格闘技関係には疎いから、朝のトレーニングの最中に大鈴木さんがもこちゃんに模擬戦を申し込んでいるのを見たときは「ボクシングとプロレスで戦うことってできるのかな」とつい考えてしまったけれど、「異種格闘技戦」というものは実際に存在するらしい。
「結構需要あるのよ? プロレスとボクシング、柔道とテコンドー、空手と相撲……」
「えー! そうなんだ……知らない世界……!」
「ちなみに、剣道とか薙刀みたいに道具を扱うスポーツとはムリね」
「なるほど……では拙者ともこ殿が手合わせをすることは難しい……ということでござるか?」
「そんなことないわ。確かに本来の異種格闘技戦としてはそうだけど、模造刀を使った上で、模擬戦としてやるっていうんだったらアタイはバッチコイよ! 侵校生との戦いにルールはないもの! もう少し我駆力の使い方に慣れてきたら、我駆力を使ってお互い怪我をさせないよう気を付けながら模擬戦をやるっていうのもアリだと思うし……。それに、いつ何時誰とでもリングに立って戦う姿を見せるのが――」
「レスラー……だもんね?」
「やだ、希ちゃんったら! アタイの台詞、取っちゃやーん!」
「ふふ! ごめんね、もこちゃん」
体育館と言えどプロレスのリングは流石にないから、ステージ上で。細かいルールは、プロレスにもボクシングにも疎い私が聞いていても良く分からなかった。レフェリーはNIGOUが務めるらしく(「ちゅふふ、こんな間近で迫力のマッチが見られるなんて嬉しいなぁ!」って笑っていたし、間違いなく私よりは詳しそうだ)、私達もトレーニングの手を休めて二人の模擬戦の行方を見守ることにした。
ボクシンググローブを手に準備を始める大鈴木さんは、もこちゃんと随分体格が違う。格闘技にはよく「階級」とかがあるって聞くけれど、そういえばプロレスでは馴染みがない気がする。プロレスはショー、って言葉も聞くし、そういう体格の違いも醍醐味なのかもしれない――そんなことを考えているうちに、大鈴木さんともこちゃんの模擬戦は始まった。NIGOUの「レディー……ゴッ!」って言う、迫真の合図と共に。
慎重に間合いを計り合う二人を、霧藤さん、私、面影くん、凶鳥さんの四人は見守っている。普通の体育館とは違ってその下に何かが格納されていたとしてもおかしくないくらいに無駄に高いステージの上は正直この位置からでは見にくくてたまらなかったけれど、それでももこちゃんが先にその間合いを詰めたのは分かった。
「いっくわよー!」
迫力のあるドロップキック。それを大鈴木さんは軽快に躱す。床を叩く派手な音はプロレス仕込みなのだろう。大鈴木さんは立ち上がったもこちゃんに素早いジャブを繰り出すも、もこちゃんが眼前に腕を構え防御の姿勢を取る方がワンテンポ速かった。大鈴木さんの猛攻が止まない中、その隙をついたもこちゃんは身体を低くし、大鈴木さんの足めがけてぶつかっていく。「キャッ!?」響いた悲鳴と共にバランスを崩した大鈴木さんも、しかし諦めはしない。自身の下半身にしがみつくような姿勢でいるもこちゃんに、連続パンチで応酬する。ただ下半身を押さえ込まれては力が入りにくいのだろう。さしてダメージの入っていない様子のもこちゃんは、大鈴木さんの足から決して離れようとしない――。
膠着状態に陥りかけたのを、審判のNIGOUが割って入った。二人は大人しく距離を取り、呼吸を落ち着かせている。
息をつく暇もない二人の戦いを、私は無意識に拳を握りしめながら見ていたらしい。それで、口から自然とため息が漏れてしまったのだ。わあ、って。
「すごい……。二人とも、我駆力を使ってない状態であれだけ戦えるんだね……!」
もこちゃんはプロレス、大鈴木さんはボクシング。二人がこれまでの人生において培ってきたものが、今ここで遺憾なく発揮されている。「すごいなあ……」って、もう一度口にした。視線の先では、もこちゃん達がまたお互いの隙を探り合うよう間合いを計っている。
宙に浮いた私の言葉を拾ってくれたのは、霧藤さんだった。「……うん、そうだね。わたしも本当にそう思うよ」って、彼女は微かに眉尻を下げる優しい笑みで同意してくれた。「すごいよね」って。でも、霧藤さんだって私から見たら、「すごい」部類に属する人なのだ。だって彼女は私達と違って我駆力がほとんどないにもかかわらず、戦場であれだけ勇敢に戦える。元々東京団地でもトレーニングをしていたっていうだけあって、身のこなしだって軽い。胆力がある人なのだ。学校に通わずにただただ修行をつんでいた凶鳥さんも、殺し屋だっていう面影くんだって。
その時ふと、そういえば、と思った。面影くんは、以前自身が殺し屋であると告白してくれたとき「人体改造を施された」と言っていた。だけどそれって結局どういうものなんだろう? 正直ぱっと見では、面影くんの身体に何かがあるようには見受けられない。改造の痕があるとしたら服の下……なのだろうか。そしてそれは一体どういう類のものなのだろうか。気になったけれど、でもやっぱり身体に関することだし、軽率に聞いてはいけない、繊細で個人的な問題であるような気もする。彼本人が人体改造によって得られた何かを疎んじている可能性だってあるわけだし。
