全員が食事を終えたタイミングで、NIGOUは再び現れた。
「いきなり全部説明されても皆も困ると思うから、今日のところはこのまま休んで! 実はこの学園には皆のための個室があるんだ。今から案内するから、本官についてきてもらえるかな」
そんな気遣いに満ちた言葉と共にNIGOUは私達を食堂から連れ出して、そして。
そして私達は今、パネルの一片も見当たらない空の下――第二防衛学園の屋上にいる。屋上にずらりと並んだそれらを前に、どんな反応をすべきか分からずにいる。
「ちょっとアンタ……」と、最初に口火を切ったのは、大鈴木さんだった。
「正気!? 屋外の小屋とか、もうほぼ犬小屋じゃない! このアタシに犬小屋で暮らせって言うの!?」
「キャー! 怒らないでー! 皆の住居スペースを確保するのに、屋上が一番都合が良かったんだよー!」
「でもなかなかに広そうでござるよ。一人と刀が暮らす分には充分すぎるでござる。ね? 聖十文字刀。……え? ど、同棲……? も、もう、そんな、破廉恥でござるよ、こんな時に……!」
「どこが!? アタシんちの車より狭いわ! てかアンタはこんなところで刀相手に発情してんじゃないわよ、キモいのよ!」
「え、大鈴木さんちの車、これより大きいの……!?」
「当たり前でしょ? うちの車なんかねぇ、百人乗っても大丈夫だし、なんなら象も乗れるんだから!」
「確かにこの部屋に象は入らないけど、でもでも、結構快適なんだよー!」
犬小屋、って大鈴木さんは言うけれど、ぱっと見しっかりしたコンテナハウスだ。ずらりと並ぶそれらには既にネームプレートが掲げられていて、誰がどの部屋を使うかは最初から決められているみたいだった。
どうやら一番近くにあるのが霧藤さんの部屋らしい。未だNIGOUに喚いている大鈴木さんや、刀とお喋りを始める凶鳥さんを気にすることなく喪白さんと二人で部屋の中を覗き込む霧藤さんの後ろ姿に、「あの、中、どんな感じ……?」って恐る恐る声をかけたら、彼女は「良かったらさんも一緒に見よう?」って、笑って手招きしてくれた。お言葉に甘えて、お邪魔させてもらうことにした。
「建てた」っていうよりも、「設置した」っていう方が正しいんだろう。出入り口のための扉は通常よりも高い位置にあって、部屋に入るには数段の階段を上る必要があった。
霧藤さんが部屋の灯りをつけたのと同じタイミングで部屋に足を踏み入れる。「おじゃましまぁす……」って言ったら、霧藤さんは笑って、「うん。いらっしゃい、さん」って返してくれて、こんな訳の分からない状況なのに、無性に照れてしまった。
部屋をぐるりと見回す。こういうの、ワンルーム、って言うんだろうか。ヘリンボーンの床。入ってすぐ右側には洗面台と作り付けの大きな棚があって、使いやすそう。ロールカーテンが下がったままだけど、窓まできちんとある。ベッドだけじゃなく書き物をするためのデスク、ソファにテーブルまで並んだ部屋は、剥き出しの配管のせいで何となく寒々しくはあったけれど、充分快適そうに見えた。……教室や食堂にもあったモニターが既に設置済みなのは、ちょっと気になったけれど。
「お風呂もあるのね! 素敵じゃな~い!」
喪白さんの声につられて視線をやれば、ガラス張りの壁の向こうにバスルームがある。
「わ、ほんとだ、広いね……!」
「バスタブもあるのは助かるわね! シャワーだけじゃ試合の疲れは取れないもの!」
……バスルームの様子はお部屋から丸見えだから、お風呂に入るときは戸締まりに気を付けておかないと、お互い望まない事故が起きそうだけど。
だけど、想像していたよりまともというか、すごく良いお部屋だ。百日間戦うとか、ここで皆と暮らすとか、そういうのはまだちっとも受け止めきれていないしそもそも理解できる気もしないけれど、環境面に関しては全く問題ない気がする。さっきまでいた食堂の設備だって、申し分ないどころの話じゃないし。
部屋を見せてくれた霧藤さんにお礼を言って、喪白さんと二人外に出る。大鈴木さんはまだNIGOUと話をしていて、凶鳥さんは刀に何か囁きかけながら一人でむふむふ笑っていた。ネームプレートを確かめるに喪白さんの部屋は霧藤さんの真隣だったみたいで、喪白さんとはすぐに別れることになる(「あ、アタイの部屋ここみたいだわ! ちゃん、良かったら後で遊びに来てね! いつでも歓迎しまーす!」とウインクしてくれて、その気安さが何よりも嬉しかった)。さらにその隣は空き部屋らしい。灯油タンクや小さな荷物が積まれたスペースの先に、手前の三棟と同じコンテナハウスが四棟続いている。この中のどれかが私の部屋ってことになるんだろう。
