最初に侵校生を発見したのは、霧藤さんだった。
 学園から随分歩いた廃墟の一角だった。私達に向かって口元に指を立て、崩れた建物の壁に身を隠す霧藤さんは、そろりと通りを覗き込む。息を潜めて彼女の身体の後ろからその視線の先を見ると、そこには確かに三日前、第二防衛学園に攻め込んできたのと同じ侵校生がうろうろしていた。声が出そうになって、慌てて両手で口元を押さえる。無意識に後ずさった身体を背後のもこちゃんが受け止めてくれなければ、もっと大きな音をたててしまっていたかもしれなかった。
 視界の先でまず目についたのが、光沢のあるだるまに手足と角が生えたような、一つ目の侵校生だ。五十センチ程度の大きさで、私達が戦った侵校生の中では一番小柄。それぞれ武器を持っていて、三匹が一塊になって行動する。
 ナイフで一突きしただけで死ぬくらい脆いものの、先日の防衛戦では圧倒的な数のあいつらに手数が足りず、あわや囲まれて逃げ場を失うところだった。もこちゃんがジャイアントスイングで侵校生を投げ飛ばし、退路を作ってくれなかったら、膝を擦りむくどころじゃすまなかったかもしれない。
 それから、大きな青い熊。つるつるした質感で、遠目から見ると可愛いフォルムをしているのに、本物の熊かと思うほどに大きいのだ。太い腕を振り回すそいつの爪に切り裂かれたら、ただでは済まないだろう。わらわらと蠢く小さな侵校生の中、この青い熊に関しては一体しか見あたらなかったことだけが唯一の救いだった。
 侵校生は数体でまとまりつつも、探索とか、斥候とか――特に何か目的があって行動しているようには見えなかった。カラフルな見た目も相まって、そうしているとまるで人類の敵であるようには思えない。だけど、あれらは間違いなくそうなのだ。地球が世界死に抵抗する人類のために産みだした、私達の敵。
 そう思ったら恐怖もそうなんだけど、改めて、あまりのスケールの大きさに眩暈がしそうになった。なんでそんな大変な戦いに私が選ばれたんだろうって、やっぱりどうしても思ってしまうのだ。



「……うん、やっぱり、思ったほど数は多くないわね」

「強そうな侵校生もいなそうだね」



 もこちゃん達の言葉に、顔を上げる。一帯にいるのは、ほとんどが数で翻弄するタイプの小さい侵校生だ。あの大きい熊に気を付けて、もこちゃんや霧藤さんと離れないように気を付ければ、戦えないということもない……と思う。どちらも一度戦った相手なのだから。
 恐らくもうこのあたりまでドローンは来ることができないだろう。屋上から遥か遠くにけぶって見えた、この辺りでは一番大きな半壊したビルの足元にいることに気がついて、緊張感が増す。
 侵校生達はこちらに気がつく様子もなく、こちらに背を向ける。あ、今、チャンスかも。ドキドキする心臓を学生鎧の上から押さえて、息を深く吐いた。「二人とも、準備はいい?」もこちゃんの言葉に、ややあってから頷く。大丈夫、私は自信がないだけ、実戦では動けるはず、兎に角場数を踏んで、経験をつんで、そうしたら皆みたいに戦える――もこちゃんの言葉を反芻させて、腰のナイフを鞘から引き抜く。



「…………今よ!」



 その言葉を合図に、私達は物陰から飛び出した。








 もこちゃんの学生兵器は、持ち手と鎖で繋がったモーニンスターだ。鉄球部分は女の子らしいピンクに装飾されていて、無数にある棘の部分が血のように赤い。
 まとまって行動する侵校生を一息に薙ぎ払うことができるそれは、校舎を守る防衛バリア目掛けて突進してくる敵を攻撃するのには向いていたけれど、今回のようにバラバラに動く侵校生に対してはどうしても効率が悪い。「ごめりんこ、ちゃん! そっち行っちゃったー!」そう叫ぶもこちゃんに「うん! 任せて!」と答えて、小さい侵校生の背後を取る。振り向く敵の呼吸に合わせて、踏み込んで――切る。
 ぎゅわ、と断末魔の悲鳴をあげながら体液を飛び散らせるそれに、咄嗟に顔を顰めた。生ぬるい血の感触は、やっぱり怖気が走って仕方が無い。ナイフの血を空で払った直後、再び私の名前を呼ぶもこちゃんの声に顔を上げる。「ごめーん! またそっち行っちゃったー!」もこちゃんの横をすり抜ける侵校生に、休む間もなく駆け出した。
 いくら侵校生の数が少ないって言っても、今日はこちらも三人だ。躊躇する余裕も、何かを考える暇もない。
 崩れた外壁を足場にして、高く飛ぶ。落下の速度を利用しながら、侵校生に向かってナイフを振り下ろし、切り裂いた。手に残った感触でトドメを刺せたのは分かったけれど、着地の瞬間隙ができることまでは考えていなかったのは、それこそ場数を踏んでいないせいだと思う。次の動きに繋げるのに一拍の間が空いたのを、背後の侵校生は逃さない――。



