一体、どうやってこんな穴を作ったんだろう。
砂煙の立ちこめる校舎の周辺のあちこちで、地面が捲れ上がっている。私のいる校舎の西側から見える範囲だけでも、片手では足りないくらいの数の穴が空に向かって大きく口をあけていた。たったそれだけで、もう見慣れてしまったいつもの景色が遠ざかる。際限なく溢れかえる侵校生の姿は、光に群がる虫のよう。
車一台分くらいが通れるサイズだからよっぽどうっかりしていなければ落ちることはないだろうけれど、戦いの最中ではその「うっかり」がないとは言えなかった。くららちゃんからの通信が入って、「落ちるんじゃないわよ! 特にと狂死香!」と名指しで注意され、「落ちないよ……!」と反射で口にする。多分、という言葉は、奥歯と一緒に噛みしめた。
風が、火薬と、錆びた匂いを運んでいた。一つだけ、深く呼吸をする。「行くぞ!」という澄野くんの言葉に頷いた。震えはもう、どこにもなかった。
学生鎧に包まれた身体で戦場を駆け抜ける。
リーダーはいても指揮官を持たない私達は、四方からの防衛戦ともなれば各々の判断で戦うしかない。
地面を蹴って大きく踏み出す。床屋さんの店先に置かれた三色の回転灯に似た色合いの侵校生を敵陣の中に見つけたときは、もうどこにもないあの日の肩口の傷が痛みを訴えたような気がしたけれど――構わず一気に距離を詰めた。体重をかければ、柔らかな土に爪先が沈み込む。もこちゃんの背中の温度を、感触を、思い出す。握りしめたナイフに力を込めて、一息に切り伏せる。刃の抜けた切り口から噴き出した黒い体液が、鼻先を掠めた。
やった。――やれた。
安堵の息を漏らしながら、次の敵を探す。
「おお! やるじゃねぇか、!」
厄師寺くんにバイクの上から声をかけられて、それがどうしてもくすぐったくて、手だけを振った。
昇り始めた日の光が、校舎の陰から漏れて、強く差し込んでいた。その光に目を細めながら、校舎へと向かう侵校生の背を追う。罅の入った防衛バリアは薄く発光して、攻撃を受ける度、鱗粉のように小さな破片を零していた。激しい爆発が内臓ごと私を震わせた。
胸を押さえながら、細く長い息を吐く。「無茶しないでね」と、作戦室を出て行く面影くんに言われた言葉を、身体の奥にまで染みこませるように。
「私は生物薬品室に寄ってから行くよ」
学生鎧を纏った直後、戦場へと向かおうとする私達を前に面影くんはそう言った。青々とした光の広がる作戦室は防衛システムを担うコンピュータの熱気が籠もっていて少し息苦しかったのに、彼がそんなことを口にした瞬間、空気は引き攣れるように歪んだ。
「ああ!? こんな時に何ふざけたこと言ってやがる!」
「もうすぐ薬が完成するんだ」
悪びれる様子もなく肩を竦める面影くんに、厄師寺くんは怒りを隠さない。
けれど、面影くんが言うのだ。その薬はもしかしたら、戦況を左右しかねないものなのかもしれない。屋台の柱に寄りかかり、距離を取るようにみんなを見ていた姿を思い出す。疲れの滲んだ目。私はあれが、「ふざけたこと」とは思えない――。
掴みかからん勢いで言う厄師寺くんを「まあまあ」と止めたのは希ちゃんで、面影くん本人は薄く笑うだけだ。彼は「すぐ行くよ」と続けると、そのまま発射台から遠ざかり、廊下へと続く扉に向かって歩き出した。
すれ違う時、顔をあげて彼を見ていた私に、面影くんは「ちゃん」と、呼んだ。私にしか届かない、薄い布で包んだような声だった。
「無茶しないでね」
そうやっていつも気にかけてくれるから、私の身体は芯を持つ。
どれだけ戦い続けていたか。口の中は砂で乾いて、上手く息が吸い込めなかった。そんな中、侵校生を処理し続けているうちに、敵の侵攻が突然止まった。
