校舎から屋上へと続く階段を上った先、私達の生活するプレハブ小屋が並ぶ屋上に出る手前の小部屋に、「とりあえずここに置きました」感満載の数台の洗濯機がある。
 あれだけ大きい校舎なのだからもっとちゃんとしたランドリースペースくらいあってもよさそうなものだけど、もしかしたら諸々都合がつかなかったのかもしれない。まだ校舎の中には封鎖されている扉の方が多いけれど、以前NIGOUが薬が作れる施設なんかもあるって言っていたし、案外蓋を開けてみたら学園の防衛に必要なだけの施設でカツカツ、なんていう可能性だって考えられた。



「洗濯機くらいそれぞれの部屋に一台ずつ置きなさいよ、なんでそこをケチんのよ」

「ね~。共用だと、誰かのと間違えちゃったら恥ずかしいね……」

「ま、アタシのパンツはアンタ達庶民のとは質が違うから間違えようもないでしょうけど……。ところで面影、一応確認しておくけど、アンタ、人のパンツには興味ないわよね?」

「うふふ……殺だなぁ。私が興味があるのは、着ているものより中身だよ?」

「中身なんだ……」

「安心して! 誰かのパンツがなくなったらアタイのチキンウィング・フェイスロックで犯人の息の根を止めるわ!」

「それ、例え心当たりがなくても問答無用で私が犯人になるやつだよね……。殺れ殺れ、男子一人じゃ肩身が狭いなぁ……」



 肩を竦める面影くんは、だけど顔色一つ変えていなかった。ここに来たばかりの頃、女子しかいなくても居心地は悪くないって話してくれたのは嘘ではなかったらしい。彼は女子だらけの第二防衛学園でも、いつも自然体だった。もしもここにいるたった一人の男の子が面影くんじゃなかったら、ここの空気ももうちょっと違っていたんじゃないかなって、なんとなく思う。
 NIGOUが言うには第二防衛学園から遠く離れた地に、ここと同じような学園があるらしい。私達と同じくらいの年齢の子たちが集められて、私達と同じように侵校生と戦っているって。
 守る場所は違えど、顔も知らない彼らもまた私達と同じ特防隊のメンバーだ。一体どんな子達なんだろうと想像はするけれど、でも、私は第二防衛学園の皆が、皆で良かったって思っている。誰か一人でも今と違うメンバーだったら、多分私自身、こんなに強い意思を持ってここにはいない。








 私達六人に対して、洗濯機は四台。全く足りていないってわけじゃなかったから、使用に関して特別なルールは決めなかった。取り違えてしまったら困るから、使用中は洗濯機に名前の書いた付箋でも貼っておこうね、って、それくらい。
 私が朝の五時に洗濯機を回そうとしたのは、この時間だったら皆まだ洗濯はしないだろうなって思ったからだった。集団生活だし、皆には些細なことで不便さを感じてほしくなかった。幸い私は早起きするのが苦ではない性質だったから、その時間に洗濯をすること自体はなんの問題もなかった。昨晩のうちにまとめていた数日分の洗濯物を両手で抱えて、部屋の扉を開ける。
 直後、その空気の清々しさに肺がびっくりして、喉から引き攣れたような音が出た。



「わ」



 薄暗い室内から出たせいだったのかもしれない。東京団地だったらこの時間はまだ夜のままだから、気を抜いていたのもあったかも。自然光を取り込みすぎた虹彩が眩しさを訴えて、思わず目を眇める。
 空の端っこが黄色く灼けていて、まだ残る夜とグラデーションを作っていた。清濁すべてを平等に洗い流すような清かな光が、遠くの、廃墟となった建物群を縁取るように輝かせていた。指で引っ張ってあとをつけたような雲の切れ端が空に散らばって、私はそこにも濃淡があるのを初めて知った。微かに砂っぽい、けれどまだひんやりとした空気は肌に心地よくて、前髪を不規則な風が撫でていた。
 ここでの生活も、もう四日目だ。
 時間の経過で一斉に切り替わる東京団地の天井に慣れきっていた私は、こうして少しずつ色を変えていく本物の空が、まだ少し怖かった。場所じゃなくて、時間によって空気の匂いや温度が変わるのも、夜になると空にキラキラしたものが一斉に瞬くのも(霧藤さんは、星だと教えてくれた)、いつそれがここまで降り注いで、落ちてくるんじゃないかと気が気じゃなかった。
 でも、朝の地球はきれいだ。
 洗濯物を腕と顎で支えるようにしながら空を仰ぐ。誰もいないのをいいことに、口の中でおあ、と声を漏らす。
 いつ侵校生が攻めてくるかもわからない。警報は今鳴るかもしれないし、我駆力刀を再び心臓に突き刺すのは今日かもしれない。地球は私達が百日を守り切る前に死ぬかもしれない。世界死の果ての、死にかけの地球。風が髪を浚っていく。塵が目に入って、視界が霞む。朝の空に溶けかける、輪郭の滲んだ星。
 それでも「きれい」と、そのとき無意識に口から零れた言葉が、掛け値のない私の本音だった。