さん!」



 無防備なまま敵の攻撃に晒されようとしていた私を救ったのは、乾いた発砲音だった。
 パン、という音と同時に目の前の侵校生が爆ぜて、カラフルな皮や内臓が撒き散らされる。驚きすぎて、ヒュ、と喉が鳴った。つい直前まで、眼前に振り下ろされようとしていた槍があったのだ。「あわ……」と漏れた声は無意識で、侵校生の残骸と共に地面に転がるそれを見て、顔に飛び散った体液を拭う。ドキドキする心臓を、服の上から押さえる。



「あ、ありがとう霧藤さん……! 今めちゃくちゃ危なかった……!」

「ううん!」



 口にした私に、霧藤さんは緩く笑って首を振った。あれに一突きされたくらいじゃ死にはしないだろうけれど、それが原因で失血死する可能性はゼロじゃない。当たり所によっては失明してたっておかしくなかったんだから。目を突き刺される想像をして、背筋が粟立った。「大丈夫だよ。気にしないで、さん!」そう言ってくれる霧藤さんは、白い人工の学生鎧姿も相まって、天使みたいに見えた。
 膝に両手をついて、立ち上がる。その時興が乗ったのか、モーニングスターを投げ捨てたもこちゃんがあの大きな青い熊の侵校生の足を鷲づかみにして、自身の身体を回転させながら遥か彼方へ投げ飛ばすのを見た。飛ばされた侵校生は、運悪く折れまがった標識に突き刺さり、自重に身悶えしながら息絶える。
 もこちゃんは吠えるように叫んだ。「アタイは世紀末破壊天女、喪白もこ!」って。



「今日のアタイは、絶好調中畑清よー!」



 その言葉に、もこちゃんの快進撃に、どれだけ勇気づけられただろう。
 もこちゃんの周囲には、いつの間にか、あの小さな侵校生の屍の山ができあがっていた。彼女が取り逃した分なんて、ごく一部だったのだ。目の前のことばかりに気がいってなかなか気がつけなかったけれど、もこちゃんはほとんど一人でこの一帯の敵を片付けてしまっていたらしい。彼女は微かな土煙のあがる廃墟の中、怪我の一つもせず、泰然と立っていた。
 やっぱり、もこちゃんってすごい。ムードメーカーで、明るくて前向きで優しくて、そして圧倒的に強いのだ。
 もこちゃんは光そのものだった。周りを気にかけて、いつもにこにこしていて、私達を守ってくれる。ヒーローみたい、って言ったら、だけどもこちゃんは「もー! アタイはこれでも女子よ!」って笑うだろう。だけど、本当だよ、と思う。本当にもこちゃんは私にとって、正義のヒーローみたいだった。
 白いスカーフを風に靡かせて振り向くもこちゃんは、「これで敵は殲滅したわね!」って、ウインクしてみせる。その仕草に、張り詰めていた緊張が緩む。



