がなかったことが、私は恐ろしくてたまらなかったのだ。
――本当はあの時のことを思い出すだけで、恐怖と後悔で胸を掻き毟りたくなる。
北からやって来たと言う侵校生の大群と、「部隊長」。「要するに部隊長っていうのは、侵校生達の親玉のようなものだね」私が眠っている間に、NIGOUは皆にそう説明したらしい。あまり大きくはなかったけれど、その部隊長は宙にふわふわと浮いていて、頭上には天使の輪っかのようなものがあった。目と口と思しき器官が横にぐるりと囲うように連なる、奇妙な風貌をしていた。そんな風に、希ちゃんは教えてくれた。
こちらの様子を窺っていたのか、その部隊長は最後まで動くことこそなかったけれど、率いていた侵校生の数が尋常ではなかった。奮戦虚しく防衛戦は突破され、バリア装置も破壊されてしまった。南にいた私は砕け散ったそれにすっかり動揺し、面影くんに庇われて彼に致命傷を負わせてしまうことになったのだ。
保健室がその直後に破壊されてしまったのは、恐らく偶発的なものだ。だけどそのせいで、直後に敵の攻撃により深傷を負い命を落としてしまったくららちゃんと狂死香ちゃん、それから南の敵を一掃するために自分の命と引き換えに戦ってくれた面影くんを救うためのドローンは、動くことがなかった。
保健室の修理を行おうとしていたNIGOUは敵の攻撃により校舎にできた穴から連れ去られ、それを奪還しようとした私の攻撃は外れてしまった。私はその後、出血のために気を失ってしまうことになる。遠のく意識の中で、もこちゃんと希ちゃんの声を聞いていたことだけは、薄ら覚えている。
希ちゃんの話によると、その後NIGOUはもこちゃんの手により無事奪還。命を落とした三人はNIGOUの直した保健室から飛んできたドローンに回収され、蘇生マシーンへと収容されたと言う。あと少しでも処置が遅ければ、蘇生は間に合わなかった可能性が高かったと、NIGOUは言ったそうだ。
こうして振り返って見ても、酷い戦いだった。校舎が侵校生の手に落ちず、間一髪ながらも皆が無事に蘇生されたのは、ほとんど奇跡みたいなものだった。あとからあとから流れる涙はどれだけ拭っても追い付かず、手の甲がぐしょぐしょに濡れる。
「よ、よかった、よかったよぉ……! もう二人に会えないかと思った。もうだめなんじゃないかって思った……!」
しゃくりあげながら言う私に、くららちゃんは肩を竦めた。「三日も寝てたヤツがよく言うわよ」って。
「……そんなのこっちの台詞よ。良いから栄養取って、さっさと復帰しなさいよね。……狂死香のフーフーがいくらキモくても」
「拙者のフーフーそんなにキモい!?」
「キモくない~……!」
証明するために、差し出されたままだったスプーンに向かって口を開けた。もしかしたら、自動調理マシーンが作ったものではなかったのかもしれない。卵の殻と塩の塊が、口の中でガリって音を立てた。
だけど、全てが愛おしかった。
「殺あ、ちゃん。……調子はどう?」
まだ熱があるって聞いたけれど。
くららちゃんと狂死香ちゃんが出て行ってから少ししてやって来たのは、面影くんだった。まさか彼まで部屋に来るとは思わずほとんど飛び上がりそうになりながらも慌てて身体を起こそうとするけれど、面影くんは笑って「寝てていいよ」って言ってくれたから、その言葉通りに頭を戻した。多分、この時もしも面影くんが他のことを言ったら、私はできる限り彼の言う通りにしただろう。逆立ちしろって言われたらしていたし、土下座しろって言われたら床に頭を擦りつけていた。それくらい、申し訳なさと動揺で、頭がいっぱいだったのだ。
「あ、あの、面影くん……!」
意を決して呼びかけたのと、枕元にやってきた面影くんが私の額に手を触れさせたのは、ほとんど同時だ。希ちゃんと同じ事をされただけなのに、心臓が跳ねて体温が一気に上がった気がする。面影くんは、「ああ、結構熱いね……。解熱剤を持ってきたんだけど、飲む?」といつもの穏やかな口調で私に尋ねたから、びっくりして、どうしたらいいかわからなくて、頷いた。