それでも面影くんは、私がほとんど無意識に視線を送ってしまったのがわかったらしい。顎に片手を添えていた彼は、身体はもこちゃん達の戦っているステージを向いたまま、左の瞳だけをこちらに向けて「どうかした? ちゃん」と口元に微笑を携え私に尋ねた。まさかそんな風に声をかけられるとは思っていなかったから、びっくりしてちょっと飛び上がってしまった。
「わ、面影くん、視野広いねぇ……!」
「そうかな? あまり気にしたことはなかったけど……。ちゃんの熱い視線が気になっちゃったのかもしれないね?」
「えっ、あ、熱いかな!?」
「うふふ……無自覚なんだ? カワイイなぁ……。ちゃんの視線、結構ゾクゾクくるんだけどなぁ……」
「おっ……面影くん、私のことからかって遊んでない!?」
「むむ……王道ラブコメの波動を感じるでござる!」
「ちがう……!」
ステージでは大鈴木さんがもこちゃんに押さえ込まれているのか、抜け出そうと藻掻いている足が見えた。NIGOUの、やけに緩慢なスリーカウント。ツーとスリーの間で、「舐っ……めんじゃないわよ!」と絞り出すような声と共に、大鈴木さんが絞め技から抜け出して立ち上がる。わあ、と手を叩いたのは霧藤さんで、模擬戦の様子が気になりながらも、私は思考の半分以上を面影くんと凶鳥さんとの会話に持って行かれてしまっている。
「それで、ちゃん。私に何か聞きたいことでもあるのかな?」
「う、ええと、その、個人的にふと気になったことで、でもちょっと聞いてしまうのは良くないことなのかも、という葛藤もあって……という感じのやつなんですが……」
「うふふ……聞かれて困ることなんて、私には何もないけどなあ……」
「えっ、あれもこれもこんなことも!?」
「どんなこと……!?」
「一番エッチだと思う内臓とか?」
「それは別に知りたくない……!」
身体の前で手を組んで一歩後ずされば、面影くんが息だけで笑った。それで、彼は突然私と凶鳥さんの前に自分の腕を差し出しのだ。何もかも見透かしているようなその右の目を、少しだけ細めて。
「……ちゃんが私に聞きたいのは、このことじゃない?」
「え?」
――一体何がどうなってそうなったのか。
私と凶鳥さんの身体を掠めるように、「それ」は私達の眼前を通り過ぎていった。瞬きのほんの一瞬、見間違えでなければ、鞭のようにしなったそれ。ステージの下の階段あたりに到達して、同じ速度で戻って来た。翻ったスカートが今私達の前を何かが高速で通り過ぎたことを如実に表していたのに、最初と同じ姿勢で私達を見つめる面影くんが今したことが飲み込めなくて、スカイフィッシュか何かなんじゃないかとすら思ったのだ。目を瞬かせた凶鳥さんが、「ゴムゴムの…………!?」って言うまでは。
――ゴムゴム、だったよね、今の。
私の勘違いじゃなかった。今面影くんの腕は、確かに伸びて、また普通の形状に戻った、ってことになる。目を丸くして面影くんの着物に包まれた腕と顔とを見比べていたら、面影くんは何のてらいもない様子で、「人体改造のことが聞きたいのかと思ったんだけど……。違ったかな?」と笑うから、何だかものすごく申し訳ないような、恥ずかしいような居たたまれないような――どうしようもない気持ちになってしまって、困った。無性に顔が熱くなって、両手で顔を押さえ、「ちがく、ないです……」と虫の泣くような声で答える。
多分、殺し屋であることを明かしていなかったこの間の防衛戦では意図的にこの腕を封じていたんだろう。とは言え彼の改造が施されたこの身体は、侵校生との戦いにおいても有効なのは間違いない。だからこのタイミングじゃなくても、彼は私達にこの腕について話してくれたはずだ。私が危惧していたように、本人が自身の腕について特別な嫌悪も抱いてないらしい以上は――なのにこんなに落ち着かないのは、どうにも恥ずかしいような気持ちになってしまうのは、面影くんが私の思考を全て見抜いているような錯覚を覚えているからだ。面影くんの笑みが、私を全部透かしているみたいに思えてしまっているからだ。
「面影殿、もう一回! もう一回やってほしいでござる! ガトリングはできないでござるか? ピストルは……!?」
「うーん……流石にそこまではできないかなあ……」
私達がそんな風に話している間も、もこちゃんと大鈴木さんの戦いは進行していたらしい。目をキラキラさせながら面影くんに迫る凶鳥さんの声の奥で、NIGOUのカウントが聞こえる。大鈴木さんは、今度はどうにももこちゃんの絞め技から抜け出せなかったようだ。悔しそうな大鈴木さんの呻き声、勝者を告げるNIGOUと、「みんな、あっりがとー! 愛してまーす!」と手を振るもこちゃん、ずっと固唾を呑んで行く末を見守っていた霧藤さんは「二人とも、すごかったよー!」と感極まったように拍手をしていて、途中からまともに模擬戦を見ていなかったことが申し訳なくなってしまった。
数分後、大鈴木さんには「ちょっと! 途中からアンタ達がうるさすぎて集中できなかったでしょ!?」と揃って怒られることになるけれど、面影くんは「殺ぁ……それはごめんね?」って、全然悪びれもしていなかったから、本当に大物だな、って、大鈴木さんの前で凶鳥さんと二人小さくなりながら思っていた。