「自分自身を……毒に?」
震えた声で口にする澄野くんに、面影くんは「そう」と、小さく頷く。
「あいつはそれを知らずに彼女を取り込んでしまい、結果、毒に犯されてしまったんだよ……」
その視線の先には、忌まわしげに頭を揺らす部隊長がいた。鱗に似た皮膚を土で汚して、白い呼気を小刻みに吐き出している。
――希ちゃんは面影くんが準備したあの薬を、自ら摂取していた。あれだけの量の薬を、逡巡することもなく。あの土壇場で、他に方法がないことを即座に判断して。
瞬間、心臓が、どくんと強く音を立てた。つい三ヶ月前まで普通の高校生だった女の子にできる覚悟だとは、到底思えなかったのだ。
毒に苦しみ希ちゃん達を吐き出した部隊長は、今馬くんが融合したままの頭をふらつかせながら、さっきまでよりも鈍い動きで地面に潜り込んでいく。私達を警戒したのだろうか? 今馬くん――引っ張られるようにそう思ったけれど、今はまず、あの三人の無事を確かめなくてはならなかった。
「希! 狂死香!」
くららちゃんが走り出すその背を追いかけた。もう、面影くんは私を止めなかった。砂混じりの地面に足の先を取られるのが、煩わしかった。口に砂が入る。倒れた三人を前に、息を吐く。「みんな」吐き出した声が、微かに震えて落ちていく。
土を抉る音が遠ざかっていく中、倒れていた厄師寺くんの指先が動いた。ゆっくりと、その身体が起き上がったとき、息が止まりかけたのだ。気怠そうに頭を振り周囲を見回す、その姿。続く形で、狂死香ちゃんが咽せる。起き上がって、目を擦る。
「ん……? んん……?」
「お、おろろ……? 拙者……いつの間に寝てたのっ!?」
二人が言葉を発したその瞬間、張り詰めていた緊張が、音を立てて切れたのだ。「二人とも、気付いたんだね!?」と安堵の声をあげる川奈さんの声に、二人は不思議そうに目を瞬かせる。
くららちゃんが狂死香ちゃんに「バカ狂死香! 寝てたんじゃなくて足引っ張ってたのよ!」と青筋を立てるその横で、緩く息を吐いた人がいた。――希ちゃんだった。
「よ、良かった……上手くいったみたいだね……」
力ない声だ。その肌は青白く透けていた。「希ちゃん」と言いかけたそれは、澄野くんの「霧藤、大丈夫か!?」という声にかき消される。「そうよ、無茶すんじゃないわよ!」とくららちゃんが追いかけるのに、希ちゃんは眉尻をそっと下げる。
「うん、なんとか」
――なんてすごい子なんだろう。
あんなことをやってのけて、それで、今こうして笑っているなんて。
転がった瓶に爪先が当たる。胸が詰まって、「希ちゃん」と改めて口にしたら、彼女は私を見て、笑ってくれた。「心配かけちゃってごめんね、ちゃん」と、そう言ってくれた。
泣きそうになりながら首を振りかけた時だ。狂死香ちゃんがぶるりとその身体を震わせて、その身を縮こまらせたのは。
「なんか急に悪寒が……拙者、風邪ひいちゃったかも……」
それにつられるようにして、厄師寺くんも小さく身震いする。「オ、オレもだ……なんか節々が痛ぇぞ……」吐き出された珍しい弱音に、びっくりした。――風邪? こんなときに? 安堵の中に不安の種が放られたような気になって、二人の顔を交互に見る。狂死香ちゃんも厄師寺くんも、冗談を言っているようには決して見えなかった。くしゃみをする狂死香ちゃんに、「大丈夫?」と声をかける。
くららちゃんはそんな二人に「何言ってんのよ! バカが風邪引くはずないでしょ!」と吐き捨てるけれど、面影くんは興味深そうに首を傾げて二人を見た。
「もしかして……薬が効いちゃってるのかな?」
薬。
さっきの薬以外に、ない。
薄く笑うその姿は、ちょっと場違いにも見えたけれど。
「部隊長にしか効かないんじゃなかったのか?」と澄野くんに尋ねられ、「そのはずだったんだけどね」と肩を竦める面影くんは、そっと目を細める。
「まぁ、ぶっつけ本番だから多少のイレギュラーはあるか……」
「いや、そこはちゃんとしとけよ! 大事なトコだろーが!」
「大丈夫だよ……どちらにしてもすぐ吐き出されたから、軽微な影響だろうし」
丸子くんが強く訴えるのは、その「イレギュラー」が自分を襲っていてもおかしくなかった状況だったからだろう。そういう面に関して、彼は自衛的だった。
「でも……まだ今馬はくっついたままだよ!? どうして離れないの!?」
過子ちゃんが面影くんに訴えたその時、地面が揺れて、心臓が跳ねた。
――学園の正面に空いた穴から、部隊長がその姿を現したのだ。
