侵校生の襲撃がないまま、私達がこの学園に来て既に五日が経とうとしている。
 NIGOU曰く、「一応レーダー上には学園の周辺を彷徨いている侵校生の姿がちらほら見えるんだけど、組織だった動きじゃないし、まだ襲撃してくる気配はないかなあ」とのことらしい。ほっとしたけれど、同時に緊張もしてしまう。だってたとえ今日じゃなかったとしても、そのいつかは近い未来、必ず来るのだ。
 前の防衛戦が、三日前。徐々に日が開き始めている今、侵校生との戦いは少しずつ私達の眼前に迫っていると考えて良いだろう。分かっていても、心の準備ができない。いくら皆と一緒にトレーニングをして身体強化に努めていても、実際に体力がつき始めている自覚があっても、東京団地の皆のために戦うって覚悟ができていても――それでも私はまだ恐怖心を拭いきれないでいた。ついさっき見たもこちゃんと大鈴木さんの模擬戦に圧倒されて、面影くんの伸びる腕に驚愕して、私って、ここにいていいのかなって、心配になってきてしまったのだ。だって戦うための能力が秀でた皆と比べたら、私はあんまりにも「普通」だったから。
 私が落ち着かない様子でいるのを、だけどもこちゃんは気がついたらしい。広い体育館、トレーニングを終えて汗だくの私の肩に彼女は何の逡巡もなく触れると、「NIGOUちゃん、学園の周辺に侵校生達がうろうろしているってことは、逆にアタイ達からそこに攻めこむ……っていうのもアリなのかしら?」と、私からしたら信じられない言葉を口にしたのだ。
 「え」って小さく声を出して、隣のもこちゃんを見上げる。あったかくて、大きな手だった。もこちゃんの丸い、大きな瞳は、真っ直ぐNIGOUを見据えている。



「――アタイが思うに、今てんでバラバラに動いている侵校生を倒すのってそんなに難しいことじゃないんじゃないかしら? 学園の外なら、アタイ達だって防衛バリアに構わず自分の身を守ることに集中すればいいわけだし……」

「それって要するに、アタシ達の方から先手を打つってこと?」

「ええ、その通りよくららちゃん。トレーニングも大事だけど、やっぱり実戦経験を積むのだって大事だと思うのよね!」

「うーん、そうだね……。確かにもこさんの言う通り、周辺の侵校生を予め蹴散らしておくのは悪くない案だとは思う。実際次の襲撃で戦いに組み込まれるだろう侵校生を先に潰しておく、ってことだから……」

「ふむ。攻撃は最大の防御……ということでござるな」

「うーん……。だけどそれだと……」

「学園の外じゃ蘇生マシーンは使えない……でしょ? 殺れ殺れ……あちらを立てればこちらが立たず、だね……」



 思いも寄らない話の展開にうまくついていけなくて、私は皆の顔を順々に眺めることしかできなかった。
 外に出て、侵校生と戦う。だけど学園の外での戦いになってしまう以上、もしもそこで死んでしまったら死体を回収することは不可能になってしまう。でも今後のことを考えたら、統率の取れていない敵の頭数を減らしておくことは戦略としては有効で――頭の中でぐるぐると整理していたとき、肩に添えられたままのもこちゃんの指先に微かに力が込められたのがわかって、我に返った。「大丈ブイよ!」体育館に、もこちゃんの良く通る声は反響する。あの日と同じことを、もこちゃんは言ってくれる。きっと、私に向けて。



「何があっても、アタイがぜーったい守ってあげる! 学園から離れすぎないようにもするわ! だから探索や偵察も兼ねて、ちょっとだけ外に行かせてほしいの。……それでもダメかしら? NIGOUちゃん」



 NIGOUとしても、先んじて侵校生の数を減らしておくこと自体に異論はなかったのだろう。
 結局「急な襲撃があったときのため、全員ではなく半分――三人だけで向かうこと」、「何かあったらすぐに学園に帰還し、決して無理はしないこと」、それから理由はわからなかったのだけど、「いざというときのために霧藤さんをメンバーに加えておくこと」を条件に、NIGOUは私達に学園の外に出る許可をくれた。
 もこちゃんが残りのメンバーに私を選ぶだろうということを、私は肩から伝わる指の感触から、知っていた。








 この学園にも、当然のことながら玄関ホールというものは存在する。
 当たり前のように靴箱が並んでいて、「廊下は走らないで」なんて書かれたポスターが貼られていて――外へと続く扉だけがやけに物々しく重厚であること以外は、本当に普通の学校みたいだった。
 遅い朝食を済ませた私達は、それぞれ学生鎧と人工学生鎧に着替えて(我駆力刀を胸に突き立てるのに、ちょっと躊躇して手こずってしまったけれど)玄関ホールへと集まった。三階分はありそうな高い天井を見上げて、それから再び扉へと視線を戻す。扉全体に張り巡らされたパイプに、中央部分を塞ぐように伸びる金網。その中で一際目立つのが、扉左手側にある赤く光る人型のマークだった。大凡扉を構成するようには思えないそれらは、侵校生の侵入を防ぐための防壁でもあるのかもしれない。それならばこの仰々しさも頷ける――。



