「カゲ、最近ちゃんと仲良いんだって?」



 そういえば、と、どうだっていい雑談でもするみてぇな話し口からゾエがの名前を出したときは、想定外すぎて危うく飲んでいたモンを吐き出すところだった。
 ボーダーの休憩所内に設置された自販機前は大概隊員の誰かが駄弁っているが、俺を見かけるとそそくさと去って行く。勝手に離れて行ってくれんだから楽だ。特にこういう、他人には聞かれたくないような話をするときは。
 ゾエは俺の大袈裟とも取れる反応が意外だったんだろう。目を丸くして、いつものとぼけたツラで俺を見ていた。この様子を見るに、ゾエからしたらマジで雑談の延長みてえなもんだったんだろうな。ゾエが何か言葉を発するより先に口を開かなきゃ負ける気がして、封じ込めるように「なんでだよ」と口にした。押し殺したような声は、いつもより若干低い。
 言外に込めたのは「別に仲良くねぇ」よりも、「誰から聞いたんだよ」、だ。ゾエがそこまで汲み取ってくれるのを前提にした言葉だったが、想定通りにゾエは「いやいや」と緩く首を振る。周囲から「女房役」と呼ばれているだけあって、良く気のつくヤツだった。



「ゾエさんは荒船くんからちょこっと聞いただけだよ」

「はあ? 荒船?」



 荒船。
 思いも寄らぬ名前に一瞬考え込む。なんで荒船から聞くんだよ。あいつ俺らと学校違うだろ。俺ととの関係性なんざ知りようがない。――そう思ったが、すぐに荒船隊んとこの三白眼が頭に浮かんだ。大元は、間違いなく穂刈だ。



「あー…………穂刈経由か」

「うん、多分そうだろうねー。隣の席の子と仲良いらしいなって、伝聞ぽく言ってたから」

「あークソ、余計なこと言ってんじゃねえよあいつ……」

「で、この前そっちのクラス通りかかったときにチラっと見たけどさ、今のカゲの隣って、ちゃんでしょ? あんな子と仲良くなるなんて、言っちゃなんだけど意外。ちゃんてどっちかって言ったらカゲのこと怖がってそうなタイプじゃない?」

「おめーもいちいち教室覗いてんじゃねーよ、見んなボケ。――つか、その前になんでゾエがのこと知ってんだよ」

「ゾエさん、ちゃんと去年同じクラスだったもん。お菓子もらったこと何回かあるよ。ポーチに入ってるやつ、好きなのどうぞって。良い子だよねー。たまに手作りのお菓子もくれたりしたし」



 ゾエに菓子をやるを想像する。男と話しているところは見たことがなかったから勝手に男が苦手なのだと思っていたが、ゾエと並んでいるところは存外簡単に脳裏に描けた。まあ、ゾエだったらも最初から萎縮しなそうだよな。菓子くらいやるだろう。……俺はもらったことねえけど。
 黙っていると、ゾエは感慨深げにため息を吐いてから続けた。しみじみと、噛みしめるように。



「いやーしかし、ゾエさん嬉しいよ。カゲがボーダー隊員じゃない女の子と仲良くなれるなんて……」

「…………」



 だからゾエに知られるのは嫌だったんだよ。ぜってぇ言われると思ってたから。
 涙を拭くようなジェスチャーでほざかれると、沸点の低いことを自覚している俺は一瞬で苛立つ。お前は俺の母親か。



