教室の机だった。
 目が覚めた瞬間でも自分が眠っていたのがそう、って分かったのは、その感触に随分馴染みがあったからだ。これは学校の、机と椅子。ほんのり木の匂いがして、つるつるして、たまに隅っことかが欠けている。でもこの机は新品みたい。落書きも汚れもないから。ぼんやりした頭ではそれを認識するのが精一杯で、呻きながら伸びをした。――なんだっけ。私、なにをしてたんだっけ。なんか、すごくよくないことがあった気がする。もう、ありえないくらいにぶっ飛んだ、すっごく嫌なことが。
 ふわふわした思考が徐々に輪郭を持ち始めて、そこの中身が少しずつ形を取り戻し始めたときだった。「え? 何よ、ここ、どこ?」って、前の席に座っていた人が声をあげたのは。それで私は、この部屋に自分以外にも人がいたことに気がついたのだ。



「――教室?」



 芯のある鈴みたいな声で、前の席の子が訝しむように零した。つられるように顔を上げて、だけど思わず息を飲んだ。辺りを見回すその女の子は、頭がすっぽり、何かで覆われていたから。
 緑色の、トマトみたいな形をした妙な被り物。
 一体どういうことなのか、彼女はトマトを被っていた。



「…………」



 その見た目があまりにも奇妙だったせいだろうか。それで、スイッチが入って連動したみたいに思い出した。東京団地が変なぬいぐるみみたいな生き物に襲われて、壊滅しかけていたこと。ベレー帽を被った小さな生き物に自分のフルネームが彫られた刀を渡されて、それを心臓に刺して戦って、って言われたこと。最終的にどうしようもなくて、もう死ぬつもりで、言われるがままに刀を心臓に突き刺したこと。――それで、信じられないことにその生き物の言う通り、謎の力が発芽でもしたみたいに私に宿って、無我夢中で私を襲うぬいぐるみ達を返り討ちにしたこと。返り血でぐっしょり濡れた私に「さん、すごいよ! おめでとう! 合格だ!」ってベレー帽の子が笑って、瞬間視界が歪んで、きらきらの渦に飲み込まれて、それで、身体も頭もぐにゃぐにゃになって、気がついたらここにいたこと。
 でも、そういうことを完全に思い出して脳に染み渡るよりも先に、口をついて出てしまったのだ。



「……なんでトマト?」



 トマトの子は私の声にハッキリと顔を顰めると(驚く事に、中身の表情と被り物は連動しているらしい。一体どういう仕組みになっているのかは分からないけれど)、「はぁ?」って不快感を露わにした声で言った。
 教室にいた、目が覚めたらしい他の四人の視線まで私に突き刺さって、居たたまれなくなった。








 天井まであるらしい窓は全てシャッターが下りていて、出入り口の扉には鍵がかかっている。黒板はどうやら昔ながらのものとは違ってモニターになっているらしい。「え~、うちの学校の黒板と全然違う、ハイテクだ~……」ってぼやいたら、トマトの子――大鈴木くららさん――に鼻で笑われた。「アンタ、いかにもド庶民って感じだもんね」って。言い返せなかったのはそれが事実だったからだし、大鈴木さんの所作や言動が私と比べていやに優美で自信に満ちていたからでもあった。そして実際、彼女は本当に御令嬢らしいのだ。
 私達はどういうわけか、この教室に閉じ込められていた。六人の共通点と言えば全員同年代っていうのと、皆同じように東京団地で化物に襲われて、刀を自らに突き刺し化物と戦った後、あのベレー帽の子に合格を告げられた途端謎の光に包まれて、気がついたらここにいた、ということだった。
 一体何が起きているのかは、ここにいる誰にもわからない。私達はまるで示し合わせたかのように、東京団地のことには言及を避けていた。誰も東京団地がどうなったのか知りようがないだろうって、きっと皆分かっていたのだ。



