現在前向きに皆との訓練に参加している私があの日保健室でのNIGOUの話をすぐに飲み込めたかというと、実際のところはそうじゃない。
 地球がどうとか、世界死がどうとか、地下シェルターがどうとか。いくら我駆力に関してはそういうものとして割り切ると決めたとは言え、ついこの間まで東京団地で普通に高校生活を送っていただけの私にはそれ以上の話は壮大すぎて、ついていけなかったのだ。
 どうして私達が戦わなくちゃいけないのかってことに関しては、NIGOUはまともに踏み込むことをしなかった。NIGOU自身も詳しいことは何も分からないらしいから、それも仕方のないことではあったのだけど。
 NIGOUは、その理由を「ここでの作戦が敵に漏れるのを防ぐためなんだ」と言った。もしも私達が敵に捕われて拷問されたり(ここで面影くんが急に「あはぁ……」と目を輝かせたから、ちょっとビックリした)、万が一私達の会話から大切な情報が漏れたりしてしまえば、それは全ての作戦が台無しになってしまうことに繋がる。だから、私達は防衛室に何があるのかを知らされていない。どうして特防隊として選ばれたのが私達なのかを教えてもらえない。ただ目の前の侵校生と戦うための力と、永遠の命を与えられた兵士として、東京団地の皆のために戦うよう強制されている。
 キミ達だけが戦える。キミ達だけが東京団地の皆を守れる。キミ達は人類の代表として選ばれた――NIGOUの言葉を素直に受け入れられなかったのは、どうしたって恐怖が先行していたからだ。いくら保健室の蘇生マシーンで生き返れるって言ったって、死ぬのは怖かった。どれだけ皆と戦うことが心強くても、侵校生の懐に飛び込む度、恐怖で息を止めていた自分を思い出した。百日っていう提示された期限は、この極限の状況下においては気が遠くなるほど長かった。
 大鈴木さんも、多分私と同じようなことを考えていたんだと思う。彼女のトマト頭は、大鈴木さん自身の感情を如実に表して、酷く翳った表情をしていたから。
 だけどNIGOUの説明が終わって、私達の想像を遥かに超えていたその内容にしんと静まりかえった保健室の中、最初に口を開いたのは霧藤さんだった。
 私達の中で唯一我駆力を持たない、霧藤さんだったのだ。



「…………戦うしかないよ」



 霧藤さんの瞳には、迷いがなかった。いっそ痛々しいくらい、真っ直ぐな目だった。
 彼女には、学生兵器もなければ学生鎧もない。代用品としての人工学生兵器を持って、人工学生鎧を身につけて、戦場に立つほか無い。我駆力が少ないということは、怪我の治りも常人のそれだ。私みたいに膝の怪我が簡単に消えることはないし、蘇生マシーンに入れたって彼女が生き返ることはないと、私達は最初に周知させられている。一度でも何かを間違えれば、彼女は死ぬ。
 私達の中の誰より、彼女が一番怖いはずだった。
 なのに、「戦おう」と言うのだ、霧藤さんは。



「戦おう。東京団地の皆のために。……それが選ばれたわたし達の使命で、責任なんだよ」



 皆と違って我駆力のないわたしが言うのは、無責任かもしれないけれど。
 言葉の強さに反して、悲しそうな、弱々しい笑顔だった。それにどうして胸を打たれずにいられるだろう。一番怖いはずの霧藤さんがこうして戦おうとしているのに、私は逃げ道を探していた。
 霧藤さんを抱きしめたのは、もこちゃんだった。もこちゃんは霧藤さんに正面から腕を回すと、「よく言ったわ! 希ちゃん!」って、ほとんど叫ぶみたいに言った。



「そうよ、このデスマッチは、アタイ達にしか務まらないの。いつ何時誰とでも、リングに立って戦う姿を見せるのがレスラーよ。アタイが尻尾巻いて逃げたら、世界中のファンに申し訳が立たないんだから! 侵校生がナンボのモンじゃーい!」

「……もこちゃん、希ちゃんが浮いちゃってるよ……」

「あっ! 希殿の顔色が紫色にッ!?」

「な、なんか霧藤さんの身体、ミシミシ言ってない……!?」

「あわわわ、大変だーっ! もこさん、希さんを離してーっ!」

「はっ……やだ、アタイったら! 希ちゃん、ごめんね……! 怪我してない!?」

「う、うん……わたしは大丈夫だよ、もこちゃん……」

「ごめりんこ……! マンモスごめりんこ……!」

「希、アンタヤバイときは我慢しないでちゃんと言った方が良いわよ……?」



 もこちゃんから解放された希ちゃんは、青い顔で笑っていた。
 ひたむきで、真っ直ぐな霧藤さん。皆を鼓舞したのが彼女だったから、大鈴木さんも戦う意思を固めることができたのかもしれない。私と同じで。
 「仕方ないわね」と口にした大鈴木さんの声は、どこか晴れやかだった。何かその背から重石が取り除かれでもしたみたいに。