その頭蓋には、今馬くんが取り残されている。ぐったりと項垂れた様子は、さっきまでの彼と変化はないように見えるけれど――面影くんは「うーん」と首を傾げると、「他のみんなと違って長い間融合してるせいかな? 結びつきが強くなっているのかもしれない」と、淡々と口にする。過子ちゃんの瞳が不安げに揺れた。胸を締め付けられながら、今馬くんに視線をやる。――助けたい。だって、今彼は目の前にいるのだ。
無意識に拳を握りしめた時だ。「でも」と、面影くんが続けたのは。
「他のみんなを吐き出したって事は、あいつの融合が不安定になっているのは間違いないよ」
その言葉に、一筋の光が差した気がした。
けれどその時、近付いてくる無数の足音に気がつく。砂煙の奥に、色とりどりの、見た目だけは愛らしい化け物達の行進があった。夥しい数の援軍だった。「あー、クソッ! ノロノロしてる間に援軍が来ちまったじゃねーか!」丸子くんが頭を抱える。
躊躇っている時間はなかった。
武器を構えた澄野くんが、苦々しい声で過子ちゃんに言う。
「……とにかく、毒が効いてるなら、試しに攻撃してみるしかない」
それでも、それがどれだけ酷なことなのかを、澄野くん自身も分かっているのだろう。
過子ちゃんは、既に一度あの部隊長に向かって弾丸を放っていた。今馬くんとあの部隊長が深く融合していることを、理解していなかったから。あの時の今馬くんの悲鳴は鼓膜にべったりと張り付いていた。耳を塞ぎたくなるほどの絶叫だった。
――今の過子ちゃんには、負担なんじゃないだろうか。
だけど過子ちゃんは、「わかった」と言った。その瞳に、さっきまでの恐怖はない。
「……やってみる」
姿勢を低くした過子ちゃんが、ライフル銃を構える。照準を覗くその姿を、息を止めて見つめている。その指先が震えていた。大量の侵校生の援軍は、もう部隊長の背にまで迫ってきている――。
「今度こそ」と、か細い声が、過子ちゃんの唇の端から漏れた。心臓がずっと、煩かった。無意識に拳を握りしめた。どうか。どうか。祈るように、今馬くんを見る。
二人が悲しい思いをしませんように。
「……お願いっ!」
赤い弾丸が、銃声と共に銃口から放たれた。遠く離れた場所にいる部隊長に、それは真っ直ぐ向かっていく。触手の生え揃う先端に命中したのは、間違いなかった。弾かれるようにその巨体がのけぞって、幾本かの触手が千切れかけて、そこから体液を零していたから。
――ぐったりと意識を失った今馬くんは、目を閉じたまま。叫び声をあげることも、苦しんでいる様子もない。
「今馬の反応が……ない?」
澄野くんが息を飲む。面影くんが、その目をそっと細める。
「明らかに今までとは違うね。殺っぱり融合が弱まっているみたいだ……」
――ああ。
凍っていた部分に日が当たって、膜が薄くなっていくみたいだった。
やっと。やっと助けられるのかもしれない。やっと救えるのかもしれない。神経を撫でられるみたいに、頭の端がちりちりと痛んだ。あの日の血だまりに、腰まで沈んだ私ごと。
「だったら、チャンスだ……! 今なら倒せるかもしれないよ……!」
蒼月くんが声をあげたのに、張り詰めて強ばっていた感情が、やっと動いたのだろう。過子ちゃんの肩が震えていた。吹き付ける風が剥き出しの心に痛かった。
部隊長の姿が再び地中に潜る。直後現れたのは、私達の目の前だった。「げえ!」丸子くんが声をあげる。触手が過子ちゃんの足元から伸びるのを見て、慌てて彼女の身体を押した。皮膚を掠めた鋭い痛みに声にならない声が漏れる。「先輩!」と叫ばれた。「いいから!」と返した私に、過子ちゃんは全てを察したみたいに、頷いた。
「今馬を……返してよおおおおおっ!」
ライフルを構え直した過子ちゃんが部隊長に向けて、再びその引き金を引く。内臓を震わせるほどの音だった。空を切り裂く赤い光は過子ちゃんの怒りを含んで、部隊長のお腹に風穴を開けた。
ぐらりとその巨体が揺れたのを見た。バランスを崩した部隊長は大きな音を立てて、地面へと崩れていく。
校庭に侵入しかけていた侵校生達は、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。それを追いかけることもできなかった。地面に転がり落ちた今馬くんを、放っておくことはできなかったから。
赤い光が視界の端に映った。部隊長の身体を覆う光だ。立ち上る粒子の中心から、滲むように、人間の、仮面を被った女の身体の輪郭が現れる。――女の人だったんだ。意識を失ったままの彼女にトドメを刺したのは、澄野くんだった。
「お兄ちゃん!」
血の臭いに包まれながら、今馬くんに駆け寄る過子ちゃんの背を見る。
丸まった小さな背は、まるで、ちいさな子供のそれのようだった。