重なる死骸はぴくりとも動かず、風は鉄錆びの臭いを運ぶだけだった。際限なく侵校生を排出していた穴は、しんと静まりかえって、その闇を濃くしている。手のひらのじんとした痛みと、水に濡れた布を両足首に巻いたような微かな疲労感は、誤魔化せなかった。
今の戦いで浅く傷付いた脛を指の先で無意識に撫でれば、かゆみごと、傷はすぐに塞がった。以前部隊長にトドメを刺してから、回復力まで上がったらしい。我駆力って、不思議だ。ひとりひとりばらばらな力を私達は持っていて、こんな風に戦っている。敵の侵攻が途絶えたことで途切れた集中が、私の思考をやわく、鈍らせる。
「はっはっは! 悪はすべて退治したでござる! やはり、正義は必ず勝つでござるな!」
明るく笑う狂死香ちゃんに「アンタって本当に底抜けなバカね」とため息を吐いたのは、くららちゃんだった。
「今ので終わりな訳ないじゃない」
続けられたその言葉に、意識が戦場に引き戻される。作戦室で見た学園の周辺を映し出していた映像が脳裏に閃くように浮かんだ。あれを見て、川奈さんと二人、ぎょっとしたのだ。そうだ、学園に向かってきていた侵校生は、こんなものじゃなかった。
「むしろ……本番はこれからのはずよ」
予言めいた声だった。
そしてそれは確かに、偽りのない予言だったのだ。
くららちゃんが言い終わるや否や、地面が大きくうねった。不気味なうなり声のような音が辺り一帯に響き渡って、バランスを崩しかける。
「きゃあ!?」
「うおっ!? な、なんだ!? 地震かっ!?」
朝から感じていた揺れより、酷く大きい。エネルギーの塊を、直接足下にぶつけられたような。立っていられなくて、悲鳴をあげてしゃがみこむ。学園を覆うバリアがみし、と嫌な音を立てた。折り重なっていた侵校生の死骸が、重なった将棋の駒みたいに崩れた。
「な、なになになにー!?」
頭を押さえて周囲を見回すけれど、でも、視界には何の異変もないのだ。丸子くんの言った通り、本当に地震なのだろうか? こんな時に? 地鳴りははっきりと大きくなっている。私達の足下に、近付いている。
「いや……地震じゃない!」と、蒼月くんが叫んだ、その直後だった。
目の前の穴から、激しい土煙と轟音をあげて、何かの巨大な半身が飛び出してきたのは。
「なッ……!?」
私達を覆う影と乾いた土塊が、頭上に落ちていた。
限界まで見開いた目に、砂が入る。その気持ち悪い見た目に、足に力が入らない。
――ミミズのような生物だったのだ。それも信じられないくらいおっきいミミズ。
植物の根を束ねたようなそれは、無数の棘をその身体から生やしていた。部隊長だと分かったのは、これまでの部隊長同様、赤い輪を携えていたから。頭蓋からは触手のようなものが何本も伸びていて、怪しく蠢いていた。
怖気が走って、そのまま尻餅をついてしまった私は、だけどそこに、信じられないものを見てしまう。
「あ、あれって……!」
希ちゃんが指を指した、その先。捲れ上がった鱗に飲み込まれるように、彼はいた。
見慣れた学生鎧。細い髪は束にならず、耳から落ちた。血の気を失った白い肌。閉じた瞳。胸から下を飲み込まれた彼は、眠っているように動かない。美しい男の子。
息が止まった。
「――お兄ちゃん?」
過子ちゃんの声が、誰にも受け止められずに落ちていく。
今馬くん。
声にならない声が、口の端から零れる。
「…………お兄ちゃん!」
手を繋ぎ、生きてゆくこと。
認めること。
私ができなかったことを、二人に全部叶えてほしかった。あなたたちに重ねていた。全部私のエゴだった。
かつての二人を前に思ったことを、こんな時に思い出す。
過子ちゃんの悲痛な叫びに、彼の目蓋は微かにも動かなかった。
まるであの日の兄のようでした。