「アンタにそこまで言われたら、アタシ達が戦わないわけにいかないじゃない。――ねぇ? アンタ達」



 そう同意を求められて、それぞれ頷いたのだ。私も、凶鳥さんも、面影くんも。
 我駆力のことも、侵校生のことも、この学園にある大切なものの正体も、私達は分からないままだ。だけどそれでも、選ばれた私達が責任を果たさなければ、全てが終わってしまう。そんな中で、霧藤さんに全てを押し付けて逃げるのは、絶対に間違っている。
 だから戦うのだ。
 例え何もわからなくても。








 東京団地を守るため、やれることをやろうと、私達は決めた。毎朝のトレーニングもその一環だ。いつ侵校生の襲撃があってもいいように、それぞれ課題を決めて、我駆力の向上を目指した。
 現役女子高生プロレスラーのもこちゃんや、山でずっと修行をつんでいたという凶鳥さんは兎も角、大鈴木さんや面影くん、霧藤さんまでもが戦いに慣れているなんて、だけど前回の防衛線では分からなかったことだった。それだけ私自身、あの時は周囲を見ている余裕がなかったってことなんだろう。
 大鈴木さんのお家は元々兵器の研究開発から製造までを手がけていたらしく(大鈴木家がまだただの鈴木家だった頃の話だと大鈴木さんは言ったけど、名字ってそんな変遷を見せるものだっただろうか。わからないから、黙って聞いていた)、おかげで武器や火薬の扱いはお手の物だった上、大鈴木さん自身もボクシングを嗜んでいて、その力は圧倒的だった。霧藤さんもここに来る前から個人的にトレーニングをしていたらしい。武器の扱いや身のこなしは私なんかよりよっぽど優れていて、びっくりした。何となく一方的に、霧藤さんは戦い慣れしていない仲間同士だと思い込んでいたのだ。
 だけど一番驚かされたのが、面影くんだ。その風貌から普通の人じゃないとは思っていたけれど、彼は実は、「殺し屋」だったらしい。



「――ころしや?」



 それは私達が初めての防衛戦を終え、NIGOUから世界死の話を聞いた日の翌朝の、食堂でのことだった。彼はその朝から本格的に始まったトレーニングでやや疲弊し、口数の少ないままもこちゃんと霧藤さんが作ってくれた朝ご飯を食べていた私達に、「ちょっといいかな?」とその右目を細め、首を傾げたのだ。



「何よ。変態発言だったら許さないわよ」

「うふふ……そんな変なこと、私が言うわけないじゃないか」

「いやアンタ、ちょいちょい発言がキモいのよ! このまま好きに喋らせてたら、アンタのキモ語録で特集ができるわ!」

「ジャンプコミックスのファンブックにありがちなやつでござるな!」

「例のごとく脱線してるわよ、アンタ達……」



 面影くんは、大鈴木さん達の様子を見て楽しそうに微笑んでいる。
 第二防衛学園唯一の男の子である彼は、女子に囲まれながらもちっとも臆する様子がなかった。自分のペースを崩さず、変に気負うこともなく、自然体で接してくれる。そういうところが大人びていて、素敵だと思う。大鈴木さんの言う通り、変な発言も時折垣間見えるけれど。
 面影くんのことをじっと見ていたら目が合って、息が止まった。変に思われないように「それで、何か大切な話でも……?」って続きを促したけれど、おかしくなかっただろうか。私は未だ、彼の前では平生で話すことが難しい。そもそも男の子と話をするのに、慣れていないのだ。
 面影くんは私の言葉に緩く目を伏せる。「ああ、ごめんね。別に大した話じゃないんだよ」彼の背後の巨大水槽からの青を受けて、その輪郭は溶け出るように滲んでいる。



「ただ私が、東京団地では殺し屋をしていたって話を一応共有しておこうかと思っただけで……」



 さらっと口に出すには、馴染まなすぎる言葉だった。
 それで咄嗟に、「ころしや?」と口にしてしまったのだ。
 日常生活を送る上ではなかなか聞き慣れない言葉に、目を丸くして口の中でその言葉を反芻させる他なかった。だって、ころしや。聞き間違えたのかもしれない。私の背の方で、食事を作ってくれる三体のロボットが今も機械音を吐き出しているから、きっとそのせいで。
 そんな私の反応が面影くんは気に入ったらしい。「うふふ」と笑うと、「そう。殺し屋、だよ。ちゃん」と、「殺し屋」の部分だけちょっと間延びした言い方で教えてくれた。
 ころしや。
 ――殺し屋?
 折角丁寧に繰り返してもらったのに、私がそれを脳に染みこませるよりも先に、大鈴木さんが「はぁ?」って言う方が早かった。