 洗濯機に洗濯物を放り込んで、棚にあった洗剤やら柔軟剤やらを投入し、スイッチを押す。音を立てて動き始める洗濯機は、朝の学園に静かにその存在を知らしめている。
 洗濯が終わるまでは、少し時間があった。霧藤さんが準備しておいてくれた付箋に「」と書いて、洗濯機の目立つ部分に貼り付けて、壁にかかった時計を見る。時刻はまだ、五時を少し過ぎたくらいだった。
 トレーニングはいつも七時に流れる朝の放送が終わってから始めているから、いくらなんでも体育館に向かうにはまだ早い。先に食堂で食事を済ませてしまうのも良いかもしれないけれど、でも、その後で気持ち悪くなってしまうのは避けたかった(皆に合わせるとどうしてもキツい内容になってしまう分、満腹で臨んで吐かない自信がなかったのだ)。校舎の外に出るのは一人じゃ怖いし、かといって校内を探索するにしても、扉のほとんどが閉鎖されているせいで面白みがない――。
 いや、でもやっぱりちょっとお腹が空いたかも。
 昨日の夕飯が軽かったせいかもしれない。空腹状態で身体を動かすのはリスクがあるってもこちゃんが言っていたし、軽くなら胃に何か入れておいたほうがいいのかもしれない。食堂で、スムージーとか作って貰おうかな。東京団地のハンバーガー屋さんでたまに飲んでいたような、バナナとミルクの甘いやつ。お腹がいっぱいにならなきゃいいんだし。
 そう思って、校舎内に続く扉に手をかけた。洗濯機は私の背後で、ごうごうと唸るような音を立てていた。








 誰もいない食堂で一人スムージーを飲む、っていうのは、なんだか奇妙な感じがした。
 この学園にやって来てまだ四日だったけれど、ここにはいつも皆がいたから。
 朝ご飯もお昼ご飯も、夕ご飯も、誰が決めたわけじゃないけれど、皆が集まる時間は大体一緒だった。それだけじゃない。速度も食事の内容もバラバラなのに、私達は最後の一人が食べ終わるまで、誰も席を立とうとしなかったのだ。ルールとか暗黙の了解って言うよりは、今はそうすべきっていう共通認識が、私達の中に無意識に存在していたんだと思う。
 学園のこととか侵校生のこと、我駆力のこと、地球のこと、それから私達自身のこと――これから百日を過ごすことになる私達の間に話題は尽きなくて、食堂はいつも賑やかだった。東京団地でのこと。ここでのこと。細やかな悩みから思い出話に至るまで。だけど今、そうして語り合う誰かはここにはいない。
 私がスムージーを飲むずずず、って音と、私のせいでスリープモードが解除されてしまった自動調理マシーンの稼動音。水槽のサーキュレーター。冷蔵庫からの低いコンプレッサー音。いつもは聞こえないような音の中で、私は一人だ。
 ――早く起きすぎちゃったかなあ。
 最後の最後までスムージーを飲みきって、両手を合わせた。コップを洗って、水気を切ってから片付ける。体育館は目と鼻の先だけど、やっぱりまだトレーニングを始めるには早すぎるだろう。部屋に一度戻って、時間を見計らって洗濯物を回収するのが良いかなあ。そんなことを思いながら食堂を出て階段を上っていたら、三階に到着したあたりで、「う~ん」っていう誰かの唸り声を耳が拾った。
 少し鼻にかかったような可愛い声。そういえば、この声を昨日は一度も聞いていなかった気がする。
 ちょっと考えて、迷ってから、私はその声のする方――作戦室へと向かった。