「……私、この扉から外に出るのって初めて……!」

「防衛戦のときは作戦室の発射台からだもんね……」

「アタイと希ちゃんは昨日も外に出たわよ。ランニングがてら、ちょっと外を見てきただけだけどね。流石に校舎周辺には侵校生もいないし、気持ち良かったわよ~!」

「え~、外を走るのもいいね……! 今度私も一緒に走っていい?」

「ふふ、勿論! さんも一緒に走ろう」



 二人と話しているときは霧散している緊張感も、ふとした瞬間、吸い寄せられるようにこの身体に戻ってくる。それを自覚するのが嫌で、紛らわすように指先で唇に触れた。ドキドキして、落ち着かなくて、もこちゃんの後ろ姿に目をやる。
 ――もこちゃんは、私を戦いに慣れさせたいと思ってくれているのだ。
 トレーニングの後、皆で食堂に向かうその道中、もこちゃんは私に言った。探索へは霧藤さんともこちゃん、それから私の三人で行くと、皆に伝えた後のことだった。



ちゃん、緊張なんかしなくて良いんだからね。いざとなったらアタイも希ちゃんもいるし、ちゃんが本領発揮できるようサポートするから」



 それで場数を踏んで、武器の扱いを身体に叩き込んで、侵校生の動きを覚えてしまえばいい、って。ちゃんが緊張しちゃっているのは、自信がないだけだから。ちゃんは実戦で動けるタイプの子よ、だから気負わないでほしいって伝えたかったの――そこまで私を見て心を割いてくれているのが、嬉しかった。だって私は自分のことしか考えられずにいたから。もこちゃんの優しさに報いたいと、そう思ったのだ。……自信はやっぱり、どうしたってなかったけれど。
 もこちゃんが、扉に記された人型のマークの前に立つ。この扉も、もしかしたら私達の遺伝子か何かを読み取って動いているのかもしれない。彼女が扉にその手を触れないうちから歯車が噛み合って、滑車が動き出すような機械音が響き始めた。お腹に響くような音に晒されながら、扉は少しずつ開いていく。こんな時なのに、いつか見た映画のワンシーンを思い出していた。隙間から差し込む午後の陽光が徐々に太く、濃くなっていって、思わず目を眇めた。空気中の塵の反射。強い光は私達のいた学園に影を生む。どんどん大きくなる鼓動に耳を塞ぎたい気持ちになりながら、それでも顔を上げた。空気の匂いが変わった。砂埃の舞う校庭は、荒れ果てて、世界の終わりみたいに寂しい。








 学園からは極力離れすぎないようにとは言われていたけれど、最悪死んだばかりであれば、その身体を学園付近まで運ぶことによって死体回収用のドローンは反応してくれるらしい。NIGOUに教えてもらったのだと言うもこちゃんと霧藤さんの言葉に「そうなんだ……」と言いながらも、死んで二人に背負われる自分をありありと思い浮かべてしまって、つい眉根を寄せた。保健室の蘇生マシーンを、私達は誰も、一度も使ったことがない。以前面影くんが言っていた「誰かが死んでみないとわからない」がここに来て重々しくのしかかって、素直に安心したり、喜んだりできなかった。
 尖ったブーツの踵で砂っぽい校庭を踏みしめながら、私達は廃墟群に向かって進んでいく。予めNIGOUからレーダーで反応があったという侵校生の居場所を教わっているから、迷うことはないというのが救いだ。校舎から南東に進んだところ、その周辺。もし既にそこに侵校生がいなかったら、周辺を探索した後、何か使えそうなものを拾って戻ってくること――それが今回学園の外へ向かう私達に与えられた指令だった。
 兵器の材料になりそうなものを持って帰ってきなさい、とふんぞりかえって言った大鈴木さん。何か薬が欲しいなぁ、と楽しそうに口角をあげていた面影くん。ジャンプが捨ててあったらまとめて持ってきてほしいでござる、と廃品回収か何かと勘違いでもしているかのような口調で言った凶鳥さん。三人とも無茶なことを言うなあって思ったけれど、そういう自由なところがあの三人の良いところなのだろう。個人的には叶えられたらいいなとは思うけれど、果たして自分にそんな余裕があるかどうかは判然としない。
 深く息を吸ったら、砂と、風で頬に張り付いていた髪の毛が口に入った。まだ侵校生の姿はどこにも見当たらないけれど、いつ何が起きてもいいように心の準備はしておかなければならないだろう。腰にさした、燃えるように赤い色をしたナイフに手を添えたまま、どこか靄がかった空を見あげる。
 だけど同じ空の下、どこか遠い場所、もう一つの学園を守る顔も名前も知らない人達もまたこんな風に苦悩しながら戦っているんじゃないだろうか。東京団地の人達のために恐怖を押し殺して。そう思ったら、微かな勇気のようなものが胸に灯った気がした。自分の中にあった恐怖心は、僅かに摩滅していた。


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