「……でも、ここどこなんだろうね」

「知らないわよ。知らないからこうして出口を探してるんじゃない。ドアも開かないし、アンタ今から床板剥ぎなさいよ」

「さすがに剥げないよ……!」

「床板は流石にアタイでも無理ね……。乙女の爪がボロボロになっちゃうわ」



 私達が目を覚まして、その状況にひとしきり困惑していたとき、「とりあえず一旦自己紹介でもしましょうか!」と言って空気を変えてくれたのは、今もこうして遠くから話に入ってくれた彼女――喪白もこさんという女の子だった。彼女はプロの現役女子高生レスラーらしい。にこにこしていて快活で、良く気のつく子、っていうのは、短い時間でも充分分かった。
 喪白さんに続いて自己紹介をしてくれたのは、トマト頭の大鈴木さん。「アタシは大鈴木くららよ。下民共、分を弁えなさい」との言葉通り、彼女は資産家である大鈴木家の御令嬢らしい。その「大鈴木家」とやらに全く聞き覚えがなかったのは、いくら同じ東京団地にいたと言っても住む世界が違いすぎるせいなんだと思う。
 それから、胴着姿に黒い髪をポニーテールにしているのが凶鳥狂死香さん。「拙者は凶鳥狂死香。こっちは拙者の愛刀の聖十文字刀でござる」と変わった口調で所持していた刀の紹介までしてくれた。彼女は学校にも通うことなくずっと山奥で修行をしていたらしい。浮世離れしているのも、きっとそのせいだ。
 六人の中で唯一の男の子は、面影歪くん。妙な柄の着物を着ていて、左目は眼帯で隠れていた。鼻の付け根――まなかいのあたりや口の下、勿論耳にもピアスが空いていて、通常だったら絶対近づかないタイプの男の子だと思ったのに、彼は物凄く穏やかな声音で、落ち着いた話し方をする人だった。「――よろしくね」って見つめられて(と言っても、たまたま私が彼の目の前にいたからに過ぎなかったんだけど)、ついドギマギしてしまった。
 それから、どこか緊張した面持ちでいたのが霧藤希さん。他の四人みたいな個性的な風貌ではなかったけれど、びっくりするくらい綺麗な子だった。



「あーん、ダメね。もしかしてって思ったけど、扉の上の小窓も開かないわ」



 これはまいっちんぐね……。とぼやく喪白さんの隣で、「うん……やっぱり完全な密室みたいだね」と霧藤さんが言う。面影くんと凶鳥さん曰く、窓のシャッターも開きそうにないらしい。「アンタ、大声出して助けでも呼びなさいよ。みっともなく鼻水垂らして泣き叫べば誰か来てくれるんじゃない?」と大鈴木さんに言われて、鼻水は置いておくにしてもやってみるべきかと大きく息を吸い込んだそのときだった。
 教室のスピーカーから、馴染みのチャイム音が鳴り響いたのだ。



「わっ」



 びっくりして思わず飛び跳ねてしまった。でも、私以外の皆はきちんと身構えている。チャイムが鳴り終わった後、急に黒板に現れた文字を、凝視している。
 すぐに読み取れなかったのは、私が大鈴木さんと一緒にほとんど黒板の目の前にいたせいだ。でも大鈴木さんの方はきちんとその文字を理解したらしい。大鈴木さんは「はぁ~?」と声をあげると、「そんなのもうとっくに済んでるわよ!」と怒りを露わにしていて、それで私はようやく、そこに「自己紹介の時間です」と書かれていることに気がついたのだった。
 ――自己紹介の時間です。未来の戦友に自己紹介をしましょう。



「これだけ時間があって自己紹介の一つもしてないとか有り得ないでしょ! 想像力がなさすぎるんじゃない?」

「まあまあ……」

「私はそれより、『未来の戦友』って言葉が気になるね」

「戦友……あ、ほんとだ。え? 私達って戦友……なの? なんの戦友?」

「どうせ悪戯よ。っていうか、アタシたちがここに閉じ込められてることも……東京団地でのことだって、大がかりな悪戯に決まってるわ。あの得体の知れないチビスケが何者かは知らないけど、大鈴木家を舐めたことを後悔させてやろうじゃない」

「全く同感でござる。決して許せぬ悪の所業だ。……と聖十文字刀も申しておる」

「……え!? まさかアンタ、刀と会話する痛いタイプ……?」

「…………」



 胸がざわざわして、無意識に一歩後ずさる。――戦友。「戦」っていう文字は、私にさっきの記憶を思い起こさせた。転がる死体。折れた電柱と崩れた家。炎に包まれた、世界の終わりみたいな東京団地。そこでナイフを手に、無我夢中でぬいぐるみ達を切って回ったこと。
 ここにいる皆も、あの化物たちと戦ったって言っていた。だったら「戦友」っていうのは、もしかしたらそういうことなんじゃないだろうか。大鈴木さんは悪戯だって言うけれど、私にはそうは思えないのだ。
 私達はあの化物と、これから先も戦わなくちゃいけないんじゃないか。頭を過ぎるその考えにぞっとする。思い違いであってほしかった。あの刀の重さも、心臓を突き刺す手応えも、生温かい返り血だって、もう思い出したくなかった。東京団地はどうなっているんだろう、って、だから、その時不意に、ずっと考えないようにしていた疑問が頭をもたげたのだ。どうなってるんだろう。お父さんは、お母さんは、妹は、友達は。私の暮らしていた東京団地は。今頃一体どれだけの被害が出ているんだろう。どれだけの人が死んでしまったんだろう。
 視線を感じて、顔を上げた。眼帯のなされていない方の眼球で、彼は――面影くんは私を見ていた。その視線が酷く粘ついた、恍惚としたものに見えたのは、私の見間違いだったのだろうか。
 確かめるよりも先に鳴り響いたチャイムが、私の思考を遮断する。黒板の文章が消え、新たな文面が浮かび上がったのを、私は視界の端で見た。
 ――一同、整列! みんなのNIGOUに敬礼!
 それを理解するよりも先に、「それ」は現れた。
 さっきまで何もなかった教卓の裏。どこからともなく現れたそれはバランスを崩しながらも教卓に着地すると、「皆、さっきぶりだね!」と、赤いベレー帽の乗った頭を傾げて、ちゅふふ、と笑ったのだった。


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