誰か助けて。
 自分の呼吸の音しか聞こえない。視野が段々狭くなって、血まみれで倒れている面影くんの周囲が黒く塗り潰されていく。「――面影くん」名前を呼んでも、彼の指の先も動かない。だめだ。だめだ、と思った。だめだ。全部もうおしまいだ。だってくららちゃんも狂死香ちゃんも、死んでしまった。ここからじゃ校舎の北側の様子は正確には分からないけれど、でも、だって、いくら二人に話しかけても、さっきから返事がない。それなのに、皆を救うはずの死体回収ドローンは今も静まったまま。
 防衛バリアはもうとっくの昔に破られていた。校舎の三階は一部が大きく抉れていて、鉄骨を剥き出しにしていた。立ち上る黒煙に紛れるように、北の方角から空を飛んでやって来た侵校生が三階の、破壊されて大きく口を開けた校舎に侵入していった。
 動かなきゃと思うのに、動けない、あちこちが痛くて、身体を動かすための何か大事なものを自分が失っている気がするけれど、今の私にはそれが一体なんなのか、分からないのだ。
 ――間違えた。
 一体どこで間違えたんだろう? どうしてこんなことになっているんだろう? どこからやり直したらいいんだろう。



「……面影くん」



 乾いた口で、もう一度彼の名前を呼ぶ。面影くんが自分の命と引き換えにこっち側の敵をぜんぶ殺し尽くしてくれたから、私は一人、血の海に座っている。








 前回の防衛戦が、遊びに思えるくらいの大群だった。
 酷い消耗戦だった。次々に押し寄せる侵校生に、私達はどんどん後手に回っていた。それでもどうにか押し切られずにいたのは、希ちゃんが私達の治療に専念してくれていたからだ。
 戦場を駆け回り、侵校生を切り裂き、囲まれかけては抜け出して、希ちゃんからの回復弾を受けて戦った。侵校生の攻撃はやむことがなく、どれだけ倒してもキリが無かった。永遠とも思える時間だった。ナイフを握る手は、もうずっと前から感覚がなかった。
 もこちゃんが取りこぼした侵校生を、狂死香ちゃんと面影くんとで引き受けた。くららちゃんの作った設置型兵器が放った大砲によってその身体に穴を空けた侵校生を盾にして、狂死香ちゃんの斬撃でバランスを崩した青い熊を切り伏せた。もこちゃんが空に放り投げた敵を面影くんが長い手を操って空中で滅多刺しにするから、辺り一帯は血と細切れになった内臓に塗れていた。敵の侵攻は、ずっと続いていた。
 いつか攻撃は止むはず、そう信じる他なかった。肩で息をして、学生鎧をボロボロにして、返り血なのか自分の血なのかわからないものに塗れていた。怪我をしては希ちゃんに塞いで貰って、死を恐れる様子のない侵校生へと立ち向かった。日は既に頭の上にあった。あまりに長い戦いで、一太刀浴びせる度に自分が摩耗していく気がした。どこが痛いのか、今自分がどういう状態なのかもわからなくて、時々聞こえるもこちゃんの「みんな、大丈夫!?」に意識を引き戻された。



