「第二防衛学園、二日目の朝になりました! 昨日の話の続きをするよ。皆、三階の作戦室に集まってね! 待ってるよー!」
馴染みのあるチャイム音の後、そんなNIGOUのアナウンスが部屋のモニターから流れたのは、丁度朝の七時になったタイミングだった。
それで微睡んでいた脳が瞬時に覚醒したのは、正直幸運だったと思う。もしも寝ぼけてここが東京団地の自分の部屋と勘違いしてしまっていたら、受けるダメージはそれなりに深かったと思うから。
慌てて飛び起きて急いで身支度をして、言われた通り作戦室があると聞いている三階へと向かったけれど、階段を下りた後に正しい方向が分からずに直感で左に曲がってしまったのが悪かったんだろう。結局ロの字型の廊下をほとんど一周する形になって、最後の最後に作戦室を見つけることになった。部屋を出た時点で屋上はしんと静まりかえっていたから出遅れてしまった自覚はあったけれど、扉を開けた瞬間「おっそいのよ!」と罵声が飛んできたのには参ってしまう。思わず一瞬ぎゅっと目を閉じて、「ごめんなさいっ……!」と反射で謝った。
作戦室には、やっぱりもう皆が集まっていた。奥の巨大なモニター群の前にあるデスクの上にはNIGOUが鎮座して、それを取り囲むように喪白さんと霧藤さんが隣り合って立っている。少し離れた柱のあたりに凶鳥さんがいて、面影くんは一人、壁に背を預けてこちらを見ていた。大鈴木さんは今日も堂々と背筋を伸ばして真っ直ぐ私を見据えていて、そこには圧倒的な正しさが顕在しているようにすら思えて萎縮してしまう。――実際、この場では遅刻をしていない大鈴木さんが正しいし、遅刻した私は平謝りをしなければならないのは間違いないんだけど。
「ほんとにごめんなさい、ちょっと迷っちゃって……!」
「はあ? 三階って言われてるんだから迷いようがないじゃない。鈍臭いわね……! 罰として今からここで黒歴史でも発表しなさい!」
「い~! ヤダ……っ!」
「本官も昨日校内の案内ができなかったからね。ちっとも待ってなんかなかったから、大丈夫だよ、さん。黒歴史も、勿論発表しなくていいからね……!」
「NIGOU~……!」
「チッ……」
東京団地で、私に良く分からない刀を手渡して侵校生と戦わせたのはNIGOUだ。ここに私達を連れてきたのだって、きっとそう。どこまで信用していいのか分からないけど、こうして優しく助け船を出してもらえたことに絆されてしまいそうになる。
小さくなりながら皆の輪に入ると、面影くんに「私は知りたいなぁ、ちゃんの黒歴史」と冗談を言われてしまって、困った。和ませてくれようとしているんだろうけど、気の利いた返しもできなくて、素直に「い、言えないよ……」と言うしかなかった。
ここは東京団地から遠く離れた場所にある第二防衛学園。
この学校の防衛室には人類の存続に関わる大切なものがあって、私達特防隊は百日間、それを守る為にこの学園に押し寄せる憎き敵、侵校生と戦わなければならない。
機密の保持のため、その「大切なもの」とやらの仔細は話すことができないし、侵校生についても詳細は不明。どうして私達が特防隊に選ばれたのか、一体誰が私達を選んだのか、その選考理由については、NIGOUは一切聞かされていない――。
既に昨日説明してくれていた内容も交え、改めてNIGOUはそんな話をしてくれた。NIGOUのさらに上の存在がいることはその話しぶりから間違いがなく、質問のほとんどについてNIGOUは申し訳なさそうに「本官の一存では話していいものかわからないんだ」と答えるか、「それは本官も知らないんだ。ごめんね……」と謝るばかりだったから、大鈴木さんが痺れを切らして「やっぱり詳しいことは何も話せないんじゃない!」と怒ってしまうのも無理は無いと思う。
だけど、新しい情報も手に入った。この作戦室は第二防衛学園の要と呼んで差し支えなく、敵の襲来を察知するレーダーや学園の防衛モードを管理するシステムなど、戦いに必要なあれこれを全自動で担ってくれるスパコンがあること。外の様子はNIGOUの背後にずらりと並んでいるモニターに逐一映し出されること。重要なシステムであるこれらを守る為、天井にはいざというときに侵入者を攻撃するためのマシンガンが備え付けられていること。――それから最後に、丁度凶鳥さんの立っている柱の方を指差して(NIGOUの場合、指ではなく手そのものだったけれど)、「そこにあるのが我駆力刀。キミたちが東京団地で侵校生相手に使ったあの刀だよ」と、NIGOUはそう続けたのだ。
「皆の我駆力……要するに侵校生と戦うための超常的なパワーだと思ってほしいんだけど、我駆力刀はそれを引き出すために人類の叡智と化学を結集して作られた特別な刀なんだ。あれを心臓に突き刺すことで、皆の体内の我駆力が学生鎧や学生兵器として具現化されるんだけど……」
「が、我駆力……? 学生鎧……兵器……? あの刀が?」