マガドリ、って書かれたネームプレートをまず確認して、それから何となく空に視線を向けた。
継ぎ目のない空は、端っこの方が薄く白んでいて、奇妙だ。
この空を覆っている「雲」ってやつも、なんだか薄気味悪い。どれも不均一で、形を変えながら空をふわふわ漂っている。フェンスの向こうまで目をやると、砂埃の奥に半壊した建物群がじっとこちらを窺うように佇んでいた。生命の気配はどこまでも希薄で、どれだけ目を凝らしても人間の姿はない。――やっぱりここは東京団地じゃないのだ。NIGOUの言う通り。
「――何か面白いものでも見えたかい?」
不意に声をかけられて、飛び上がりそうになる。
喉元まで出かかった悲鳴をどうにか飲み込んで振り向けば、面影くんが穏やかな笑みを携え、私を見ていた。「な、なにも……」ってどうにか返すと、何が面白いのか、彼は一層笑みを深めた。笑うと彼の右目の周辺の、罅のようなお化粧(もしかしたら、タトゥーなのかもしれない)が、僅かに変化して見えた。切れ長の、綺麗な目。ピアスがばちばちに空いていて、独特な和装が妙に似合っていて――こんなに存在感があるのに、こうして向かい合っていなければ、彼の気配がちっとも分からないのが不思議だった。
そういえば屋上に来てから姿を見ていなかったけれど、面影くんは自分の部屋でも確認していたんだろうか。私が何か発するよりも先に、面影くんは「私の部屋、一番端だったよ。唯一の男子だからかな?」って、私の内心を読み取りでもしたかのように口にするから、ぎょっとしてしまった。面影くんって、エスパーみたいだ。
「そっか、確かに男子一人だもんね……。あの、女子ばっかりで居心地悪いとかはない……?」
「それはないかな。私、特に性別は気にしないんだ。……何事にもね」
「わ、大人って感じだね……」
「そんなことはないと思うけど……。そういえばちゃんの部屋、私の隣みたいだったよ。……煩くしたらごめんね?」
「え、全然全然……! 私こそ、迷惑かけたらごめんなさい。何かあったら言ってね……!」
「うふふ……平気さ。むしろ…………」
「むしろ?」
「…………いや、なんでもないよ」
「?」
面影くんって、掴み所がない。
首を傾げる私を前にもう一度小さく笑うと、「じゃあ私は部屋に戻るね」って言い残して、彼は自分の部屋へと戻っていった。何だか妙に落ち着かなかったのは、会話の流れで彼に「ちゃん」って呼ばれたからに違いない。何度呼ばれてもくすぐったくて、慣れる気がしないのだ。
面影くんの背をいつまでも見送っていたのを、彼は気がついていたんだろうか。面影くんは部屋に入る直前、私を振り返って、「ちゃん」って呼んだ。
「――この状況じゃ難しいかもしれないけれど、あまり一人で考え込まないようにね」
東京団地の光源と違う白んだ光に晒された面影くんの眦はどこまでもやさしくて、きれいだ。
NIGOUに「明日の朝、また改めて今後の話をするから、三階にある作戦室に集合してね」と声をかけられたのに何となく気が重くなりながら、大鈴木さんと面影くんの部屋の間にあった自分の部屋の扉を開けた。さっきお邪魔させてもらった霧藤さんのお部屋と同じ作りで――敢えて言うならベッドシーツとかソファ、デスクの色が違ったけれど――一人で寝起きするには充分すぎる広さだった。東京団地の自分の部屋より、ずっと良い。高校生にもなって、妹と同じ部屋だったんだもん。思い出しそうになって、どうしたらいいかわからなくて、大きく首を振った。そんなので振り払えるんだったら、とっくに全部踏ん切りがついていた。
そのままベッドに転がると、洗い立ての清潔なシーツの匂いに包まれて、胸の中のもやもやが指一本分くらいだけ自分の中から消滅した気がした。マットレスの程よい硬さが心地よくて、お腹がいっぱいなのもあって、気を抜くとそのまま眠ってしまいそうになる。時計を見るに、まだ十七時にもなっていないらしいのに。そう考えるとさっきのご飯、遅すぎるお昼ご飯だったのか早すぎる夕ご飯だったのかわかんないな。変な時間に食べちゃったみたいだ。
瞼を閉じたら、隣から「はぁ!? 中まで犬小屋じゃない! ちゃんと消毒してあるんでしょうね!?」って大鈴木さんが叫んだ声がした。壁一枚挟んでいたせいか、それがつい先週、知らないおじさんに道でぶつかられたって怒ってた友達の声に似ていた気がして、ちょっとだけ泣けた。