「漫画キモオタクの次は厨二病? 冗談は見た目だけにしなさいよね」

「え!? 拙者、キモオタクじゃないよね!?」

「うふふ……そう言われるかなあと思って、黙っていたんだよね。でもこれから百日近く、君達と暮らすことになるわけでしょう? そうなってくると殺っぱり秘密はない方がいいかなって思ってさ」

「くらら殿!? 拙者、キモオタクじゃないでござるよ!?」

「あーもーうっさいわね! ちょっと静かにしてなさいよ話が進まないでしょ!」

「えっと……それで、殺し屋っていうのは、一体どういう意味なの? 面影くん」



 面影くんの顔をテーブルの向かい側から見つめ尋ねるのは、霧藤さんだ。僅かに前のめりになったせいか、左肩に垂らした色素の薄い三つ編みが揺れる。「そのままの意味だよ」薄く笑って答える面影くんは、今も目を伏せたまま。



「家業でね。仕事として命じられるがまま、人体改造を施されたり、殺りたくもない殺しを殺ってきたんだ。…………私は相思相殺の殺ししかしたくないのにね」

「そうしそうさつ……?」

「うふふ。試してみる? ちゃん」

「やっ……結構です……」

「うふふふ、そうだね。私もまだ……もう少し育てたいかな?」

「何を……!?」

「何をだろうねぇ……うふふ……」



 面影くんの含みのある笑みは怖かったし、殺し屋っていう馴染みのない肩書きにも一切の動揺をしなかったかというと、そんなことは勿論ない。彼の言う「相思相殺」も理解できなかったし、人体改造されたっていう穏やかじゃない言葉にだって引っかかった。
 だけど、それでも殺し屋と聞いて「腑に落ちた」って感情が一番しっくりきたのは、彼の人となりというものが、この三日でなんとなく分かっていたからなのかもしれない。ああ、この人だったらそうなのかも、って思わせるだけのものが、面影くんには備わっていた。
 どこからどう見ても変わり者なところ。優しさもありながら、たまにとんでもないことを口走るところ。血とか、怪我への執着。拷問って言葉に、異常な反応を見せたところ――。
 さもありなん、と思ったのだ。きっと皆も。



「……でも、もうここに来て色んなことがありすぎて、面影君が実は殺し屋、なんて言われてもあんまり驚かないわね!」

「ここまで黙っていられたのは正直気にくわないけど……。ま、良いわ。自分からこうして話してくれたわけだし、今回は許してあげる」

「あの……ところで人体改造というのは、臍に九尾を封印されるようなアレでござるか……?」

「面影くんはそれだけ戦い慣れしているってことだよね。ふふ、頼もしいなあ」

「あ! もしかしてそれもあって薬とかに詳しいの? すごいなーって思ってたんだ」



 三者三様の反応を見せる私達に、面影くんは一瞬面食らったように唇を引き結んでいたけれど、すぐにそれを緩ませた。「面白い子達だねぇ、君ら」そう言われて、つい皆で顔を見合わせてしまったけれど。
 麻痺していたんだろうなあとは思う。自分達が置かれた現状が異常すぎて、私達の中に「殺し屋」が混じっているくらいでは何とも思わなかった。だけどもし彼が最初の自己紹介でそれを口にしていたら、きっともうちょっと警戒心を抱いていたと思うし、普通に接するどころか、距離を置いたとすら思うのだ。彼が身の上を告白するタイミングは、だから、適切だった。これ以上ないほどに。
 テーブル越しに面影くんと目が合う。眼帯で隠された左目。青い髪は不揃いなところがあって、ピアスも耳だけじゃなくて、唇の下とかまなかいにまで空いていた。独特な柄の着物。薄暗いような雰囲気があって、もしも東京団地で出会っていたら、私は絶対彼には近づかなかった。
 だけど今彼は東京団地のためにここで一緒に戦う、大切な仲間だ。
 時々変わった言動をするけれど、それでも優しい人――そういう認識でいたから、彼が東京団地で何をしていたかなんて関係がなかった。「殺りたくもない殺しだった」と言う彼の言葉を、私は真っ直ぐ受け止めていた。それを怖いとは、思わなかった。
 薄く微笑まれて、心臓が鳴った。ぎこちない笑みしか返せなかったけれど、面影くんは、綺麗だ。


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