「ああ……。殺っぱりそうだよね。さっきから気になっていたんだよね、あれ」
円柱の壁に沿うように、その刀は並んでいた。
禍々しく、血で濡れたように赤黒かった刀身は鞘に収められている。ぼんやりと赤く光って見えるのは、鞘に施された装飾によるものだろうか。整然と並んだそれらは遠目には美しく、面影くんは「気になっていた」と言ったけれど、私は言われなければそれがあの時の刀であることを気がつかずにいた。
だけど間違いない。あれはあの時、私がほとんど死を覚悟して心臓に突き刺したものだ。あれを刺した瞬間、全身の血が何か得体のしれない力を得でもしたように形を変えて、燃えるように身体が熱くなって、それで――気がついたら私はナイフを手に立っていた(あのナイフが、NIGOUの言う「学生兵器」ってことなんだろう)。あの時の私は、何でもできる気がしたのだ。いくらでも戦える気がした。どうしてあんなに、無我夢中に敵を切り伏せ、駆けずり回って、それでも自分は無傷でいられたんだろう。無敵の万能感だけで敵を切り刻み、返り血を浴びることを厭わなかったんだろう。思い出しただけで、今の私は身体が竦んでいるのに。
刀を視界に入れた瞬間、東京団地での最後の記憶が全身を駆け巡るように蘇って、視界が一瞬で狭まった。呼吸が浅くなって、視界が緩く、ちかちかと点滅して、立っているのもやっとになる。NIGOUが「侵校生」と呼ぶ異形の化物。抵抗する術を持たずに惨殺されていた、東京団地の人々。崩れた瓦礫から力なく垂れ下がった誰かの白い腕。燃えさかる炎は端から思い出を飲み込んで、今も私を打ちのめす。「家族」のことを、思い出す。
守る為に戦えなんて、やっぱりそんなの脅しだ。
「NIGOUちゃんが東京団地での時みたいにアタイ達に戦えって言うのは分かったわ。どうしてそれがアタイ達なのか……っていうのは、一旦置いておくにしてね」
女子プロレスラーらしい鍛え抜かれた腕を組み、喪白さんは静かにそう切り出す。
その隣では、霧藤さんが不安そうに彼女を見上げていた。多分私も同じような表情をしているんだろう。細やかな仲間意識を得ながら、こんな時なのに視界の端に引っかかったそれに、あれ、と思った。柱に並んだ我駆力刀。そこにあるのは、五本だけ。
喪白さんは、私達の気持ちを代弁でもするように続ける。
「東京団地の皆のためにここを守らなきゃいけない。――でもたった六人で守り切るなんて、いくらなんでも現実的じゃないんじゃないかしら? 一人も欠けずに百日を生ききるなんて、アタイ達があの無敗の世界チャンピオン、グレート・ガマでもない限り難しいもの」
「――確かに。ルフィも悟空も生涯負けなしとはいかないでござるからな!」
「命を失う前提でこんな風に戦いを強要されても、受け入れることはそう簡単なことじゃないのよ。……話せない、っていうNIGOUちゃんの事情も受け入れたいけど、アタイ達が現状を飲み込んで前向きに戦うためにも、そもそもどうしてこんなことになっているのかを教えてもらえない?」
――五本。
どうして五本なんだろう。ここには喪白さん、霧藤さん、大鈴木さんに凶鳥さん、面影くんと、それから私の六人がいるのに。なのにどうして我駆力刀は五本しかないんだろう。
喪白さんのNIGOUへの質問も、自分の中に芽生えた疑問も、だけどその時答えを与えられることはなかった。けたたましい警告音が、突然その場に鳴り響いたから。
「……えっ!?」
東京団地で暮らしていた私達には、馴染みのありすぎる音だった。私達をシェルターへと避難させるための警告音。あの頃私はそれについて深く考えずに生きていたけれど、今になって思えば、あれは私達を侵校生から守る為のものだったのかもしれなかった。
ファーン、ファーン、と、空間を切り裂くようにそれは鳴る。だけど、その後に続くのはもう耳にタコができるくらいに聞いた「こちらは東京団地事務局です」ではない。
「敵勢力侵入。敵勢力侵入。当区域に敵勢力からの攻撃を感知。ただちに、防衛モードを展開します。至急、防衛戦の準備に取り掛かってください――」
この作戦室にある敵の襲来を感知するというシステムは、その時無情に作動していた。モニターにはあの日見たぬいぐるみ達が大量に押し寄せている映像が流れていて、思わず息を飲む。
目を見開く喪白さんの隣で、霧藤さんが怯えたように身を竦めて、青ざめていた。凶鳥さんは刀に手を添えて身構えて、大鈴木さんの動揺ははっきりとマスクに現れていた。NIGOUまで「あ、あわわわわ、もう来ちゃった、どうしよう!」と慌てているのに私は絶望しそうになっていたのに、なのに、どうして隣にいる面影くんは、その眦を細めて楽しげに笑っていたのだろう。ふ、と息を吐く音が聞こえた。形作る全てが美しかった。
彼はきれいな人だった。こんな時に見とれてしまうなんて、もしかしたら生存本能だったのかなって、後になって思い出す。