「きっともうちょっとの辛抱よ! もうすぐ敵の攻撃も止むわ! だから、どうにか持ちこたえましょう!」



 その言葉に縋るしかなかったのだ。
 トレーニングで鍛えたはずの身体は、きっとそれ以前よりはマシではあったんだろうけれど、無尽蔵の体力を持つには至っていなかった。集中は徐々に切れ始めて、浅い攻撃が増えた。それでもお互いがお互いを助け合って、かろうじて線を繋いでいた。
 もうすぐ敵の増援も止まると、信じるしかなかったのだ。
 もうすぐ終わる。敵の侵攻は、もうすぐで止まる。そうしたら皆で喜び合って、だけど私は多分、一旦地面に倒れる。もこちゃんが「お疲れ様!」って笑って、私のことを支えてくれる。そして、食堂に行くのだ。好きなジュースで乾杯して、もこちゃんは「今こそ完全食を摂取するときよー!」って、使ったエネルギーを取り戻すかのようにお肉を食べる。くららちゃんなんかはそれを見て「よくあの戦いの後でそんなもん食べれるわね」ってげんなりした顔をするのだ。狂死香ちゃんは刀に甘えて、面影くんは「皆の血、セクシーだったなぁ……」って身悶えして、もこちゃんに「ちょっと男子ーっ! セクハラよー!」って怒られる。希ちゃんと「本当に大変だったね」って言い合って、長く苦しかったこの一日を、笑って終える。
 そんな細やかな願いを、どうして叶えてもらえないんだろう。
 もこちゃんが討ち漏らす敵が増え始めた頃だった。希ちゃんからの回復弾が遅れだして、防衛バリアを生成する装置に向かう侵校生を止めきれなくなった頃だった。――NIGOUからの絶望的な通信が、私達の耳に飛び込んで来たのは。



「――みんな、聞こえる!? 大変だよ! 校舎の北側からも侵校生が……っ! 侵校生がーっ!」



 これで気力を保ち続けろなんて、どうして言えるだろう。








 学園を囲むように四方に一カ所ずつ存在するバリア生成装置は、一つでも破壊されてしまえば無力化されて、学園を覆う膜は消滅してしまうことになる。
 そんな中で、校舎の北に敵の陣営を確認したとNIGOUは言った。既にそこから、今まで以上の敵がこちらに押し寄せてきている、って。だけど校舎正面、南からの敵の攻撃が止むわけではない。校舎北にも防衛バリアを生成する装置がある以上、私達は二手に分かれて、二方向からの敵の攻撃を防がなければならなかった。そうしなければバリアが消滅し、校内に敵の侵入を許してしまうことになるから。



「む、無茶言うんじゃないわよ……! この状況で、二手に分かれる余裕なんかあるわけないでしょ……!?」



 バリア装置へあと一歩――というところだった敵を、すんでのところで切り伏せた。疲労で吐き気を覚えて、膝に手をついて軽く嘔吐く。口から漏れた胃液と涎の混じり合ったものを袖で拭う。そうじゃなかったらきっと、私も弱音を吐いていた。
 私達は全員、満身創痍だった。戦い、傷つき、疲弊していた。いくら希ちゃんの手で怪我は治っていると言っても、先の見えない戦いに精神はすり減っていく。いっそ一度死んでしまった方がこの精神的な摩滅はリセットされるんじゃないだろうか――そんなことを考えてしまうくらい、追い詰められている。
 だけど希ちゃんは、くららちゃんの言葉に首を振った。「諦めちゃだめだよ……!」って、そう言った。



「だってわたし達が諦めたら、東京団地が終わっちゃうんだよ……!? 諦めないで、戦おう……!?」

「だから、それが無茶だって言ってんのよ……! この状況でどうやって北に戦力を割くって言うのよ……!?」

「それでもやるっきゃナイト、でしょ!」



  その時そう叫んだのは、もこちゃんだった。あの日のように敵を投げ飛ばし、その回転でもって、彼女は私達の方へと振り向く。
 三つ編みを揺らして、大きくて澄んだ、ガラスのように美しい目を私達に真っ直ぐ向けて。



「アタイ達が諦めたら、そこで試合は終了……」

「あ、安西先生……ッ! 安西先生でござるか……!?」

「だったら引くわけにはいかないわ! 世紀末破壊天女、喪白もこ! みんなのことも東京団地のことも、アタイがまとめて守ってあげる!」



 閃光が見えた気がした。
 ――それはまるで光の花束のような。
 太陽を背負ったもこちゃんの輪郭は光に透けていた。足元のモーニングスターを拾い上げて構えると、もこちゃんは振り向きざまに、背後の侵校生を吹っ飛ばす。私達はその姿に、圧倒される。