ちゃん、ちゃんと動けてたじゃない! あの身のこなし、ゴイゴイスーだったわ!」

「ほ、ほんと……? よかった……。でも、霧藤さんに助けられちゃった」

「ううん。そんなの、仲間なんだから当たり前だよ」

「そうよちゃん! それにアタイだって、さっきはちゃんに助けられたわ。アタイが取り逃がした侵校生を追いかけてくれたの、安心したんだからね?」

「えっ」



 後で振り返って見れば。
 もしかしたらもこちゃんは、私に自信をつけさせるためにわざと侵校生を見逃したのかもしれない。私にトドメをささせて、「助かった」って伝えることで、私に成功体験を与えてくれようとしたのかもしれない。
 だけど、それでも素直に嬉しかった。硬くなっていた皮膚がぬるま湯に浸されて、緩んでいくような気がした。「え、えへへ」もこちゃんの言葉がくすぐったくて、自然と笑みが漏れる。じわじわと温かくなる胸を押さえて、もこちゃんと霧藤さんを見つめる。
 こちらこそありがとう、って、言おうと思ったのだ。
 だけど、もこちゃんと合わせようとした視線は絡まなかった。もこちゃんは私じゃなくて、私の頭の奥にある何かを見て、微かにその目を見開いていたのだ。「――ちゃん!」もこちゃんが私に手を伸ばす。力任せに引っ張られて、頭が大きく動く。霧藤さんが悲鳴をあげる。次の瞬間左肩に走った衝撃を、私はどう表現したら良いんだろう。
 痛い、というよりも、熱かった。半開きになった口から何かが漏れて、視界が白黒に点滅した。もこちゃんに抱きとめられていなかったら、そのまま倒れてしまうくらいの衝撃だった。半身が持って行かれたような、或いは内臓ごと揺さぶられたような。口の中が酸っぱくて、気持ち悪くて、視界がぼやける。耳の近くで鈴が鳴り続けているような、奇妙な感覚に包まれている。息がまともにできなくて、苦しくて、呼吸を阻害している何かをどうにか吐き出したら、血の塊だった。



「――希ちゃん、ちゃんをお願い」



 もこちゃんの声がする。
 地面にうつ伏せに寝かされた私は、駆け寄る霧藤さんの気配も、もこちゃんが武器を片手に駆け出したのも、分かっていた。もこちゃんの学生鎧に包まれた大きな背中。モーニングスターを振りかざして、もこちゃんは遠くにいる、見たこともない侵校生に向かって雄叫びをあげている。あの距離から、あの侵校生は私を攻撃したんだ、ああ、そっか、それは、避けられないな。そもそもあんな侵校生、初めて見たんだから。あんな遠くにいたのだって、気付かなかった――そんなことを考えていなければ、意識を失ったっておかしくなかった。
 どうにか身を捻って見た学生鎧の破れた肩口は、ただれた皮膚と骨が覗いていた。見なきゃ良かった。いくら我駆力に細胞を復元させる力があるって言っても、流石にこれは限度を超えている。それを自覚した途端、麻痺していたはずの腕が急に痛みを訴えて、呻き声が漏れた。段々狭くなっていく視界の隅に、あの侵校生と同じ青と赤の色をしたボール状のものが転がっているのが見えた。べっとりと血のついたそれを見て、これをぶつけられたのかも、ってぼんやり考える。瞬きの感覚が緩慢になって、だけどその合間に、もこちゃんの武器が最後の侵校生を叩き潰すのが霞む視界の中で見えて、ほっとした。よかった。よかった、もこちゃんと霧藤さんは、助かって。こんな大怪我をしたのが、私だけで済んで。吸った息が震えて、喉に張り付く。



「待ってて、さん、今治すからね……!」



 私の背の方に膝をついた霧藤さんのそんな声が聞こえたような気がしたけれど、多分、幻聴だ。








 洗濯物になる夢を見た。
 第二防衛学園の屋上にぶら下げられた、私のシャツになる夢。人工じゃない光は温かくて気持ちいいんだけど、軽い分どうしても風に浚われてしまう。あっちこっちに揺れて、ハンガーから外れそうになってしまう。
 でも、居心地の悪い思いをしていた私を、誰かが持ち上げてくれた。陽の光に翳して、大切に抱いてくれた。私はそれが嬉しくて、心地よくて、幸せだった。見つけてもらえたのが、泣けるくらいに嬉しかった。
 私はシャツなのに、ちょっとだけ、泣いた。
 ――でも実際に出たのは涙じゃなくて涎だったみたいだ。
 口の端に垂れるその感覚に飛び起きる。幸いにも口の外に垂れかけたそれは私の服の袖に全部拭われた。胸を撫で下ろしかけたとき、私はそこが自室のベッドではなく、もこちゃんの背中だったことを知ったのだ。
 いきなり動いてしまったのに、私の下半身をしっかりと支えておんぶをしてくれていたもこちゃんは、「あ、ちゃん、起きた?」って、柔らかい声で尋ねた。彼女の身体は、私がびくりと跳ねても、全くブレたりしなかった。