「う~ん…………おかしいなぁ。やっぱり向こうに何かあったのかなあ……」

「どうしたの?」

「ぎゃっ」



 別に気配を殺していたわけでも、物音を立てないようにしていたわけでもないのに、NIGOUは私の声を聞いた瞬間作戦室のデスクから飛び跳ねた。私の腰のあたりの高さから、丁度目の位置くらいまで。



「わー! ビックリした! さんか!」

「ご、ごめんね、ものすごくビックリさせちゃったみたい……」

「ううん。さん、随分早起きなんだね。もしかして、眠れなかったの?」

「今日はやりたいことがあって、ちょっと早く起きただけだよ。……NIGOUはここで何をしてるの? 昨日から見かけなかったけど……」



 デスク上のNIGOUに目をあわせるため、作戦室の床にしゃがみこむ。
 壁一面の、学園周辺を映し出しているモニターの向こうに映る景色は、眠っているみたいに静かだ。それに、少し安心する。ずっとこのままだといいのにな、って、ありもしないことを願ってしまう。
 NIGOUは私の問いかけに困ったような、難しい顔をして、「え、えっと、あ、う~ん……」と言い淀んだ。私に漏らして良いことかどうか、考えているのかもしれない。誤魔化されてしまう気配を感じて、先手を打った。



「……向こうに何かあったっていうのは、もう一個の学園に問題が起きているかもしれない、ってこと?」

「えっ、なんでそれを……!」

「さっきNIGOUが独り言で喋ってたよ……!」

「キャー! そんな! なんでー!」



 本官のポンコツ、そう泣くNIGOUにちょっと申し訳ないような気持ちになったけれど、同時に不安になる。どうやらもう一つの学園に何かが起きているかも、っていうのは事実らしかったから。同じ特防隊として、それは私達からしても決して無関係なことではなかった。
 こういう話はあんまり得意じゃないけれど(多分、霧藤さんとか面影くんが居た方がずっと話は早い)、それでもここまで聞いてしまったら、最後まで話してもらわないわけにはいかない。「何があったの……?」って、NIGOUの目をじっと見て尋ねれば、NIGOUはやっぱりちょっと困ったような顔で、「……実は」って、ようやく口を開いてくれた。



「……毎日定期連絡をする予定でいたSIREI閣下と、一昨日から連絡が取れなくてね。昨日も連絡が取れないか色々試してみたんだけど、まだ音信不通なんだよ」

「えっ」

「あっ、でも、作戦に変更を来すような大きな問題が起きているわけじゃないと思う。流石にそんなことがあったら、こっちにも連絡が来るはずだし……。もしかしたら、通信機器に何らかの不具合が起きているだけってこともあるし……」



 人に話すと思考って案外整理されていくものだけど、それはNIGOUも同じだったらしい。「ふぐあい」と繰り返した私にNIGOUは明るく笑うと、「うん! そう、不具合だね! きっと通信機器がおかしくなっちゃってるんだよ!」って一人で納得すると、デスクからぴょんと飛び降りた。



「心配は心配だけど、今は本官達のやれることをやるしかないね。ごめんねさん。余計な心配をかけちゃったね」

「え、いや、それはぜんぜん」

「向こうともそのうち連絡が取れるようになると思うから、それまでは皆で、この第二防衛学園を侵校生の手から守ろうね!」



 ちゅふふ、と楽観的に笑うNIGOUを見ていると、何だか本当にそれが大した問題じゃないことのように思えてくるから不思議だ。……SIREI、という存在と連絡が取れないっていうのは確かに気になるけれど、実際NIGOUの言う通り、もう一つの学園が侵校生の襲撃で防衛室の奥にある大切なものごと破壊されてしまったと言うのなら、今ここがこんなに平和なわけがない。――向こうにいる特防隊の人達を、信じる他ない。
 時計を見ると、もうすぐ六時。そろそろ洗濯も終わっている頃だろう。下着以外は屋上のフェンスに引っかけておけば、きっとすぐに乾く。
 端っこを明るく染めはじめていた朝陽が、モニターの中の景色に光を与え始めている。東京団地ではないこの地で私達が今できることは、この学園を守り抜くことだけだ。


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