「――昨日希ちゃんと探索に行ってね。良い材料が見つかったから、作っておいたんだ。早速出番があってよかったよ……」
「お、お薬が作れるなんて、すごいね」
「ああ、身体に入れるものだし心配? 効果の方は安心して良いよ。一応私はこれでも、医者の家系だからね」
「えっ、お医者さんなの……!?」
「うふふ……表向きの話だよ」
裏の家業は殺し屋で、そっちが本職、ってことなんだろう。びっくりしつつ、噛み砕くようにして飲み込む。そんなの、初めて聞いた話だった。私は皆のことを、まだ全然知らないんだろう。濃すぎる十日間を過ごしていたから、まるでずっと昔からの友人のように思ってしまっていたけれど。
彼の生い立ちは映画とか本の中の出来事みたいで、何度か頷きかけて――それではっとした。違う、こんな話をしている場合じゃなかった。私は腕に力を入れて重たい身体をどうにか起こすと、丸椅子に座る面影くんを見つめる。
青い髪。切れ長の瞳の片方を隠す眼帯に、いくつも開いたピアス。いつもの袴姿の彼は血色もよくて、お腹もへこんでいなかった。それに泣けるほど、安心した。
私はベッドに座ったまま、「面影くん」と、改まって彼の名前を呼んで居直る。本当は正座して手を揃えたかったけれど、いくら外傷は眠っている間に希ちゃんの学生兵器で治療してもらっていたとは言え、三日間をベッドで過ごした身体はそこまで機敏には動かせなかった。だから、そのまま頭を下げる。
「わ、私のせいで、面影くんを死なせちゃって、ごめんなさい……!」
――本当に、どう責められたって文句は言えない。
私が狼狽えたせいで、面影くんは酷い怪我を負ってしまった。私が一緒じゃなかったら、彼はきっと死なずに済んだはずだった。
「お腹の怪我、痛かったよね、ほんとにごめんなさい。その……蘇生マシーンで復活した、って聞いたけど、痕とかにはなってないの……?」
「……ああ、流石にそれは大丈夫だよ。……見てみる? 私のお腹」
「み、見ない……っ」
羽織に手をかけて半分脱ぎかけていた面影くんから顔を逸らしながら制すると、面影くんは楽しそうに笑った。目を伏せて、微かに口角をあげて。私の良く知る面影くんの笑顔だった。もう見られないかもしれないと思っていたものだった。
「いいんだよ、別に」
脱ぎかけた羽織を元に戻しながら、面影くんは静かに言う。
「あの時も言ったけれど、あれは私のエゴなんだ。ちゃんを死なせたくないっていう、私の我儘。……それを押し付けて勝手に死んで、ちゃんを一人残してしまった。……辛い思いをさせてしまったね」
「そ、そんなこと」
「――背負わせてしまってごめんね、ちゃん」
だけど、君を守れて良かった、って。
その言葉に胸を打たれて、本当は泣きたかった。
だけど今ここで泣いたら、面影くんの優しさにつけこんでしまう形になる気がしたのだ。ぎゅっと唇を噛んで、首を振って、喉の奥の痛みや目の熱さに堪えていると、面影くんが笑った。「……あれ? 私には泣いてくれないんだ?」って。きっとくららちゃんと狂死香ちゃんから、私がみっともなく号泣した話を聞かされたんだろう。「泣きそうだけど、がまんしてる」って素直に答えたら、「うふふ……別にそんなの、必要ないのに」って目を細められて、困った。
私を取り巻く全ては、あまりにも優しすぎる。
希ちゃんは、もこちゃんが件の部隊長に連れ去られたと教えてくれた。
だからもこちゃんを探すんだって。絶対取り戻してみせるって、泣きながら、彼女はそう言った。
くららちゃんと狂死香ちゃんに、「早く元気になって私ももこちゃんを探しにいくんだ」って言ったら、くららちゃんは少しの沈黙のあと、「……そうよね」って頷いてくれた。狂死香ちゃんも。
もこちゃんがいなかったら、私達は全滅して、きっともう東京団地もだめになっていただろう。
次に泣くのはもこちゃんと再会してからにする、って言った私に、だけど面影くんは薄く笑ったまま、何も言わなかった。
もこちゃんのいない第二防衛学園は、翳りの部分が僅かに濃くなって、何かが欠けてしまったように静かだ。