「――NIGOUちゃん! 北には何人行けば良いかしら?」

「えっと……そうだね、半分以上……できれば四人はそっちに割いてほしいな。南の方もまだ増援が続いているけど、さっきまでよりは大分ペースが落ちているから……」

「まるっきり増援が止まるってわけじゃないのが悩ましいところね……。…………じゃあ、南を担当してもらうことになる二人のうち一人はちゃんに任せてもいい?」

「えっ」



 急に名指しで呼ばれて、顔を上げた。
 付近には、これまで私達が殺した侵校生の屍が転がっていた。私を振り向くもこちゃんの背の遥か奥には、新たな敵影が見える。こうして話をする余裕があるってことは、NIGOUの言う通り、確かにさっきまでよりは増援が投入されるペースが落ちてきているらしい。その分が北に回されていると見るべきか、ここまでの私達が敵の想定を上回るペースで侵校生を駆逐しているために挟撃のタイミングとバランスがややずれたと捉えるべきか、それとも、これ自体が敵の作戦か――私には何もわからなかった。
 わからなかったし、それに、たった二人で敵と戦える自信なんか、なかった。
 怪我はその都度治療してもらっているとは言え私は疲弊しきっていたし、そもそも私はみんなより弱い。希ちゃんのように傷の手当てができるわけでもなければ、くららちゃんのように兵器を作ることもできない。狂死香ちゃんほど戦いに慣れているわけでもないし、面影くんみたいに広範囲の敵を一掃できる器用さも持ち合わせていない。もこちゃんみたいに、圧倒的な力を持っているわけだって。
 けれど、でも、もこちゃんの目が大丈夫って言っていた。
 ――私を信じてるって。
 もこちゃんに見つめられながら、私は今日までの十日間のことを思い出していた。
 初めての防衛戦、怖くてたまらなかった。だけどもこちゃんは、「大丈ブイよ」って笑ってくれた。名前で呼んでって言ってくれた。「守ってあげる」って言ってくれた。私に足りないのは経験だって言って、学園の外にまで付き合ってくれた。命を助けてくれた。おんぶをしてくれた。――もこちゃんは、私にたくさんの勇気をくれたのだ。自信をくれた。ここで無理だと首を横に振るのは、これまでもこちゃんが与えてくれた全てを否定することだ。それだけは、絶対にしてはいけない。
 両手で頬を思いきり叩く。萎びそうになっていた心は、それだけで随分持ち直した。もこちゃんをじっと見返して、「やる!」って、一つ一つ響くよう、はっきりそう言った。
 もこちゃんの双眸が、嬉しそうに細められた。それだけで、充分だったのだ。



「こっちは任せて。絶対防衛装置は守ってみせるから……!」

「……じゃあ、私もちゃんと一緒にこっちに残ろうかな?」



 思いがけない提案に、思わずそれを口にした面影くんの顔を見る。いつもの彼より、僅かに疲労の滲んだ横顔。「南からの増援が減っているっていうんだったら、さっさと片付けて北に合流するのが一番合理的だろうしね」眼帯に隠されていない方の目をやや伏せながら、彼はそう続けた。
 消去法だったんだと思う。第二防衛学園のエースであるもこちゃんや傷を癒せる希ちゃんが北に向かわないわけにはいかなかったし、兵器で敵を迎え撃てるくららちゃんもまたそちらにいるべきだった。狂死香ちゃんか彼のいずれかが南に残るというなら、より広範囲の敵を一網打尽にできる自分の方であるべきだと考えたのだろう。こちらを手早く片付けて、北の戦いを手助けするために。
 もこちゃん達もそれに異論はないらしい。「じゃあ、お願い!」と言い残すと、四人はNIGOUに急かされるまま、校舎の北側へと向かって駆け出した。遠ざかるもこちゃんが、最後に私達に振り向いて大きく手を振った。光を背負う人。向日葵みたいな女の子。



「二人とも、また後で会いましょうね!」



 また後で、って言ったんだよ。もこちゃん。
 全部叶わないなんて、思ってなかった。


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