「――だから、仲良いとは言ってねぇだろ」

「でもこの間防衛任務で早退した日『いってらっしゃい』って言われて、カゲどぎまぎしてたって」

「んなもんするか! それに言われたのは『がんばって』だっつーの」

「え~? どっちも似たようなもんじゃない……?」



 否定しかけたのをぐ、と飲み込んで、握ったペットボトルに力を込める。半分中身のなくなったそれは、べこりと音を立てて軽く潰れる。
 つか、どこまで見てんだよ穂刈の野郎は。見てたんなら荒船じゃなくてまず俺に言え。仲良くはねえって否定させろ。なんであることないこと言いふらしてんだ。余計な話すんなって、後で釘をさしとかねぇと。
 腹は立つ。腹は立つが、教室でのやりとりを見ていたのだろう穂刈が俺達を「仲が良い」と判断したのも、それを聞いたゾエが大袈裟に喜んで見せるのも、わからないわけではないのだ、俺だって。
 俺がこのクソサイドエフェクトのせいでどこにいても大なり小なり浮いてんのは、こいつらだって知っている。男なら兎も角女相手に俺が交友関係を広げることはこれまでなかった、っていうのも。学校で普通に話しかけてくるやつなんか、ボーダー隊員を除いてはほとんどいなかった。そんな中で俺に声をかけるは、傍から見たら俺と「仲が良い」ように見えるのだろう。クラスの、明らかに俺とは距離と置いている他の連中と比較して、の話ではあるが。それでも、それをゾエは喜んでいるのだ。
 防衛任務で早退する俺に向けられたの目を、こんなときに思い出す。
 長い睫毛に縁取られた、大きな目。犬みてえだった。不安と緊張に飲み込まれそうになりながらも、真っ直ぐに俺を見ていた。初めてだった。誰かに「がんばって」って言われたことも、あんな風に見送られたことも、一度もなかったから。
 なんでだよ、って思ったのだ。この間まで俺が欠伸しただけでびびってたくせに。消しゴムを落としたとき、分かりやすく「終わった」って顔してたくせに。なんで急にそうなるんだよ。ヘンな感情向けられて、どんな顔でいたらいいかわかんねえだろうが。言いたいことは溢れかえるのに実際に口にはする気はないんだから、難儀だ。
 ため息を吐きながら前髪を手の平で押し潰し、乱れた心を落ち着かせるために息を吐く。のことは、考えたって仕方ない。どのみち俺とは関係のない、遠いところにいるヤツだ。席が替われば、また元の関係に戻るに決まってる。



「でもほんと、カゲに友達が増えて、ゾエさん嬉しいよ……」



 未だしみじみ口にするゾエに、「おめーは母親か」と軽く蹴りを入れた。トリオン体のゾエの身体はわざとらしくよろけて、近くのソファの背もたれにぶつかった。








 一時間目の休み時間に一口サイズの飴やチョコを詰め込んだポーチを取り出して、中のお菓子を選んでいたら、隣から微かな視線を感じた。
 気のせいかと思って顔を上げたら、前髪とマスクの間から覗いた影浦くんの双眸と一瞬視線が絡んで、心臓が跳ねる。言葉もなしにすぐに逸らされて、二度びっくりした。目がちょっと合っただけなのに、心臓が小さく、ドキドキ、脈打っていた。
 お菓子、気になったかな。におい、いやだったとか? ううん、お腹がすいてたのかも。でも、良かったら、って尋ねる暇もなかった。もしあと一秒とか二秒目があったままだったら、思いきってお菓子のたんまり入ったポーチを差し出したのに。――いや、でも一秒や二秒じゃ、だめか。影浦くんが相手だと、私は普通の五倍くらいの時間をかけないと行動に移せない。「おはよう」や「また明日」、「がんばってね」。これ以外の言葉を口にするのはまだ、どうしても緊張してしまうのだ。
 でも影浦くんって、お菓子とか甘い物とか、あんまり好きじゃないんじゃないだろうか。私の一方的な推測だけど。お昼のパンもサンドイッチとか焼きそばパンとかコロッケパンで、チョココロネとかドーナツみたいなやつは食べているところを見たことがないし。私が「よかったらお菓子食べる?」って聞いても、素気なく断られたかもしれない。「甘いのは食わねぇ」って。想像の中の影浦くん相手に考える。だったら、甘くないお菓子とか、入れといたらいいかな。いちごミルクじゃなくて檸檬のキャンディとか、ラムネとか、ガムとか。でも入れてたって、あげられるのかな。そういう機会が巡ってきたとき、私はちゃんと「食べる?」って聞けるかな。想像しただけで、胸がぎゅうと絞られたような気になる。
 小さく深呼吸してから一口サイズのチョコレートを口に入れて、舌の上で転がしながら溶かす。影浦くんが席から立って、前の方に座っている穂刈くんのところに向かうのを、こっそり見送った。「おい穂刈。おめー荒船に余計な話してんじゃねーよ」って、チョップしている。教室のざわめきに紛れて消えていく影浦くんの声を、耳の中で無意識に反芻させた。荒船。余計な話。ボーダーの、私には関係のない話。影浦くんが遠く見えて、胸がすうすうした。私たちの机は、今も拳一個に満たないくらいの隙間が空いていて、私はやっぱりそれが、ちょっと嫌だなって思っている。