「え、あれ?……なんで?」

「意識が戻ったのね! 良かった~……! 痛いところはない? 肩、大丈夫?」

「かた……」



 まだふわふわする頭で、周りの景色を見る。半分砂に埋まった看板。ひしゃげた標識。割れた硝子と、散らばったアスファルト。遠くの街並みに沈んでいこうとする太陽は私達に伸びきった影を作って、空にはこの間とは違う筋状の雲が真っ直ぐ伸びている。



さん、侵校生の攻撃で怪我しちゃったんだよ。覚えてる……?」



 霧藤さんの声に、ぼやけた思考がくっきりとした輪郭を刻み始める。
 けが。口の中で呟いて、ややあってから、我に返った。そういえば、そうだった。さっきまで私、もこちゃんと霧藤さんと一緒に戦っていたんだ。敵を殲滅しきったと油断していたら、遠くに残っていたらしい侵校生の攻撃を受けてしまって、それで。
 ぐ、と肩口を確認しようと首を捻る。見るも無惨な、グロテスクな怪我。痛みで気を失ってしまっていた私が、現在平然としていられる理由を、私はそれを見るまで分からなかった。
 学生鎧は破れていたけれど、真っ新な肌がそこにあるなんて、一体誰が想像しただろう。
 絶句する私に、もこちゃんが言う。



「希ちゃんが治してくれたのよ。良かったわ。乙女の柔肌に傷一つ残らなくて!」

「え、な、なおす? どういうこと?」

「ふふ、実はね、希ちゃんの使っている人工学生兵器は、バレットが入れ替えられるの。攻撃用、強化用、それから回復用の弾があるんですって」

「えっ! そうなの!?」

「うん……そうだったみたい。この間の戦いではバタバタしてたし、良く分かってなくて使えなかったんだけど……。昨日NIGOUから聞いたんだ。人工学生兵器の使い方を説明してなかった、って、呼び出されて……」

「えー……! そうだったんだ……!」



 それは、すごく有用な武器なんじゃないだろうか。
 霧藤さんが怪我を治せるんだったら、戦いはきっと格段に楽になる。いくら蘇生マシーンで(カップラーメンができあがるくらいの時間で)復活できると言っても、その三分だって、苛烈な戦いのさなかであるならば貴重だ。戦場にいながらにして怪我を治療できるなら、危ない局面だって乗り越えられるはずだった。
 だからNIGOUは、霧藤さんを連れて行くことを条件として提示したのだろう。朝のことを思い出して、納得する。「ありがとう、霧藤さん」もこちゃんの背中におぶわれながら言う私に、霧藤さんはいつもみたいに、眉尻を下げて笑った。



「もこちゃんも、ありがとね」

「え? 急に何よ~! おんぶなんか大したことじゃないわよ!」

「ううん、それもそうなんだけど、引っ張ってくれたでしょ、腕。……そうじゃなかったら、多分、頭に当たって死んじゃってたかもしれない」



 だから、ありがとう。
 そう言ってもこちゃんの首筋に額を押し付けたら、もこちゃんは、「そんなこと言わないで」って、小さな声で言った。



「アタイがもうちょっとちゃんとしてたら、ちゃんに怪我させたりしなかったんだから。痛かったわよね……。…………ちゃんが無事で良かった、目を覚まさなかったら、どうしようかと思った…………」



 微かに震えたその声に、私は首を振る。



「もこちゃんと希ちゃんのおかげで、生きてるもん」



 霧藤さん、ではなく、希ちゃんと呼んだのを、二人も気がついたらしい。希ちゃんが私を見て、それからもこちゃんに視線を移した。「そうだよ、もこちゃん。もこちゃんの怪我も、ちゃんの怪我も、わたしが何度だって治すからね!」もこちゃんが小さく鼻を啜る。西日に晒されたその陰影の薄い横顔は、どこまでも優しい。
 第二防衛学園の校舎が、微かな砂煙の奥に見える。東京団地から離れて暮らす、私達の家。「そういえばみんなに頼まれてたもの、一個も見つけられなかったね」気を取り直すように言った希ちゃんに、もこちゃんはいつもの調子で笑って、「新しいタイプの侵校生の情報が得られたんだもの。それで我慢してもらいましょ! ね、ちゃん!」と言うから、私も頷いた。
 三人分の、黒く濃い影が伸びている。「ね、私、歩けるよ、もこちゃん」そう言ったけれど、もこちゃんは絶対に私を離してくれなくて、それが私は、泣けるくらい嬉しかった。


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